第四十話 仕掛けられた罠
己槻は薄暗い部屋で、乱れた憐の着物をそっと正す。
「何をしテいル」
声の方を振り返れば、入り口で腕を組んだリュウの姿。
「ああ、リュウさん。戻ってらしたんですか。何って……ほら」
己槻が憐の衿元を引っ張ると見えた包帯。
「一応消毒しておいた方がいいかと思いまして」
リュウさんが刀なんか突き刺すから~、と未だ意識の定まらない憐を甲斐甲斐しく世話をする。
「まさか、何かイヤラシイことしてたとでも思ったんですか?」と本気ともからかいとも取れる笑みを見せる己槻。
その瞬間、憐が我を取り戻したかのように「……うッ」と一度目を強く閉じた。
「おっと、おはようございます、憐様」
「……お前、たちッ」
睨み付けるような憐の視線。
「吐く気になっタか」
冷たく見下ろすリュウに、憐は鼻で笑って視線をそらす。
それを挑発と受け取ったリュウが足を踏み出そうとした時、「首尾はいかがです?」と入ってきたくせっ毛の男、風雅。
憐の姿をみとめると、口元に嘲笑的な笑みを浮かべる。
「これはこれは……次期将軍候補、黒金の河合憐様ともあろうお方が……何とも無様な」
小ばかにしたように憐を見下ろした。
己槻も立ち上がって、ため息をつきながら両手を腰にやる。
「随分と口がお堅いようで、恥ずかしながらまだ何も引き出せてはいないんですよ」
「そうですか」と憐を苦々しげに見つめた。
「……己槻さん、リュウさん。憐様と僕の二人きりにしていただけませんかね?」
二人を振り返ってそんな願いを持ちかけた風雅。
「それはいいですけど、またどうして?」
「ちょっと個人的にお話したいことがあるんで」
それ以上は聞くなとも取れるその言葉と表情に、「あまり派手なことはなさらないでくださいよ」と扉を出た。
それを見届けた風雅は腕を組んで憐に近寄ると、何の前触れもなくその体をゴッと蹴り上げる。ドッと横倒しになった憐は強く床に打ち付けられた。
「……くッ」
「痛いか? あ? 憐様よぉッ!!」
その後も抵抗の出来ない憐の腹をドスドスと蹴りあげる。
「ゴッホ、ゴホゴホ……ッ」
憐は吐血して苦しそうに眉をひそめた。
そんな憐を底意地の悪そうな表情で見下ろすと肩に足を置き、血の滲んだ着物の上をグイグイと押しつぶすように踏みつける。
「ぐっあ……」
閉じかけていた傷口が再び開いて鮮血が溢れ出した。
「いいザマだなぁッ!! 僕はお前らみたいな、高貴ぶった野郎が大ッ嫌いなんだよッ!!」
足を側頭に乗せ変え、ガンガンと何度も踏みつける。
「この野郎! 畜生がッ!! クソッ、クソッ、クソッ!!」
息を切らしながら憐から一度離れると、己の絶対的に有利な状態に満悦するようにニッコリと笑みを浮かべた。
「天下の河合家もこの程度か。一人じゃ何もできない無能野郎が。ハハハハハハハハッ!!」
下卑た笑い声が部屋に響く。
苦しみに耐える憐の髪を掴んで引き上げた。
「僕がどこのどなた様か、もう調べはついているのか? あ?」
双眸に宿るランランとした光。
「くッ……当、然だ。……賀久市風雅、賀久市勝徳の息子……だろう」
そうですよ~、と手を離す。床とぶつかった憐の脳内に走る衝撃。
「それじゃあ僕がなぜ反幕府組織なんて作ったか……分かるか? 分からないだろうなぁ。幕府の人間はみんなバカばっかりだから」
そう言いながらイスの背を持って引き寄せ、おもむろに足を組んで腰掛ける。
「……お前、の父親のしたことが、どんな風にお前たち一家に影響したかは知っている。だが……あれは冤罪でもなんでもない。裏組織の人間と手を組んで悪事を働いていたのは事実。幕府に、非は無いはずだ……ッ」
歯を食いしばり、そう告げた憐を椅子に座ったまま見下ろす。
「はあ? 何言ってんだ? はあ?」
まるで簡単な算数もできない大人を馬鹿にするかのような口調。髪をそっと頬にかける風雅。
憐はスッと目を細めた。
「……だったら何だと言うんだ」
「“だったら何だと言うんだ”」
憐のマネをするようにオウム返しに言う風雅。
「やっぱり分からないのか。ほらな、バカだバカバカバカ。ハハハハハハッ!」
憐はそんな風雅の全てを冷静に細かく観察する。
「はあ、やってられないよなぁ~」
天井を仰いでため息をつく。
憐はまさかと思いながらも、慎重に一つの可能性を静かに口にした。
「……七の月の捕獲劇か。屋敷に役人数十人が押しかけ、逃亡寸前だったお前の父親とその仲間を一斉に捕縛したという。確か妻や子も少々負傷したと記録にあった」
その憐の言葉に表情が一変した。
「少々だとッ!? あれで……この僕はッ!! こんなにも辛いものを背負わされたというのにッ!!」
そう言って頬の傷にそっと触れる。
