第四十二話 引き出された力
「やややめて、くください……」
風雅はガタガタと震えながら腰を抜かして後ずさる。
「やめるって何を?」
血みどろの刀を手に、侠輔は朱雀の浮かんだ顔をとぼけたようにかしげた。
洞窟内はむせ返るような血の匂いが充満していた。あれだけいたチェンシーは一匹たりとも立ち上がっているものがおらず、矢出彦は仰向けに倒れて震えていた。
風雅のように侠輔に怯えているからではない。その胸には拳よりも大きな石が力任せに埋め込まれ、体がヒクヒクと痙攣を起こしていた。
「ゆ……許してくださ、い……」
目に涙を溜めて許しを乞う風雅。侠輔は優しい笑みを零すと、ゆっくりとその前に屈んだ。
「“許してください”か。そうだな、何か反省してるみてぇだしなぁ」
僅かに頬を緩める風雅に、侠輔は手を伸ばして風雅の腰から脇差を抜き取ると、それをそっと突き出す。
再び怯えだす風雅に、侠輔はあくまでもやさしい表情をみせた。
「何ビビッてんだ? お前も侍だったらよ、切腹の覚悟ぐらいできてんだろ?」
風雅は壁に阻まれてこれ以上進めぬ中、無理に後ずさろうとする。
「切腹だぜ? 武士にとって、すげぇ名誉なことじゃねぇか、なあ……」
侠輔は風雅の脇差で、服の上からスーっと腹をなぞった。
「ひぃぃいいッ!」
今にも泣き出しそうな顔で、必死に腹を引っ込めようとする。
「お前、何で切腹には介錯が必要か知ってるか? 腹にはな、どんだけ切り裂いたって致命傷にいたるような重要な臓器も太い血管もねぇ。だから首斬りおとさねぇとなかなか死ねずに、地獄の苦しみを長時間味わうんだってよ」
風雅は浅い呼吸を繰り返して涙を流した。
「オレが介錯やってやるから、早くやれよ……な?」
風雅はフルフルと首を振る。
「あんだ怖ぇんか。だったらオレが手伝ってやるよ」
そう言って侠輔は、脇差を腹に垂直に立て、ゆっくりと――
「やめろ。もう十分だ」
手錠からも脱出した憐が、侠輔の手首をパシっと掴む。
「こいつをそんな風に追い込んでも、何も得られんだろう」
侠輔は、そっと脇差を下ろした。そして――
ゴッと鈍い音がして、憐の体が吹き飛ばされる。
「ぐッ……」
「おい、邪魔すんじゃねぇよ」
憐は柄で殴られたあごに手をやり、未だ朱雀の消えない侠輔を見上げた。
「……ッ、侠輔! 自分自身に呑まれるな……!」
「はぁ?」
侠輔は半笑いで落ちていた刀を拾い上げると、それを憐に放り投げた。
「立てよ。遊ぼうぜ」
「侠輔……ッ!」
「早く」
「やめるんだッ!」
立ち上がろうとしない憐に、侠輔は持っていた脇差を憐の目を見つめたまま後ろへヒュッと投げつけた。
「うあぁあッ!」
途端に聞こえた苦痛の声。見れば風雅の肩に、深々とそれは突き刺さっていた。
「お前がやらねぇんなら、あいつと遊ぼうカナ~?」
「くッ……」
憐は手足が自由になったといえど、長時間同じ姿勢で固定されていたことと、薬が抜けきっていないことで思うように体が動かせない。それでもムチ打つようにフラフラと立ち上がった。
「そう、それでいい。ほら、来いよ」
ジリっと構える侠輔。
憐は呼吸を整えるとダッと侠輔に向かって走り出す。キン、キンと金属音が鳴り響き、火花が散った。
「やああぁぁッ!」
正面から斬りかかる憐を、額の上で刀を一文字にして防ぐ。ギチギチと音を立ててにらみ合う両者。 汗だくの必死な形相の憐とは裏腹に、侠輔には随分と余裕が見られた。
「らぁぁッッ!」
憐の刀を弾いて出来た隙に、ザシュッと胸を斜めに斬り上げる。
「くっ……」
とっさに体を引いて深手は避けられたが、真新しい血がポタっと落ちた。
「あらら、カワイソウに。首が」
その瞬間、憐の首から生暖かい液体がブシュッと流れ出す。
いつの間に……! と憐は首を押さえて眉をひそめた。
侠輔は刀についた血液を舌でスーッと舐め取る。
「頭から出てんのはお前の血じゃないとしても、もう相当キてんだろ?」
その通りだった。酸欠状態で、頭が熱に浮かされたようにくらくらする。
