強者との対峙
「貴女がテオルド様の奥様?」
「はい。ユフィーラと申します」
「そう。わたくしはハインド伯爵家が娘、アリアナ・ハインドよ」
ユフィーラは目の前の堂々とした出で立ちのアリアナを見つめる。
令嬢が訪れるようになってから、貴族録を見始めた。ハインド伯爵家は国に功績を上げ貢献している身ながら陞爵を辞退している異色の家だ。
ショコラ色の緩やかな巻き毛は横を編み込み、綺麗な装飾品を付けて下ろしている。意志の強そうな少し吊り上がった青い瞳はこちらを見極めるかのように鋭く、それが華麗な顔を更に気高く引き立たせているようだ。
(アビーさんもだけど、私もしかして少しきつめの美人がツボなのかしら…)
その視線に臆する…なんてことはなく、ユフィーラの頭の中は好みの感想でいっぱいだ。
「ハインド伯爵令嬢様、初めまして。今日はこちらに御用が?」
「ええ。貴女とお話したくて。こちらに手紙を送ったら応じて下さったの」
まあ許可を出したのは十中八九ジェスなのだろう。
「承知しました。ではご案内致します」
「結構よ。家令に頼むわ」
そう言うと持っていた扇子を閉じて、近くに控えていたジェスの案内の元、従者を連れて屋敷に入っていく。
始めから屋敷に入って私が来るまで待っていれば良いのになぁと首を傾げながらも、ユフィーラも屋敷に向かっていった。
屋敷入ると、ジェスが待っていて「応接室に来い」と相変わらずな口調で命令してきた。
応接室に入ると、黒の革張りのソファにアリアナが既に座っていたので、その向かい側に「お待たせ致しました」と言って座る。ノックが鳴りアビーがワゴンを押して現れ、茶の用意を始める。アリアナはアビーを見て少し目を見開いたので、きっと美人だから驚いたのねとユフィーラはそんな美しい使用人を自慢したいような気持ちになって胸を張ってしまいたくなる。
紅茶が用意され、先程ブラインと話していたベルガモットの香りが漂い、ユフィーラはにっこりした。
テーブルに紅茶が置かれ、アリアナがティーカップを持ち傾けて口をつける。少し目が見開き、紅茶の淹れ方が上手なアビーとそれに合う香り付けをしたガダンが誇らしく更に踏ん反り返ってしまいたくなる。
その様子にアリアナは訝しげな表情をしながらも音を立てずにティーカップを置き、こちらを見据えた。
「どんな手を使ってテオルド様と婚姻したの?」
アリアナの話の切り出しにユフィーラは目を瞬く。令嬢で遠回しな嫌味を込めて言わない方もいるのねと思いながら、話せる範囲で話そうと口を開く。
「私から婚姻するにあたり、双方の利があることをご説明し、打診をして受けていただきました」
「双方の利とは」
「それは旦那様の許可なく発言できません」
嘘はついていないが、事細かに説明する必要もない。
アリアナは目を更に鋭くする。
「貴女は平民よね?」
「はい」
「薬師の資格を持っているとはいえ、平民の貴女が今までここへ訪れて去っていった令嬢達に勝るものとは何かしら」
色々と調べているらしい。伯爵家なのだから、それくらいは容易いだろう。
「そうですねぇ…強いて言うなら気ままに、自由に、でしょうか」
テオルドが望むのは言い寄る令嬢からの解放と、婚姻による煩わしさだろう。後見人のリカルドにはぞんざいな口調だが、信頼しているように見えるので、あまり迷惑もかけたくないのかもしれないし、国を出奔するのは最終手段のような気がする。ならばそれをしなくて済むように私が盾になれば良い。
「貴女ならそれができると?」
「恐らくは。私も一つお聞きしてよろしいですか?」
「駄目よ」
「さようですか」
ならば仕方ない。ユフィーラは直ぐに引き下がり、アビーが入れてくれた紅茶に口をつける。ああ、この絶妙な加減は最高ね。ガダン作のベルガモットが更にこの紅茶の魅力を押し上げているのね。思わず頬を緩める。それを見て何を勘違いしたのか、アリアナの表情は険しくなった。
「見下しているのかしら?」
「何をでしょうか」
今までの会話でそのような言動をしていたかしらと首を傾げると、アリアナは息を吐いて続けた。
「何を聞きたいの」
聞いてくれる気になったらしい。
「ハインド伯爵令嬢様が―」
「アリアナで結構よ」
