後日談・輝く藍色と虹色と 1
数月経った寒さの厳しい冬の季節。
ユフィーラはテオルドの執務室にあるソファで横になっていた。
ここ数日冷え込んだのが原因か、少し体調が芳しくなく微熱が続いていた。
テオルドは、何とか少しでも依頼された薬を作ろうとするユフィーラを難なく片手に抱き、ジェスにリリアンを呼ぶように伝え、自分の執務室に連れてきてしまったのだ。
相変わらず過保護だなと思いながらも、普段はユフィーラの好きにさせてくれるテオルドだ。彼が強行するくらい心配しているのなら好きなようにしてもらおうと、アビーが持ってきてくれたふわふわの毛布をかけてもらい、うとうとし始めていた。
睡魔と覚醒の狭間で揺れながら、最近は良く眠くもなり、まるで冬眠のようだと思いながらも次第に意識が落ちていった。
鬱蒼とした森の中、大きな大きな木の窪みの部分だけに陽が射している。
そこは人によって居心地の良し悪しが分かれる異質な森。
そこの森の中心部から少し離れたところにユフィーラは一人佇んでいた。
聳え立つ高い木々に囲まれ、植物が生い茂る鬱蒼とした森は薄暗く感じるが、ユフィーラはこの暗さが好きだ。
心は凪いでいた。
様々な想い出があるが、やはりここの森がとても好きだと改めて感じる。
ふと大樹の窪みにいつの間にか現れた小さな存在に気づく。
幼い男児だ。
肩にさらりと流れた藍色の髪は微かに当たる陽の光で七色に煌めいていて、とても美しい。
幼子がこちらを見てぱっと花開くように笑い両手をめいっぱい振ってくる。
その姿は以前見た光景。
ユフィーラは動けず凝視していた。
幼い男児がくるりと背を向けて下に手を伸ばした。
そこから伸びてきたもう一つの手。
男児がその手を引っ張ると、藍色の同じく虹色がかったさらりとした髪の幼子がよじ登ってきた。
二人共に同じ髪色と同じ背丈だ。
しかしもう一人の子の方が少し髪が長く見える。
幼い女児のようだ。
二人は手を取り合い、木の窪みからぴょんと飛び降りて、一直線にユフィーラの元へ走ってくる。
藍色の美しい髪を靡かせ、満面の笑みを浮かべ、
ユフィーラの元へ、
戻ってきた。
ユフィーラは視界が滲む。
ぽすん、ぽすん
二つの小さな体がユフィーラに飛び込んできた。
下を見ると、藍色髪のそれは可愛らしい顔が二つ。紺色の二人のきらきらした瞳がユフィーラを見つめ、何か叫ぶかのように喜んでぎゅうっと抱き締める。
そして二人はユフィーラのお腹に頬をすりすりと寄せて、それは幸せそうに嬉しそうな表情をし、共に頷いてからしゅわりとユフィーラのお腹の中へ消えていった。
ユフィーラは瞬きもせずに消えていった先のお腹に優しく触れる。
そして頭の中に元気な二つの声が響いた。
『大丈夫だったでしょ!』
テオルドはすうすう眠っているユフィーラの額に口を落とし執務室を出た。
階下に降りると、ちょうどリリアンが来たらしくジェスと話をしている。何故かハウザーも一緒だ。
「リリアン…ハウザーもか」
「ちょうど会合で共にいた。ついでに様子見だ」
「お、テオルド。ユフィちゃんの体調がいまいちなんだって?」
「ああ。微熱が続いて、少し気怠そうに見える。食欲はある」
「了解。直ぐに診るよ」
「今は眠っているんだ。ここ最近よく寝る」
「冬だからかなぁ。触れずに側で診れるから問題ないよ」
「わかった。急にすまない」
「…テオルドが気遣った…ハウザーと一緒―――」
「良いから行くぞ」
感動するリリアンとそれを遮断しているハウザーの横を通り過ぎ、テオルドは厨房に向かう。
「あれ。旦那どうしました?」
昼の仕込みをしていたガダンが厨房手前に現れたテオルドに目を丸くする。
「飲み物をくれるか?珈琲と…ホットミルクかショコラ」
「ああ、ユフィーラの食欲があまり無い?」
