非情な報復
ゲイルは現状が信じられないという風に首を横に振る。
「その程度か」
ユフィーラの言葉にゲイルはハッとし、ぎりりと音が聞こえるほど歯軋りをして怒号を飛ばす。
「ふざけるな!今のはたまたまだ!」
ゲイルは再度特大の魔石を翳し、そこから噴き出してきた物凄い量の毒々しい波動がユフィーラを襲う。
ユフィーラはそれをまたもや片手を殆ど動かさずに人差し指だけで動かして、その禍々しい鈍色の数多の波動は全て上空に向きを変えて防壁魔術に当たり砕け散った。
「な…な…、馬鹿、な…そ―――そんなことある訳がない!!!」
またしても同じ様になったことにゲイルは開いた口が塞がらない状態だったが、我に返り再々度魔石を掲げた。
それから数度繰り返すが、結果は同じだった。
ユフィーラは一歩も動くどころか片方のしかも指しか動かしていないのだ。
ついには特大の魔石いっぱいに入っていた魔力が底をついてしまい、しかもどれ一つユフィーラを傷つけられなかった事実にゲイルは打ちのめされた。
「何で…こんなことがあって良いのか…っく、糞…!魔石がもっとあれば…!魔石があればお前なんかに…!」
「魔石魔石煩い。それがなければ何も出来ない癖に」
「…っ何だと!!!」
抑揚のない声の返しにゲイルは反論するも、ユフィーラの表情が先程から全く動かないことにゲイルは背筋が凍る。
そしてユフィーラが徐ろにゆっくりと右手を動かした。
「私の番」
「――――…えっ―――――ぐぁぁぅ!!!!!!」
ユフィーラの発した声と共にゲイルがその言葉の意味を知る前に、いまだかつて経験の無い激痛が体中に押し寄せて迸った。
「うぐあぁぁぁぁ!!!!熱っ…!!い、い、痛いぃぃぃ…!!!」
ゲイルは全身を灼熱で炙られ、風の刃のようなものに切り裂かれ、全身爛れ、無数に斬りつけられてのたうち回る。
しかしこれでもユフィーラは十分に加減を抑えていた。
「最愛の人の分」
「…ぎぃぃっ…!!!な、何…」
「お前からやられたこと」
それだけ答え、ユフィーラは左手を動かしてゲイルに回復魔術を施した。
全身の爛れや傷が瞬時に回復され、ゲイルはその事実に瞠目し口をぽかんと開ける。
「…ぐっ…―――ぇ。な、何で」
「死んだら皆の分を返せない」
「…………は?」
死んだら終わりでしょ?とでも言いたげなユフィーラの言葉に、ゲイルはまるで得体の知れない未知の生き物を見るような驚愕の表情になる。
ゲイルの驚きにも何の感慨も沸かず、ユフィーラは次の魔術を放った。
「ぎゃあぁぁぁ…!!!――――あ、足が…て、う、う腕がぁぁぁ…!!」
ゲイルが後方に倒れて地面に蹲る。手も足もおかしな方向にねじ曲がっている。
「恩人の分」
「ぐっ…ぐぅぅ…―――ま、まさか…」
明らかに己が攻撃したことと同じ内容を返してくるユフィーラに、ゲイルは最悪な未来を想定する。
恐怖に戦慄くゲイルに対し、ユフィーラは無表情と抑揚のない声で淡々と伝える。
「相手を害するなら、される覚悟もしろ」
そこからは報復という名の拷問であった。
ユフィーラはゲイルの予想通りに屋敷の皆に攻撃したのとほぼ同じ方法でやり返していく。
ガダンにしたように両腕それぞれを狙い黒焦げにし、爛れた状態にした。
そして過去ガダンが受けた右目尻の傷を模倣して、受けた以上の特大の傷を魔術で切り刻む。
回復魔術をかける際その傷だけは残しておき、更に魔術で治せないように施した。
一生残る痕だ。
ゲイルは何故自分がこんな目に遭わなければならないとでも言いたげな表情で絶叫する。
ユフィーラは殊更緩やかに首を傾げた。
