一年365日を私にください 6
女性陣から囲まれるように抱擁や言葉で励まし続けてもらっているユフィーラを見て、男性陣は激烈な羞恥タイムはもう免れるかもしれないと誰もが願っていた。
しかしそうは問屋がおろさないのが酔っ払いユフィーラなのである。
率先し抱擁していたリリアンはユフィーラから何か耳元で話しかけられた直後、ふらふらと離れて椅子に座り込んで突っ伏してしまった。その耳は真っ赤である。
続いて抱擁したビビアンはユフィーラのこそっと伝えた言葉に口元を覆いながら後退し、よろっとふらついたのをリカルドに受け止められ淑女としての姿は今は皆無となってしまった。
次にぎゅぎゅっと抱き合ったアリアナに対しユフィーラが微笑みながら何ごとか話した後、ぽぽんっと顔を赤くし令嬢らしからぬ小走りでエドワードの後ろに隠れ顔を埋めてしまった。
まさか…と呆然としていたアビーに近寄ったユフィーラはきゅっと抱きついた。安心したようにほうっと溜息を吐きながら言葉を溢し、直後アビーはその場に顔を伏せてしゃがみこんでしまった。
残るはもしや…と戦慄していたパミラが避けることは既に不可避であり、とてとてと歩いてきたユフィーラは直伝の抱擁を味わい堪能した後何かを伝えると、パミラはピキンと体を強張らせた。更にユフィーラが背中を擦りながら囁く言葉に、どんなに飲んでも足元がしっかりしているパミラがまるで泥酔状態のようにふらふら歩きソファに沈んでしまった。
ある意味最強の女性陣を抱擁と言葉だけで制圧したユフィーラに男性陣一同震えあがった。
女性陣からの励ましと抱擁で元気を取り戻し…よりパワーアップしたユフィーラは満面の笑みで軽やかに動き出す。
手始めに男性陣使用人の元へ。―――――狂宴の始まりである。
とある書庫の番人は眼鏡を外し手に持ったままぐしゃりと突っ伏し、
とある馬房の守人は恥じらいから揚げ物を次から次へと口に詰め込み、
とある保管魔術の使い手は側に居た片割れが飲んでいた蒸留酒をひったくって一気飲みを披露し、
とある植物のスペシャリストは耳を赤くしながら皿に盛られたナッツを熱心に数え始め、
とある執事は早歩きで花瓶敷の具合を確かめに赴く体で蹲って床を弄りだし、
とある料理人はバターが溶けるかのようにカウンターと同化し動かなくなった。
残され男性陣は戦慄した。
ひと仕事終えたかのように額を拭う仕草で一息吐いているユフィーラを尻目に、まだ無傷の方の片割れが、潰れている片割れを見捨てて逃げ出そうと目論むが、その気配を敏感に察知したかの如く、とたたっと軽快な足取りが彼の耳に入り、己自身もまだまだ未熟だとイーゾは臍を噛んだ。
ユフィーラがネミルにお水を渡しながら、隣で固まっていたイーゾにこそっと何かを話すと、彼はぐにゃりと力が抜けてしまい、隣に同じく沈んでいた片割れから水をひったくって飲み、その後片割れと同じ姿勢になってしまった。流石の双子である。
残るは国の裏を暗躍しているといっても過言ではない三人。
沈んだ双子を聖母のような笑みで見ていたユフィーラは、何故か残った三人ではなくテーブルのご馳走を眺め始めた。
そして何故か端から料理の名を言い上げていくではないか。
ユフィーラは一つ一つ料理やデザートの名を上げては時折り頷く動作をしながらゆっくりとテーブルを旋回していく。
残った三人とそれぞれ羞恥ダメージを負った皆が見守る中、最後の一品を言い終えたユフィーラが指を折りながらカウンターに向かっていく。
そこに居るのはガダンただ一人。
二度目もあるのかとガダンが愕然とした表情をする中、ユフィーラは不思議そうに首を傾げながらも話しかけた。
「ガダンさんにお願いがあるのです」
「…ん?お願いか?」
「はい。ドルニドさんの奥様への詰め合わせの他に、もう一つ詰め合わせを作っていただくことは可能でしょうか?」
「あ、ああ。できるけど…」
「良かったです!」
ユフィーラはぱっと花が綻ぶように微笑んだ。
皆が一体誰の為かと訝しげに感じているのをよそに、ユフィーラは指を折り数えながら詰め合わせの内容を言い始めた。
「では、ローストビーフとお野菜たっぷりのターキーサンドイッチ、サーモンのマリネにサラミ数種類。デザートのシュークリームは二個でお願いします。それと至極のコンソメスープの持ち帰りは流石に難しいですよねぇ…」
「いや、持ち帰り用の器に保温と漏れ防止の魔術をかければいけるけど…」