「ではアリアナ様が私より勝ると思う、その理由を」
「全部よ」
「爵位と財産、礼儀作法、社交、などでしょうか」
「ええ」
「ではそれを旦那様は欲していて、気ままに自由になれる要素であると?」
「…」
何度か接触したり話しているのならば彼の人となりを知っているはず。そしてそれを望んでもいないことを。少し俯いたアリアナはきっとユフィーラを睨む。
「心もよ」
「心、でしょうか」
その眼差しは今までの令嬢にはない強いものだった。
「…テオルド様が、魔術師団に入団した頃から好いていたわ。魅力的な美貌は勿論のこと、見た目を利用することもなく、冷酷だ冷淡だと言われても、それは誰にでも同じ。媚びることをせずに、魔術師団を団長と共に率いて、魔術に対する向き合う飽くなき姿勢。孤児だったことを厭われても、疎まれても変わりなく突き進む姿。それをずっと遠くから見てきたの」
アリアナの膝で組まれた手は強く握りしめているのか白くなっている。
「諦めることなく、でもご迷惑にならないよう少しずつ関わろうと努力してきたわ。いつかそれが報われるように願いながら。なのに突如現れた貴女が…何も持たない努力もしていない貴女が、彼をかっ攫っていってしまった。納得できないわ」
この人は真摯にテオルドを想っているのね。私よりも余程長い時間、彼を見てきたのだわ。
「そうなのですね」
「だから貴女は認められないわ」
そう言ってユフィーラを見据える。
それでもだ。
はいそうですかと退くことはできない。
私には私のやりたいことがあって、それをテオルドが了承したのならば、それを貫くまでだ。
「アリアナ様がそう思われるのは自由ですが、それを旦那様本人が望まない限り私は離縁は勿論、離れるつもりもございません」
「私の方が、彼の望むことができるわ。取り囲む令嬢達を退けることも、一緒に居られるなら社交も贈り物も何も要らないの。彼を支えられるのならそれを全うするだけだわ。テオルド様が望むなら理不尽な圧力も伯爵家の力を存分に使う覚悟があるわ」
刺すような眼差しを受け止める。でも私の思いは微塵も揺らがない。
ユフィーラだって一世一代の大勝負の真っ最中なのだ。
「貴女のことを調べたわ。イグラス国の元男爵の使用人。周りに疎まれていた忌み嫌われ者。そんな中、二年半前に失踪。その後行方不明。一体何をしたらそんな扱いになるの?どれだけ人に言えない浅ましいことをしてきたのかしら」
ユフィーラは瞬きをひとつする。
(あら。結構調べているのね。でもその実、男爵の娘だったことまでは辿り着けていないみたい。それはそうでしょうね。出生届けもしていない孤児と何ら変わりないのだから)
恐らく多数でアリアナが相応しいと周りは判断するのだろう。でも―――
(相応しくないのかもしれないけど、かと言って自分を卑下する必要がないことを私自身分かっているの。逃げたのだって、自分の行く末がどう考えても悲惨なものだったから。―――ん?元って言った?今はなくなってしまったのかしら)
そういえばテオルドは身の上をどこまで調べたのかと考えていると、アリアナが射るように見つめる。
「貴女のような人間はテオルド様に相応しくないわ」
どんな言葉でも態度でも行動でも、ずっと虐げられ酷い仕打ちを受け続けて、無意識に流せたり躱せるようになり、人を見極められる術を身につけ、日々心の内を底に沈めて、押し込めて蓋をして。更にその上から重しを足して、穏やかに落ち着いて行動できるようになった。
でもそれは、耐性がついただけであって。
心身への攻撃に傷つかないわけではないのだ。
心の傷は常に乾くこと無く血が流れ出ていた。乾く前に新しい傷を生み出し常に滲み出していた。この国に来て癒やされはしても消えたわけではない。
心の傷は
一生だ
「先程も言いましたが、決めるのは旦那様です」
「どうせ何時かはその腐った性根を暴かれるわ。今のうちに去りなさい」
後方に立っていたアビーから殺気が漂う。アビーが今のユフィーラと関わった上で、怒ってくれていることに心が温かくなる。アリアナから目は逸らさずにアビーに向けて抑えてくれるように手を挙げる。今までの令嬢達と違って一筋縄ではいかないアリアナに再度物申す。