「いや、昼食も楽しみにしていたから問題ないとは思う。単に俺が飲みたくてフィーにも持っていこうかと」
「はは!了解。旦那が持っていきます?」
「ああ」
「んじゃ少しお待ちを」
ガダンが準備するのを見てテオルドは食堂に戻っていく。
(季節の変わり目の体調不良だと良いが)
寒そうな風が枯れ葉と共に舞う風景を窓から見ながらユフィーラのことを思う。
過保護だと思われても仕方ないが、ユフィーラがテオルドの心中を察して好きにさせてくれるのがとても有難い。
庭には冬の寒さに強い観葉植物が並んでいる。冬は殆ど無かった植物がブラインのおかげで季節によって色とりどりの世界を見せてくれている。
程なくしてトレーを持ったガダンが厨房から出てきた。
「旦那の珈琲と、ホットミルクとショコラはユフィーラが両方どちらでも飲めるように量は少なめで」
「助かる」
テオルドがガダンからトレーを受け取ろうとした時だった。
何故か屋敷内なのに連絡魔術が飛んできて、魔力源はリリアンだった。
『すぐに部屋に来て!』
「旦那!?」
ガダンの呼びかけにも応えず、テオルドはトレーもそのままに食堂から飛び出した。
急いで執務室を開けると、そこにはソファの側にしゃがんでいたリリアン。
そして声も出さずに滂沱の涙を流しているユフィーラが。
「あ!テオルド。ユフィちゃんが起きないように診察していたんだけど…」
「目覚めたと思ったら急に泣き出した」
少し離れた場所で動揺気味のハウザーと、何故かちょっと焦った様子のリリアンにテオルドはざっと血の気が引く。
だがそれよりも。
「…ぅぅうう…ぅわあぁぁぁん、…テオ様ぁぁぁぁ…」
まるで幼い子供が泣くかのように、周りを気にせず咽び泣くユフィーラにテオルドはハッと我に返り、直ぐ様ユフィーラの元へ駆け寄る。
「フィー!」
ユフィーラがテオルドに向け手を伸ばすと同時に抱き上げてユフィーラの顔を見る。
まるで涙腺が崩壊したかのように次から次へと流れ嗚咽するのをテオルドは動揺しながらも優しく頬に触れながら尋ねた。
「…どうした?怖い夢でも見たか?」
「ぅ、っ…ひっく、……ゆ、夢…」
「うん。夢見た?」
「ぅ、うぅ…て、テオさ、ま…一人、じゃ、なかった…」
「一人…?」
ユフィーラの口から発せられる人数の意味がわからず、テオルドは聞き返す。
「っは、はい。ふ、ふた、二人だったんです…!」
「…二人?」
テオルドは嗚咽しながらも何とか話そうとするユフィーラの背中を擦りながら先の言葉を待った。
扉の向こうからは、どたどたと足音が聞こえてきた。恐らくテオルドが食堂を飛び出したのと開けっ放しの扉から聞こえたユフィーラの泣き声に皆が驚いて来たのだろう。
「…ゆ、夢を…私は、森、の中にいまし、た」
「っ!」
テオルドは思わず擦っていた手を止めてしまった。その様子に気づいたユフィーラが頬を包み首を横に振る。
「幼い男の、子、と…もう一人…」
テオルドは瞠目する。
「その男の子に、そっくりな、女、の子で、その二人が手を…つないで、私の元、に…」
思い出したのか再び滲んでいたユフィーラの目から涙が流れ、くしゃりと歪んだ。
「…ぎゅぎゅっ…と抱き締めて、くれて…、私のお腹へ…消え、―――…テオ様…き、っと…ひっく…も、戻ってき、てくれた、のかもしれないっ……わぁぁぁん…!」
ユフィーラはテオルドにしがみついて号泣した。
テオルドは反射的にユフィーラを抱き締めるが、彼女からの言葉に何も声が出ない。
その答えはユフィーラの主治医が明かしてくれた。
「テオルド」
呼ばれて振り向くと、片手を軽く挙げたリリアンだった。
「テオルドが来る前に、触れずに診察していたんだけど…ユフィちゃん。少しだけ直接お腹に触れても良いかな?」
