最愛と皆の新たな生活 1
その後ユフィーラは数日部屋の中で過ごした。
リリアンはユフィーラが部屋の中で過ごす間、泊まり込みで滞在してくれていた。
本日部屋から出る許可を得て、毎日顔を出すとユフィーラに伝えてリリアンは自分の屋敷に帰って行った。
ここからがテオルド始め使用人一同の真骨頂である。
テオルドは毎日少しずつユフィーラとの会話や接触の機会を増やし、使用人皆もそれぞれに考えながら行動していた。
ユフィーラも始めの数日こそは、挙動不審な様子がそこかしこに見受けられたが、テオルドや屋敷の皆が当たり前に居る、関わる状態に徐々に慣れてきて、少しずつではあるが自分から言葉を発したりすることも増えてきた。
更に継続していると、今度はユフィーラの言動にも変化が見えてきた。
ユフィーラ自身、自分が前の自分の変わりではなく、一人の『ユフィーラ』として接してくれていることを実感できてきたのだろう。
時折昔の自分の話を知りたがるようになり、テオルド達に過去の自分のことを聞くようになってきたのだった。
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「紅茶の淹れ方にも色々あるんですね」
「そうね。お湯の温度だったり器を温めたり蒸らしたりと色々あるわね」
アビーが紅茶を淹れている時、その過程にちょっと興味を持ったのかユフィーラが尋ねてきた。
「使用した茶葉は一度で捨ててしまうものなのですか?」
「そうねぇ。何度も使うと香りも風味も損なうから基本一度が多いわね」
「…そうなんですね」
取り出された茶葉をユフィーラが名残惜しそうにじっと見ているので、アビーは頬を緩める。
「勿体なく感じる?」
「…はい。香りや風味が消えてしまうのは分かっているのですが」
へにょんと眉を下げるユフィーラにアビーはふふっと微笑む。
「じゃあ、二杯目はこの茶葉を使ってミルクティーにしてみる?」
「え…」
「ミルクで煮出して濃厚なミルクティーにするの」
アビーは一杯目の紅茶をユフィーラに出す。
お供にする菓子はガダン特製のダックワーズだ。
紅茶やお菓子の話をしながらそれらをいただき、アビーが改めて二杯目の煮出しミルクティーを作っていると、ユフィーラがぽそりと言葉を溢した。
「前の…以前の私はこんな貧乏臭いことは言いませんでしたか?」
アビーは思わず噴き出してしまった。
「うふふっ。いいえ、全く同じことを言っていたわね」
「っ…同じことを?」
「ええ。『折角の香ばしい茶葉が勿体ないと思っていたら二度も楽しめるなんて!』っていつも二杯目の方を楽しみにしていたのよ」
アビーの言葉にユフィーラが目をぱちぱちしながら、ふっと目元を緩める。
「そうなんですね。私も素晴らしい香りのものが霞んでしまうのは分かっていても、一度で捨てられてしまうのは勿体ないと思ってしまってました」
「そうねぇ、拘る人にとっては邪道だ、なんて言う人もいるけど、好みは人それぞれよ。それに茶葉としては一度でなく何度も使ってもらえる方が嬉しいんじゃないかなー、なんて私は思うけど」
アビーは煮出したミルクティーをカップに注ぎ、ユフィーラに渡した。
ユフィーラはお礼を言いながらカップを持って、ふうふうと息を吹きかけてから口を付ける。
「…美味しい、です。紅茶の仄かな、香りと、ミルクの濃厚さと、甘みがとても、…」
まだ上手く言葉を出すことができないユフィーラにアビーは助け舟を出す。
「こっちの方が好きとか、好みだとか色々あるわね」
「…選んでも良いのでしょうか」
「良いのよ。別に一杯目を否定しているんじゃなくて、自分はこっちの方がより好きなんだってことだけなんだから」
そう言いながらアビーは掌をユフィーラに見せる。
ユフィーラはアビーの仕草を見ながら、最近お茶を飲む度にやっている一連の行動だとわかったらしく、少し下を向いて恥じらいながらも、その場から動かずに待っている姿が猛烈に可愛くて、アビーは悶えそうになる。
アビーはゆっくりと手を伸ばしユフィーラの視界から手が消えないように配慮しながら、ユフィーラの頭に乗せて撫でた。