何故と自分がと疑問に思うこと自体が不思議で仕方ない。
何故自分がされる側になるかもしれないと思わないのだろうか。
覚醒している意識の中で喜怒哀楽の感情は微動だにしないが、ぼんやりとユフィーラは考える。
身分が高く自分より下を睥睨し己が一番だと思っている『する側』の彼らは、何故か『される側』になるわけがないと高を括っている。下々の者がやり返してくることはないと思い込んでいる。
自分が尊い身分なのだからと。
絶対的な存在なのだからと。
できるわけがないからと。
そういう者達は当然痛みや苦しみなんて味わったことなど皆無だろうから、きっと無慈悲なことや非情なことを感慨もなく嗤いながらできてしまうのだろう。
自分に置き換えてみれば良いのにと思う。
その想定すらしない、する必要がないと思っているからこそ、こうやって難なくできてしまうのかもしれない。
一人一人がそれを理解していれば、争いは無くなるだろうにと思わなくもないが、人間というものは業の深い生き物なのだろう。
ゲイルは怯えを隠せずに全身を震わせ、首を横に振りながら何とか言葉を絞り出す。
「そ、そん、なことが…この私にやって、許されると思っ―――」
「何故」
「…え」
「お前から始めた」
ユフィーラはゲイルに回復魔術をかけた。
ゲイルは骨を折ったことなど人生の中で一度もなかったのだろう。
そして自分が傷めつけられることなんて思いもしなかったのだろう。
精神的にも堪えているのか、ゲイルは座った状態で本能的にユフィーラに対し恐怖に怯え、後退りを始めていた。
「わ、私はジャバル、国の、王子だぞ!!こ、こんな、ことをして、これは、じ、重大な、国際問―――」
「お前から始めた」
ユフィーラは同じ言葉を繰り返して再び右手を翳した。
「ひっ…!」
先ほどは威勢の良い言葉を返していたゲイルだが、最早王族であるべき姿は微塵も無く、へっぴり腰で四つん這い状態になりながら逃げようする。
ユフィーラはその背中に向けて凝縮した光の塊をゲイルに向かって投げつけた。
それはゲイルの背中のど真ん中に当たってボォォッと燃え上がった。
「ぐ!!!ぎゃあぁぁぁぁ…!!!」
「片割れの分」
ゲイルの背中は真っ赤に燃え上がり、高貴だろう服はぼろぼろに穴が空き、頭に巻く布にも燃え移って髪も共に燃えていた。
ゲイルは背中を押さえることもできず、しかし仰向けになることもできずに悶え苦しむ。
苦悶に歪み喚き声を上げ続けるゲイルに特段反応を示さないユフィーラは、その後も淡々と皆にされたことと同じ方法で攻撃を与え続けた。
防壁魔術の端に吹き飛ばして手足の骨をもう一度折り。
体中傷だらけにしてふらふらになるまで細かな攻撃を繰り返し。
髪から服、ブーツまでを少しずつ損傷させ、体も同時に傷つけて満身創痍にさせ。
唯一の攻撃手段である魔石を守るゲイルに敢えて当たるように攻撃を続け。
この時点でゲイルは既に恐慌に陥っていた。
自分の権力をどれだけ主張しても反応すらしてもらえず、淡々と彼らに攻撃した内容がそのまま返ってくるのだ。しかも気絶も意識を失うこともできず直前で回復魔術によって回復させられてしまう。
最早、一国の王子の威厳など欠片もなかった。
目から涙を流し、鼻水は垂れ、口も締まらずに涎が垂れていた。
数々の惨たらしい魔術で生命力を削られ、瀕死状態ぎりぎりで回復させられ続ける状態は精神を蝕み、言葉など紡げずに悲鳴ばかりあげる自分を制御できなくなっていた。
ユフィーラは絶叫をあげ続けるゲイルを見ても、何一つ心が動かないし冷酷なままだった。