「まあ。それなら完璧です!良かったですねぇ」
喜びながら話すユフィーラの視線は何故か食堂の天井を向いている。
「…え。まさか、…だよね?」
その視線の意味に気付いたドルニドが呆然としていると、ユフィーラがとててと側まで歩み寄ってきた。
先ほどの羞恥体験から本能的にびくりと王らしからぬ反応をしてしまったドルニドだが、深呼吸をし何とか威厳を取り戻してから「…どうしたんだい?ユフィちゃん」と声をかけた。
「ギルさんと同じような感覚なのです」
その言葉にドルニドだけでなくテオルドやハウザー、ギルも瞠目し他の皆はもしかしてとギルを見てから天井に目を向けた。
「ユフィちゃんにはわかるのかい?」
「何となくですが。でもギルニャン紹介の時だけは僅かに気配が乱れたご様子でした」
ふふと口に手を当てながら答えるユフィーラにドルニドは目を見開いた。
対してギルは天井に殺気を放つかのように睨んでいる。
「…凄いな。僕でも居るのかな程度にしか感じないのに」
「昔の負の遺産ではありますが、そのおかげで出逢えた方もいるので」
「そうなんだね。もしかして料理って…」
「はい!天井から匂いだけしか味わえないなんて私なら憤死ものです。折角の機会なので是非ガダンさんの絶品料理を召し上がっていただきたいなと思いまして。ドルニドさん、今日だけ私を祝ってくださる我儘として叶えていただけませんか?」
ユフィーラの言葉にドルニドは驚きながらも、優しい表情になった。
「君は本当に色々な意味の機微に聡い人なんだね。そして慈しみ深い」
「いえまさか。ここで媚を売っておけば、万が一私が悪さをして国から追われた時に一瞬の隙だけ与えてくれるかもしれませんから!」
「その前にこの国から出るから問題ない」
「ははは!テオルドもそれはできれば止めて欲しいなぁ。…ありがとう。僕の忠実な影を労ってくれて」
「これでガダン飯信者が増えるかもしれませんしね!」
「ふはっ。そうかもしれないね。…下りておいで」
ドルニドが静かな声で発した。
「まあ。姿を見せることに問題はないのですか?」
「うん。多分今は元の姿だろうけど、次会う時は違う顔の可能性が高いだろうから…ってユフィちゃんには通じないかな?」
「ふふ。私の勘は確実性の無い何となくなので難しいかもしれません」
ドルニドが視線を動かした先、いつの間にか今夜の招待したメンバーの後方に黒一色を纏った男性が音も気配もなく佇んでいた。
黒い髪と瞳、口元も黒い布で覆われた三白眼の鋭い、だが端正な顔立ちを想像できる風貌だ。
「やあ。ご苦労さん。任務中にお土産を貰えるなんてラッキーだったね」
「…」
すらっとした細身の高身長の影は言葉を発さず僅かに視線を下げ一礼した。
「初めまして。お務めご苦労さまです」
ユフィーラが軽くお辞儀をして挨拶すると、影は先ほどと同じ仕草で返してきた。
「あれ…そういえば詰め合わせしてくれたものってユフィちゃんのお勧めとかでなくて、もしかして…」
「はい。料理の名前をあげていく間、本当に微かですが気配が上向いたような気がしたのでお好きなのかなと勝手に選んでしまいました」
「…!」
「へえ。凄いなぁ。合っているの?」
ほんの僅かに瞳を丸くした影にドルニドが尋ねると暫し逡巡した後に僅かに頷いた。
「それは良かったです。もし苦手なものが入っていたらありがた迷惑になってしまい…いえ、ガダンさんの料理ならきっと苦手すらも好物に…!」
「凄いなぁガダン作の料理の魅力は」
「ねえ、報告したのってお前?」
するといつの間にかユフィーラの近くに来ていたギルがにんまりとした、だが目の奥が完全に笑っていない表情で影に話しかけた。
対して影は態度には一切示さず、ただギルを見返している。
「あの時にここの報告したのお前でしょ?」
「…」
「気配が僅かにブレたね」
「ギル」
ハウザーがギルに声を掛けるが、ギルも影もお互い視線を外さず、和やかだった食堂に殺伐とした空気がぴりっと張り詰めた。
その時だった。
その空気を打破したのは。
いや、より混沌に導いたのは。
やはりユフィーラであった。
てくてくとギルの正面に移動したユフィーラが首を傾げながら慈愛の笑みを湛えた。
「…流石なのです」
「え?」
「己の定めし主への忠誠心。…そこまで先生を心から敬愛しているのですね――――――ギルニャン?」
ぶはっ
ぐほっ
ぶはほっ