始めこそユフィーラは伸びてくる手を瞬きもせずに見つめていたが、アビー始め皆が何かにつけて撫でる癖をつけているのでだいぶ工程が慣れたようだ。
そして撫でられる行為が存外良いものだとわかったのだろう。それは前のユフィーラと同様撫でられることに嬉しさを見出したのだとアビーは思っている。
「煮出しミルクティーの方が好き?」
ユフィーラは撫でている頭を僅かにこてんと傾げながら言葉を頭の中で作っているようだ。
まだまだスッと言葉に出ないユフィーラには、思ったことを何でも口にして良いのだと伝えている。もしもそれが間違っていたり、それはどうなのかと思った時は真っ向から直接話すから我慢せずに言葉のやり取りを覚えて欲しいと皆から言われているのだ。
「私だけの、好みなら、二杯目の方が好き、です。ですが…アビーさんの綺麗な、所作の、紅茶の淹れ方の一杯目は、美味しいだけでなく、とても、…何と言うかお得な嬉しい気分に、なります…ので、それぞれに嬉しいが、あります」
初々しい、だがユフィーラ節は健在で、もうアビーはのたうち回りそうになってしまった。
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「魔術の初級本、と、薬師の本が、読みたいです」
ある時、ユフィーラが書庫に訪れた。
ぎごちない、だが一生懸命さが滲み出る言動にランドルンは中指でくいっと銀縁眼鏡を上げながら淡く微笑んだ。
「ここで読みますか?それとも部屋の方で?」
ユフィーラはなかなか慣れない選択肢を聞いて少し目を彷徨わせたが、ここでは自身で選んで良い、選択して良いのだと思い直し、ランドルンに目を向けた。
「ランドルンさん、のお邪魔でないなら、ここで読みたいと、思います」
「邪魔になどなりませんよ。では本の場所に案内しましょう」
手を移動する方向に向けながら歩き出すランドルンに、ユフィーラはとてとてと付いてくる。
その姿が何となく初めて目にしたものを親だと思い込むひよこみたいだと、ランドルンは噴き出しそうになるのを慈愛の笑みで耐えた。
そんな邪な心境をお首にも出さず奥に進み、大量に並ぶ本棚と本の中から、「魔術初級本はこの辺り、薬師本はその向かい側のその辺りになります」と説明する。
「ランドルン、さんは、本の名前だけで場所とか、どの辺にあるのかが、分かるのですね」
「ええ。毎日書物と共に過ごしていたら、いつの間にかそうなっていましたね」
ランドルンが一歩後ろに退き、ユフィーラ自身で選べるように場所を譲る。
ユフィーラは魔術の初級本が何冊かあるのに気付き、少し悩んでいるようだ。
「…あの。これとこれの魔術の本を両方中身を見てから、決めても良いですか?」
始めこそ何をするにも何でも良い、どれでも良いと言っていたユフィーラだったが、最近は選択肢がある時には自分で選んで良いのだということを理解してきていた。
「勿論です。両方初級者の本ですが、内容も順番も多少違うところがあるので、読んでみてから決めれば良いのですよ」
ランドルンからの諾の言葉に紺色の瞳がぱっと明るくなったユフィーラはいそいそと二冊を手に取った。読書をする場所に案内して好きな席に座って良いと言われると、ユフィーラは迷わずに一番手前の席に座った。
そこはいつもユフィーラが座っていた場所だったことにランドルンは思わず微笑んでしまう。それに気づいたユフィーラは僅かに首を傾げながら、ふと思いついたように話しかけた。
「もしかして、前の私も同じ場所に…?」
「ええ。空いている時は必ずそこに座ってました。ユフィーラがその席を選んだのは何か理由がありますか?」
ランドルンからの質問に、ユフィーラは思案顔になり言葉を作っているようだった。
それから意を決したようにランドルンに視線を合わす。
「書庫の、入口が見えて、入口付近には…ランドルン、さんがいるので、静かな場所に一人ではないと、いう気持ちに、なりました」
その言葉にランドルンは得も言われない充足感を得る。
