番外編・使用人達の集い
本編での屋敷の使用人達視点です
突如、屋敷の主から婚姻することを聞いた使用人達は驚愕した。
今までそんな話の欠片ですら耳にしたこともなかったからだ。
テオルドは元々孤児であるが、類まれなる魔術の能力と魔力量とで副団長にまで伸し上がった。とはいっても本人は地位も名誉も興味がなく、副団長の職でさえ、魔術師団長リカルドたっての希望で、叙爵はそれを受けるための器。そして周りからの執拗な圧力や権力抑制の為だった。
婚姻する相手はユフィーラ。平民で薬師の資格を持ち、あのハウザーが後見人だという。
適当に用意しておけという主の言葉に使用人一同は慌てて少ない日数でなんとか最低限の準備をした。ジェスは最後までこの急な婚姻に反対しており、準備なんかする必要ないと一切関わることさえしなかった。
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当日の昼前に少女くらいの小柄な女性が訪れた。
ミルクティー色の柔らかな髪を下ろし、シンプルなワンピースとブーツ、グレーのローブを纏っていた。案の定ジェスが初っ端から仕出かして、それにアビーが怒り、その後アビーの案内で屋敷内を紹介がてらそれぞれの使用人に挨拶に訪れていた。
その日の夜遅く、食堂のカウンターでアビーとガダン、ランドルンが酒を片手に集っていた。
「本当にジェスの奴、我が主命過ぎて気持ち悪い!幾ら反対しているからって、会ったばかりの相手にあんな態度は許せないわよ」
「ジェスも魔術師としては優秀でしょうに、テオルドが関わると途端に鼻の効かない駄犬になりますね。忠誠心は認めますが」
「女嫌い基人嫌いの旦那を守るのは自分だと豪語しているからなぁ。纏わりついていた女達には有効だったがな」
ガダンが酒のつまみが乗った皿をことんと置いた。
「だからといって、平民だからという理由で何も関わっていないのにあんな対応するのは愚かだわ」
「まあ有象無象の女の衆を見ていますからね。何とか主を守ろうと気張っているのでしょう。大半空回りしていますが」
「あの子情報ないもんなぁ。ハウザーが後見人ってだけで決めたのかねぇ」
魔術師の彼等からみてもハウザーという元王族の異質な存在には一目置いていた。テオルドに匹敵する魔力を保持しながら、権力に興味もなく、父親と同様に研究気質の変わり者。そんな彼が後見人に名乗り出るからにはユフィーラはその辺にいる娘ではないのだろうと三人は考えていた。
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ハインド伯爵令嬢が襲来した日の夕方、ガダン特製のシュークリームを美味しそうに頬張るユフィーラを使用人達が微笑ましく見ている中、アビーだけが目元を赤くしていた。
その日の夜、ガダンは飲まなきゃやってられないと愚痴るアビーに自棄酒に付き合っていた。何故かそこにブラインとダンも加わり、ダン専用に軽食まで作る羽目になった。
そこで昼間にあったハインド伯爵令嬢とのやり取りと、彼女の過去を知ることになる。そしてこの頃になると使用人の誰もがこの婚姻の不可思議さに首を捻るようになる。…ジェス以外は。
「なるほどねぇ。あの子の歳の割に無駄に悟った性格に納得したなぁ」
「生まれてから16年間よ。何一つ得られないまま、何一つ望むことすら出来なかった状況なのに、…なんであんなに捻くれずに前向きになれるのか私にはわからないわ…」
「彼女が馬房掃除手伝ってくれると、馬たち皆近づいて遊んで欲しいって強請りにいくんだよ。馬って人間の本質見るだろ?俺は個人的にあれ見てから主の奥さんとして問題ないって判断したんだよね」
「何でも馬で判断するなよ、お前…」
「でも実際そうだろ?人間同士はいくらでも化かし合えるかもしれないけど、あの気難しいレノンが一番懐いているのが何よりの証拠だと思うけどな」
「薬草にかける魔力の動きが凄く綺麗で滑らか」
「ブラインはその辺の感知能力凄いわよね」
「でもたまに何も無くなる」
「ん?無くなる?」
「うん」
「それは何も考えずにって意味?」
ダンが尋ねるのをブラインは親指と人差し指で口唇に触れながら思案する。
「何だろ…無になる…全部、が一瞬消える、みたいな」
「そりゃ色々あった子なんだろうから時々考えるんじゃないの?」
「でもあの子ここに居ると楽しくて昔を忘れてしまうんだって言っていたわ」
