テオルド 3
思ったより小競り合いが早く鎮火して、テオルドは一日近く覆っていた巨大な特殊防壁魔術を解除した。三日目の明け方だった。これでもうこちらに侵攻しようとはせず、力の差をようやく理解しただろうと推測し、早めに帰れそうだとリカルドと話していると、特殊な防壁魔術に阻まれていた為に来なかった連絡魔術が届く。
中身を確認したテオルドは頭が真っ白になって思考が停止した。
送ってきたのはジェス。彼はいつも出した日付と時間を書いている。
ジェスが出したのはテオルドが出立した翌日の朝だった。
遠征中に出すことの謝罪が書いてあったあとに。
『ユフィーラさんは今朝出て行った。彼女は団長の奥方と一緒』
これだけだ。
(何故急に出て行く…リカルドの…?―――まさか…)
微動だにしないテオルドにリカルドが訝しげに「おいどうした?」と声をかけるが、反応できない。テオルドは先程まで特殊な防壁魔術を展開していたので、魔力が半分近く減っていた。転移はテオルドでさえ、魔力を大量に消費する。魔力量でなく個人の最大魔力量の三分の一だ。
何度も尋ねるリカルドに答えもせず、テオルドは即座にユフィーラからもらった魔力薬を飲み干し、屋敷に転移した。
屋敷に戻ったテオルドが「どういうことだ!」とジェスに詰め寄ると彼は両手を軽く上げながら「誓約魔術で答えられません」と言った。
どういうことだ。何故そんなものが必要だったんだ。
「その場に遭遇しました」
ジェスが俯きながら話す。
「なにを―――」
「天使と悪魔の天秤」
ガダンが誓約に触れないようにジェスに対し尋問したとのことだ。
「…なんだと?」
「恐らくもう後期に入っている」
ランドルンが感情のない声で言う
「!!」
「なんでお前らは何もしていないんだ、とか言わないでよ。旦那様だけには言われたくないからね。私らもさ、流石に昨夜の彼女の様子がおかしくて、皆それぞれ部屋に様子見に行こうとしてかち合わせたの」
パミラが微笑みながら答えるが全く目は笑っていない。
「そしたらさ、微かに聞こえるんだよ。押し殺した泣き声。多分必死に口押さえて。俺らに気づかれないように」
ダンが頭をがしがしと掻きながら言う。
「最近眠いと言っていたのは後期の症状だったからなのよ…」
涙を浮かべながらアビーが悔しそうな顔をする。
「言うつもり一切なかったんだろうね」
滅多に目を合わせないブラインがテオルドを見据える。
だから。
だから一年間だったのか。
だから不可能だと言ったのか。
「我が主…部屋には大量の魔力薬と薬、保湿剤が置いてありました。彼女を……救うつもりなら魔力薬を。彼女は恩人の先生の元へ行くと――」
そう言いながらジェスが魔力薬をテオルドに差し出す。
あまりの衝撃に固まっていたテオルドだが、ユフィーラが今居るだろう場所を聞いた瞬間にジェスの持っていた魔力薬を奪い取り診療所に転移した。
昼前なのに診療所は閉まっている。扉を打ちつけると少ししてハウザーがでてきた。
ハウザーは能面だった。そして「ここには居ない。俺は誓約魔術で話せない」と。
「知ったのか」
「…ああ」
「そうか」
「ユフィーラはどこに行った?」
そう聞くと、ハウザーは片眉を上げた
「行ってどうする?」
「解呪する」
考えるまでもない。
「お前が命を削ることをあいつは望まん」
「生きて傍にいて欲しいと俺が望むんだ。それ以外はどうでも良い」
ハウザーが一つ溜息を吐く。
「あいつ怒るぞ」
「好きなだけ憎めば良い。生きているなら」
「お前を憎むのは無理だろうなぁ」
テオルドの覚悟を悟ったのかハウザーはもう一つ溜息を吐いた。
「本当は上の部屋で終える予定だった。でも直前で変えた。思い出の場所が良いと。……恐らくお前と会った場所だろうな」
俺との場所?会った…――――トリュスの森か!
テオルドは魔術薬を飲み、すぐに転移魔術を展開しようとするがハウザーに肩を掴まれる。
「朝早くに出て、もう数刻経っている。俺には解呪の適性がなかった。間に合うなら…頼む。あいつを助けてやってくれ」
一つ頷いて、転移を踏む。中心部に直接飛ぶと森がざわめくので近くに転移し、リカルドに連絡を飛ばした後、中央に向かって駆けていく。そしてユフィーラと初めて出逢った場所に辿り着いた。
彼女はいた。
大きな木の窪みに収まるように座っていた。
まるで昼寝でもしているように。
でもその顔も唇も人形のように白い。
「ユフィーラ!」
駆け寄る際、周辺には今まで見たこともない現象が起きていた。
彼女の周りに七色の蝶が何匹も留まっている。
それはまるで彼女を守っているように見えて。
ユフィーラの側に跪いて首に手を当てる。
脈は…――――恐ろしく不規則だ。…ゆっくりと、ゆっくりと止まっていく寸前のように。
「…ぁ…ぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
とてつもない後悔と絶望が押し寄せてテオルドは絶叫する。
七色の蝶が驚いて四方八方に舞う。
しかし離れていかずに近くでひらひらと舞っている。
早く早くと。
急いで急いでと。
首元から解呪を施す。手が今までにないほど震えている。魔力が吸い込まれるのに解呪が何故か浸透しない。テオルドは片手を首元に触れたまま魔力薬を開け、飲み干して瓶を投げ捨てる。
(何故だ…後期だからか?何故こんなにも浸透しない!?)
