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剣にかけて  作者: 二上 ヨシ
37/43

第三十六話        穢れゆく心

                


「思いついたこと?」

 憐が侠輔の言葉を繰り返した。


「ああ。融心石と動物の細胞を融合したのを注射したことで、すげぇ力が出るってんなら、人間の体自体がこの刀みてぇになってるってことだと考えらんねぇか? つまり体自身が体内の釘気を吸って力を発揮する」

「確かにその可能性は十分に考えられると思います」

 孝太郎が返答する。

「だったらその釘気の核っていう、心臓裏の釘力源(エナジーソース)を何かで押さえつけて、釘気の流れを死なねぇ程度に制御してやりゃあ、もしかしたら……」

「確かに一時的にでも戻せるかもしれんな」

 憐も納得したように侠輔を見やる。

「やりましょう」

 三人は同時に頷いた。


「それじゃあ、コレを!」

 壊れた長屋から千之が投げてよこした、取っ手の両端に麻縄のついた鍋。

「見た目だっせーけど、言ってる場合じゃねぇか」

 それを持って戸紀の方をにらみ付ける。

「このままじゃ、ちょっとやり辛ぇけど……」

 激しく暴れまわる戸紀を見て、侠輔が額に汗を滲ませた。

「それでは僕が」

 孝太郎が刀を地面に突き立てる。

枝樹榒拘(きじゅだっこう)

 刀が緑色に発色したと同時に、地面から生え出た枝が戸紀の足に絡みついて動きを封じた。


「……お前いつの間にそんな技が!?」

 驚く侠輔に、「まだまだ練習中ですが」と軽く笑顔を見せる。

 

「よし、行くぞ、憐」

「ああ」

 侠輔はお戸紀の後ろに回りこんでいた憐と協力し、腕ごと縄を巻きつけた。鍋底に心臓裏がある部分を強く圧迫され、釘力源(エナジーソース)から釘気が出づらくなったその体。徐々に力を失ってゆくように見える。

 ――だが戸紀は抵抗して強い力で体を振り回し、ヒモがギチギチと音を立て始めた。

「くッ……」

 両足の動きを封じるために、釘気を送る孝太郎も顔をしかめる。

「持たないか……」

 憐がそうつぶやいた瞬間、紐の一部がちぎれて緩み、戸紀の左腕が自由になる。

 だめか……――そう思ったとき。

「侠……!」


 侠輔が戸紀に飛びかかった。

「……諦めねぇ……最後まで……ッ」

 侠輔はちぎれて垂れ下がっていた紐の一方を口にくわえ、一方を左手に巻きつけると、渾身の力で引っ張り上げる。

「約束したんだよ! アイツと……!! だから頼む、目を覚ましてくれッ、お戸紀さんッ!!」

 再び全身がきつくしまり始めたが、戸紀の左腕が侠輔に襲い掛かかった。

 侠輔はそれを右手の刀の背で受け止めるが力の差は歴然、長くは持ちそうにない。

「くっそ……」

 必死に耐える侠輔を不安げに見上げる憐。

 刹那、その瞳に冷たい光が宿った。



「ぐぅぁ、ああッ……」

 確かな効果が見え始め、侠輔に襲い掛かっていた腕の力が弱りはじめる。それを見た侠輔は急いで刀を下ろし、ある程度の強さでヒモを縛ると離れて様子を窺った。孝太郎も地面から刀を抜き、足元の枝を消す。