「お前……その――」
「そうだッ! 僕は僕のこの顔にッ……! 美しいこの顔に……傷をつけた奴が許せなんだよッ!! 当然その役人は消した。でもそれダケじゃ僕の気がおさまらないッ! だから幕府をぶっ潰してやるんだ、父上がなんだ。僕のこの顔が……母上がよく褒めてくだすったこのキレイな顔がぁぁああ……ッ!」
その言葉に憐の眉間に深いしわができる。
「そんな……そんなくだらない理由で……お前は」
甦るお戸紀に刃を振るう感触、子供の泣き叫ぶ声。
憐の顔に刻まれてゆく沈痛な表情。
「クダラナイッ!? クダラナイだと!? だったら……お前にも同じ思いをさせてやろうかッ!!」
そう言いながら怒り狂ったように、グワッと脇差を振り上げる。
「勝手にするがいい。そんなつまらん理由で何の罪も無い民まで巻き添えに……。とんだ下種だな」
「貴様ぁ……ッ! 顔の皮膚を根こそぎ剥がしてやるよッ!」
憎悪に満ち、充血した両目で憐を見据えるとその胸倉を掴み上げ、剣を振り下ろした。
パシっと音がして、手首を掴まれた風雅はその方をみやる。
「あまり派手なことは控えてください、って言いましたよね?」
己槻が柔らかな笑みを浮かべてそこにいた。
「クッ……邪魔をしないでくださいよッ。誰があなた方の研究資金を出していると思っているんです!?」
「それはそれ。これはこれ~なんてね」
「己槻さん……ッ」
「その方に何かあれば、月鹿の力に影響が出ます」
「だからッ!? 僕はそんなことッ……」
「それがそれに黙っていない人がいるんですよ~」
己槻が親指で指し示した方向にいるリュウ。
腕を組んで睨み付けるように風雅を見ていた。包帯から垣間見える鋭い視線。
風雅はその様子に恐怖を感じた。
「……ッ。しょ……少々取り乱してしまいましたね。コイツがおかしなことを言うものですから、つい」
風雅は震える手で汗を拭くと、憐を放して脇差をキンとしまう。
「焦る気持ちは分かりますが冷静に、ね?」
己槻はボロボロになった憐を見下ろし、わずかに恍惚とした表情を見せた。
「ね、憐様。おとなしく吐いてはもらえませんかね? このままだと死なない程度に、もっとヒドイことをしなければならなくなるんですよねぇ」
「そっちが勝手に、オレが知っているものとして話を進めているだけだ。何をどうされようと知らんものは知らん」
そんな憐に「そうですか」と笑みを浮かべた。
「これ以上あなたを痛めつけても何も出そうにありませんね。攻撃の対象を変えましょう」
その一言に、わずかに体をビクリとさせる憐。
「城下のどこか一角でも、吹き飛ばしてしまいましょうか。別に何人の人間が死のうと、我々には関係ないですしねぇ。それともどこかからか子供でもさらってきて、あなたが喋るまで目の前で――」
「やめろッッツ!!」
憐は初めて動揺を見せると、己槻に飛び掛る。己槻はそれを軽くかわし、床に倒れた憐を見下ろした。
「だったら教えてくださいよ。発動条件……」
仏のような笑みを浮かべ、鬼のような言葉を放つ己槻。
「ご存知なんですよね? 憐様」
憐は何かを考えるように眉間にシワを寄せた。
「どうなんです?」
憐はわずかに唇を開く。
「……ああ。知っている……」
その言葉に笑みを浮かべた己槻の死角で、憐は後ろ手に拾った己槻の壊れたメガネの部品の一部を手元に隠した。
「っとに真っ暗だな……」
草の根を掻き分けて、月の光すら届かない暗闇を行く。抜いた刀の融心石の光で見える範囲もそう広くは無い。たとえ目の前が崖であろうと、気づくことなく突き進んでしまうだろうと思った。あの時孝太郎が忍抜きでの捜索を止めなければ、どうなっていたかと汗が流れる。
「御二方、一応この辺りの地形も頭と体に叩き込んでありますが、何が飛び出してくるか分かりません。十分に注意してください」
先頭を行く双葉が侠輔たちを振り返る。
「憐……一体どこへ連れて行かれてしまったのでしょうね」
「父上と母上の件といい……オレはアイツの疫病神かもしんねぇな」
悲しげに呟かれた言葉。孝太郎はそんな侠輔を心配そうな目で見やる。
「だってそうだろ? オレの両親に恨みを持ったって輩に襲撃されたあん時だって、あいつはその場に居合わせちまってた。ガキの身で随分怖ぇ思いして、しばらく床に臥せてたって話じゃねぇか」
アイツがオレを嫌うのも当然だな、と自嘲気味な笑みを見せた。
「侠……憐は決して――」
その瞬間に響き渡る甲高いピィーという笛の音。
「アニキが見つけたみたいです!」
急ぎましょうと、足を速めた。
「ほら、やっぱり気づいてた」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる己槻。
