赤髪の男との遭遇
テオルドから離島の話を聞いてから翌週末のことだった。
先日依頼をした二人の使用人から、そろそろ完成するという話を聞いて、その御礼を買おうとユフィーラはルードと共に街へ来ていた。
ルードを街の入口の厩舎に預け、ユフィーラは街へ繰り出した。
一人の使用人にはだいぶ冷え込んできたので双子の片割れとお揃いの手袋を。
もう一人の使用人には季節のドライフルーツがふんだんに入った日持ちのするパウンドケーキと、最近目覚ましい才能を開花させている彼に最新の素材のシルクの布を。
ここ最近少し食事の趣向がさっぱり系に移行しているユフィーラは、昼食にたっぷりチキントマトビスクにかりかり香ばしく焼いたハーブバケットを購入してお腹を満たした。
そして良い子で待っているだろうルードに葡萄のお土産を買って厩舎に向かう。
厩舎にいる飼育員にお金を払って御礼を言い、ルードからの寂しかった攻撃を全力で受け止めながら葡萄を食べさせてやり、表に出た時のことだった。
「やあ。とても賢そうな大きな馬だね」
厩舎の飼育員でもない聞いたことのない男性の声に、ユフィーラは振り返る。
そこには頭にベージュの布を巻いた男が立っていた。
耳には大きな耳飾りをしていて、膝くらいまでの長めのシャツのような上着に幅が広いだぼっとしたトラウザーズ、双方色は頭を巻いている布と同様のベージュ色で素朴な色合いなのだが、艶めき具合がどう見ても高級な素材である。
瞳は赤みを帯びた薄茶色に頭を纏う布からは僅かに黄みがかった赤髪が見える。
「とても賢い仔なのです」
そう言ってユフィーラはルードに乗る時用にダンに作ってもらった荷物入れに買ったものを入れ始める。
「さっき公園の近くを歩いていたら可愛い君を見つけてさ。つい追ってきてしまったんだよ」
「まあ、恐れ多いことです」
ユフィーラは少しずつ近づいてくる男とは目を合わせずに、言外にもう帰る素振りを徹底する。
その様子に気づいた男が鼻で笑う仕草をする。
「…へえ、擦り寄ることをしないんだ」
「したことないですね」
そして男が更に近寄ってきた時。ルードが蹄をガツッと鳴らし、ぶるるっと鼻も鳴らす。明らかに普段見せない牽制する仕草だ。
「おっと。随分気性の荒い馬なんだな」
「私に知らない男性が近づくと、こうして守ってくれる出来た仔なのです」
そう答えながら心の中で落ち着いて、ありがとうと思いを込めながらルードを撫でる。
「なるほど、護衛の役割もしてるのか」
「はい。小柄な私を守ってくれてます」
「確かに君は小さいな。…それなのに魔力は随分と豊富だね」
その言葉にユフィーラは完全外用の物知らずな表情を作り男性に視線を向けた。
「見ただけでそんなことがわかるのですか?」
「まあね。ちょっと私は特殊なんだよ」
そう言いながら男は無意識なのか指に嵌まっている大きな宝石のような石が付いた指輪を撫でているのをユフィーラは視界の中で確認する。その手は左手と色が異なって見え、ルードに向き直る素振りの中で手を見ると全体に焼け爛れたような痕が見えた。
すぐに離れなければとユフィーラの本能が訴えている。
先程からユフィーラを見る男性の視線にはねっとりと、そしてぞわりとするものを都度感じていた。
ルードを撫でながら耳飾りに触れると、少しだが細かく振動していた。
これは以前耳飾りの防御効力が切れた時に、テオルドがユフィーラにもわかりやすいように改良してくれたのだ。相手や場所がユフィーラにとって危険と判断した時、雫型の部分が相手にわからない程度に振動する仕様にしてくれた。
これを皆に話すとそれをできるのはテオルドくらいだと言われたので、かなり高技術のようだが魔術師ではないユフィーラにとっては、わかりやすくてとても有り難いものだ。
その耳飾りが進行形で震えている。そしてそれ以前にユフィーラの本能が察知しているのだ。
関わるな、と。
その答えは彼の見た目で確信を得ることになった。
ユフィーラはその状況をお首にも出さずにルードをあやしてから背中に飛び乗ると、男が口笛を鳴らす。
「身の軽やかなお嬢さんだ。――――ねえ、前にさ。この街で深紅の髪の男と一緒に歩いていなかったかい?」
ユフィーラは有事の際に表情を取り繕うことは朝飯前のことである。生き抜くため、ダメージを最小限に留めるため、幾らでも偽りの表情を作ることができる。
今でこそ表情豊かになったユフィーラだが、それはテオルドやハウザー、使用人が居てくれるからこそ安心して発揮できるものなのだ。
