数多なる迎撃
それからあっという間に三月経った。
その間、ユフィーラは新しい経験が満載な日々を楽しく暮らしていた。
庭の一画に植えた薬草は木々が多く日陰になる半分の箇所と、陽の当たるそれぞれに合った種と苗を植えた。ブラインに教わりながら、成長を促す魔術も教えてもらい何度も練習して覚えた。
パミラは生活魔術の類がとても潤沢で、効率が良いコツなど、この大きな屋敷の雑用を一人で切り盛りできている理由が解り、口をあんぐりと開けて、大笑いされた。
アビーはとてつもない美人なのに、それを鼻にかけない性格がとても魅力的で、愛馬のサミーに相乗りさせてもらって、良く一緒に買い物に付き合ってくれる。
滴る色気があり、右目尻に傷があることがより魅力を醸し出しているガダンは、見た目とは正反対な繊細で器用な手で、毎日美味しい食事を作ってくれるので、三食がいつも楽しみになっている。
馬を乗れるようになりたくて、ダンにお願いすると、時間が空いた時に教えてくれるようになった。お礼に邪魔にならない程度に厩舎の手伝いをさせてもらってる。ユフィーラ専用の馬の話がでたのだが、それは丁重に辞退させてもらった。
屋敷には書庫があり、半分は彼等魔術師の書物や貴重な魔術書があるらしい。そこに入ることはないが、ユフィーラが読める魔術の初級の書物もあったので、読ませてもらっている。時にこういう書物が読みたいとランドルンに尋ねると、即座に書物がある場所まで連れて行ってくれるのには本当に驚いた。
ジェスは相変わらずだが、元よりテオルド専用に仕えているようなものなので、あまり日中出会うことはなく、時折嫌味を投げかけられる程度なので特に困ってはいない。そのぐらいなら余裕で流すことくらい朝飯前なのだ。
テオルドとは、一日5秒の抱擁以外は同居人にもならない関係だ。食事もまだ一度も共にしていないし、屋敷で談話することもない。この一月で泊まり込むことや、短期の遠征などもあったので、実質会えたのは半分くらいかもしれない。でも会えた時の僅かな時間の抱擁は相変わらず胸が高鳴るし、テオルドだけの匂いと温かさがとても大切で嬉しくて満たされるのだ。
ここに来てからものの数日で、使用人の皆はこの婚姻が世間一般でいう想い合って成したことだと違うことに気づいているだろう。テオルドの態度もそうだし、ユフィーラもそれに対して寂しがったり落ち込んだりする態度もない。でも誰一人それを聞いてくることがない配慮は有り難いものだった。
それでもユフィーラの抱擁後のあまりに嬉しそうな表情を何度も見ている彼等は、ユフィーラがテオルドに好意をもっていることはわかってはいるだろう。
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今日は薬草の育ち具合をみながら思った以上に成長をみせている庭の一画をにやにやしながらしゃがんで眺めていた。
「ふふ。芽が出てきたわ。デスパはもうすぐ採取できるわね」
ブラインが教えてくれた成長促進の魔術のおかげで成長過程を大幅に縮められているのはユフィーラにとってかなり助かることだった。そして最近わかったことが、自分の魔力量が半分を切ると不調になる兆候が出やすいということだった。この前は成長が早くなるのが嬉しすぎてあれもこれもと魔術を使っていたら、夕方前には倦怠感に頭痛まで伴ってふらふらになってしまい、夕食も食べれずお風呂も入れずにベッドに沈みこんでしまったのだ。翌日にはなんとか回復したが、今後注意しなければと己に戒めた。
魔力量は少なくはない筈だが、薬草作りや精製に使う魔術は一つ一つは微々たるものだが、何しろ数を熟さなければならないので、繰り返していると最終的には結構な魔力量を使う。魔力量に気をつけながら成長促進の魔術を緩やかにかけていると、後ろから声がかかる。
「かけすぎると効果が薄くなる」
え、と思い手を止めて振り向くと碧緑色のローブ姿のブラインが立っていた。もうすぐ収穫できそうなデスパを指差す。
「あんたが言っていた痛み止め…デスパ。それはあまり育ちすぎると劣る」
「そうなんですか!?」
他の薬草も勿論だけど、デスパは特に困る!
