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一日5秒を私にください  作者: 蒼緋 玲
一日5秒を私にください
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ユフィーラの過去



ユフィーラは元々トリュセンティア国と冷戦状態にあったイグラス国の男爵家の令嬢だった。

といっても、ユフィーラが出奔した時点では、水面下での攻防だったらしい。

らしいとは、ユフィーラは殆ど世情を知らずに16歳まで育ったからである。


ユフィーラの実家、ウォーレン男爵家で生まれたユフィーラの母は、産後のひだちが悪く、殆ど我が子を抱くことも叶わずに亡くなった。そして父はその後すぐに後妻を迎えた。政略結婚だった父は、母と婚姻する前から現男爵夫人と繋がっていたということだ。そして既にユフィーラより二つ上の姉が居た。


私は辛うじて乳母をつけられたが、ユフィーラが自分のことが出来るようになると、すぐさま解雇され、その後は男爵の下女として小さい頃から働かされた。

そもそもユフィーラは、自分が男爵家の娘だとは露ほども思っていなかった。物心がつくときには既に家の薄暗い納屋に押し込まれていたからだ。しかも男爵は死産だったと申告した為、ユフィーラには国籍もなく、死んだ者とされていた。


そんな身の上だからか、ユフィーラは何も知らずに子どもの頃から最下層使用人のように働かされ、随分な扱いを受けてきたが、自分の普通だと思っていた。


継母からの体と言葉の暴力。

異母姉からは執拗な嫌がらせと蔑みの言葉。要らない子供で死んだ扱いの子供だと挨拶のように毎日繰り返された。

そしてそれらを見て見ぬふりする血だけ繋がった父親。

男爵一家の扱いを見て模倣する使用人達。


食事は固くなったパンと水、運が良ければ残り物の残飯で、仕事が終わらなければ食事抜きなんてこともざらだった。



そんな過酷な環境で、ユフィーラが何故卑屈ならず、憎むこともせずに、穏やかな性格のままで居られたかは、記憶にもない母の性格を引き継いだのかもしれないし、元々の気質なのかもしれない。


そしてそこまで思わなかったのは、あまりにもそれが日常であり、それが当たり前の生活だったこともある。


憎むよりも悲しい気持ちが一時期あったが、それもすぐに考えるのを止めた。ちっぽけで何の力もないユフィーラでは、全員が敵の男爵家に勝てないとわかっていたからだ。


それよりも、いつかここから出られた時の為に知識を蓄えておいた方が生産的だと思うことで、何とか心を保っていたのかもしれない。


そう思うようになったのは、ある日ユフィーラがゴミ出しをしていた時のことだ。継母の娘が家庭教師から学んだ教科書を、もう必要無くなったらしく大量に捨てているのを見た時、ゴミならばもらってもいいのでは思い、かといってユフィーラがそれを所持していると知られたら、食事抜きと折檻か、それ以上のものが間違いなく待っているので、バレないように少しずつ抜き出して、ユフィーラが使っている狭い納屋の腐って崩れた床の下に隠した。


そして遅くまで働いて、辛うじて小さな窓から月の光が差し込む日にだけ本を読めたのだ。勿論文字なんて知らなかったから、わからない中でも何度も読み返して同じ文字を見つけながら、使用人同士が話している会話の内容と照らし合わせたり、メモを盗み見たりして何年もかけて覚えた。


そして本の中で一番ためになったのが、植物図鑑の中の薬草と魔術の本だった。そこから更に何年もかけて学び、自分にも魔力というものがあり、魔術を使えることはわかったが、流石にここで使ったら加減もわからないし、それがばれたらどんな目に合うかもしれないので使えなかった。