 戸紀はその異形の姿から徐々に体が元に戻る。大きくなっていた耳は小さくなり、牙もなくなった。

 まだらに変色していた皮膚がその色を取り戻し、膨れ上がっていた筋肉も縮んでゆく。

 完全に人の姿へと復した戸紀は息を切らして、よろよろと膝をついた。


「ふう、よ……よかった」

 侠輔が深く息を吐いたその時、憐の刀が戸紀の体を貫いた。


「え……?」

 銀色の刃を伝って落ちる、緋色の滴。着物が円を描くように、徐々に朱に汚れてゆく。

 無表情でその様子を見下ろす憐は、ゆっくりとその刀を引き抜いた。

「……憐?」

 目を見開く侠輔を尻目に、憐は血流しを通る鮮血を払うと静かに剣を収めた。

 地に伏せる戸紀の体。


 千之は我に返ったように急いで戸紀に駆け寄った。

 だが溢れ出るどす黒く生暖かい液体に、どうすることも出来ない。

 愕然とした表情で憐を見やる。


 黙って歩き出す憐の背に侠輔が声をあげた。

「おい、憐……。お前……何で」

 動揺を隠せない侠輔に、憐は首だけで振り返る。

「こんな茶番に付き合ってられるか」

 侠輔はその言葉に両の手を強く握りしめた。

「何言ってんだお前……。せっかく元に戻ったんじゃねぇかッ!!」

「侠……ッ!」

 孝太郎が怒り狂う侠輔の体を押さえる。

「おいッ、憐!! 待てよ!! 何なんだよ、茶番ってよッ!! おいッッ!!」

 そんな孝太郎の肩を押しのけようとする侠輔。

 その時――


「かあ、ちゃん……?」

 小さなその声に全員の視線が注がれる。路地に立ち尽くす達吉の両目は、大きく見開かれていた。

「かあちゃん……? かあちゃんッ!!」

 達吉は急いで血を流す、母の元へ駆け寄る。

「何で? 何があったの? ねぇッ」

 達吉はそばにいた千之の袖を掴んで揺らす。だが千之は血にまみれた手を握りしめるばかりで、何も答えようとはしなかった。 

「たつ……きち……」

 戸紀はか細い声で自身の息子を呼んだ。

「か、母ちゃん……ッ」

 血を流し、ぼろぼろになった母親に擦り寄る。

「お前どうしたんだい、血が、出てるよ」

 戸紀はそんな達吉に手を伸ばし、血の染みた手ぬぐいで額を拭う。その優しい手つきに達吉は涙が溢れた。

「こ……こんなの痛くもなんともないよッ!! かあちゃんの方が……!! 先生! 早く母ちゃん助けてよ!! ねぇッ!!」

 達吉が千之の体を揺さぶる。

 だが戸紀は何かを悟ったように、力なく笑顔を見せた。

「たつきち、母ちゃんはもうダメ、みたいだ……。今まで、お前には、苦労ばっかり……ッかけたね。好きな、おもちゃも、買ってやれなかったね……」

「く、苦労なんかしてないよ……! おもちゃなんかいらない! 何もいらないから……オイラ、かあッ母ちゃん……ちゃん……」

 涙で喉が詰まり、言葉がうまく出ない。

「お前は、やさしい、子……」

「かあちゃん……ッ、かあちゃん」

 とめどなく溢れる涙が頬を流れて着物を濡らす。

「たつ、きち……かあ、ちゃん貧乏で、なあんにも持ってないけど……お前だけは、お前だけは……宝、もんだった、よ……」

 そう言って達吉の頬に手をやる。ひどく荒れていて、それでいてひどく暖かかった。

「があじゃん!」

 遺言のような言葉を発する母のその手を握りしめる。

「お前の、存在に、どれだけ、助け、られたか……どれだけ、はげま、されたか……。お前がいるだけで、母ちゃんはとっても、とっても、とってもしあわせだった……」

 達吉はこんな貧乏長屋にいたって、良いことなんて一つもないと思っていた。でもそれは単に幸せを見落としていただけなのだということに、今更ながらに気づいた。

 それなのに眼前で、大切な人の命の灯火が消えてゆく――

「せんせ、い……」

 突然呼ばれた千之がその傍へ寄る。

「お代払えなくて申し訳、ありません……。厚かま、しいのは分かっています……ですが……この子……お願いします……どうか、どうか」

 千之は力強く「はい」と頷いた。

「ヤダ! オイラ、母ちゃんがいなきゃ……」

「お前はつよい子、だから、母ちゃんいなく、たって大丈夫」

「大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないよ!」

「大丈夫、だよ。母ちゃんは、ずっとお空から、お前、みてる、から」

「母ちゃん……母ちゃ……頑張る! オイラ頑張って強くなるから、だから……母ちゃんッも」

 戸紀は安心したように微笑むと、そのまま力を失う。

「かあちゃん……? かあちゃん……?」

 いくら体を揺さぶっても、どれだけ声をかけても手を握りしめても、その人はもう二度と答えてはくれない。やっと大切だと分かったのに、やっと恩返ししようと思ったのに、もうそれに応えてくれる人はいない。