「それだと明日には採取」
「まあ。ブラインさん、ありがとうございます!デスパはこれからも沢山育てたいので、教えてくれて助かりました。それに成長促進魔術が非常に役に立って有り難いです」
「―――その魔術式を教えてくれたのはテオルドさん」
「旦那様がですか?」
「うん。幾つかの術式から抜き取って少しずつかけ合わせるやり方を教えてくれた」
「まあ。旦那様は凄いですねぇ」
「うん。あの人は凄く尊敬してるし最強」
「それもありますが、ブラインさんがどの魔術に特化しているかちゃんと見極めて、それに最善のやり方を教えてくれているのですねぇ」
「…え」
「どの部分でどれだけ才能を伸ばせるか。でもそれを更に伸ばしたのはブラインさん自身ですよ。仰け反って胸を張れますね!」
「…」
そんなことを思ってもいなかったような普段まず見れない驚いたブラインの顔を、ユフィーラは既に違うこと考えていたので見ていなかった。
(明日の昼過ぎに採取したら、掃除と消毒できる魔術をかけて栄養剤を撒いて、一日おいて…)
次に育てる薬草を頭の中で選別していると、影ができて反射的に見上げる。
「デスパが大量に必要?頼まれてる?」
ブラインから尋ねられて、ユフィーラは一瞬間をおいてから話し出す。
「診療所から頼まれているものもありますが、精製で何度か凝縮してみて効能の高いものに挑戦している最中なので、なるべく沢山育てたいんです」
ブライン始め一人除いた使用人の皆にはとてもとても良くしてもらっている。契約結婚という一番大きな嘘をついているだけに、せめてそれ以外はなるべく嘘をつきたくなかった。それに凝縮して効果を高くしたいのは本当だ。言葉が足らないのは嘘とは言わない。
中期の痛みがどれほどのものか、幾らユフィーラに痛みの耐性があったとしても我慢強かったとしても想像がつかない為、弱めのものから強いものまで、できるだけ用意しておきたい。
ブラインは一つ頷く。納得してくれたようだ。
「そういえば、私保湿剤の精製もやっているのですが、ブラインさんが育てている花で匂いが良くて、少し切って譲っていただいても差し支えないものはありますか?」
「保湿剤?」
「はい。手や全身でも使える物で、少しだけ匂いをつけると、塗った時にその匂いが肌の温かさと合わさって良い香りがするんです!刺激有無は匂いだけ魔術で抽出するので問題ないです」
ブラインは目を伏せて少し考える様子になる。細身で背の高いブラインもとても整った綺麗な顔立ちだ。
「今だと、ラベンダーとスズラン。あとはベルガモット」
「え、ベルガモット?あるんですか?」
「ガダンがアールグレイの香り付けに抽出してとっておいてある」
「本当ですか!頼んだら少し譲ってもらえるでしょうか」
「大丈夫じゃない?」
「ラベンダーとスズランも譲って欲しいです!」
「剪定しようと思っていたからあげる」
あげるということは無料だ。その言葉に思わず握り拳を掲げた。
ただになるなんて!そのかわり心を込めてどこかでお返しを!