ユフィーラは誰かと共に居ることに慣れていなかったのだが、前向きにこの屋敷の者達との関わろうとしている証しの言動に感じたのだ。
「そうなんですね。近くに居て安心するという感じに近いですか?」
「…はい。そうだと思います。…前の私も同じ理由でしたか?」
「そうですね…っふ…失礼。でももう一つ理由がありました」
「もう一つ?」
思わず思い出して笑ってしまったランドルンは優しい眼差しでユフィーラを見る。
「本を読んで集中してしまい、万が一食事の時間を見逃したら大変だ。一番近くの席ならば、私が視認できることもそうですが、食事の匂いが届くから大丈夫だと言っていましたね」
ランドルンの言葉にユフィーラの瞳が丸くなる。
「ご飯、…」
「はい。それは毎日毎食楽しみにしていましたので」
それを聞いたユフィーラはちょっと恥ずかしそうに下を向いて、また上げてランドルンと目を合わす。これも最近できるようになってきたことだった。
「私も…、ご飯…、食事の、ガダンさんの食事がとても、暖かくて、美味しくて楽しみにしています」
ランドルンは『あたたかい』を表現したユフィーラの言葉を『温かい』、でなく『暖かい』、の方なのだろうと直感で感じた。
即ちガダンの心の込もった食事の数々に癒されているということだ。
ランドルンは攻撃専門の前線魔術師のもう一つの一面をとても尊敬している。
「私も同じです。ちょっと強面の顔をしていますが、彼の手から作り出される料理の数々はとても繊細で心が込もっていて毎食楽しみなんですよ」
ランドルンも同じ気持ちであることを知ったユフィーラはぱっと目を輝かせ、でもすぐに恥ずかしそうに目を伏せて、でもやっぱり自分だけでなく一緒なのだという気持ちが嬉しいと、僅かに口角を上げてはにかむ表情になった。
ランドルンは何とも言えない庇護欲のような気持ちが湧き溢れ、掌をユフィーラに見せてからゆっくりと頭を撫でた。
「少しずつ自分の意見が表に出せて偉いですね。ここでは幾らでも『自分』を主張しても良いのですよ。その調子です」
そう言って淡く微笑みながら柔らかなミルクティー色の髪をさらりと撫で続ける。
ユフィーラは褒められたことに頬を染めて、手をもじつかせたいが本を持っているので、それをぎゅっと抱えていた。
「あと二刻程で昼食となりますが、もしユフィーラが集中していたら、声をかけましょう。もしかしたら、匂いで気づくかもしれませんね」
ランドルンの冗談交じりの言葉にユフィーラは目元を微かに緩ませてから本を読み始めた。
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「その葉はバジル。良く料理に使われるハーブ」
庭園を散歩していたユフィーラが、ハーブ付近にしゃがんで顔を近づけていたのでブラインは話しかけた。恐らく食事をする時に香ったことのある匂いがして、どのハーブなのか確認していたのだろう。
ブラインはそれが何のハーブかわかるが、知識のない者から見たらどれも良く似た緑の草としか思えないのかも知れない。
「バジル…一昨日のチキン料理に使われたもの、でしょうか」
「うん。この辺一帯は全部ハーブ」
「全部…」
ユフィーラは緑一帯の様々な形のハーブを見て目を丸くする。
「ハーブだけでも、こんなに種類があるのですね」
「実際はもっとあるだろうけど、ここでは十種類くらい」
「十種類…」
ユフィーラはブラインから教えてもらったバジルに顔を寄せて匂いを嗅いでいる。
「バジルです」
「うん。じゃあ隣は何だと思う?」
ブラインの質問にユフィーラは隣にあったハーブに近づいて匂いを嗅いだ。
「…先週のシチューの匂いがします」
その答えにブラインは柄になく思わず噴き出しそうになった。
「そう。オレガノっていうハーブ」
「オレガノ…」
ユフィーラは香りを嗅ぎながら少しずつ移動していく。そしてふとブラインの方に向き直った。
「あそこの一角だけ囲いがしてありますが、あれもハーブですか?」
ユフィーラの指す方向には日向と日陰に半々に分けられた囲いのある区画だ。
「…あれは薬草。デスパとマージ。他にも数種類」