「だったら、何だ……」
「呼ぼうぜ、青龍を。今のお前じゃ相手にならねぇ」
「……オレは発動条件を知らん」
「“アイツ”が呼んでくれるってよ」
その言葉に眉間のしわを濃くする。
侠輔は一瞬で間合いを詰めると、憐の腹をドッと蹴って後向きにドサッと倒し、右手でその首を強く掴んだ。
『起きろ……青龍……』
口から出たその野太い声は、いつもの侠輔の声ではなかった。
「ぐっあ……」
侠輔の目が金に光ったかと思うと、憐は体中の細胞から力が無理やり引っ張り出されるような感覚に陥った。
「あッ……ぐああッッツ」
目を見開き、まるで全ての酸素を奪われたかのような苦しさを覚える。息が出来ない、目の前が真っ白になって何も見えない、ひどい耳鳴りが脳を揺さぶる。
「くっ……ぁぁぁあああっ!!」
憐の顔に浮かび上がっていく青い光の線。それは紛れも無く――
「うッ」
という声と共に侠輔がよろよろと憐の上からどいたかと思うと、胸を押さえてうずくまる。憐が首を押さえ、ゼイゼイと息をしながらその先を見ると、風雅が勝ち誇ったかのような表情を浮かべ、矢出彦の腕から取った装置で侠輔のエナジーソースへ触手を伸ばしていた。
「ああぁぁああッ……」
グッと目をつむり、苦悶の表情でガクッと膝をつく侠輔。
「やめろ……くそッ!」
憐はふらつく体にも関わらず、自身の刀を拾って立ち上がろうとする。
「ハハハハハ、そんな体で何ができる。ハハハハハ!」
確かにどこまでやり合えるか……と唇を噛み締めた。
「あああぁぁぁああッ」
苦しそうな侠輔を見て、それでもやるしかない、と憐は気だるさの残る全身に力を込めようとする。
刹那、ヒュッと風を切り裂く音がしたかと思うと、憐の背後から脇差が飛び、風雅の腕の装置にグサリと突き刺さった。
「う……うわあああぁぁ!」
それに驚いた風雅はしりもちをつき、侠輔は苦痛から解放される。
「憐! 侠!」
洞窟の奥から姿を現す孝太郎と双葉。
「無事ですか」
「ああ、何とかな……」
少々負傷気味の孝太郎を見て、それでも安心したように憐は力を抜いた。
ハアハアと肩で息をする侠輔も、大事には至らなかった様子。
「あなたが倒幕組織、新月の」
孝太郎は憐たちの前に立ちふさがるようにして、鋭い視線を向ける。
「うるさいッ! 邪魔をしやがってっ!! お前らまとめて吹き飛ばしてやるッ!」
そう言って風雅は自身の刀を抜いて剣を構える。
「クッ……あのバカ、あんな入り口のそばで技を放ったらここは……!」
「くらえぇぇええッ!」
マズイ! そう思った瞬間、黒い人影が風のように通り過ぎた。
「うッ……」
膝を折って倒れた風雅の前に立つ――
「侠輔……ッ!」
「心配すんな。峰打ちだからよ」
ニッと笑いながら振り向くいつもの顔。
だが突然ドォンという爆発音が響き渡ったかと思うと、洞窟内部が均衡を崩して地震のように周囲がぐらつき始めた。
「な……何だ!?」
「まずい! 早く脱出しましょう!」
入り口に積まれていた岩が、風雅の上にガラガラと崩れていく。
「うわあああああッ! 助けてくれぇぇっ!」
「ッ……くそッ」
侠輔はそれを見て、岩の間に挟まった風雅を引っ張り出そうとする。
「グッツ、抜けねぇッ!」
その間にも洞窟の天井からは、パラパラと砂が落ちてきていた。
「侠輔様! 危ない!」
双葉に引っ張られて移動した瞬間、大きな岩がさきほどまで侠輔がいたところへズドンと落下する。
風雅の姿も見えず、声もしなくなった。
それに悔しそうに目を細める侠輔。
「オレたちも時間が無い、早くッ!」
「行きましょう、こちらです!」
そう言って四人は、ガラガラと崩れ去る洞窟内を駆け抜けていった。
「あーもう無理。一生分走った」
侠輔たちはハアハアと、倒れこむように原っぱに腰を下ろす。すでに朝日の昇り始めていた周囲は深い森ということもあり、まるで雲の海の中に島が浮かんでいるかのような、幻想的な風景が広がっていた。
「憐、大丈夫ですか?」
「……ああ」