いつも穏やかに皆と接しているユフィーラの過去の話と今の彼女。過去の出来事は決して消えるものではないが、アビーの言う通りここで楽しく暮らして、辛い出来事を一時的にでも忘れているのかもしれない。
だが何かを察知する能力があるブラインが言うことも事実とするならば。
「ユフィーラさんってテオルド様がつれなくしていても何一つ文句も寂しいとも言わないのよね…」
「かと言って、主がどうでも良いとかそういう訳でもないんだよね。ほら、一日5秒だっけ?あれの時凄く喜んでいるし」
「ああ…好きな食事のメニューの時と同じくらい目をきらっきらにしてるよな」
ユフィーラのわかりやすいのにわかりにくい行動に使用人メンバーは心の片隅に疑問が残った。
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「流石にあれは気づくわ。健気にもさ、何が何でも心配させたくないんだねぇ。」
「トレーの中身見て固まっていたからな」
「何であんたがここに居るのよ」
「……たまにはそういう日もある」
「まあテオルドがユフィーラさんの看病をしているからやることがないのでは?」
「っ…」
その夜はカウンターにパミラとアビー、ランドルンの他に珍しくジェスの姿もあった。
普段滅多にこないジェスが自前の葡萄酒を持ってきたのでガダンとしては何の問題もないし、寧ろ美味い酒の持ち込みは嬉しい限りである。
「甘え方も知らないのに甘えてばかりだっていうんだから困った子だよねぇ」
「そりゃ、あんな目に遭っていてどうやってその部分を養うっていうのよ。ジェスはどうなの?まだ疑って貶しているのかしら?」
「…ハインド伯爵令嬢が調べた件がどこまで真実かはわからない」
「それもさ、もし一人も味方が居なかったことが本当だったとしたら、誰も彼女を庇うことは言わないんじゃない?」
「調べる側も疑ってかかれば、それに相応しい情報しか取り込めずに見逃しやすくなるんですよ、ジェスと同じようにね」
「っそんな事言うなら私が持ってきた葡萄酒を飲むな!」
「おや。このカウンターに置かれた時点で共有されるんですよ」
ランドルンは毎度のことながら感情に振り回されやすいジェスで遊ぶのが趣味だ。
「まあ、旦那がようやく少しは動くようになったからなぁ。このまま良い方に進むんならジェスも認めるのか?」
「…主に害がないのならば仕方ない」
「そもそも誰も害を被ってないからね!?あんただけが一人騒いでいるだけなの!その主専用の意味の分からない壁をどうにかしなさいよ」
そう言いながらアビーはジェスが持ってきた葡萄酒を並々と注いで飲み始める。その様子をジェスが苦虫を潰す表情で見ているが、ここに持ち込んだ物は皆の物。諦めが肝心なのである。
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カウンターは窮屈な状態だ。ジェス以外の使用人が特に示し合わせてもいないのに、集結している。
「明らかにおかしいよね。いじらしいを飛び超えて痛々しいんだけどねぇ」
「ジェスも最近ちょっと様子がおかしいんだよなぁ。何か物言いたげにユフィーラを見てたりするんだよ」
「しかもテオルド様も何?あんなに避ける必要ある!?なのにあの子は何も言わずにいつも通りにしているのがもどかしい!」
「避けるの見てて苛つく」
「この前馬房でのレノンと馬達の様子がちょっとさ…何かあったのかな。その後特に何もなく彼女は出ていったけど」
「あれだけ華奢なのにダイエットってちょっと無理がありますよね…」
「だからこっち見て言わないでくれる?シーツを石鹸のみでかぴかぴにしても良いんだよ?」
テオルドの明らかにユフィーラを避けるような行動、それを敏感に察知してもいつも通りに振る舞うユフィーラ、何故かユフィーラを追うような視線を送るジェス。
「最近部屋の出窓から良く外を眺めているんだよ。きらきらした目でなくぼーっとしながらさぁ…まだ18歳だよ?何を背負っているんだかなぁ…」
「ええ。私も見たことが何度かあるわね。何か言いたくても言えないことのような気がしてならないの…私達を信頼していないとかじゃなくて…上手く表現できないんだけど」
「ジェスが何か知ってはいそうなんですけどね。遠回しに聞いてみましたが、知らないの一点張りでしたよ」
「馬達も何か分かっているみたいに皆でひっきりなしに慰めているような感じがするんだよな」
「デザートお替りしないの絶対に変」