「デスパ…この前書庫で読んだ薬師の本に載ってました。あれは…もしかして前の私が植えていたものですか?」
「うん」
今はブラインが代わって管理している。いつでも『ユフィーラ』が使えるように。
ユフィーラはその薬草を暫くじっと見て、それから立ち上がってブラインの方を見た。
「私は、まだ精製、魔術?や薬に関しての魔術すら何もわからないのですが、薬草を、育てることはできますか?」
ユフィーラの前向きな言葉にブラインは心が踊る。
「うん、できる。教えてあげる」
「…良いのですか?」
「この屋敷で俺より植物に詳しい奴居ないし」
自分が一番だという言動がちょっと恥ずかしかったブラインはさっと視線を逸らしてしまった。
すると、ふっと微笑む声が聞こえ思わずユフィーラを見ると、僅かに、本当に僅かに無意識に動いたように頬が緩んだのだ。
「では一番植物に、関して物知りな、…ブラインさんに教えてもらいたい、です。よろしくお願いします」
ユフィーラの今を頑張っていこうという姿勢に嬉しくなったブラインは、またもやそっぽを向きながら「…余裕だし」と返すことが精一杯だった。
その時耳が赤かったことはユフィーラしか知らない。
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午後の陽が陰ってくる少し前、パミラはユフィーラと共に大きな籠を持って庭に向かっていた。
ユフィーラ自身の記憶では男爵の下女時代である時期が長い。
パミラの使用人としての雑用仕事をさせるつもりは毛頭なかったのだが、何もさせずに丁重に扱われ過ぎて息苦しくなるのではと思い、毎回ではないが時折ユフィーラに手伝ってもらっていた。
以前のユフィーラが手伝ってくれる時もそうだったが、洗濯物に始まり、食器の扱いや掃除など、どれも最速で効率良く動いていた。それは男爵時代、あまりの数の仕事を押し付けられ、本人なりにどれだけ時間配分をすれば間に合うのかと日々奮闘していたのだろう。どの雑用もユフィーラはテキパキとこなしていた。
「今日使った柔軟剤の香りを当ててご覧」
シーツを取り込みながらパミラが声をかけると、ユフィーラはぱっと瞳を輝かせて、たった今取り込んだシーツに顔を近づけた。
「…薄紫の花…ラベンダーでしょうか?」
「当たり。だいぶ香りがわかってきたね」
そう言ってゆっくりと手を伸ばし頭を撫でてあげると、ほんのり頬を染めながらも、「毎日沢山の香りのことを教えてもらっているので…」ともじもじしながらもシーツを器用に畳み、それをもみもみと揉んでいく姿がこの上なく可愛らしく、パミラの眉は下がりっぱなしだ。
「じゃあ、今日はちょっとしたご褒美をあげよう」
「ご褒美、ですか?」
きょとんとしたユフィーラにパミラは籠の一つを任せて、リネン室に運んでいく。
リネン室内に綺麗に畳まれたシーツを積み上げたパミラがそれを見ながらぼやく。
「もう三十路過ぎているんだけどなぁ、…ま、いっか」
そう言って積み上げられたシーツの束に「よっ」と掛け声をかけながらダイブした。それを間近に見ていたユフィーラは目を丸くしてパミラを見ている。
「良い香りと陽を浴びたふかふかのシーツに飛び込むと何だか幸せだなーって思うんだよね」
シーツに頬擦りしていると、ほんのり眠気に襲われそうになったパミラは、以前のユフィーラがここでうたた寝をしてしまう気持ちを身を以て知ってしまう。そして目の前のユフィーラは固まったまま動かない。
「何だかさ、シーツに飛び込むなんてちょっといけないことしているのに、こんなに気持ち良いから良いかって思っちゃうんだよね」
そう言いながら頬擦りしていると、ユフィーラが傍に来て僅かに首を傾げた。
「もしかして、前の私もやっていましたか…?」
パミラは思わず笑ってしまう。
「あはは。やってたやってた。しかも助走つけて見事なジャンプをいつも披露してくれたよ」
パミラはこの際だから三十路だとか恥じらいだとか、今は全て捨て、「こんな感じ。まあ見ててよ」と言いながら再度過去ユフィーラがやった、それこそ羽ばたく鳥のごとく飛び上がってシーツにぼすんと飛び込んだ。
