最愛と皆の新たな生活 3
「良いな、この空間」
リリアンは毎回来る度に感じていることを改めて口に出した。
「空間、ですか?居心地が良いという意味でしょうか」
リリアンは往診に来ていて問診と触診を終えた後、アビーが持ってきたお茶とガダン特製のアフタヌーンティースタンドに乗った色とりどりのお菓子を摘みながら皆と談笑していた。
ひと仕事を終えたパミラも参加して四人で話していたのだが、リリアンからすると初めてこの屋敷に訪れた時もそうだが、ユフィーラは勿論アビーやパミラもリリアンの貴族であることや令嬢らしからぬ風貌など色眼鏡で見ることもなく、一人の人間として接してくれるのが嬉しかったのだ。
「ああ。私を忖度せずに接してくれるのが嬉しくてね。ここに来るのが楽しみのひとつになっているんだ」
毎日のようにユフィーラを診ていることで、彼女的にも恐縮する気持ちがあったのか、少し安堵したような表情になった。
「リリアンさん気さくだからこっちも気兼ねなく喋れるのよねー」
「良い意味で貴族らしくないんだよね。でも所作が綺麗だから時折参考にしている」
「そう思って貰えると嬉しいよ」
そんな話をしながら、お菓子や馬の話や魔術、医療の話などに華が咲き、あっという間に一刻が過ぎた頃、話題はリリアンの妹であるビビアンのハグが強いという話になっていた。
「私より華奢なのに腕の力は私よりも強いんじゃないかと思うくらいなんだ。本人曰く、社交界において、心身共に力をつけないと生き残れないと言っていたな」
「ビビアンさんは社交界の最強の婦人よねー」
「姉妹のハグは何かの力試しみたいな感じになっているのかもね」
ハグの話題にユフィーラが少し首を傾げているのを見たリリアンが尋ねる。
「ユフィちゃん。気になったことがあるなら何でも聞いて」
ユフィーラは基本まだ自分から率先して話すことはないが、瞳を輝かせながら興味深そうにいつも聞いてくれている。
「あの、ハグって何でしょうか」
その言葉に三人が今でこそ頭撫でに慣れたユフィーラだが、まだハグまではしていなく、ハグという言葉そのものを知らないことに気づく。
「ああ、ハグと言うのはね、抱きしめる、抱擁という意味なんだ。親しい相手に対してこうやって軽くハグするんだ。まあ、ビビアンとはちょっとした格闘のようになっているんだけどね」
そう言って腕を回すような仕草をしてハグをする格好を見せる。
ユフィーラは「そうなんですね…」と言いながらも、その瞳がきらんと煌めいたのをリリアンは見逃さなかった。そしてそれはアビーもパミラもだったようだ。
「ユフィーラは頭を撫でられるのはだいぶ慣れた?」
「…はい。体が強張ることもずっと手を見つめることも無くなりました」
ユフィーラが頬を染めながらも真っ直ぐパミラを見ながら伝えてくる。
「なら今日はハグしてみない?」
アビーが腕を回しながらハグの仕草を模倣する。
「ハ、グ…」
「うん、ハグ。親しい間柄や好意も持つ相手と触れ合うのは頭を撫でられるのとは、また違った意味で温かさを感じるよ」
ユフィーラは再度ハグ…と呟きながらも、その瞳は煌めいている。
「ほら、こんな感じよ」
そう言いながらアビーがリリアンに近づいてぎゅっとハグをしてきた。リリアンもアビーにハグをし返す。
「女性同士でハグすると、男性と違って柔らかいし優しい感じがして落ち着くのよねー」
「ああ、わかる。ビビアンとは戦いのようになるが」
「あはは。それは姉妹独特のやり取りなのかもしれないね」
「スカリオーレ家だけかもしれないな」
そう言いながら軽くハグし合っていると、ユフィーラの手がもじもじと動き始めたので、三人はつい微笑んでしまう。アビーがリリアンから離れ、ユフィーラが座っているソファに近づいて膝をつき、両手を広げた。
「ほら。ぎゅっとしましょ」
「ぎゅっ…」
「そう。私はこのまま腕を動かさないからユフィーラから私の腰に手を回してみて」
アビーの説明にユフィーラは少し頬を染めて目を彷徨わせながらも、ハグの魅力に抗えないようで、ソファからずりずりと動いてアビーのすぐ目の前まで近づく。ちょっと躊躇しながらも両手を広げてアビーにふわんと抱きついた。
「うふふ。どう?ハグの触れ合いも結構良いものなのよ。慣れたら腕を腰に回してぎゅっとしてご覧」