青龍が発動したせいなのか、憐の傷はすっかりと癒えていた。
どっと疲れたような憐に、侠輔は視線を送る。
「憐、オレ……お前に斬っちまった後……」
侠輔の言葉に眉をひそめる憐。そうだ、自分は初めて青龍を――
「何してたっけ?」
「は?」
懸命にその先を思い出そうとしたが、風雅に峰打ちを食らわせるまでの記憶がない侠輔。
その様子に、憐も驚いたように考え込むその姿を静かに見つめた。
不思議に思いながらも、とりあえず憐に向き直る。
「いや、でもまあ今回のことはよ、オレも、そのまああれ……悪」
「うるさい、黙れ、喋るな」
そんな憐の物言いにムッとする侠輔。
「あんだよ、だってオレ」
「こちらは色々あって疲れているというのに、ちょっとぐらい口をつぐんでいられんのか。黙ると死ぬのか? 世界が終わるのか? 人類が滅びるのか? あぁそりゃ黙ってられんな、続きをどうぞ」
「ぐッ……あ、謝ろうとしてんのにそれはねぇだろ!?」
「謝る? 確かに普段のお前のアホさ加減には、閉口していたところだ」
「アホ……ッ!? もういい、何があってもテメーには一生謝んねぇ!」
「上等だ。そんな暇があるなら仕事をしろ。なぜオレが毎週末お前のために、深夜まで残業せねばならん」
「別に頼んでねぇだろが!」
「お前の一時間に平均〇.二枚というくそ遅い書類処理速度のせいで限界まで溜め込まれた期限ギリギリのものの対処をしなければならないこちらに大きなしわ寄せが来ているのだといっていると言えばその小さな脳みそにもわかるのか」
「文句なら、句読点つけて言えや!」
「まあまあ、お二人さん。落ち着いて」
困ったように、でも嬉しそうにそれを止める孝太郎。
だがそんな孝太郎に、侠輔がとあることを指摘する。
「あれ、ちょっと待って孝太郎くん。きみ、口に何かピンクいものがついてない?」
その言葉に焦ったのはなぜか双葉の方で、慌てたように口元を押さえる。
それに何かを悟る侠輔。
「おい、オレらがヤバイって時にお前らナニしてたわけ!?」
そんな侠輔に「やだな。不可抗力ですよ、ね?」と孝太郎。
話を振られる双葉だったが、顔を真っ赤にして俯くばかり。
「何が不可抗力だ! テメーらは磁石かッ! 磁場が発生してんのか! Sか? Mか?」
「“N”ですよ、Mじゃなくて」
「うるせー、あながち間違いでもねぇんだろが!」
「落ち着けみっともない。恋仲でもないのにそんなわけがあるか。おそらく双葉がどこかからか落ちそうになって、孝太郎が受け止めようとした時にでもついたのだろう」
「なに純粋に信じちゃってんの!? 屋敷中のあらゆる女中に手ェ出したって噂されてる男だぜ!? ウソに決まってんだろが!」
「真面目な孝太郎が、そんなふしだらなマネをするか。そんな根も葉もない噂を信じて……ひがみも大概にしろ!」
「ヒガミ!? お前オレ知ってんだかんな、お前の初接吻の相手は孝太だろッ!」
「ぐっ……ほんの小さな子供のたわむれを誇張するな! 人聞きの悪い!」
「まさかお前からやったんじゃねぇだろな」
「フン。女にモテん分、想像力が豊かだな」
「なッ……何ィ!?」
言い争いをする二人を尻目に、孝太郎は自身の唇をそっと指で拭って、そこへ付着した色を眺めた。
「キレイな色の、口紅ですね……」
それに再び血圧の上昇した双葉は、益々体を小さくする。
その様子を見た侠輔が、キッと双葉の方を見やった。
「……させろよ」
「え?」
「孝太にそういうことさせんなら、オレにもヤらせろーッ!」
そう言って双葉の肩をガシッと掴む侠輔のみぞおちに、嫌悪感が存分に含まれた双葉怒りの拳がズドドドドッと炸裂する。
「ぐはっつああッ! 何でだぁぁああッ!」
侠輔の悲痛な叫びが、どこまでも広がる山に響き渡った。
「うッ……あい、つら……」
岩の下から這い出た風雅が、憎しみに顔を歪める。
「絶対に……許さないッツ!!」
「そうそう、その意気ですよ。大丈夫ですか、風雅さん」
己槻が起爆スイッチをポケットにしまうと、微笑みを湛えて風雅に手を伸ばした。