「…あー…こうしたい気持ちがわかったような気がするわー」
そう言いながらユフィーラを見ると、彼女は口を押さえて驚愕な表情をしている、…のだが明らかに口元は震えて笑いたいのがわかるほどで、パミラは心底嬉しくなった。
「やってみる?ぴょーんって飛んでご覧」
「ぴ、ぴょーん…」
効果音に再度声を出して笑いそうになるのを堪えながらパミラは立ち上がって、狼狽えるユフィーラに見てな!的な勢いでもう一度シーツにダイブした。
――――数回もこなすと、いつの間にやら恥じらいも何も無くなっていた。
立ち上がってユフィーラを見ながら、「まあ無理にとは言わないけど。でも気持ち良いよー」と言いながら他のリネンを畳み始めていると、ユフィーラがシーツの位置から少し離れて、「……行きますっ」と掛け声をかけたと思ったらぴょーんとシーツに飛び込んだのだ。
まだ拙さのある助走と飛んだ瞬間の形が未完成なのがまた何とも言えず可愛過ぎて、パミラはシーツをばんばんと無償に叩きたくなった。
ぼふんっという音と、ユフィーラの体がふわんと数度揺れ、顔はそのまま正面から突っ込んだようだ。そしてそのまま固まっている。
「…ユフィーラ?大丈夫?顔打ってない?」
声をかけるとゆっくりとユフィーラの顔が動きパミラを見る。その顔は頬を染めながらも瞳が輝いていた。
「…何だか、いけないことをしているのに、とても良い香りとふわふわのシーツが魅力的過ぎて、動きたくなくなる感じがします…」
そう言いながら思った以上に本音を言ってしまったのが恥ずかしくなったようで、顔をシーツに埋めてしまった。そして耳がほんのり赤い。
パミラは地団駄を踏んで悶えたくなるが三十路の女性として何とか耐える。
「でしょ。リネン洗った者だけが味わえる特権だよ」
そう言いながら「隣座るよ」と声を掛けてから座り、顔を埋めたままのユフィーラに「背中触れるよ?」と言ってから優しくとんとんと背中を叩き始める。
リズム良く背中を叩きながら時折擦ってあげると、埋もれたシーツから「…何だか、…とても、…安ら、ぎます…」と耳を真っ赤にしながら言うもんだから、パミラは以前ユフィーラが嬉し過ぎると叫びたくなるんですよねぇ!と言っていた気持ちが物凄く理解できた。
そして少しすると、継続的な呼吸音が聞こえてきた。
それが安心できる場所であるからこその状態なのだと、パミラは目頭がじんとなった。
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「軍馬に選ばれる馬は普通の馬よりも大きいのですか?」
「そうだなぁ。種類にも寄るけど大体は大きいかも知れないな」
ダンは生活に少し慣れてきた頃、ユフィーラを馬房に誘った。
ルードを始めレノンもあの件から丸々一週間以上はユフィーラに会っていない。
今朝早くダンから話しかけて事情を話しはしたが、彼らがどこまで理解できているかは定かではない。
「これから食事の時間なんだ。一緒にあげてみないか?」
「食事…私にできること、なら、やってみたいです」
始めこそ何をやるにも自分が関わって良いのかという態度を見せていたが、何をしても自分がどの選択肢を選んでも良いのだと理解してからは、自らではなくても率先して動くようになっているような気がする。
「ああ、難しいことじゃない。それぞれの馬の餌籠の中に草類と果物を混ぜて置いてくれれば良いから」
ダンは足元にある大量の藁やカットされた果物類が入った籠を指してから馬房内の餌籠の位置を教える。
「えっと…私専用の馬がルード、…レノン、ルーシア、サミー、フィナン、ジョニー、ハーヴィ、ギルバルト、マクレーン…さん?君?」
「ふはっ。敬称も敬語も要らないんじゃないかな。それにしても全員の名前覚えているのは凄いな。そのまま名前で呼んであげて」
ユフィーラは良いの?という顔をしていたがダンが頷くと、こくんと頷いて藁と果物を持って馬房にそっと入っていった。
ユフィーラの匂いで気づいたのかルードを始め馬たちが次から次へと顔を出した。
