一年365日を私にください 終
周りの面々は尊い一人の犠牲者の滅多に見られない希少な姿を観賞しながらそれぞれ談笑し始めた。
「それ絶品でしょ。もう一本とどっちにしようか悩んだんだよね」
ドルニドが料理の並べられたテーブル周辺の椅子に腰掛け王家御用達の蒸留酒を注いでいたハウザーの隣に座りながら声をかけた。
「数年前にあいつが一人こそこそ晩酌してたのを味見した時のものと同じ味がするな」
「あー…あの時かな。ゼルザがさ、世紀の大発見だと言い出した案があまりに先進過ぎて。ようやく最近動きだしたけど、当時は僕もそこまで掌握している貴族が多くなかったから自由に動けなかったんだよね。ちょっと待ってもらう為に泣く泣く差し出したんだ」
「大きな政を酒で解決するな」
濃厚な飴色の蒸留酒を飲みながらハウザーが苦言を呈する。
「だって翌日の大貴族会合で発表する気満々だったから、蒸留酒に目がないぜルザにはそれしか手立てがなかったんだよ」
自分の父親の研究気質が故の暴走思考が容易に想像できるハウザーは溜息を吐きながら希少な蒸留酒を味わう。
ギルの頭と背中を同時に二刀流撫でして好き勝手しているユフィーラを見ながらドルニドがぽつりと呟いた。
「…それにしてもさ。この国である種一番最強なのはユフィちゃんなんじゃないかと思ってしまうよねぇ。テオルド然りハウザー然り」
「因みに言っておくが翌日には覚えてないぞ、あいつは」
「…は!?」
「酔っている時間は何故か全て寝てしまった記憶になっている。覚えているのは俺達だけだ」
「…なんて殺生な…」
信じられないとドルニドが首を振りながら愕然としていると、あやしまくっていたギルにそろそろ飽きたのか、ユフィーラは最後にぽんぽんと背中を優しく叩いた後に立ち上がった。
その瞬間、穏やかだった空気がピンッと張り詰め、ユフィーラの直ぐ側には微塵も動く気配の無いギルの哀れな姿が視界に入り誰もが心中察した。
一仕事終えたかのようなご満悦な表情でくるりと向きを変えたユフィーラは、一直線にとある人物の元へ歩き始める。
ハウザーの元へ。
半ば予想していたハウザーは天井を見上げながら溜息を吐き、ドルニドはずずっと椅子をずらしハウザーから離れていくのは本能的危機回避であった。
到達したユフィーラがハウザーの側に置いてあった蒸留酒の瓶に視線を移したのを瞬時に察知したハウザーは、瓶を素早くユフィーラの手の届かない場所に移動させた――――が、同時に自分が持っていたグラスが手元から消えたことにハッとする
「甘いのです」
ユフィーラはまるで百戦錬磨の将軍の如く重みのある穏やかな口調で答え、ハウザーの持っていた蒸留酒のグラスを口元に運び、くぴっと飲んだ。
そこかしこで息を呑む音が聞こえたが、すぐにユフィーラのグラスの傾きが止まる。
「強い酒だ。止めとけ」
「…濃度がとても強いですねぇ。お子ちゃま舌な私にはまだ早いようです」
「そうだな」
「お子ちゃま扱いは許しませんよ!」
「お前が言い出したんだが」
「自爆は良いのです。隙あり!」
反論しながらもグラスから手を離したユフィーラは、即座にすとんと着席しテーブルに並んだサラミをひょいっと口に入れ美味しそうにもぐもぐと食べた。
ハウザーの膝の上から。
近くでそれを目の当たりにしてしまったドルニドは目を丸くして完全に固まり、膝乗りを初めて見た数名は口元を覆うがやはり噴き出してしまい、過去見たことがある者でも、やはり耐えられないのか顔を逸らすが肩が揺れてしまうのは愛嬌だ。
そして影の姿は既に食堂から消えていた。
最も正しい判断である。
「…隣の席が空いているが」
「座面が高いと、こんなにも手が伸ばせる範囲が広がるのですねぇ」
ハウザーは前回同様一応声をかけてはみるが、ユフィーラの無双状態には何を言っても基本適用されない。
鼻歌を歌いながらユフィーラはサラミと並べられたフルーツトマトに手を伸ばす。
悟りを開いたハウザーが諦め顔で肩を諌めた時、ふとユフィーラの動きが止まりハウザーをじっと見つめた。
肩や腕、ちゃっかり座っている膝から右足を順に見て追っていくのを見てハウザーが首を傾げる。
「何だ?」
「…もうどこも痛みや…違和感はないですか?」
その言葉にハウザーは瞠目した。
ユフィーラが見ていた箇所。
それは以前ハウザーがゲイルの襲撃によって負傷した箇所だったのだ。
「…どこも問題ない。健康そのものだ」
「…良かったです」
淡く微笑んでから目を伏せたユフィーラに、ハウザー始め皆があの時の衝撃的な記憶を思い出…す暇もなかった。
「……おい」
ハウザーの地を這うような声に全員の意識が向いたからだ。
ハウザーの膝にちょこんと座ったままのユフィーラが彼の髪に手を伸ばしていた。
その手にハウジャガーの首元に結ばれていたリボンを携えて。
どこから出した!?