人との関わりをもつことで、心遣いを受けることでユフィーラは心が温かくなるという出来事が沢山あった。
ハウザーの所に来てからは街の周りの人々は本当に良くしてくれた。ハウザーを始め月影亭の女将さんも肉屋の若奥さんも、見返りを期待することなく、善意で行動する人達ばかりだった。攻撃されないように処世術で表だけ人当たりの良い私を見抜いてくれて、常に警戒心を張っている自分に時間をかけて『普通』に戻してくれた。ブラインもきっとその一人になるだろう。
「何やってんの」
こんな風にぶっきらぼうな言い方なのに真意は優しいのだ。
「ブラインさんは魔術で植物を育てていますけど、剪定したりする時はやっぱり手作業ですよね?手用でべたつきが残らない保湿剤を作っているので、出来上がったらお花をいただいたお礼に貰ってくれませんか?ブラインさんが育てた唯一の保湿剤です!」
「…いいけど」
視線を逸らしながらも答えてくれる。テオルドとはまだあまり関われないけど、アビーさんやブラインさん始め屋敷の人と仲良くなれることがとても心が温かくなる。
保湿剤の詳しい話をしていると、遠くから車輪が回る音が聞こえ段々と近くなっていく。
門前に豪華な馬車が停まった。従者らしき人物が扉を開け、そこからエスコートされて茜色の豪奢なドレスを身に纏った令嬢が降りてくる。屋敷からはジェスが出てきて応対していた。
「また来た」
「また来ましたねぇ」
これで何人目だろうか。
最近ちょっと困っているのがこれだ。
婚姻届を出してから少しすると、テオルドが窶れて帰宅する時が何度かあった。彼からは直接ユフィーラには何も言ってこなかったのだが、ジェスがここぞとばかりに、婚姻した弊害だとねちねち非難してくるのだ。
テオルドにとって相手様の爵位というものはあまり関係ないらしい。魔術爵位はその人物を国から手放さない為の策。どんなに権力が上でも身分云々限らず拒否できるのだ。しかもリカルドが後見人なので下手なこともできないし、しようものなら本人はこの国を出ていくと言っていて、余裕で出ていける能力はあるとのことだった。
容赦ない拒絶をするテオルドに対し、ショックを受けるご令嬢は沢山いるが、それでも粘る人は一定数いる。婚姻した相手が現れたことで、確認と称して突撃が何度もあったらしい。その後は好きな相手の相手に恨み妬みが移るのは世の常らしいので、それは一手に引き受けている。ここ最近ではテオルドの草臥れた姿を見ることは少なくなった。
実は既にアビーと買い物に出掛けたり、薬を卸しに診療所に行っている時に何度か令嬢始め、平民の女性にも絡まれたことは経験済みである。
契約のひとつなのだから、勿論ユフィーラとしては迎撃することには何の問題もない。
だが、今まで令嬢の訪れを門前で一刀両断していたジェスが敢えて全て迎え入れているのが原因の一つで、恐らく相手と私をぶつけて共倒れを狙っているのだろう。それも構わないのだが、一日部屋で暇している訳でもないので、せめて来る時間を前もって教えてほしいと思うところが困っていた。
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「平民がどうやってあの方に取り入ったのよ!?」
「お互い(双方の利用価値が)合うものがありまして」
「わたくしの方が身分が高いし相応しいわ!」
「まあ。相応しいと思われる貴女の誇れる部分を教えてくださいますか?」
それから小一時間、彼女は自分の良さや価値を並べ、ユフィーラはその令嬢の話をひたすらオウム返しで聞き、時折り褒めると次第に相手は気持ち良くなってより喋る。そして令嬢だからこその苦悩の話題に触れると、彼女には昔から親同士が仲が良く、その御子息と婚約させられそうになっているのだが、彼とは腐れ縁なのだという。とても格好良いのだが、いつも意地悪な言葉をかけてくる、でも必ずいつも側に居るという悩み相談になり、少し助言をすると、満足して頑張ってみるわと去っていった。
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「わたくしは彼に出会うべくして出会ったのよ」
「それは何時のことですか?」
「彼の副団長の授与式の後のパーティーよ!」
「それは素敵ですね。彼はとても楽しそうに参加されていたのでしょうか」
「!…いいえ」
それから、今後彼ともし一緒になった時、パーティーも舞踏会も共に行ける確率の話をし、令嬢の素晴らしい素材でできたドレスを着てもそれを共に連れ立って披露する場所が果たして今後あるのかなど話すと、「どんなに顔の良い人でも社交的な人でなきゃ」と急いで帰られた。
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「舞踏会では美しいわたくしとダンスを踊りたい殿方がいつも列を連なっているの。彼ともそのうち踊るわ!平民でちんちくりんな貴女にはできないことでしょうね」
「まあ!では今日着ているお召し物も十分素晴らしいのに、更に凄いものが?」
「そうよ。このドレスの色合いを着こなせるのはわたくしだけなのよ」
「貴女とダンスを共にした方はその短い時間を共にしたことを、とても誇りに思われるのでしょう。ところで今まで踊られた方はどれだけ素晴らしい方がいらっしゃったのですか?」
ここから彼女のダンス相手遍歴が公開され、やれ騎士団の美形な誰だとか、侯爵何男の麗しい男性だとか、隣国の王子の側近だとか、まあ有名どころの男性がわんさか出てきた。殆ど名前は忘れてしまったが。そんな彼女はドレスだけでなく自身の美も追求しているとのこと。試しに手用保湿剤(高級版)を渡してみたら、思いの外喜んでくれて、新作が出たら教えて欲しいと乞われ、今度の舞踏会には同盟国で活躍されている軍人が招待されているらしく、それまでに更に身を磨いてダンスの相手に選ばれるよう、奮起して帰られた。テオルドとはダンスを踊りたかっただけなのだろうか?
