番外編:想いの行方 3
葡萄酒が注がれたネミルのグラスをひょいっと取り口をつけるのをネミルは目を見開いた。「お、これ美味しい。すぐに酔いそうだけど、悪酔いしなさそう」とちゃっかり感想を述べているパミラ。
「え、間接キ…じゃなくて、何故…こちらに?」
「何ー?こんな良い葡萄酒を私には飲ませるつもりなかったわけ?」
「い、いえ。是非飲んでください」
「ありがと。んー本当に濃くて美味しい。――――さっきね、ガダンから連絡きてさ。今日避けまくっていたネミルの真意がわかるぞって」
「っ…」
「あ。ガダンから伝言。葡萄酒残しとけーだって」
「は、い。わかりました」
何とか答えてはいるが、ネミルの頭がぐるぐると目まぐるしい。
(え。いつから聞いてた?…え!?全部曝け出したところまで聞いてた!?)
最早ネミルはパニックだ。
「ネミル」
「はいぃぃっ…!」
「ぷっ」
呼ばれたことに過剰な反応をしてしまったネミルは裏返った声で対応してしまう。
カタッと音がして恐る恐るパミラを見ると、立ち上がったパミラが首を傾げながらネミルを見ていた。
「…っあ、あの…!」
「ほら」
そう言いながらパミラが両手を少し広げた。
「え…」
「昨日お酒を注いだご褒美の抱擁」
「え!?」
確かにそんなことを言っていたとネミルは思い出すが、こんな状況で『では失礼して』とふてぶてしく実行することなんかできない。
ネミルが固まったままでいると、パミラが「ほら、立って」というので、反射的にネミルは立ってしまう。
「…何かさ。背伸びた?」
「あ、ど、どうでしょう。ここに来てから三食食べてぐっすり寝て、動いて運動もしているので、もしかしたら伸びたかもしれません。…イーゾの方が背が高かったんですが、目線が最近同じような気は…」
「まだ成長するんだねぇ。良いなあ」
「え。パミラさんはそのくらいの背の方が可愛らしく――――っ!す、すみません」
またしても心の声が出てしまったネミルは咄嗟に口を手で覆った。
パミラは目を丸くしながら、ふっと微笑む。
「今夜はこんなに上等な葡萄酒を飲ませてもらったから特別」
「特別、ですか?」
「うん。抱擁のついでにさ、ネミルが何をどう思っているのか言ってご覧」
「!」
ネミルは驚愕しながら立ち竦んでしまうのをパミラは首を傾げたままじっと見ている。
「自分の置かれた状況だとか、誰がどう思うとか、関係なく」
「…関係、なく」
「うん。許す。…って何様だって話だけど。でも今日みたいに避けまくるくらいなら吐き出した方がすっきりするよ」
「…すっきり…良いんですか?」
「良いよ。私が言っているんだから。ほらほら」
パミラが再度両手を広げ、ネミルはその仕草に逆上せたかのようにふらっとパミラに触れられるすぐ傍まで近づいた。
本当に背が伸びたようで、パミラの目線が前よりも下のような気がしてネミルは少し残念な気持ちになり、つい手を伸ばして頬に触れ少しだけ上向きに上げた。
「っ、ネミル?」
「…ああ、すみません。前よりも目線が遠く感じてしまって」
淡く微笑んだネミルはその手を離して、ゆっくりと大好きな人に近づきゆっくりとパミラの背に腕を回した。
(…ああ。こんなにも満たされる)
全身から溢れ出る感情が脳に到達し、ネミルの脳内が至福で幸せだという気持ちで埋め尽くされる。
するとパミラの手がネミルの背に回されて、きゅっと抱き締められ上乗せでぶわっと満たされた想いに拍車がかかる。
「……凄いな…心底慕う相手と抱擁をすると、こんなにも幸せだという想いで満たされるのですね」
「っ…」
頬のすぐ近くにあるパミラの灰色の美しい髪の香りにネミルは脳髄が痺れ、本能的にその髪に頬を擦り寄せた。
「いつからなんてわかりません。いつの間にか、いつも何時でもパミラさんを目で追っていました。初めこそ異性と殆ど関わったことがなかった僕は、女性全てに対してなのかと思っていましたが、他の女性陣との心の動き方が全然違っていることに気づきました」
パミラは黙ったままだが、離れようとはしないのを良いことにネミルはさらりとした髪に頬を寄せ擦り続ける。
「それがようやく愛しいという感情なのだと理解し、何とか抑えようとしましたが、…僕の経験が、…心の動きも浅すぎるのか、全然思ったようにできなくて…でもそれを偽るという行動にだけはしたくはなかった」
「……それは私を……好きってこと?」
ネミルの胸に顔を埋めているパミラからくぐもった声が聞こえ、自分のすぐ近くで聞こえることに更に幸福感が湧き出てくる。
「はい、好きです心底。パミラさんの今ちょうど触れている僕の心臓の音を聞けばわかるでしょう?」
「っ…そう、だね」
「こんな風に忙しなくなることは初めてで、それを伝えられないことが、本当に思った以上に苦しくて、…でもあの時の過去があったから、…今があって、…それでもという状態の繰り返しでした」
ここまでネミルの心情を話してしまうことで、もしかしたら今後のパミラの態度は変わってしまうかもしれない。
でもこの機会を逃したら、ネミルは二度とこうして触れて話せなくなるかもしれない。そんな勇気すら出ないかも知れない。避けられたら息をどうして吸っていたのかわからなくなるくらい苦しくなるだろうけど、きっとこの先ここまで人を想うことはないだろう。