ハウジャガーを知る誰もがそう叫びたくなり、進化した状態ばかりに気を取られていたが、そう言えばリボンが首元に無かったことを思い出す。
現在ハウザーの髪弄りを継続中のユフィーラ。
そこから予想する恐ろしくもそれ以上に絶対見たいハウザーの未来を誰もが僅かな瞬きもせずに見守った。
「おい、ふざけるな」
「本気なので問題ないのです」
険しい表情をする元王族を前にしても物怖じしない返しで遠慮なくハウザーの髪を編み込みだしたユフィーラ。
これを実行できるのはこの国、いやこの世の中でユフィーラだけだろう。
周囲が好奇心を隠せずに凝視している間、編み込みは兎も角、己の髪にリボンが付けられることだけは我慢ならないハウザーがユフィーラの手を止めようと試みた。
しかし、こういう時のユフィーラの危機察知能力は万全である。
ささっとハウザーの手を避けながらも、自分の手を再度伸ばし、対してハウザーも半ば本気に応戦し始め、しゅぱぱぱっと二人の間で無言の攻防の幕が切って落とされた。
「良いのー?」
いつの間にか復活し主の傑作場面見たさなのか、ソファで朽ちていたギルがユフィーラから一番離れた立食用テーブルで酒を飲んでいたテオルドに話しかけた。
「前にも言ったが、フィーの好きにすれば良い」
「あー諸々弁えているし、テオルドが一番であることは
理解している的な?」
「それもある」
「それも?」
ギルがテオルドを覗き込むように見ようとすると、物凄く鬱陶しそうにテオルドが睥睨してきた。
「寄るな。伏線回収になったらどうする」
「?」
どういうことかギルが聞こうとした時、「詰めが甘いのです!」と勝利を確信したユフィーラの声が響き渡り二人ははっとそちらを見た。
そこには戦意喪失気味のハウザーと、満面の笑みのユフィーラがぴょいんっと彼の膝から下りたところであった。
ハウザーの死に物狂いの反撃を称えたのか、リボンは髪に着けられていなかった。
だがブレスレットのように蒸留酒を持つ手首に可愛いらしく結ばれていた。
そして次なる犠牲者の元へ。
そこでギルはテオルドが言った伏線の意味を速やかに理解し、即座に己の気配を消し迫りくる脅威がもう自分に向かないように細心の注意と精神を削ってテオルドの側から離れることに見事成功したのだった。
ドルニドの流れ弾を既に受けていたテオルドとしては、もしかしたら今回は免れると一瞬でも脳を掠めた自分の浅はかさを悔やみつつ、最愛ではあるがこれからの羞恥な未来を予感する。
軽やかな足取りで近づいてくるユフィーラの手にはいつの間にかテオヒョウの首元につけていたリボン。
そこも免れないのかとテオルドは遠い目をしながら全てを受け入れる覚悟をした。
ぴょんっとテオルドに飛び付いたユフィーラを避ける選択肢の無いテオルドは難なく受け止める。
片腕に抱えたユフィーラを見ると何故か少し寂しそうな表情をしているのに気づき首を傾げた。
「フィー?」
「…もう私を寝台で愛でてくれることはないのです?」
「…ぇ」
突如ユフィーラから普段ならまず出てこない言葉にテオルドは驚愕した。
招待客女性陣は誰もが顔を赤くし、男性陣は口元や目元を覆って顔を背け「見てません聞いてません」な態度を徹底したり、逆に僅かな変化も見逃すまいと瞬きもせず凝視している者もいた。
「…フィー、それは―――」
「もう私に飽きてしまったのでしょうか…」
「ちょっと、待っ―――」
「あの日から…一度も夜の時間が無―――」
流石に堪えられなかったテオルドは、酔うことでいつもは配慮して出さない心の奥底を漏らすユフィーラの口元を覆ってしまった。
その行動にユフィーラは目を見開き涙目になるのを、テオルドはそうじゃないと叫びたくなるが、必死に抑えながら口元は覆ったままでユフィーラに蟀谷に口づけを落とした。
ユフィーラが驚いたように目を丸くしながらも顔を赤らめたことに満足感を得たテオルドは、ユフィーラを抱き直してジェスを見る。
自分に忠実な優秀な執事が一つ頷いた。
「我が主、あとはお任せを」
「ああ。それと皆にあれを渡しておいてくれ。フィーが一日も早く渡したいと言っていたからな」
「御意」
テオルドはいそいそと髪とリボンを絡ませながら編み込み作業に突入したユフィーラを抱えたまま食堂から出て行った。
