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一日5秒を私にください  作者: あおひ れい
一日5秒を私にください

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深緑と七色の揺蕩う中で




送り出した後、皆でそのまま食堂に行き朝食を摂る。


ユフィーラは初っ端から契約結婚だという大きな嘘をついてこの屋敷に来ている。せめてそれ以上はなるべく嘘をつくことのないようにしてきた。嘘をつくとそれを隠すために更に嘘を積み重ねて、どんどん苦しくなるから。


それでも。ユフィーラは我儘に身勝手に自分の叶えたいことの為に大きな嘘を最後につく。



「明日から数日出掛けたいと思います」


へらっと笑いながらそう切り出すと、皆の目がこちらに向く。


「暫くトリュスの森にも行けてませんし、恩人の先生のところへも伺ってすぐ帰る流れになってしまっていたので、薬と保湿剤を渡すついでに久しぶりにのんびりしてこようかと」


元より用意していた言葉を伝える。それに一番最初に反応したのはガダンだった。


「まあ、そういうことならゆっくりしてこいよ。いつ出かけるんだ?」

「朝早めに出ようかと思っています」

「なら道中食べれるようにサンドイッチでも持っていくか?」

「え。良いんですか?」

「ユフィーラさんガダンの卵サンド大好きでしょ?作ってもらったら?」

「はい!ついでに我儘を追加してハムとマッシュルームとたっぷりマスタードで!」

「おお、注文が増えたな」

「悪いな、ガダンよろしくな」

「何でダンの分まで増えるんだよ」


賑やかに談話する光景を、果実水を飲みながらにこにこ微笑んで見る。ジェスの物言いたげな視線に敢えて気づかないふりをして、屋敷の大事な皆の姿を心に刻んだ。部屋に戻ってからユフィーラは部屋に戻って仮眠を摂った。



午後は厩舎に行って餌やりの手伝いをしながら皆に挨拶に行く。つんつん突かれながらわしわしと一頭ずつ撫でまくって、感謝の気持ちを伝えた。


そして夕食では朝早く出るので皆に早めの挨拶を済ませ部屋に引き上げる。


風呂を済ませて明日着る服と荷物の準備を終えたユフィーラは、これも最後だなと出窓に乗り上げて膝を抱え、そこから見える真っ暗な景色を見る。門前と厩舎には僅かな灯り、少し遠くに見える外灯の灯りが微かに見える。今度は部屋に目を向け見渡す。



約一年間、ユフィーラが暮らした場所。大好きになった場所。それぞれ個性のある魔術師の使用人達との毎日が新鮮で充実していた日々。積み上げられていった幸せのひとつひとつ。それが心の中に少しずつ浸透していって、居心地が良くて嬉しくて。こんもりと山盛りだ。


そして


今朝のテオルドの表情を思い出す。

少しだけ前に広げた両手を思い出す。

あの穏やかな大好きな匂いを思い出す。


今までの思い出もどんどん心の奥底から、熱い感情と共に噴き出して溢れ出る。


部屋がやけに揺れる。

まるで水の中にいるようだ。

喉が震える。

瞼が熱くなる。

熱くなったものが眦からこぼれ落ちる。

ぽろぽろと頬に流れ落ちる。

止まらない。止められない。


泣くことなんて幼少以来だった。泣いたって何も変わらなかったし、余計扱いが酷くなるだけ。そして泣きながら心の中で誰かを罵ることはとても惨めで情けなくて辛くて止めた。




「…っ……ぅ…」


嗚咽が喉から溢れる。止めようと声を出そうとしたら違う言葉が出る。


「死…にっ、くっ…な、い」


それはどんなに抑えていても目を背けていても奥底に眠るユフィーラの本音。


「ま、だ……いっっ、しょ…に、ぃた、…っ」


そう声に出して形にするともう駄目だった。ぶわっと感情が噴出して、しゃくりあげる喉が口を抑えても漏れ出てくる。


「ぅ…っく…ひっく…ぅ…」


膝に顔を押し付けながら、せめて声が外に聞こえないように、両手で口を覆う。


(今だけ。今だけ、ね。泣いても…良いよね?)


ユフィーラは睡魔が来るまで蹲って泣き続けた。




眠いはずなのに、ちょこちょこ覚醒して、夜明け前に目が覚めてしまった。少し腫れぼったくなった顔を冷たい水で洗う。着替えてから机に、乗せられない分はベッドの上に薬類を並べて置いた。