「ぎゅっ…」
その言葉しか喋れなくなったかのようにユフィーラは顔を赤らめながらもアビーの胸元から退くことはない。そしておずおずと手をゆっくりとアビーの腰に手を回した。
「そう、そんな感じ。もうちょっと強くしても大丈夫」
「こ、んな感じでしょうか」
「良い強さよ、上手。私の両手をゆっくりとユフィーラの背中に回してみても良いかしら?」
「…はい」
そう答えるユフィーラの表情に強張るものはない。アビーへの信頼は勿論、抱擁の温かさを味わっているのだろう。
アビーがゆっくりと腕を回してユフィーラの背中に手を回してハグした。
「…っ…何だか、温かくて落ち着きます」
「でしょ?誰でもでなく、自分が心許せる相手だと、もっともっと温かくて幸せだなって思うわよ」
「幸せ…」
その言葉を紡いだユフィーラはまるで自分の人生にそんな言葉は存在しないかのような口ぶりだ。「そう。幸せ。ユフィーラが今ハグされてほわっと温かくて心がぽかぽかしてきて嬉しいなら一緒だよ。幸せ」と言われ、ぱちぱちと瞬きしたユフィーラは「…幸せ」と今度は自分事のように呟くのを見てリリアンはへにゃんと眉を下げて微笑んでしまう。
アビーが背中を手でさらさらと上下に擦ってあげ、それを目を丸くしながらも体が強張る様子がないユフィーラは段々と力が抜けてきたようだ。
「ほらほら、次は私の番。ユフィーラ来い来い」
そう言って今度はパミラが声をかける。ユフィーラは魅入られるようにふらりとパミラの元へ歩いていく。
「私のハグ加減と抱擁力は随一なのさ」
「あはは。パミラ良く言っているわよね」
「だそうだ。ユフィーラからぎゅっとしてご覧」
リリアンの言葉にユフィーラは頷き、座りながら手を広げるパミラの傍に立った位置から少し屈んでハグをした。
「良いね。私も手を回しても大丈夫?」
「はい」
パミラがゆっくりと手を回して背中を擦りながら片手は回してぎゅっとする。そして擦っていた手は軽くとんとんと優しく叩く。
「よしよし。毎日頑張ってるね。でも疲れたらしっかり休みなね」
「…はい、ありがとうございます。とてもふわりと温かくて、し…あわせ、と感じます」
その言葉にパミラの抱擁が微かにぎゅっとなり、すぐに優しく優しくとんとんと戻しながらパミラの目元は潤んでいる。「でしょ?幸せよねー」と言うアビーの声も少し震えていた。
リリアンも自分にとっては当たり前の家族との抱擁が、ユフィーラには暴力と虐待だけが与えられ、触れ合いは恐怖の象徴となっていたのだ。
それをここの皆が改めて抱擁、ハグ、触れ合いは素晴らしく幸せなものだのだと、どんどん実感して欲しいと目の奥が熱くなるが、大人の意地として耐える。
「ユフィちゃん。私ともハグしてくれるかい?」
アビーとパミラとのハグに紺色の瞳をとろんとさせていたユフィーラがリリアンを見て、まるで「してくれるの!?」とでも言いそうなほどに瞳を輝かせるのを蕩けるような表情で見てしまう。
ゆっくりとリリアンの元へちょこちょこと歩いてくる姿が可愛らし過ぎて、リリアンは鼻血が出そうになり、つい鼻元を反射的に押さえてしまった。
それでも大人の対応をするべく立ち上がり、両手を広げておいでの仕草をすると、とててと歩いてきたユフィーラがぽすりと胸元に飛び込んできた。
敢えて今回は何も言わずにゆっくりと両手を回した。リリアンの動きに対してもユフィーラの体が強張ることはなく、リリアンの腰にぎゅっと手を回して来たので、リリアンもハグを返す。
「…アビーさんはふわり、パミラさんはほわり…リリアンさんはじわっと、で…体だけでなく心が温かくなって、落ち着くような穏やかな、……これが幸せ、なのかなと思いました」
その言葉に三人共必死に涙腺と戦いながら耐えに耐え抜いた。
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「おはよう、ユフィーラ」
「あ、お、おはよう、ございます」
今の『ユフィーラ』になった翌朝から、テオルドは朝昼晩欠かさず関わりを取っていた。
リリアンやアビー、パミラの女性陣から話を聞いていくと、男性女性のどちらかに異様に怯えるという様子は今はなく、テオルドは一先ず安堵した。