ユフィーラは急にいっぺんの視線を浴びて固まっていたが、恐らく人間よりは恐怖感はないのだろう、「お邪魔する、ね」とゆっくりと入っていった。
ダンは敢えて近くで見守らずに、少し遠くから有事の際にだけ駆けつけられるように離れていた。彼らがユフィーラを傷付けることは無いと断言できるからだ。
「ごめんね。私…今記憶が失くなってしまってるの」
ユフィーラが声をかけているのはルードだろう。
「凛々しいのに、とても優しい瞳をしているのね。…でもあなたとの想い出が今の私には無いの…それでもご飯をあげても大丈夫かしら」
ダンは馬房の掃除を耳を注視しながら続ける。
「―――――撫でさせてくれるの?…ありがとう」
聞こえてくる言葉にダンは口元を緩めた。
心の中でやっぱりなと思わずにはいられない。
「なんて艷やかな毛並みなのかしら。大切に大切にされているのが伝わってくるわ」
流石ルードだとダンは胸を張りたくなる。
「…あら、あなたは…レノンよね?あなたも撫でさせてくれるの?」
その後もブルルッととダンの馬のジョニーが俺も、と鼻を鳴らす音や、次々に鼻を鳴らしてこっちにもおいでと言っているような馬達の鼻の合唱が聞こえてくる。
ダンは心から彼らを誇らしく思う。
そして彼らをそうさせるユフィーラも。
今でも前でも『ユフィーラ』は彼らに寄り添う術をしっかりと無意識に熟知しているのだ。
ダンはそのまま近づかずに馬房内の仕事をこなした。
やがてユフィーラが彼らの餌籠に全ての食事を振り分けるのを確認してから声をかける。
「馬たちが食事を終えたら、馬房の裏側で触れ合ってみたら?」
「良いのですか?邪魔にならないでしょうか」
「さっきの彼らの態度を見ただろう?大丈夫だよ。馬はな、相手の本質をちゃんと見ているんだ」
そう言ってダンはユフィーラを手で招いて呼ぶ。ちょこちょこと少し辿々しい歩みが何とも可愛らしくて、ダンは自然に頬が緩みっぱなしだ。
大きな掌を見せてからゆっくりと頭に乗せて撫でる。ついでに「干し草」と言いながら頭に乗っていた干し草を取り除くと、「え、気付きませんでした。ありがとうございます」と少し目を彷徨わせて恥ずかしそうにする姿が、どうにも片手で抱き上げて、よしよししてあげたくなってしまうのを我慢しながら、ダンは朗らかに笑った。
その後、ユフィーラはルード始めレノン達に小突かれたり揉まれたりしながら、最後の方は気負っていない笑顔すら垣間見えて、ダンは鼻を啜ってしまった。
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「どうした?」
ある日のこと、ジェスが玄関近くを通りかかった時にユフィーラが玄関前に置かれている大きな花瓶に飾られた花と花瓶に敷かれた花瓶敷を交互に見ていた。
ユフィーラは何か集中して見ていたらしく、ジェスの声にびくっと何か悪さをしたかのように体を揺らせてこちらを見た。
「あ、…ジェスさん」
「咎めているのではない。ずっと見ていたから気になっただけだ」
ジェスの言葉にユフィーラは少し目を彷徨わせながらも、こくんと頷いた。
ジェスは内心歯噛みした。
過去ユフィーラが契約婚姻で訪れた時から、ジェスはテオルドを守らねばと偏った思考で常に考えていた為、ユフィーラを初っ端から毛嫌いし、今考えるのも胸糞が悪くなる散々な対応をしていた。
アリアナの情報で更に自分の考えを正当化させて壁を高くし、それでもユフィーラの人となりを見てきて、ひょっとしたら違うのではないかと思いながらも、それを認める己を許せずに態度を改めなかった。
そしてたまたまユフィーラが不治の病で苦しんでいた場に遭遇したことで、笑顔で内緒ですよ、最期まで見張っていてくれと言ったユフィーラの顔は生涯忘れることができない。
そんな境遇でも前向きに生きるユフィーラに、ジェスは誰よりも敬愛なるテオルドとの仲を喜んでいた。
だがジェスの性格上、ガラッと態度を変えることが出来ずに、周りからはツンデレも程々にと諭されたが、それでもなかなか素直にはなれなかった。
そんな時ちょっとしたきっかけから、ユフィーラからそのままで居て欲しいと言われたことがあった。