ぷぶっ
がふっ
…プルプル
ユフィーラの不意打ちなる痛恨の一撃に、ギルを除いた全員が完全に我慢できずに噴き出した。ハウザーですら手で口を覆って下を向き、テオルドも腕に顔を押し付けていた。
影に至っては流石というべきか表情も微動だにしていないが、口元を隠す布が小刻みに震え続けているので笑うのを必死に抑えているのかもしれない。
そして改めてその場に居た全員が再認識した。
そうだ!酔っ払っていたんだった!と。
可愛いあだ名で呼ばれてしまい呆然とした表情のギルだが、はっと我に返りきっと険しい目でユフィーラを睨みつけた。
「ちょっと。変なあだ名で呼ばないでよ」
「まあまあ。折角皆さんが集まっているので和やかな雰囲気に戻れば良いなと咄嗟にギルニャンを出してしまいました」
「言われた僕は全く持って和やかになれないんだけど」
「まあ。これに関しては私の失態です。では責任を持って心から和やかに、且つ気を抜ける状態にしましょう!」
誰もが思った。
言い返さなければ良かったのにと。
当人も思った。
あの時ムキにならなければと。
ユフィーラはギルの後ろに周り「はいはい、こちらへおいでませー」と言いながら背中を押してソファの方へ誘導していく。「ちょ、何っ…?」と珍しく慌てた様子のギルが抵抗を試みるが、振り返って見たユフィーラの心から嬉しそうで無邪気な笑みに本来の力を出せず、結局ソファに押しやられてしまった。
ユフィーラはソファの端に並べられていたクッションを一つ手に取ってギルの側に置き、よいしょよいしょと惜しみない努力で彼をその場所に押しやった。
そしてギルはソファに横にさせられ、頭がぽふんと柔らかいクッションの上に落ちた。
この時点でギルは容易で想像できる壮絶な悶絶級の未来に戦慄し立ち上がろうとした。
…矢先にユフィーラが目の前にしゃがみ込んだ。
脱出不可能である。
ユフィーラが徐ろにゆっくりと手を伸ばし、ギルのさらっとした漆黒の髪を撫でた。
「!」
「ギルさんの髪はするすると触り心地がとても良いのです。きらきらと艷やかで…まるで気高い黒猫の毛並みのよう」
「っ…」
目を丸くしたギルの綺麗なブルーグレーの瞳が、ギルニャンのグレーの瞳ととても良く似ていてユフィーラは思わずほわりと微笑んだ。
「いつも先生との軽快なやり取りを見つつも、その中には常に慕う気持ち、この人にずっとついていけるほどの尊敬の念を抱いているギルさんの行動は誇り高く、孤高に立つ姿勢は芯まで美しい」
小さな声だが、しっかりと耳に届いたユフィーラの偽りの無い言葉にギルは驚愕する。
「ちょっ…」
「それでも時たま、…誰かに甘えたくなることが僅かにあるかもしれません。そんな風に身勝手に思ってしまう私の我儘な行動を、仕方ないから我慢してやるかと、…少しだけこうさせてもらえたら嬉しいです」
目の前に居る人物は翌日には記憶の失くなる酔っ払いの筈である。
それなのに誰にも見せることのない心の奥底に、優しく穏やかだが的確に触れられ、それ以上に羞恥心を煽られてしまう狭間の中、ユフィーラが顔を少しだけ近づけてギルの耳元で何かを囁いた。
その言葉にギルの瞳がこれでもかと見開き、何とか反撃し返そうとしていた思考が完全に霧散してしまった。
少し眉を下げたユフィーラは顔を離してから、こめかみ部分の髪をまたするりと撫で始める。
「先生の命でも、しょうがないなぁと思いながらも、…私を見守ってくださって心より感謝します」
そう言って撫で続けるユフィーラを前に、歴戦の猛者や権力者よりも狡猾に冷酷に行動する元王家の懐刀と言われ恐れられ続けた男は完敗した。
その後クッションに顔を埋めてしまったギルの頭や背中を容赦なく撫で続ける姿に、皆一様に驚きながらもただただ静観するしかなかった。
ソファ周囲だけに広がる優しい世界観を見ていたドルニドは、王の自分にすらいつもつれなく膝を折ることすらなかった元影の変わり果てた姿に、体を前に折り曲げ爆笑したいのを意地でも抑えることに全力を注いでいた。
対してその場面を内心呆然として見ていた影は、直視出来ずついに下を向いてしまっていたが、「あ。よしよしの件、伝言お願いしますね!」と元同胞を撫でまくっているついでかのように言ったユフィーラの言葉に、ガダン飯詰め合わせの意図にはこのことも組み込み済みだったのかと、ある意味難関な任務に戦慄したのだった。
不定期更新です。