とはいえ男性の自分と二人きりになるのは時間を経てからの方が良いと思ったテオルドは、四六時中共に居たい気持ちを抑えて数日間は半刻くらいと決めてユフィーラと接した。
今日でちょうど一週間になり、テオルドは朝食前にユフィーラの部屋の扉をノックして入った。
「もうすぐで朝食だ。今日は何時頃起きた?」
「何時…えっと、二刻くらい前、でしょうか」
指を使ってユフィーラが答える。二刻前だとまだ薄暗い明け方の時間だ。
「まだ薄暗い時間帯だが目が覚めてしまうのか」
「そう、ですね。早起きしないと、仕事、が終わらなかったので、自然と…」
そう言ってユフィーラが目を伏せた。体が否が応でも覚えているのだろう。終わらないとその分寝る時間も削られていく恐怖というものを思い出したのかもしれない。
「そうか。毎日頑張っていたんだな」
「…え」
ユフィーラとしては当たり前の日常を褒められると思わなかったのか、目を見開いている。その紺色の瞳は変わらず澄んでいて美しいが、まだそこに不安も混ざっている。
(本人が一番戸惑っている。俺達が焦りを見せたらフィーは誰よりも頑張らないといけないと無茶をするのだろう)
テオルドはユフィーラを抱きしめたいのを耐えながら己を律してはいるが、半ば自分に言い聞かせている部分もあった。我慢できずに行動してしまい、ユフィーラの心を閉ざしたくはない。
「ああ。頑張っていた、ずっと。ここでは頑張っても全然構わないが、頑張り過ぎなくて良いんだ」
「頑張り過ぎる…」
どこまでが頑張る、どこからが頑張り過ぎるのかは人それぞれ違うだろうが、ユフィーラの話を聞いていた限りでは過度だったのは間違いない。そして彼女自身その基準が良くわからないのだろう。
「今日は何をしようと思っているんだ?」
「今日…」
リリアンやパミラからは何をしても良いし、好きなことを経験してみても良いと言われているようだが、それでもユフィーラにはまだ選択肢という考えがない。
「もし特に決まったことがないなら、この屋敷を隈なく俺と一緒に巡ってみないか?ユフィーラがいつも行動する場所以外にもだ」
「屋敷…色々な所を見に行くということですか?」
「ああ」
僅かにだがユフィーラの瞳が煌めいた。屋敷を周って、どのような場所で何をする所を知り、何ができるのか、何をして良いのかを本人に知ってもらいながら、始めは誘ってみて徐々に自分で選べるようになれればとテオルドは考えた。
「は、い。そうしてみ、ます」
「じゃあ、朝食を取ったら午前中だけそうしよう。午後は同じことをするかしないか、また考えれば良い」
「はい」
戸惑いながらも自分で決めたことに、ユフィーラ自身少し目元を緩ませる様子を見て、テオルドはそれだけで嬉しくなる。
「朝食はここで摂るか?俺はこれから下の食堂で摂るが、どちらでも好きな方を選べば良い」
「好きな方、ですか」
「ああ。どちらでもユフィーラの好きな方を選んで良いんだ」
そう言うと、ユフィーラは自身に選択肢を委ねてくれるのだと理解できたらしい。目を彷徨わせながら思案する仕草にテオルドは何も言わずに待つ。
「では、…食堂、で食べてみたいと、思います」
「わかった。ガダンが喜ぶな」
「…?喜ぶのですか?」
不思議そうにしているユフィーラにテオルドは淡く微笑む。それを見たユフィーラが目を丸くした。
「ガダンは自分が作った食事を皆が食べている風景を見るのが好きなんだ」
「食べている、風景」
「ああ。皆が会話をしながら、これはここが美味しいとか今度あれが食べたいとか、お代わりが欲しいとか色々話しながら食べてくれる風景を見るのが日課らしい」
ユフィーラはそんな風景を想像できないのか首を傾げている。男爵時代では奴らの食事風景など見ることもなくひたすら働いていたのかもしれない。
「実際見ればわかる。賑やかだぞ」
「賑やか…」
「ああ。もし静かに食べたいならここで食べても良いんだ」
また選択肢を委ねてくれたテオルドに対し、ユフィーラは少し驚いた様子で見ていたが、「…いえ、食堂で、食べます」と答えてくれたので、テオルドは共に食事を摂れることが嬉しくて微笑んだ。
それを見たユフィーラがまた目を丸くしながらも、じっとテオルドを見ていたので僅かに首を傾げて尋ねる。