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「私は魔術師なの。昔から彼は私のことが好きだったの。素直になれないだけなのよ」
「あらまあ。では共に魔術師団に所属されていたのでしょうか。」
「そうよ!私は何も悪くないのに、遠征中に―――」
この後、彼女の天敵と言われていた屋敷の元魔術師団、おおらかなで神の動きとコツを持つ使用人に、慈愛の微笑みでこれでもかとに彼女はこてんぱんに精神攻撃くらった。何でも以前にこのやり合いで追い詰められて辞めたらしく、それを私が慰めたことで私を味方だと思い込み、苦手な魔術のコツ(薬の精製などで使う為に手先が器用になった)を教えたら、新しい道が見つかったとかで颯爽と帰っていった。そのコツを教えてもらったのはその慈愛の笑みを崩さない使用人なのだが。
そして必ずしも穏やかで優しげな風貌と中身が同じとは限らない真骨頂を見せられてユフィーラは震えた。因みにその女性は魔術師団のちょっとしたお騒がせ者で、誰もが自分のことを好きだと思い込む変わり者だったと、使用人六人から調査済みである。
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「同じ平民なら私の方が美しいし彼の隣に立つのに相応しいわ」
「本当ですねぇ。まるでビスクドールのよう」
「当たり前よ!母さんはもう死んじゃったけど、踊り子だったの!すごく上手だったのよ」
「まあ。なら貴女も将来はそちらの道に?」
「…難しいわ。私才能がないのよ」
「貴女は所作からとても美しいのですね。でもビスクドールのように整い過ぎているお顔ならば、そこに感情を乗せて思いも込めて踊られたことはありますか?」
「―――――どうやって気持ちを踊りに込めればいいのかわからないのよ」
そこからは、喜怒哀楽のはっきりしているメイドが参戦し、あれこれアドバイスすると、感動しながら、踊り子の修行に出ると行って走って帰って行った。
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と、こんな感じで今のところなんとかやり遂げている。今のところここに訪れた彼女たちはその後テオルドの前にも現れなくなったらしい。
だが、これでもう既に二十人近い。三月でだ。テオルド人気は凄まじいなぁと感心してしまう。訪れた中の数人は既に一度挑戦してテオルドの氷点下対応により撃破しているので、思ったより引きが早かったのも幸いしていた。
そんな過去を省みている間に、門前で対応していたジェスがこちらに手を向けている。わざわざ相手を煽らせることもないのになぁと溜息を吐く。
令嬢が綺麗な所作でユフィーラに向かって歩いてきたので、やれやれと思いながら腰を上げてブラインに声をかけた。
「ブラインさんはお仕事の続きを。行ってくださいな。この前みたいに流れ弾が当たりますよ」
「…うん」
実は何人目かのご令嬢がユフィーラに敗退して、たまたま庭に居たブラインの整った顔を目撃して、「この人でも良くてよ!」なんて言われて、ブラインは花に群がる害虫を見るような目になっていた。彼も貴族なので、昔にもこういう経験があったのかもしれない。
ブラインが去り、ご令嬢に体を向け迎撃準備に備えて背筋を伸ばした。
誤字報告ありがとうございます。
助かります。