それぞれが疑問に思うことを出していくのだが、打開策が何も出ない状況に皆が溜息を吐く。
パミラがグラスに注がれた酒を飲み終え、からんと氷が鳴る。
「うちらってさ、それぞれ訳アリで旦那様に雇われた。ここは居心地良くて仕事さえしっかりやっていれば誰から何を言われるでもなく、詮索もされず個々好きなようにさせてくれてるじゃない?無理に誰かと関われと言われるわけでもない。そういう風に旦那様が上手く采配してくれていた」
皆がパミラに視線を向ける。
「…いつのまにかさ。知らない間に会話や関わりが増えて。それがユフィーラさんを起点に回っている。皆が無理なく集まって何かしている。彼女が居るから成り立っている。私はそれが不快ではない。今まで狭めていたものが、いつのまにか緩められている。それが嫌ではないのよ」
ランドルンが頷く。
「彼女は人の機微に敏い。押し付けがましくなく、自然にこちらが動いてあげたくなりますね。今も、誰が何を言ったわけでもないのにこうやって集まっている」
ダンが両手で髪を掻き分けながらぼやく。
「あれだけ散々な目に遭って、いや遭っているからこそ今を大事にしようとしているのがわかるよな。それに多少なりとも俺等も感化されてる。間違いなく馬達にも伝わっているんだよ」
「本来ならもっと捻くれたり人を恨んだり妬んだりしても良いくらいなのに、負の感情が湧く瞬間はあっても、それに時間をかけるのが勿体無いなんて言う可愛い子。だからついつい構いたくなってしまうの」
アビーがグラスを見ながら呟く。
「植物の話するの好き。いつも嬉しそう」
そう言いながらブラインが好きなつまみだけを選んで口に放る。
「俺もあまりにも美味そうに食べるからレパートリー増えたもんなぁ。まあそれでもマカロンは作らんが。今までは個々に好きに食べていたのが自然に集まって皆で賑やかに食事するのを見るのは良いもんだと知ったよ」
蒸留酒の残りを飲み干しながらガダンが言う。
「どうしたんだ?何が起きてる?言ってみろよって聞きたくても、何故かあの何もかも悟ったような笑顔で微笑まれると何も言えないんだよなぁ」
ガダンの言葉に皆が頷く。
「あの子の憂いを少しでもうちらが何とかしてあげられればいいのにねぇ」
そう言ってパミラがグラスの氷をからんと回した。
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テオルドの三度目の遠征のあとの突然のユフィーラの帰郷宣言。
その日の夜、ガダンはユフィーラの部屋の前に行ってみると、そこには使用人数名とジェスまでが居た。
「ジェス」
「…」
ジェスは反応せずに扉の前に立っている。
その時のことだった。
「…!」
中からくぐもった声が聞こえてくる。
『――…にっ、くっ…な、―――』
微かに聞き取れた内容にガダンはぞっと肌が粟立つ。
『ま、――――…いっ――に、ぃ―――』
ジェスはユフィーラの部屋の扉の前で拳を震わせながら立っていた。
アビーは座り込んで顔を覆っていた。
ブラインは静謐な目で扉を見ていた。
ランドルンは壁に肩を凭れながら腕を組んで目をきつく瞑っていた。
そしていつの間にか後方にはパミラとダンまでが立ち竦んでいた。
声を押し殺しているのだろう、それでも漏れ聞こえる嗚咽に胸が潰れそうになる。
ガダンはジェスと目を合わせて首を動かす。他の使用人達も促して階下に降りていった。
「ジェス。何を知っている」
食堂のカウンター。ユフィーラを除く全員が集まっている。
「―――――誓約魔術をかけてくれと」
それを聞いて皆の視線がジェスに向く。
「伝えられないのか」
「…ああ」
それでも裏をかく方法はある。
「あの子が出て行くに値する大事か」
ジェスが頷く。
「命に関わることか」
『死にたくない』
確かにそうガダンの耳には聞こえた。
ジェスの体が揺れる。ガダンと視線を交えた目は虚ろだ。
「たまたま…その場に出くわした」
出くわした、となると重篤な怪我などではない、ということは…
「呪いか病、ですか」
そう言ったランドルンにジェスが頷く。
「少し前まで食欲がなかったのに…最近は良く食べていた」
パミラが反芻するように呟く。
「あ…ここのところ良く眠くなると言っていたわ。冬眠ならぬ春眠かもって笑っていたけど…」
思い出したアビーの声は囁くように小さい。
人に言いたくない…言えないもの。
誰にも相談できないもの。
―――治る術がないもの…?