「どうかしたか?」
「あ、い、いえっ…」
「思ったことをここでは幾らでも言って良いんだ。俺達はユフィーラが何を感じたのか、何を考えているのかを色々聞きたいと思っている」
テオルドは言葉だけでなく自分を押し殺して何もかも蓋をして欲しくはなかった。それだけは少しずつでも改善していければと切に願う。
「私の感じたことや考え…」
「ああ。喜怒哀楽を表現するのはまだ難しいだろうが、ここではユフィーラの言葉や行動をとやかく言う者は誰も居ない。逆に話したら話しただけ皆喜ぶぞ。勿論俺もだ」
毎日少しずつで良いから伝わって欲しいという思いを込めてテオルドが話すと、ユフィーラは瞠目し視線を下げて考える節を見せてから、よし、とでもいう風に両手をぐっと握りながら再度視線を合わせてきた。
「テ、オ、ルド様、が微笑ん、でくださった時に、瞳、…黒い目の奥が、…何と言うか、きら、きら…?輝く、ような…黒なのに色々な色が散りばめられたように、見えました。…それが、とても綺麗、だなと、…思わずじっと見てしまいました」
こんなに言葉を繋げて話したことがなかったのだろう。途切れ途切れ話しながらも、最後には全部話せたという感じで、満足気に見えた。
そしてテオルドは、ああやっぱりユフィーラなのだと目の奥がぐっと熱くなる。
テオルドの瞳が動く時は魔力を大量に放出した時と、ユフィーラを愛しいと感じて感情が溢れた時だ。
それをユフィーラはちゃんと見てくれている。
テオルドは眉を下げて微笑む。それはユフィーラだけにしか見せない特別で無意識のものだ。それを知らないのは目の前の本人だけである。
「俺の目を褒めてくれてありがとう。ちゃんと思ったことを言えたんだな」
「はい。…今もきらきらとしています」
「そうか」
テオルドは辿々しく話す、でも偽りのないユフィーラの言葉が好きだ。時には恥ずかしくもあるが、それ以上に歓喜が勝る。
「じゃあ、食堂に行こうか―――――ユフィーラ、今日もよろしく」
そう言ってテオルドがゆっくりと手を伸ばした。それをじっと見ていたユフィーラだが、すぐにその意味に気づいて、両手をもじもじとさせながらもゆっくりと手を伸ばしてテオルドの手に重ねた。
「よろしく、お願いします」
ユフィーラが握ってきた後にテオルドもゆっくりと握り返した。先ほどは目をこれでもかと見ていたのに、今のユフィーラは頬を染めながらなかなかテオルドと顔を合わせようとしない。
そんな初々しい姿をテオルドは蕩けるような表情で見つめた。
握手はユフィーラが目覚めてから、毎日テオルドが続けていることだ。同時に毎日頭を撫でる行為も使用人達と共に重ねていた。
「お。今朝は食堂で食べるのか?」
「ユフィーラ、おはよう」
「あら、おはよう!」
「おお。今朝は一緒に食べれるな!」
「おはよ」
食堂に居たのは食事を提供していたガダンと飲み物を出しているアビー、そしてパミラ、ダンとブラインだった。皆嬉しそうにそれぞれが声をかけてくる。
「お、はようござい、ます」
思った以上に人数が多かったのか吃り気味の挨拶になっていたが、ユフィーラはテオルドの誘導で隣同士に座った。
アビーが紅茶をユフィーラに、テオルドには珈琲を出してくれた。
「卵料理はスクランブルエッグとオムレツだな。他は一緒。どっちにする?」
「どっち…」
またもや選択肢が表れてユフィーラは目を彷徨わせながらも、テオルドを見てきたので頷く。
ここ数日は何かに付けてテオルドに確認の視線をくれることが信頼を少しずつ積み重ねているように感じて嬉しくなる。
「どっちを選んで良いんだ。皆そうしている」
「私はスクランブルエッグ。溶けたチーズと合わせたら最強」
「俺はオムレツだぞ。ベーコンとマッシュルームが最強の組み合わせだ」
「チーズも入っているし」
「スクランブルエッグもふわふわ感が堪らないのよねぇ」
食事中の彼らが好き好きに主張をするのをぱちぱちと瞬きしながらもユフィーラは口元に手を当てて考えているようだ。ガダンはカウンターから肘を付いて口角を上げながら見守っている。
ユフィーラはどの食事に対しても殆ど好き嫌いがなく、いつも美味しそうに食べていた。今のユフィーラも恐らく好き嫌いはなさそうだ。