ジェスはテオルドの日々拓けていく行動と二人の仲睦まじさに目頭が熱くなったが己の役割を全うするべく、今日招待した客人と使用人に、以前逆行したユフィーラと共に作った艶のある黒い生地の巾着袋に入った新しいブレスレットを贈りものとして配ったのだった。
その後食堂に残った面々は新しいブレスレットの効能の素晴らしさについて語り、酒や料理を楽しみながらいつも最終的にはユフィーラの無双っぷりの着地点が可愛らしいなどと盛り上がり話題が尽きない。
カウンターでは酒を飲みながらユフィーラとテオルドの話や自分の羞恥ネタで盛り上がるスープ信者や淑女達。
編み込まれた髪を敢えてそのままの状態で漢気を見せるハウザーに、小生意気だけど内心では仲良くしたそうに感じ、まるで思春期真っ最中の弟のようだと話すリリアンと、真っ向からムキになって返していくギル。
ソファに座りこんで顔を覆いながら耳が真っ赤なパミラの隣には一気飲みを披露し酔ったであろうネミルが蕩けるような表情で覗き込むように見つめており、それを生暖かい気持ちで見守る片割れと使用人たち。
夜が更けるまで穏やかな時間が流れていった。
食堂を出たテオルドは黙々と髪を弄るユフィーラをそのまま好きにさせながら二人の寝室に入る。ふわりと二人に浄化魔術をかけてから、リボンを編み込んだテオルドの髪型に満足気なユフィーラと共に寝台に腰掛け、何度もユフィーラに口づけをする。
だが、ユフィーラは顔を赤らめながらも納得のいかないような表情だ。
「フィー?」
「一年365日全てを私にくれるのでしょう?口づけで誤魔化そうとしても騙されませんよ!ずっと逃がさないのです!」
テオルドの頬を包みながら少し涙目のユフィーラに愛しさが際限なく溢れてくる。あまりの幸福感に自然に頬が緩んでしまい、引き寄せて深く口づける。
「俺がフィーを愛でてないって?」
「…それは夜だけのことですが…私にはもう魅力が無――」
テオルドは再度ユフィーラの口を口づけで阻んだ。
「そんな理由じゃない。…フィーの体と心の状態を様子見ていただけ。俺が魅せられるのはただ一人。フィーが唯一だ。侮るなよ」
言い終えてもう一度口を落としてからユフィーラの頬を指の背で優しく撫でる。
「…テオ様」
「でも大切にし過ぎて逆に不安にさせてしまったのは悪かった。ちゃんと言葉にして伝えるべきだったな。今度は俺がどれだけフィーに狂って溺れているか行動で証明しても良い?」
その言葉にユフィーラは目を丸くしてから、ぽぽっと頬を染めて目を伏せてしまい、その表情が壮絶にテオルドの男の本能を刺激する。
そしてユフィーラ自らが何度も口づけをしてくれることに、満たされるとはこういうことなのだとテオルドは心から微笑みながらついぼやいてしまった。
「…フィーの記憶が失くなってしまうのが残念だな」
「き、おく…ですか?」
ゆっくりと口を離したユフィーラがうっとりした表情でテオルドと額を合わす。
「いや…強い酒を飲んだ時は眠くなって記憶がないと良く言っているから。今夜もそうかもしれないと思った」
「……もしもそうだとしても、今の私の行動は心から…本能から求めているもの」
ユフィーラがゆっくり手を伸ばしテオルドの頬や髪、口唇に触れていく。
「お酒のせいで忘れてしまったとしても、私がテオ様に伝える、見せる、…全てが心から望んでいるものなのです。…信じてくださいね」
そう言って触れるだけの口づけをしたユフィーラのひたむきな眼差しにテオルドの心身が奮え立つ。
全身を覆うような歓喜と共に目の前の視界が揺れた。互いに口づけを交わしながらテオルドの頬に熱いものが一雫流れた。
あの日トリュスの森に行きユフィーラと出逢い、契約婚姻から始まったとは言え、
あの時の行動が
あの時の決断が
あの時の想いに真摯に向き合ったことで
己の定めた唯一を信じ、愛し、自身の深層に受け入れ、曝け出すことで。
テオルドは誰よりも幸福なのだと自信を持って言える。
一日5秒。
一日24時間。
一年365日。
死に絶える瞬間まで共に在り
そしてその先ですら共にと思うほどに
ここまで人を想い想われたことに
自分の人生も捨てたものではなかったと
テオルドは心底実感したのだった。
本編終了となります。
番外編と後日談を投稿しラストとなります。
誤字報告ありがとうございます。
助かります。