哀れだとか可哀想だとか、流石にやり過ぎではないかと思う気持ちは微塵も感じない。
単に彼がやってきたことをそのまま返しているだけ。
そしてユフィーラは似ていると言われたガダンの妹がされたことも忘れていない。
「彼の目の前で妹の胸を剣で突き刺した」
「はぁはぁ……ぇ…何…?」
ユフィーラは右手の指を動かして魔術を編む。
そして鋭利な光の塊が出現した。
まるで七色に輝く剣のように。
「そ、…そそそんな、こと、を、したら…私の国が、だ、黙って―――」
「お前がしたことをそのまま返しているだけ」
「な、な…―――」
「消えれば良いのに」
「………ぁ、…ぁ――――」
そう。
消えて居なくなれば良い。
ふと冷え切っていたユフィーラの頭の中に、もわりとどす黒い感情が再度沸き起こる。
目の前にいる人間がどれだけ国に必要かなんて知らない。
そんなことよりもユフィーラの大事な人達に危害を加えたことが何より許し難い。
そんな人間は。
イナクナレバイイ
ユフィーラは鋭利な輝く塊を指を動かしながら、ゲイルに向け標準を合わせた。
「っひ、…ひぃぃぃぃぃぃっっ……!!」
ゲイルは腰が抜けたのかまともに逃げることも動くこともできずに、その場に蹲った。
イナク、ナレ…バ
視界が段々と暗くなっていく。
頭の中が徐々に漆黒に支配される。
色の混ざらない光の入らない。
完全な黒。
今まで嫌というほど我慢してきた。
今までひたすら諦めてきた。
今までずっと。
ずっと心を殺してきた。
やっと。
やっと手に入れたユフィーラの場所。
やっと人の心を取り戻せた。
やっと人を愛する感情を持てた。
それを脅かすものは。
誰であれ。
何であれ。
イ ラ ナ イ
刹那であった。
深い闇に染まり、堕ちそうになる寸前。
視界の下の方から淡い、そして弱々しい光が灯る。
待って、と。
そっちに行かないで、と。
そんな風に聞こえた気がして。
ユフィーラは瞬きして視線を下に向けた。
下腹部がほわりと七色に淡く、薄く光っている。
そして。
「フィー!!!」
その声と光る下腹部にユフィーラはゆっくりと顔を上げて振り返った。
頑丈な防壁魔術外からテオルドが叫んでいた。
「フィー!もう十分だ!……おいで」
テオルドのその言葉と両手を広げる姿に、ユフィーラが瞬きを一つする。
「フィー…足元から血が流れている。どこに怪我をした?おいで」
またテオルドが話しかけてくる。
おいで、と。
最愛の人の言葉。
ユフィーラが大好きな言葉だ。
でも。
『血が流れている』
ユフィーラは目を伏せて見ると下腹部の灯火は今にも潰えそうになっていた。
それが何を意味しているのか理解して、ユフィーラはぐしゃりと胸が潰れそうになった。
(に…二度、も…私を救って、くれ…たの?)
何となくそう心の中で問いかけると、お腹の光がほわりと僅かに強くなり、また薄く…淡く、消え入りそうになった。
その消えゆく淡い淡い光が何を示しているのか。
ユフィーラは震える喉でゆっくりと、ゆっくりと深呼吸してお腹に触れる。
少しずつ、意識が鮮明になっていく。
少しずつ、どす黒い感情が散っていく。
同時に
少しずつ淡い灯火が消えていく。
下を向いていたユフィーラの髪が溢れ落ちるのを視界に入った。髪に意識を向けて見ると、何故か毛先だけ自分のミルクティー色の髪色で、そこから段々と七色に変わっているではないか。
その七色を見て。
何故そう思ったのかはわからない。
でも何よりも最優先させなければと感じた。
ユフィーラは行かなければと転移を踏んで、その場から消えた。
不定期更新です。