それでも頭の中に身についたものはいつか役に立つと前向きに考え、せめてと頭の中のシミュレーションで想像を深めていた。



そして更に年月が経ち、ユフィーラが16歳になる前のある日のこと。


日付が変わる少し前に、ユフィーラはようやくその日の仕事を終え、納屋に戻ろうとすると談話室から継母と父の声が聞こえた。


「―――ということなので、来週にでも相手様が迎えてもいいとのことですわ」

「それで大金が入るのか?」

「ええ。あんな骨のような小汚い娘でも」


二人が話しているのは、どうやら自分のことらしい。


「なんでも奴隷として欲しいそうで、ひ弱で何も守れない者を甚振ることがご趣味な方らしいですよ」

「―――ただ、あんなでも下女の仕事はできる方だから、人手が足りなくはならないだろうか」

「そんなの売ったことで貰う大金でどうにでもなりますよ。もういい加減あの女の血が入ったあの娘と同じ空間に居ることすら許し難い」


どうやらユフィーラは売られてしまうらしい。

しかも甚振られる奴隷として。

そして血だけ繋がった父が気にするのは、家の使用人事情だけだ。


「それにここ数年の男爵の財政は下降の一途を辿っているんですから」

「それは…お前達が散財するからでは」

「男爵家を栄えさせる為に必要な付き合いとドレスですよ!もっと愚民から税を多く取ればいいのに!」

「これでもかなり重税を強いているんだぞ。最近では反発も出てきているからこれ以上は無理だ」

「なら、あんな貧相な娘をそこそこの大金で買ってくれる方に売る他ないですよね?」

「…わかった」


話が終わりそうな雰囲気だったので、ユフィーラは急ぎながらも物音を立てないように納屋へ戻る。静かに扉を閉めてからぼろぼろになった寝具代わりの毛布を抱きしめる腕は少し震えていた。


(ここから出られても、また違う虐げられる扱いが待っている)


しかも売られる先は嗜虐的な趣味を持った相手らしい。


(もしかしたら逃げることすらできないかもしれない)


毛布をぎゅっとしながら顔を埋めて震えが収まるのを待つ。

暫くしてようやく震えが収まってくると、冷静さもゆっくり戻ってきた。


「逃げるしかない」


来週まであと二日。

その間に何かの都合で早くなったらおしまいだ。それに今日は夜遅くまで働き通しだったが、運良く力仕事が少なかったから、まだ体力は少し残っている。

ユフィーラの食事事情からは、力仕事が多くある日は何年経っても夜には空腹でふらふらになり、死んだように眠っていた。


納屋の小さい窓から空を見上げる。月が出て少しだけ明るいということは暫く天気の方は大丈夫そうだ。そして、ただの一度も逃亡を図ったことがないから、まさか今日居なくなるとは思わないだろう。


ユフィーラは目をぎゅっと瞑りゆっくり深呼吸してから目を開ける。

料理番も先程皆戻っていったし、継母と父ももうそろそろ眠るだろう。



今夜しかない。



一つ頷き決断する。

そして、殆ど何も置かれていない納屋の部屋を見渡す。

あるのは毛布と敷布団代わりの使い古したカーテン、そしてみすぼらしい使用人用のワンピース数着と下着。読み込まれた床の下の本。そして食事が抜かれた時用にとっておいた固いパン数個と干し肉の欠片が少し。そして履いている擦り切れた靴。

これだけだ。


(本はもう暗記できるくらいだから必要ないわ。…今更だけど、私には本当に何もないのね。)


違う母親から生まれた継母の娘は溢れるほどの愛情と物を沢山持っているのに。


何故私だけがと考えるのは物心ついた頃にはもうやめた。

どんなに何を思ったって小さい子供ができることはなかった。


でも今は。

知識を多少蓄えた今なら。

次は自分の好きなように生きることができるかもしれない。


ユフィーラは敷布団代わりにしていたカーテンを半分に畳み、そこに服と下着にパン、干し肉の欠片をおいて入れ物になるように結んだ。そして一度納屋から出て、手洗い場から水をお腹いっぱい飲む。


一刻ほど経ったあと、そっと扉を開けて顔だけ出し、どこからも物音が聴こえてこないことを確認すると、荷物を持ってそろりと廊下に出る。廊下にある窓を開けて身を乗り出し外に出て音を立てないように歩き出した。


街灯はほとんどなく、真っ暗闇の中、ただひたすら歩く。

春先だが、まだ夜は冷える。ユフィーラには防寒具なんて与えられていないので、少しでも体を温めようと途中から小走りで進んだ。


真っ暗闇を進みながら、男爵家での今までを思い返していると、ふと自分の名前を呼ばれたことがないことに気付く。そして家名がウォーレンということだけ記憶していて、誰一人の名前も覚えていなかったことである。


気づきもしなかった、いや、気づかないように蓋をしていた心の悲鳴を、心身の絶望を守るための、せめてもの抵抗で、彼らの名前を記憶しなかったのかもしれない。もう彼等に対する感情は何もなく、その分薬草の名前を覚えられたのなら、その方が生産的だと感じるくらいだった。



ユフィーラは生まれてこのかた家から出たことはない。買い出しもなければ、お金の使い方も知らない。それでも胸がどきどきして、息を切らせながらも、清々しい解放されたような気分に、光を失っていた瞳はきらきらしていた。


(自分で仕事を探して、自分一人の力で生きていけるならば…!)


簡単にはいかないだろうが、あの家や売られそうになった先で生涯を遂げるより余程良い。

闇の中、ユフィーラは先に僅かな光のような未来が見えるような気がして無我夢中で足を動かした。


その後走り通し…なんてことはなく、かなり早い段階でユフィーラは足が棒のようになっていた。


(走ったりすることなんてあまりなかったから。足が満足に動いてくれない…!)