「私は覚悟を持ってここに居ます。それを動かせるのは旦那様のみですので、お断りします」
「そんな権利があると思っているの!?」
「それはアリアナ様もです」
「何ですって!」
アリアナが急に立ち上がったと思ったら、顔と頭に少し熱めの液体がびしゃっとかかった。それは下に滴り落ちてユフィーラの服とソファと床を濡らした。
「ユフィーラさん!」
「アリアナお嬢様!」
後ろからアビーの叫ぶ声が、前からは従者の焦った声が聞こえる。ジェスもアリアナの行動に流石に驚いたようで目を見開いている。
直ぐ側に来たアビーの行動を手で留め、アリアナを見据える。
「アリアナ様」
「…ぁ」と、アリアナは感情的になり無作法をしてしまったことに気づき愕然としていたが、声をかけられてはっと我に返る。
「手元にある扇子でも投げればよろしかったのです。それなら私の顔に当たるだけで済みました」
「は?」
「ここで働く使用人の皆様は旦那様が信頼し雇っている者たちです。この美味しい紅茶を入れてくれた使用人はいつも最適な温度でその日に合ったものを提供してくれます。紅茶から香るベルガモットは料理人が自ら抽出して美味しい紅茶をより引き立たせてくれる香りを添えてくれます。そしてこのソファ始め毎日屋敷が綺麗に保てているのは、屋敷をいつも過ごしやすく整えてくれている雑務を一手に引き受けてくれる使用人が居るからです」
淡々と丁寧に説明していくと、アリアナは自分の行いによってテオルドが自分に対しどのように思われるのかを理解できたようだ。
「自分の感情を制御できず、浅慮な行動によって周りへの配慮ができない相手を旦那様が選ぶとは思えません」
「な……!」
アリアナがカッと顔を赤らめる。
ちょっと言い過ぎてしまったかもしれないが、使用人の皆がテオルドとその屋敷を大切に思っているのを、個人の感情でかき混ぜられるのはどうしても我慢できることではなかった。
今の彼女の行動はよろしくないが、アリアナのテオルドへの想いは強く、そして長く本物のようだと判断する。対してユフィーラはたった数月だ。
ならば、この機会を逃すのは勿体ないではないか。
「今の行動は好ましくはないですが、それは私のような者の発言から我慢ならない行動ということですよね?」
「!…そう、よ」
「そして長く旦那様を想われているアリアナ様は、他を含めて私に勝るということでよろしいですか?」
「そうよ!」
「それでしたら――――」
本題に入ろうとすると、扉が開く音が聞こえ、皆がそちらに目を向ける。
入ってきたのは濃紺のローブに身を包まれたテオルドだった。
「て、テオルド様…」
アリアナが即座に立ち上がって、カーテシーをとる。
「まあ。旦那様、お早いお帰りですね。あ、一度戻られただけですか?」
そう言いながら立ち上がり頭を下げると、床に水滴が滴り落ちるのに気づき瞬きをひとつする。同時にはっと気付いたアビーがハンカチを差し出してくれたので、有り難く借りることにした。
テオルドがユフィーラの側まで来る。
「これはどういうことだ。―――ジェス」
いつも以上に低い声に、肩を揺らしたジェスがどう説明しようか逡巡する姿を見て、ユフィーラがどうにか穏便にと説明しようとするが、テオルドがユフィーラの姿をみて眉を顰めた。
「着替えてこい。アビー」
「は、はい!」
アビーが返事をしてユフィーラに声をかけ廊下に促す。アリアナの方を向くと、真っ青になって震えているので、テオルドが来る前に話そうとしていた願いを叶えるために声をかけた。
「アリアナ様」
呼んだ声に体を強張らせるアリアナを見つめながらできるだけ穏やかな声を心掛ける。
「今度、お茶にお誘いしてもよろしいですか?先程のアリアナ様の考えを色々お聞きしたいのですが、構いませんか?」
そう言うと、アリアナは目を丸くしてこちらを唖然として見た。
「旦那様。今回は私の無作法が招いた結果なのだと思います。この次はこのようなことがないよう精進しますのでお許しくださいな」
そう言いながら、深く頭を下げた。
「…着替えてこい」
「はい」
先ほどよりも声質が戻っていることに安堵し、ユフィーラは「ではアリアナ様、またのお越しお待ちしています」と挨拶して、アビーと共に部屋を出た。