それでも必死に魔力薬をのみながら解呪を続ける。ユフィーラの脈動がよりゆっくり不規則になっていく。これほど無力な自分に焦り憤ったことはない。頭が回らなくなっていく。
(駄目だ、逝くな…逝かないでくれ!!!)
魔力を凄い勢いで放出し、ぐらっと視界が揺れた時、近くで転移の魔術を感知した。
「テオルド…?どうした!?―――え…ユフィーラさん?」
リカルドだ。彼は中期だった症状の妻、ビビアンを治している。
「リカルド!魔力がどんどん吸われていくのに解呪が浸透しない!脈が戻らない!!どうすれば浸透するんだ!!!」
リカルドは愕然としながらも解呪という言葉に今の現状を理解したらしい。
「お前…彼女を…」
「あんたと全く一緒だろうが!!早く教えろ!!!」
テオルドが激情に駆られる姿に呆然としながら、リカルドは一つ頷く。
「粘膜接触…口から口へ直接注ぎ込め。相手を想え。お前の命も捨てるな!」
テオルドは魔力薬二本同時に飲んでから、ユフィーラの真っ白な唇に迷わず口づけした。溢れ出る魔力ごと届くように、深く深く。
いつもあれだけ瞳をきらきらさせていても、一歩下がった態度だった理由はこれか。
一年間以上が不可能だと断言した理由はこれか。
俺に大量の魔力薬を仕事に役立つからと急いで用意していた理由はこれか。
たった5秒のハグにあれだけ想いを込めていた理由はこれか。
10秒のハグで泣いたのは、それが最後だと知っていたからか。
体調を崩したあの夜だけが。
お前が夢現の中、唯一零した……言葉だけが本心か。
まだ何も伝えていない。行動もしていない。まだこれからだと思い上がっていた結果がこのざまだ!
絶望と焦燥で心が悲鳴を上げる。心が咆哮する。心が慟哭する。
目を背けてきた己を攻撃魔術で跡形もなく殲滅してやりたいくらいに。
自分の全魔力を投入する。自分の命なんてどうでも良い。
ユフィーラが戻ってくるならこんな命くれてやる。
その時肩が壊れるほど強く掴まれた。
「彼女が助かってもお前に何かあったら、彼女はその後どれだけ苦しむんだ!!!独り善がりは止めろ!!お前の力で両方救え!!!!!」
リカルドの怒号が鼓膜を突き破る様な勢いで聴こえ、荒れ狂う感情の澱んだ膜が微かに薄れる。
でもそれでもユフィーラの鼓動が止まってしまったら。
きっとテオルドは狂うだろう。
それでも。
ユフィーラの命を。
テオルドの命も。
ユフィーラは…きっと…眉を、へにょんと下げて、悲しむのだろう。
滅多に流さない涙を零して。
―――――これ以上辛い思いも、悲しませるのも、嫌だ。
テオルドの猛り狂う魔力の織が少し軟化したのを、待っていたかのように散らばっていた蝶の群れが集まってきた。七色の羽の鱗粉を散らしながらユフィーラの側に集う。
それらを見てようやく気づく。
この七色の蝶は森を復活させた時にどこからか舞ってきて喜び舞っていた。
蝶は……恐らくユフィーラの命を繋いでいてくれたはず。
七色の鱗粉は生命の証。それがユフィーラの周りに舞っている。
テオルドが来るまでなんとか繋ぎ止めてくれていたのだ。
目が滲む。
想いを込めて、ユフィーラに口づけして解呪を施す。
彼女の命に繋がるように。テオルドの想いが彼女に届くように。
口から口へ、心から心へと伝えて。
「ユフィーラ…ユフィ…フィー。お前を想っている。お前がいじらしくて…愛おしくて仕方がない」
テオルドの魔力が、想いが膨れ上がる。
周囲が七色に輝く。
蝶の羽がきらきらと煌めく。
周りの森がさわさわと音を立てる。
植物の瑞々しい香りがそよぐ。
…とく………とく……とくとく――――
(―――――っ!鼓動が…!)
ユフィーラの脈の動きが規則的に打ち始める。
テオルドは脳と全身で歓喜した。
ふらふらになりながらも魔力薬を飲んで続ける。
(フィー。お前が俺の為に作ってくれたこの薬が、俺の為にお前を救うんだ)
次で完結です