自分が今後傲らないようにストッパーとして見てくれていた方が有り難いのだと。
そのままで良いのだと言われたことがジェスの心を解しはしたが、それでも改善しようと努めているが、まだまだ態度や言葉に出せない己が腹立たしい。
「この花瓶に、生けられた花と、花瓶敷の組み合わせを、眺めていました」
ユフィーラが言葉を考えながらジェスに話してきた。
「花だけでなく花瓶敷も?」
「はい。今日生けられている花は黄色を中心に白や淡い水色で纏められて、昨日の花瓶敷は薄茶色でしたが、今日は少し濃いめのアイボリー色…花に合わせて変えているのだと知りました」
ユフィーラは花と花瓶敷に目を戻す。
「花瓶敷が花を引き立たせるような色合い、でも無いと少し寂しく感じる絶妙な加減に感じます」
ユフィーラの言葉が徐々に詰まらずに繋がっていく。
皆と沢山話すようになったからか、少しずつ慣れてきているように見受けられた。
そして。
今彼女が言っていたことは以前のユフィーラと全く同じ感想だったのだ。
(我が主…あなたが言っていることが日々を通して実感できます)
ユフィーラはユフィーラでしかない。
本当にその言葉に尽きる。
ジェスは今までのユフィーラとの想い出が走馬灯のように押し寄せて、目頭が熱くなる。今まではテオルドのことでしか泣くことなんて一切なかったのに、ユフィーラとのほんの数年のことがジェスの心の中にいつの間にか住み着いていたのだろう。
ジェスは瞬きを連打することで何とか目が潤むのを防いでから、ユフィーラから目を逸らして花を見た。
「これはブラインが毎朝生けているのは知っているか?」
「はい。ブラインさんが剪定するものや、そろそろ開花時期が終わりそうな花を優先で飾っていると言っていました」
ユフィーラの言葉が段々滑らかになっていくことにジェスはとても嬉しくなった。
(まるで妹を見るような感じ、なのだろうか)
少しずつユフィーラの心が開いていく過程をジェスは心から嬉しく思う。
「この花瓶敷は私が作ったものだ」
「…え?」
ユフィーラが目を丸くして驚いた表情をする。それを何となく面白く感じている自分がいた。
「想像つかないか?皆にも良く言われる」
「は、い。正直に言うと驚きました」
そんなことないですとおべっかを使わない、嘘の笑顔を見せずにいるユフィーラにジェスは頬を僅かに緩めた。
「ちょっとしたきっかけがあって、思った以上に自分の手先が器用に動いてこういうのを作るのに向いていると思った。最近ではちょっとした趣味のようなものになっている」
「趣味、ですか」
ユフィーラはジェスの顔を見てから花瓶敷をじっと見つめる。
「この繊細な模様を作り出せるなんて、凄いです。素敵な、趣味だなと思いました」
「そう言ってもらえて嬉しく思う。ありがとう」
それはジェスの心からするっと出た言葉だった。
もしかしたら過去のユフィーラに対しても、ずっと言いたかった言葉なのかもしれない。
ユフィーラは少し目を彷徨わせながら「本当に…思ったこと、です」と恥じらいながら俯く姿に胸がとてつもなくもぞもぞした。ここ数日夜のカウンターで使用人数人から、ユフィーラの初々しい態度に悶えそうなると言っていた理由が理解できた気がした。
「これから巾着袋を作るんだ」
「巾着袋」
「ああ。ブレスレットが入るくらいの小さな袋を沢山」
「沢山…」
「趣味の一環で引き受けた。良かったら一緒にやってみるか?」
「!…良いのですか?」
ユフィーラの驚きの表情に喜びが滲むのが僅かに見えた。
「ああ。花瓶敷などは魔術を併用してつくるが、巾着袋では使わない。ユフィーラにもできると思う」
「…ではご一緒させて欲しい、です」
ユフィーラが両手をにぎにぎしながら答える。これも使用人曰く、嬉しかったりする時に表情や言葉でまだ表せないユフィーラなりの態度の表れなんだと聞いていたジェスは眉を下げて微笑んだ。
「じゃあ、ガダンの菓子を摘みながらやろう。今日のアフタヌーンティーはトリュフだそうだ」
その言葉にユフィーラは更に瞳を大きくさせて、こくんと頷いた。
不定期更新です。