「…では、オムレツで、お願いします」
「あいよ。旦那は?」
「俺もオムレツだな」
「あいよー」
ガダンは片手を挙げながら厨房へ入っていった。
「ユフィーラは今日は何する予定?」
パミラがユフィーラに尋ねてくる。
「今日、はテオルド様と、お屋敷を色々周ろうかと思ってます」
誰からの質問にも受け答えが日々滑らかになってきている。
それは皆が小さなことやなんてことないことも都度尋ねてユフィーラに答えを委ねてくれているからこその賜物だ。
「良いな。大豪邸とまではいかないが、そこそこ広いから意外に見逃している場所とかあるかもしれないからな。探検みたいで面白いかもしれないぞ」
「探検…」
「探ってみたり詳しく調べてみたりとか」
「…なるほど」
ダンとブラインの言葉にユフィーラもただ単に見回るだけでなく、何かを発見する楽しみが増えたという思いが表情に出ていた。
「良いわね!何か良い発見があったら教えてちょうだいね」
「はい、わかりま、した」
ゆっくり途切れ途切れだが、少しずつ会話が出来るようになってきたことがユフィーラとしても自信に繋がっているのだろう。少し満足げな顔をしていることに皆が微笑ましい表情だ。
「おまたせー」
ガダンが大きなワンプレートの皿に入れた朝食をことんと置いてくれた。
今日の朝食は先程頼んだオムレツ、薄くスライスした二種類のハム、チキンサラダとミルクスープだ。パンは数種類の中から好きに選んで食べる。
「じゃあ食べようか」
「はい。いただき、ます」
ユフィーラもテオルドに倣って食事の挨拶をしてカトラリーを持つ。
初日はカトラリーの持ち方も良く分かっていなかった。だが稀に男爵達が食事をする風景は見ていたらしく、ぎごちなくも一生懸命使っていた。数日も経つと元々器用であることや、食事すること自体が嬉しいのだろう、どんどん所作が綺麗になっていった。
湯気の立つオムレツにナイフを入れると、溶けたチーズとベーコン、マッシュルームが流れるように出てきて目を見張らせながらも、フォークに乗せる。
今更だがユフィーラは基本どの食べ物も、大きな口を開けてもぐもぐとそれは美味しそうに食べる。
それは昔の名残ではないが出奔してから食べ物がこんなにも美味しいものなのだと感動し、少しずつ食べるより大きく口に入れられることがとても幸せなのだという。何時また食べられなくなっても良いように今を存分に味わおうという気持ちだったらしい。
そしていつも貴族令嬢には絶対になれませんね、と笑うのだ。
テオルドとしては今後ユフィーラが美味しく沢山食べられなくなる状況を作るつもりは一切ないが、元々そこまで大きくない口をめいっぱい開けて食べる仕草がとてつもなく愛らしいので敢えて何も言わないでいる。
そして今のユフィーラも、予想通りというか大きめの一口をめいっぱい口を開けて食べるのを皆が温かい目で見守っていた。
オムレツの中のチーズが思ったよりも熱かったらしく、はふはふしたいのを周りの目を気にして、それでも時折「かふっ」と口から漏れるのがいじらしくて癒される。そしてそんな自分を行儀が悪いと言われないかとそっと周りを見る直前に誰もが視線を逸らして通常の動きをしているのが何だかおかしい。
続いてくるみパンを取って一口分を千切るのだが、どうみてもユフィーラの口より大きいだろうと、これも誰もが思ってはいるが指摘はしない。
何故ならその一口を入れた後、目を輝かせながらリスのように頬を膨らませて食べる仕草が本当に堪らないのを全員が知っているからだ。
それは今の彼女においても健在で違いなく、もぐもぐしながらごろごろ入ったクルミの香りに目を見張らせながら美味しそうに食べている。
ユフィーラの食べる様子ばかり見ていたテオルドも止まり気味だったカトラリーを動かし始めた。
時たま使用人の皆から美味しいかとか、お代わりはと話しかけられることに、皆で食べる楽しさが理解できたようで、食べにくそうな様子は見られなかった。皆がそれぞれ会話しながら賑やかで和やかな食卓であることがわかったらしく、周りを見ながらも表情が和らぐのをテオルド始め皆がそっと見守っていた。
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