荷物を持って扉の前まで行き、振り返って一年間住み続けた部屋を見渡して「お世話になりました。ありがとう」と小さく呟く。


とんとんと階段の音がいつもより響く。まだ皆寝ているからか、人の動く気配が何もない。食堂に入ると、カウンターに白い布に包まれたサンドイッチが入っていた。


そしてその下には紙が一枚。




【帰ってこい】



その一言だけ。

そして文字の下にはガダンの名前が。

アビーの名前も。

パミラの名前も。

ダンの名前も。

ブラインの名前も。

ランドルンの名前も。

そしてジェスの名前まで。


暫くその場に立ち尽くしてから、その紙を小さく小さく畳み、薬が入っていた巾着にしまった。そして布に包まれたサンドイッチをしまって外に出る。


玄関を出て厩舎と庭を、そして一画を借りていた薬草の畑を。ゆっくりと歩きながら門の前まで辿り着いてから、屋敷の方に振り返って、深くお辞儀をした。


雲一つない空の下、ユフィーラは歩き出す。


大きな嘘。きっと屋敷の皆にはわかっていたのだろう。

なんせ元魔術師団の精鋭達なのだ。それぞれ理由があって、退いたのだろうが、ユフィーラくらいの小娘がつく嘘なんてお見通しだったに違いない。

それでも、何も言わずに送り出してくれたのだ。

ユフィーラの行動を。その意味を。わからなくても尊重してくれたのだ。

皆の心遣いが心に染みる。

何とか治るものならば、もしかしたら吐露していたかもしれない。

でも無理なのだ。どうしても言えなかったことをどうか許してほしい。


胸元にある手紙の入った巾着袋を握りしめる。目の前が霞む。滲む。それでも笑って最期まで進むのだ。ユフィーラは晴れやかな表情で前に前に進んだ。

休憩しながら途中で食べたサンドイッチは具材が盛り盛りで、チーズまで入っていて今までで一番美味しかった。「おいひぃ」と呟きながら、また視界が滲んだ。




**********


薄茶色の簡素なテーブルにとんとん、と次々に瓶や小物入れを置いていく。そして最後は大瓶をどすんと置いた。


「瓶が追いつかなかったので、これしかなくて。あとで小分けしてくださいな。これで以上です!」


目の前で呆れるハウザーににっこりと微笑む。休みを取りながらゆっくり歩いて、診療所に着いたのは日が暮れる少し前だった。


「どんだけ根詰めてやったんだよ」

「先生。私は何もただひたすら精製だけをしていた訳ではないのです。精製の速度も新しい精製魔術も取り入れながら成長していたのですよ!」

「そんなの分かっている。その上で言ったんだが」

「まあ。心配してくれたのですね。でも精製する時間はたっぷりありましたしたっぷり寝ています」


ハウザーはことんとテーブルにユフィーラに入れた紅茶を置いてくれた。


「向こうで大切にされていたんだな」

「はい!とても有意義で楽しくて大切な時間を沢山得ることができました。あ、そうそう。私カードゲームも覚えたんですよ。でも歴戦の猛者ばかりで一度も勝てませんでしたけど」


ふふっと口に手を当てながら笑う。


「そうか」

「はい。初めて愛しいという感情も覚えました」

「そうか」

「精一杯生きたのではないかなと思います」

「―――そうか」


そう言ってハウザーは手を上げて頭を撫でてくれる。


「先生のおかげで、上がる手に怯えることもなくなりましたよ」

「…前にも聞いた」

「ふふ、そうですね」


撫でていた手がふと止まる。


「ここじゃないんだな」

「はい。最期に行きたい場所を決めました」


ハウザーは頭に手を置いたまま眉を寄せた。


「すまなかったな」

「え?」

「お前が出ていってから伝を辿って、俺に解呪ができないか試してみたが…魔力量はあるのに適性がなくてな。治療薬に関しても確かな情報はなかった。医師として本当に情けなくなる」


ユフィーラは目を見開いた。ユフィーラの為にハウザーはそんなことまでしてくれたのだ。目が潤むのを瞬きで抑える。


「先生」

「ああ」


頭に置いた手をユフィーラは手を上げて添える。


「私は私の思うように叶えたいことをやりきりました。先生の命を削るなんて言語道断、問答無用でお断りです。でもその気持ちはとても温かく染み込んで嬉しいです」

「…ああ」

「誰かが解呪が出来る状況だったとしても、人の命を人の命で救う方法なんて私は望みません」

「お前は…ぶれないな」


それはもう儚くなるだろう時を迎えても同じだった。テオルドの、大好きな人の寿命を削るなんて以ての外だった。


「今日は泊まるのか?」

「はい。明朝ここをお暇します」

「そうか」


そう言って両手を広げる。意図が解り、ユフィーラは微笑んで胸に飛び込む。


「先生の抱擁は安心できて、温かいですね。――――本当に好きにさせてくれて、それを見守っていてくれてありがとうございました」

「―――――ああ」


すすっと離れて上を見上げて、無精髭の男前を見上げる。


「お前の部屋はそのまま使える。ゆっくり休め」

「はい!」


ハウザーは最後に頭をひと撫でして、診療所の奥に引っ込んだ。



前に住まわせてもらっていた部屋は一年経っているのに誇りっぽくなく、定期的に換気していてくれたようだ。綺麗なシーツが敷かれたベッドに腰掛けてふっと息を吐く。都度休憩はしていたが、寝不足と長時間歩いたので流石に疲労が溜まっていた。