「……その前に答えろ。その条件を知ってどうする。アイツに何をするつもりだ」
「取り出すんですよ、朱雀を。いやー、我々も四神石に似せた儡寇石というものを開発したんですがね? どういう原理か分かりませんが、やはり四神石でないと月鹿の隠し場所へは行けないようなんで。ぜひともお一つ分けていただきたいなぁと。アレを使ってね」
己槻の視線の先を追うと、扉を入ってきた見覚えのある男。
「お前は……」
最貧区にいたトサカ頭の男、矢出彦。腕にはあの時見た謎の箱がつけられていた。
己槻は矢出彦に近づき、腕の箱をまるで飼い犬であるかのように撫でた。
「コレは心臓裏の活力源を取るための装置。以前大和撫子の大会の時にごらんになったでしょう? あのイソギンチャクのような生物、吸命性新型植物の細胞とカラクリを融合させたんです。光の触手が熱で対象を的確に捉える優れものなんですよ」
そう自慢げに話す己槻。
「化変細胞を体内に注入すると、チェンシーになっている間はエナジーソースに集まって核を形成します。これはエナジーソースを支配して安定的な力を体に供給するため。つまり四神石の力が発動されているその時に、上照侠輔のエナジーソースを奪えば……そこに形成された四神石の核を手に入れられるというわけです。すばらしい発見だと思いません?」
「ならば侠輔は……ッ」
「さあ、やっぱり死ぬんじゃないですか? 別に僕の興味は、もっぱら彼の持つ朱雀だけなんで」
向学のためにね、と冷たい笑みを浮かべる己槻。
「どいつもこいつも自分のことばかりッ……! 己が欲望を満たしたいが為に他人を犠牲にして何が楽しい!」
「まあまあ、そうカッカせず。……教えていただけますよね? 発動条件。嘘はつかない方がいいですよ。すぐに分かるんですから」
己槻の言葉に眉をひそめる憐。
「上照侠輔らはもうじきここへたどり着く。もちろんあなたを助けるために。彼が姿を現せば、あなたの言った発動条件が果たして本当だったか確かめられる。そして嘘だった場合は……一番近くの村で我々の仲間が待機しているんです。村人を危険な目に合わせたくなければ……ね? ほらほら」
憐は悔しそうに唇を噛み締めると、重々しく口を開いた。
「……怒り……どうしようもなく強い怒りだ」
一瞬憐に見定めるような視線を送り、「怒りねぇ」と己槻はアゴに手をやる。
「……まあ確かに城下街であなた方とチェンシーを対峙させた時、ボロボロになったお二方を見て相当怒ってらっしゃったみたいですけど。……ということは脳内から出る物質によるものか、もしくは体温や、血流の上昇。血中成分の変化かそれとも……要は交感神経のどこかが関わってくる作用が、発動のための刺激になっているんですかね?」
「そこまで知るか」
「ですがこれだけは確かでは?」
残酷な笑みを浮かべる己槻。
「あなたの身に何かあれば、彼は確実に怒る」
そう言って己槻は机の上に乗っていた憐の刀を手にすると、ポケットから緋色の液体が入った瓶を出す。そしてドボドボと、憐の頭からそれをかけて瓶を捨てた。
「ッ……何だこれはッ」
ムッとした生臭い鉄の匂いが立ち込める。
「本物の血液ですよ。動物のですがね」
「何!?」
己槻は刀を抜くと、仰向けになっていた憐を足で踏みつけた。
「ぐっ……」
「この状況を見た上照侠輔は、一体どんな反応をしてくれるでしょうねぇ」
「やはりお前たちは最初から……アイツを」
「来タ」
ドーンという音と共に壁の一面が崩れ落ち、憐は初めてここがどこかを知る。山の斜面に開いた広い洞窟内部を改造して作られた一室。
数十メートル先にある入り口には、深い山々を背景にした忍たちと孝太郎、そして侠輔の姿を捉えることが出来た。
高さは刀を振るに十分だったが、一旦内部に入れば逃げ道はない。
振り上げていた刀を下ろすと共に、侠輔の目が驚きに見開かれる。
「れ……ん……。憐ッ!!」
電灯に浮かび上がる、刀を持った男に踏みつけられた憐。大量の失血が見られる。
「来い、来い、来~い。は~やく来~い」
己槻は見せ付けるように憐の首筋に刀をあてがいながら、小さく歌うように侠輔を見つめる。
「テメーらッ……!!」
侠輔の体中から沸き上がる怒り。
リュウは背中の刀をスッと抜いて憐の前に立ちふさがり、刀を持った左手を横へまっすぐに伸ばした。まるで中へと誘いこむかのように。
「ッ……許さねぇぇぇえええッ!!」
ザッと勢いよく洞窟内へ駆け込む侠輔。
「侠ッ!」
孝太郎の制止を振り払う。
「侠輔……ッ」
危険を承知で飛び込んでくる男。
「侠輔……っ……来るなぁぁぁあああッ!!」
憐の悲痛な叫びが暗い洞穴の中に響いた。