「それは一体どれくらい前のことでしょうか」
「うーんどれくらい前だったかな。十日くらいかな」
その頃ならガダンと市場や雑貨店に行った時だろう。
元はガダンを追っていたのか、豊富な魔力云々の理由でユフィーラが先なのかは定かではないが、その頃から見張られていた可能性が高いということだ。
「知り合いではあります」
「へえ。どれだけ深い知り合いなんだい?恋人?」
ルードに跨がったユフィーラは僅かに首を傾げる。
「申し訳ありませんが、見ず知らずの方に自分事を話すことはしない主義なのです」
「えー?ほら、今こうやって知り合ったじゃない」
「とても慎重派なのです。失礼しますね」
そう言ってルードを走らせた。
「ルード。あなたはとても優秀ね。守ってくれてありがとう」
ある程度走った頃、ユフィーラは走るルードの背中を撫でた。
振り返って男がどんな表情をしているか気にはなったが、興味はないという態度を徹底した方が良いだろう。
「…旨そうな潜んだ魔力だ」
去るユフィーラを見ながらそう呟いた男の言葉は当然届かなかった。
ユフィーラはルードに声をかけながら、いつもより早く走ってもらい帰路につく。
ルードも理解しているらしく、颯爽と駆けてユフィーラ達は夕方より前に屋敷に戻った。
「ああ、帰ったのだな。お帰―――」
「ただいま戻りました、ジェスさん、テオ様に連絡魔術をお願いしたいのです」
珍しく人の話を遮ったユフィーラに驚いたジェスだが、重ねるようにお願いした内容と切迫した表情にジェスは事態を察知して頷く。
ジェスが魔術で専用の紙とペンと出してくれたので、ユフィーラは御礼を言いながら直ぐ近くの談話室に入り、更にジェスにお願いをする。
「それと重ねて申し訳ないのですが、屋敷周辺にこちらを窺う男性が居ないかどうかの確認をしてもらえませんか?ルードも理解してくれて早く走ってはくれたのですが、念の為に」
その言葉にもジェスは何も言わずに頷いてその場を離れていった。
ユフィーラは今しがた起きたことを簡潔に書き記し自身が無事であることを最後に書いた。書き終わった頃にアビーが談話室に現れて温かいココアを淹れてくれた。
「まずはこれ飲んで落ち着いて」
「アビーさん…ありがとうございます」
ふわっと香るココアにユフィーラは知らずに早くなっていた鼓動がゆっくり戻っていくのを感じる。ふうふうと息を吹きかけながら啜るココアはミルクたっぷりでほんのり甘い。
「…美味しいです。とても…喉が乾いていたようです」
「急いで帰ってきたんでしょ?当然よ。ゆっくり飲んでね」
「はい」
ソファに座りココアをちょびちょび飲んでようやく忙しなかった心臓が治まって来た頃、ジェスが戻ってきた。
「屋敷周辺、それともう少し先まで調べたが人の気配はなかった」
「ありがとうございます、ジェスさん」
早々に調べてくれたジェスに御礼を言い、書いた連絡魔術用の紙を渡してお願いする。
「以前主が言っていた相手の可能性が?」
「確証はありませんが、容姿と、あとぞわりと本能的にきたので」
そう。相手の男がユフィーラを見据えた瞬間。
本能的に怖気だったのだ。
彼の表情は一見穏やかそうな表情をしてはいたが、その実相手を侮るような蔑む視線が滲み出ていて、完全にユフィーラを同等以下のように見る独特な目付き。
あれは上に立つ者の目線であることは間違いないと思った。そしてこの国ではあまり見られない長い上着の服装と頭に巻いた布。
そしてそこから少し見えていた黄みがかった赤い髪と赤みを帯びた薄茶色の瞳。
テオルドから聞いていたジャバル国の人間であることは濃厚だ。
その後すぐにテオルドから連絡が戻ってきて、早めに戻るという主旨が書いてあった。
ユフィーラは馬房に行き、今日の出来事に勇ましく対応してくれたルードにりんごを持って労いに行った。ルードの守ってくれる態度はユフィーラの気持ちをとても鼓舞させてくれて心強かったのだ。
それから数刻も経たないうちにテオルドが帰宅した。駆け寄るユフィーラを抱きとめる。
「危ない目には遭っていないか?」
「はい。大丈夫です。ルードが守ってくれました。すぐ夕食ができるとのことなので、その時に皆さんにも」
「わかった」
テオルドが頷きユフィーラはテオルドのローブを受け取った。
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