それなら全て言ってしまいたいという気持ちに支配される。
「…私は、年上で、しかも元既婚者で――――」
「年上なんて僕にとっては塵ほどにもどうでも良いことです。それを言うなら脳内お子様レベルの僕の初恋なんだということになります。僕にとってパミラさんで在ることが最重要なのですから」
「…そぅ…」
「はい。そして全ての過去を踏まえた上でも…パミラさんが心から愛した旦那さんとの思い出も、…例え忘れられなかったとしても、そのまま誰かを想う貴女を…僕はその全てが欲しい」
ネミルは生まれて初めて少しも思考を巡らすことなく、心から思うがままに口から全てを曝け出していた。
この後に訪れる未来だとか、どうなるとか今は彼方に追いやって、今はただパミラにネミル自身どれだけ想っているかを、そして想えたことの感謝を伝えたかったのだ。
「…パミラさんの心の負担にさせてしまい、ごめんなさい。…許しが出た今夜だけ。明日からは出来るだけ今まで通りに精進しますので、仕方ない坊やだとでも思って遠巻きにでも…接してくれると、……嬉しいです」
もうこのままずっと、ずっと抱き締めていたいが、これ以上大好きな相手に迷惑をかけるわけにはいかない。
ネミルは最後にぎゅっと苦しくない程度に抱き締めて、名残惜し過ぎて本能的に離したくない己の腕に力を死ぬほど入れてゆっくりと手を離した。
それに併せてパミラの手もゆっくりと離れ、たったそれだけのことでもネミルは心臓が引き絞れそうに苦しくなり息が出来なくなってしまいそうだった。
「ありがとうございました。僕の我儘を叶えてくださって。今後はちゃんと―――」
背の低いパミラを少し首を傾げながら見ようとしたネミルだが、手を離したパミラが後方に離れることはなく、ネミルから離した手を何故か移動させて顔全体を覆っていた。
「パミラさん?」
「…ぅぅ」
小さく唸るパミラの耳は薄暗いカウンターでもわかるくらいに真っ赤だ。
「すみません。少しきつく抱き締め過ぎましたか?」
「………私、も」
「え?」
「私もさ…、ネミルが気になって仕方ない…」
「…え」
ネミルはパミラの口から発せられた言葉に瞠目する。
「…勿論亡くなった旦那のことを忘れたわけじゃないし、今でも大切。それでも月日が経てば、苦しい想いでなくゆっくりとだけど、…風化された懐かしい、…時に切ない想いでも前を向いていけるように変わっていく…人に寄るかもしれないけど」
パミラは顔を覆った手をゆっくりと外し、ネミルを見る。
その表情は睨むというよりはちょっと不貞腐れているようで少し涙目な状態だ。ネミルにとっては爆発的に愛らしすぎる表情にくらりとくる。
「ネミルは旦那を想う私ごと想ってくれてるんでしょ」
「え、はい。そうですね」
「ネミル個人を旦那が死んだことの原因だと思って憎んだことなんて一度もない。それは皆も一緒」
パミラの綺麗な焦げ茶色の瞳が呆然としているネミルをしっかりと見据える。
「ネミルの過去の深い傷も、私の傷も、……一緒に過ごして癒やしていこうか」
「…!……え、パミラさん、それって…」
ネミルはつい手を伸ばし、パミラの手を掴んでしまう。
「え…僕の、気持ちを、…僕を受け入れてくれるのですか?」
「…ぅぅ。……まあ、私もこんな感情になるの久しぶりだから…固すぎるおばさん思考になることも今後沢山―――」
「僕はこれからも、…ずっと、毎日貴女に好きだと、何より大切なのだと、伝え続けていいのですか?」
「…ぁぅ…ま、…まあ、良いじゃん?って…思っ――――ひゃっ」
ネミルはもう我慢出来ずにパミラの手を引いて、自分の腕の中に閉じ込めた。
「…った…やった…やったっ……!本当に、…嘘みたいだ…!…いや、嘘でも良いから一生このまま騙され続けられてもいいです!」
「へ…」
「パミラさんがこいつはあまりに憐れで仕方ないから嘘をつき続けやっても良いじゃんって言わせるくらいに、僕は毎日毎日貴女に想いを伝えることにします…!」
「え、ちょっ…待っ…ぅわっ」
ネミルは体中から歓喜が打ち震え、脳内爆発お花畑状態で、パミラを軽々と抱えて食堂にあるソファに腰を下ろした。
パミラを自分の膝に乗せて。
「へ…、ちょ、…ちょ、ちょっと、ネミル…!」
「はい、パミラさん。もっともっと呼んでください」
「っうぐっ…」
「怒っても不貞腐れても、真っ赤に照れてもツンツンしてもどんなでも。どのような貴女でも僕には幸せしか感じられません」
「……まずい。まさかの…ここも属性がユフィーラと同じ…?」
パミラは何かを悟ったかのように、ふっと焦げ茶色の瞳の輝きが消え虚無の表情になる。
それすらも愛おしく、可愛らし過ぎるパミラに、ネミルは蕩けそうな笑顔で瞬きせず見つめながら、左右に揺れた髪に触れ頬に触れる。
「もう好きなだけ言葉にして、思うことを伝えても良いんですよね?」
「…まあ……程々にしてもらえると、…心臓的には助かるかなぁ……」
「わかりました。その時は心臓ごと温められるように抱き締めますね」
「……だめだこりゃ」
パミラを膝の上に乗せたネミルは、彼女がぼやいた言葉にすらもう絶叫したいくらい幸せが噴出し、彼女を引き寄せ抱き締めて頬を寄せて幸せを噛み締めた。
番外編と後日談を投稿していきます。