男爵の屋敷からはある程度離れたとは思うが、如何せん周りはひたすら闇である。それでもなんとか足を引きずり歩いていると、ふと踏みしめる足元の音が変わる。あたりを見渡すと、ぼんやりと木々が見え、風でざわめく音が聞こえた。


「林か森?にでも入ったのかしら」


とりあえずもう少し歩いてから休憩を入れようと足を進める。

暫く歩くと、少し開けた場所に出た。

その付近は木々に覆われてなく、月の光で景色が少し見えるようになっていた。


ユフィーラは近くにあった平べったい岩場を見つけ、ようやく腰を下ろした。

じわっと腰と足に疲労感が浸透する。


「こんなに歩いたのは初めて…足ががくがくだわ」


月の位置からいって、二刻は歩いただろうか。元より朝から晩まで働き通しからの、この先夜通し歩き続けるのは流石に体が悲鳴をあげそうだ。


(魔術も試してみたいけど、暗闇の中では何か遭った時に動きづらいから日が昇ってからにしよう)


ユフィーラはカーテンを丸めた包みを岩場に置き、体を横にしてそこに頭を乗せた。


(何処に向かうとか何も考えていないけど、この国から出られたらいいな。彼らが追ってくるとは思えないけど、ある程度安心できる場所までは進もう。森で薬草が見つかったら魔術で何ができるか色々試して…)


体を丸めて腕を交差させて暖を取りながら考えていたが、あっという間に疲れからか意識が落ちていった。



寒さで体がぶるっと震えて目が覚める。辺りを見回すと日が昇り始めたようで、まだ薄暗いが視界に木々や岩が入り、とても空気が澄んでいた。腕を擦りながらユフィーラは軋んだ体を起こす。普段も床にカーテンを敷いて寝ていたが、平らとはいえごつごつした岩場は流石に慣れなかったようだ。


強張った体をあちこち動かしながら最後に伸びをする。


(ああ…この先何があったとしても、もう自分の意思で決めて生きて良いんだ)


そう思うと長年澱んでいた心がふんわりして視界が鮮やかに明けてきたように感じた。


ユフィーラは朝露で煌めいている葉から少しずつ水分を補給させてもらい、固いパンと干し肉の欠片で腹ごしらえをする。


「悪さはしないから少し魔術を試させてね」


誰もいない森に向かって断りをいれる。そよそよと風が流れ森が音を出す。まるで生きて声を出しているみたいだなとユフィーラは思いながら、つい森に対して話しかけていた。


長年頭の中にしか存在していなかった魔術がようやく試せると、頭に叩き込んだ魔術の本で今必要なものをあれこれ展開してみた。その中から、まずは彼らに見つかりたくなかったので認識阻害の魔術を何度か試してみた。出来は良くないが、展開できたようだ。魔力はそこそこあるようで、今のところ魔力枯渇による脱力感はない。


日の向きを頼りに歩き、時折本でしか見たことのない薬草を採りつつ先へ進む。日が真上に登る頃に一度休憩して、薬草からこれまた頭の中に詰め込んでいる薬師の知識を引っ張り出して試してみる。


足底が擦り切れた靴は、所々破れ穴が空いてしまっていて怪我をしていたので、ちょうど見つけた傷薬が作れる薬草で作った薬で治療した。眠りはしたが、痩せ細った体で日々酷使されていたので、すぐに疲労感が蓄積されてはいく。だが、やりたいことができている現状が楽しくて嬉しい。


ある程度応急処置らしきものが終わり、森全体を見回して「ありがとう」と言ってから歩くのを再開する。ひたすら同じ動作をすることは今までと違う疲れが襲うが、気持ちが向上している分、そこまで辛く感じなかった。それから二刻ほど歩き続けた頃、ふと人の気配を感じた。


見回すと、巨大な木の低い位置だが人が座れるほどの幹のところの木に寄りかかって眠っている男が居た。



それがハウザーとの出会いだった。




もしこの時に彼に会っていなかったら、今のユフィーラの現状がなかっただろうことは明白だ。


国籍から住む場所まで世話になり、ようやく一人で色々動き始められたのが出会ってから一年。そしてそこからハウザーに今までの恩返しが少しずつできるようになるだろうと思っていた矢先の不治の病の判明だったのだ。


始めは倦怠感が続き、いつもより熱っぽいなと思っていた。ちょうど冬から春にかけていたので、風邪を拗らせたかなと数日様子をみていたが、症状は改善されず、更にふらつくことも増えた。貧血のような突然ふっと血の気がすとんと下がり、冷や汗が出て、目の前がスローモーションのように黒くなる症状に、いつもの風邪ではないと思い、ハウザーに世間話がてら診察してもらったのだが―――――


ちょっと拗らせたくらいの病気なのかと思った答えは、更に深刻で余命付きのえげつないものだった。



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