最悪な状況に導かれていく。
「天使と悪魔の天秤」
ブラインの一言にジェスがびくっと体を強張らせた。
「あー……それ俺達が以前入団した際に数種類の呪いの解呪の適性魔力診断のようなものの中にあったよな…まじかよ」
ダンが頭を抱える。
「初期症状は風邪のような倦怠感と目眩が長期間。中期は凄まじい激痛に苛まれる。後期は安楽状態で睡眠、が…増え…ということはもう後期ですか」
ランドルンが額に手を当てた。
「あの不治の病って期間が一年から一年半でしょ?…ねえ、もしかしてさ…この婚姻って」
パミラが確信を突くようにジェスを見た。ジェスは俯きながら頷く。
「ジェス。彼女は旦那が解呪できることは知っていたか?」
「この前団長が来た時に知った、と」
「解呪を?」
ジェスは首を振る。
「大事な人だ、からと」
アビーがカウンターに伏せる。
「なんてこと…ようやく自由に生きれると思った矢先にこんなのってある…?残った時間をテオルド様との限定の婚姻期間…?――――なんで、どうしてあの子が…」
誰もが胸が締め付けられ、やるせない思いに駆られる。
ユフィーラは全て分かった上でこの一年間過ごしてきていたということか。
婚姻したはずなのに、式もなく部屋も別で、夫婦らしいことなんて何もしていなかったのに、ユフィーラは日々幸せそうに過ごしていた。たった数秒のハグに目をきらきらさせて、終わったら満足気に軽やかに歩いていって。
刻々と終わりを迎えるのをたった一人で挑み続けていたのだ。
しかも後ろ向きにも悲観的にもならずに前向きに一日一日を楽しんで。
ガダン達の前では、ただの一度も泣き言も何も言わずに耐え続けて笑っていた。
それでもいざ、最期に向かい合った時に本音が溢れたのが先程の嗚咽と言葉だ。
「好きなら尚更言えないよなぁ…俺らは誰も助けてやることもできん…」
「デスパを沢山栽培していたのは、痛み止めの為だった」
「痛み止め…ブライン、それは中期の為の?」
「多分。それに魔力薬の効能を上げるのも急いでた」
「…残りがわかっていたから、かあ…うちらも魔術師なのに何もできないとは情けない限りだねぇ」
「ジェス。主は何も知らないのですか?」
「…ああ。中期あたりから避けていたからな」
「なんてことだろうねぇ…でもさ…」
誰が言えるだろうか。
我が主に命を削ってくれだなんて。
助けてやってくれなんて。
軽々しく言えることでは決してない。
そしてユフィーラにも何も言えない。
助けることすらできないのに。
ここに居てくれだなんて。
「―――もし、明朝彼女が本当に出て行ったのならば、主に連絡を送る」
「でも、お前誓約が―――」
「引っかからないように伝える術は幾らでもある」
ジェスの瞳に決意が宿る。
ガダンは紙を取り出し、ペンをとる。
「ガダン?」
「ユフィーラにサンドイッチ作るって約束したからな。旦那がどう動くかはわからんが、願掛けだ」
そう言って、一言だけ書いた。
【帰ってこい】
すると、次々とガダンの名前の下に皆が名前を書き記していく。ジェスまでも。
これだけの癖の有る彼等でも、皆それぞれユフィーラを思っているのは明白だった。少しでも彼女の心に残るようにと。
ガダンは明日のサンドイッチの仕込みに厨房へ入った。
翌朝、ユフィーラが出て行った後、ジェスが即座に連絡を飛ばした。その翌日の朝、特殊防壁の魔術を解除したテオルドが焦燥した姿で転移してきて、ジェスから魔力薬を奪い取ってすぐに再度転移して消えた。
そこに居た全員がいつもユフィーラが座っていた食堂の席に目を移す。
またここで美味しそうに食事を頬張る彼女の姿を見れることを願って。
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戻ってきたユフィーラがはにかんだ笑顔で言う。
「あの朝の皆さんの文字が入った書き置きの手紙は私の一番の宝物なんですよ」
ふふ、と微笑みながら首元から小さな巾着袋を取り出して小さく折りたたまれた紙を見せてくれた。
全使用人が泣いた。
心の中で。
数名表でも泣いたが。
我が主は自分も何か贈り物するから、それは二番目にしろと必死に諭していた。
訳アリ使用人編もいつか
機会があれば書きたいなと
思っています