最期の時が近いのか昼間にサンドイッチを食べてから空腹感は皆無だ。そのままぽすんとベッドに横たわるとそのまま睡魔に誘われてユフィーラはそれに身を任せた。


翌朝、陽が昇り始めた頃、目を覚ます。昨日夕方に眠ってしまってから一度も起きなかったことに、少しぞっとしてから、起きれたことにほっと息も吐く。


その時はもうすぐだろうに、心は驚くほど凪いでいた。『天使と悪魔の天秤』の天使の意味がこのことなのかもしれない。そう思うと蝕まれた体でさえ愛しく思えるのは、色々な感情を知れたから成せることなのだろうか。


部屋を整えて、ありがとうと呟き下に降りる。診療所の前で深くお辞儀をして、ユフィーラは目的の場所に向かう。


まだ動き始めていない街並みを見ながら歩く。ハウザーに連れられて、この街に来てから、ユフィーラは一人の人間になれた。一方的に罵られることもなく手をあげられることもなく、一人の平民として生活できたことに心から感謝を伝える。



ようやく陽が上がってきて、少し暖かくなってきた頃到着した。


トリュスの森だ。


相変わらず空気が美味しい。暫く足を進めていくと、少しずつ魔素が濃くなってくるはずだが、体は軽い。眠気も増してくるのだが、今は無敵にでもなったような心地さえする。こんなに魔素が濃いのに薄暗くても緑が生き生きとしていて豊かなのは、きっと森自身が守っているのではないだろうか。


そして中心にようやく辿り着く。


(ああ、あれからこんなに育ったのね)


テオルドが放った魔術から芽吹き、色が活気づき、そこかしこが植物で覆われていて木々は聳え高く、陽の光は少ししか入っていないのに、とてつもなく壮大で美しくそして静謐だ。


「綺麗…」


その中を歩いていくと、以前は朽ちていただろう大きさの木があり、その木も少しずつ息を吹き返しているようで、木漏れ日が差し込み、そこだけ幻想的な場を創り出していた。


(この辺りに旦那様は居た)


その大きな木の前に立ち、そっと手を添えた。


「あなたも旦那様のおかげで息を吹き返せたのかしら。私もね、旦那様のおかげでとても幸せになったのよ」


その大きな木の窪みがちょうど小柄なユフィーラがすっぽりと入れるような大きさだ。


「お願い。最期はここで眠りたいの」


そう言って窪みに腰をかけて足を伸ばす。本当にユフィーラ一人がまんま収まってしまう大きさで、ほっと息を吐いた。せめてのお礼と、ユフィーラは成長促進魔術を展開させた。


薄暗いのが気にならないくらい美しい景色に溜息をついて眺める。


(ここで出会えたから、今の私がいる。何でも諦めていた私はもう居ない)


今の時期はまだ肌寒いのに、ここはとても穏やかで木漏れ日の光がとても暖かく感じる。


(あんなに苦しかった時期もあったのに、今はこんなに安らかだなんて…)


とろとろとした微睡みがとても心地良い。


(こんなに沢山の感情が芽生えるなんて思わなかった。こんなに人生が楽しいものだとは思わなかった)


それが数年で終わってしまうのは残念ではあるけれど、期限付きだからこそ突き進んでいけたのもあった。


ふわふわ、ひらひらと、どこからともなく七色の輝きを放った美しい蝶がユフィーラの前で舞う。


「あなたも日向ぼっこしに来たの?ここは居心地が良いわね…本当に深緑が美しい」


その蝶はいつの間にか数匹に増えていてひらひらと舞いながらユフィーラの足や腕に留まる。


「ふふ。あなたも綺麗よ、美しい羽が七色で煌めいている。まるで旦那様が放った魔術のよう」


手を出すと舞っていた一匹が指先に留まる。

周りからひらひらと何匹も七色の蝶が舞い降りてくる。


「もしかして、私が永い眠りについたら、あなた達が弔ってくれるのかしら。その時はよろしくね」


手をゆっくりと下ろして景色を見ながらテオルドへの想いを馳せる。


無表情でも漆黒の瞳が何かを物語るようにとても煌めいていたこと。すらっと背が高く姿勢が美しくて、濃紺のローブのフードから見える藍色の髪は絹のようにさらさらで。体調を崩した時に、背中を一晩中安心しろというように優しく叩いてくれて。


一日5秒の抱擁を律儀に守ってくれて。「早くしろ」の言葉が、何故かとても嬉しくて。


ぽすんと飛び込んだ瞬間ぎゅっと胸が高鳴って甘く軋むようで心が喜びで震えるのに安心もある匂いに包まれて。


「…し、あわせだったなぁ…」


心地よい微睡みがユフィーラの意識をゆっくりと沈めていく。視界が狭くなり段々と瞼が下りてくる。そして見えないテオルドの姿が瞼の裏に浮かび眦から一雫涙が落ちる。


「大…好きです、だ…テオル、ド様…」


そして瞼は閉じられた。




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