第三話 融心石と釘気
「くそっ、何でオレばっかり!」
侠輔は蚊の襲来に、すっかり頭に血がのぼっていた。
腕に止まっているのに気づいてはパンパン叩き落していたが、目に見えるところばかりに止まるほど蚊とて親切ではない。
しまいにははたくのも億劫になって首やら腕やらをふるふると振り回していた。
「お前らなんかいなくなったって何ら食物連鎖に影響しねーんだよ! いっそのこと絶滅しろや!」
「もう、蚊に怒ったって仕方ないじゃないですか」
小さな生物に本気になっている侠輔を、やわらかく咎める孝太郎。
「んな事は分かってるケドよ」
それでも言ってしまうのが人情というものだ、と口をとがらせる。
「全く……先にお前が絶滅しろ。蚊に馬鹿な血を吸わせて迷惑をかけるな」
憐は静かに攻撃的な言葉を吐く。
「おい、馬鹿な血だと? 誰のことだよ、そりゃ」
憐をギロリとにらみつけ、まるでごろつきかと思い違えるような態度で言葉を返す侠輔。
「それは分かった上で聞いているのか、それとも分からずに聞いているのか」
そんな侠輔の様子など全く意に介さない、という風に腕を組み、前を見据えたまま淡々と返す。
「分かって聞いてるに決まってんだろが!!」
「分かっているならなぜ聞く。時間と労力の無駄だ」
「ぬおおおッ! 激しくむかつくぅぅぅ!!」
侠輔は腹立たしいことこの上ないとばかりに、胸の前で拳をギリギリ握りしめて空に叫んだ。
「もう二人とも止めてくださいよー」という孝太郎の制止により、しぶしぶ口論は止む。
「……にしても、この世に鬼なんているわけねーってのに。さっきのじいさんの話といい、特令を出した伯父上といい、何なんだ一体。まさか年でボケてんのか?」
本人がいないのをいいことに、侠輔は失礼なことを吐き捨てた。
「ま、前々から突発的な言動が多かったからな。今更だ。それより早くツノ生えたやつ探そうぜ」
「おそらく“鬼”とは、山賊とか凶暴なクマということでしょうけどね」
孝太郎が今回の特令の裏を推測してみる。
「けど思わねぇか? どっちにしろ役人やら猟師の仕事だって。それにさっき“退治隊”みたいなのも結成されてたし。オレたち来る必要無かっただろ」
「将軍になるからには民の役に立て、ってことなんじゃないですかね」
「それは、そうなんかもしんねーけど……」
少々不服そうな表情で、ざっと辺りを見回す侠輔。
山の奥に進むにつれ、背の高い木々が空を覆いつくす。まだ昼間だというのに周囲が灰色に見えるほどに薄暗く、そして肌寒くなっていった。
日差しの届かないこの森は心なしか空気がどんよりと重く、不気味といえば不気味だったが、“鬼が出る”ようには見えなかった。
「つーか万一鬼サンには会ったとして、どうやってやっつけるんだよ」
「その腰の刀は何のためにある」
侠輔の言葉に憐が冷たく言い放つ。
「くっ……だから、これだけで大丈夫なのかってことだよ! 相手は”鬼”って呼ばれてんだぜ? 何でお前はさあ……」
再び言い合いが始まりそうになったところで、孝太郎がさっと割って入る。
「大丈夫ですよ。侍の持つ刀には、アレが含まれているじゃないですか。」
”アレ”つまり――
「“融心石”のことだろ。白橿幕府の礎を作ったオレたちの曽祖父、白橿正之助の勝利に一役買ったっていう」
それぐらい知っている、といわんばかりに答える侠輔。
「ええ。明治以降この大和で発見された、世界的に見ても採掘量の少ない貴重な金属です。ですから身分によっては、融心石が少量にしか含まれていない刀の者もいる。そんな中僕たちは、融心石が多量に含まれる最上級の刀を持たせてもらっているんですから」
美しく黒光りする腰の刀を、ぐっと体に引き寄せた。
「そりゃオレだってこいつの“特殊能力”を信じてないわけじゃねーぜ? ただ相手がどんな奴かわかんねーからよ」
「融心石は使用者の身体活力、つまり“釘気”を吸収することで発動する。そんな弱気では刀を使いこなせないんじゃないのか」
”釘気”にはそれぞれ属性があり、火、風、水、雷、草、土といった特徴を一人につき、一つ持っていた。侠輔は火、憐は水、そして孝太郎は草。そして火は草に強く、水に弱い等の特性も併せ持つ。それら釘気の属性により、融心石から放たれる光や力の種類も異なっていた。
「ふーん、わかってますぅ」
侠輔は嫌味を、最大限その言葉に詰め込んで返した。
「ま、オレとしては、このまま会えない可能性の方が高ぇと踏んでるけどな」
「その内向こうから出てくるかもしれませんし、気長に待ちましょう」
「オレは一刻も早く帰りてぇぜ」
その侠輔の言葉に憐は、「だったらいい考えがある」とある提案を持ちかけた。
「今、何か聞こえなかったか?」
登山口で集まっていた内の一人、ヒゲの侍がふと足を止める。
「風のざわめきではないのか」
他の侍たちもピタリと歩みを止め、くるりとヒゲの侍を振り返る。
「いや、今確かに……」
そう言って茂みに向かおうとするヒゲの侍の肩を、別の侍がトンと叩く。
「お主は少々過敏になっておるだけだろう。どれ、拙者が」
代わりに茂みの向こうをガサガサと探る。
「そらみろ、何もおらぬではないか」
笑って振り返ったその侍の口から、次の瞬間たらりと赤い液体がこぼれ出た。
ぷつりと糸の切れた人形のように、力なくばったりと崩れ去る。
「さ……坂一殿……!」
驚きにさっと駆け寄ったヒゲの侍の背後で、次々に上がる悲痛な声。
振り返ったその先には地に伏す大勢の仲間の姿。その中心には、刀を携えた男。
「お……お主……」
その目は次の標的である、ヒゲの侍に向けられていた。
一言:
お昼にラーメンを食べたら、そばが一本出てきた。得……した……?
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