「…っう、うっ…は、はいぃ…!」
ユフィーラはぶんぶんと首を上下に動かし、リリアンがそっとユフィーラのお腹に手をあて目を閉じた。
そして少ししてから離し、ユフィーラの頭をさらりと撫で微笑んだリリアンは視線を二人に向けた。
「ユフィちゃん、テオルド」
「は、い」
「…」
「恐らく普通は感知できない…いや、以前診た私だから、かもしれない」
そう言ったリリアンの瞳から一雫の涙が流れた。
「お腹に子が居る」
「…子?」
「ああ…、同じ魔力の織の…あの子だよ」
「っ…!」
「更に言うなら、もう一つ同じような織の命…双子だよ」
「て、テオ様っっ、ほ、ほら!やっぱりぃぃ…う、うわぁぁん」
ユフィーラは感涙に咽び泣きながら抱き着くのを受け止めたテオルドも視界が揺れてぽたりと雫が落ちる。
後方から、ガタッとテーブルに荒く置かれたトレーをそのままに、しゃがんだガダンが目元を覆って肩を震わせており、その肩を優しく掴み撫でてくれているランドルン。
背を向けながらも目頭を押さえているブラインに、大泣きしたいが声を出さないようにしながらも嗚咽し続けるアビーの隣で肩を抱いてあげていたダンの目も真っ赤だ。
顔を覆い蹲ってしまって泣き始めたパミラに微笑み寄り添いながらも静かに涙を流すネミル。そして扉に顔を埋め咽び泣くジェス。
誰もが。
誰もがもう一度舞い降りてくれないかと願っていた。
でもそんな不確定なことを声に出して言えなかった。
それでも心のどこかで望んでいた。
「…っ…フィー、俺達の、…皆の願いが叶ったな」
「っは、はい!テオ、様も、嬉しいですか?」
「ああ。心が震えるくらい、幸せだ」
その言葉に涙だらけのユフィーラの顔が、この上なく嬉しそうに幸せそうに綻ぶ。
「さす、…流石私達の子なのです!」
笑い泣きながら、ユフィーラが両拳を掲げ上げた。
「幸せいっぱいでしゅ!!」
ここぞで噛むのもご愛嬌だ。
「なあ、ハウザー」
彼らから少し離れた所で鼻を啜っていたリリアンが、改めてという感じで優しい眼差しのハウザーに話しかけた。
「何だ」
「…私達は同志だよな?」
突然のリリアンの宣言にハウザーが首を傾げる。
「ユフィちゃんの幸せを望む同志」
「そうだな」
「今後も彼女を近くで見守るだけなのも良いが…ちょっとした野望を思いついてしまったんだ」
「野望?」
眉を僅かに寄せるハウザーにリリアンは面白そうに見つめ返す。
「私達は元婚約者ではあるが、恋愛感情は無かった。ビビアン達が婚姻して、もう何年も経つ。今更私らが誰かと婚姻するとは思ってないだろう」
「だろうな」
「王族と公爵家から出奔状態の私達に周りが何かを期待したり、ましてや恐れたりすることもない」
「何が言いたい」
訝しげなハウザーにリリアンはにやりと笑う。
「もっと近くでずっと共に居たくはないか?」
「…!」
「親同士子同士仲睦まじく、互いに心から慕い成長していく過程を同じ親の立場として共に生きていくのは、今後の長い人生で楽しみの一つになると思わない?」
「…なるほどな」
リリアンとしても今更誰かと恋愛なんて到底無理だし、それはハウザーも同じ。
一人の少女の人間性に魅入られた二人は、多少退屈していた人生において幸福にはなったが、どうせならもっと関わっていきたいのが本音だ。
「互いの本心を周りに知られずとも、祝福はされ、あれこれ文句も言われなくなる。恋情は無くても家族愛なら同志だからこそ生まれるかもしれない。どうだ?」
男装令嬢のようで、その辺の貴公子よりも気高く美しいリリアンが美麗に微笑む。
「一考しよう」
対し美丈夫と名高いが難攻不落とも謳われた元王族のハウザーがそう返し、片方の口角を上げた。
後日談を投稿していきます。
誤字報告ありがとうございます。