「……があじゃん!! があじゃんッ!! があじゃあああああん!!」

 まだ温かみの残る体なのに、もう自分の名を呼んではくれることはない。

「があじゃんッ! おぎでよッ! 目開けてよッ!! があじゃん!! があじゃあんッ!!」

「……達吉ッ」

 千之が耐え切れずに震えるその小さな体を抱きしめた。

「があじゃあああんッ!! があじゃあああああんッッ!!」


 もう動かない母を呼ぶそのかすれた声が、空気の波紋となってこの街の果てまで広がってゆく気がした。


 

「なんで、なんで……こんな……」

 母の体を抱きしめるように体を縮める達吉。侠輔が近寄ってそばに座る。

「達吉、すまなかった……。母ちゃん……助けてやれなくて」

 侠輔は強く拳を握りしめた。結局は言ったことを守れなかった、己の弱さに反吐が出る。

「……誰」

 ポツリとつぶやかれたその言葉。

「誰がこんなヒドイことしたの!? ゼッタイ……オイラ……絶対に許さないッ!!」

 そう言って両の手を震わせる。

「見つけて……絶対に……ゼッタイにぶっ殺してやるんだッ!! 同じ目に……同じ目に遭わせてやる……ッ!!」

 怒り狂ったその瞳。悔しさに食いしばる小さな歯。全身から溢れ出る黒い憎しみのオーラ。

 侠輔はその全てに見覚えがあった。それは遠い昔の――

「……オレ」

 

 静かにその口を開く。

「オレもお前くらいんとき、両親とも殺されたんだ」

 達吉はゆっくりと、涙をたくさん溜めた瞳を侠輔に向ける。

 侠輔は達吉の方ではなく、前をじっと見据えていた。

「山で突然、不逞(ふてい)(やから)に襲われて……冷たくなって帰ってきたときには全身ボロボロ。へッ、到底見れたもんじゃなかった……」

 侠輔は笑みを浮かべる。あまりのことに、冷静さを失いかけたような崩れた笑みを。

「許せなかった、どうしても。だから……オレ、そん時の下手人どもをな――」

 

 侠輔が緩慢な動作で首を動かし、達吉のその瞳を捉える。

 達吉の見た侠輔のその両目には、恐ろしいまでの明らかな殺気が含まれていた。薄く鋭い刃物で、体の芯を貫かれたような気分。目を離したいのにそれができない。強力な磁力に引き付けられるように吸い寄せられ、肺に穴が開いたかのように息が苦しくなった。

 小さな体が意図せず震え出す。達吉は母親の着物を握りしめた。


 侠輔はその目を捉えたまま口元をゆがめる。


「――皆殺しにしてやったよ。一人たりとも残さず……」

 達吉はその体から発せられる禍々しいまでの空気を感じ取り、体に氷水を掛けられたかのような寒さを感じ、耳鳴りすら聞こえた。この感覚の正体が何か達吉には分からない。

 侠輔は淡々と話を続けた。

「“助けてくれ”って命乞いをするやつもいた。“やめてくれ”って泣き叫ぶ奴もいた。恐怖に自ら死を選ぶ奴もいた。オレを化け物だと呼ぶ奴もいた。けどそれが何だ……。オレの両親が苦しんだのと同じように苦しめばいいと思っていた。目を背けたくなるほどに、ボロボロになりゃいいって。人間としての情や慈しみの一切をオレは失っていたのに、でもそれが妙に心地よかったのも嘘じゃない」

 報復を後悔しているのか、それとも返報の喜びに浸っているのか。その表情からは、侠輔の本当の感情を読み取ることはできなかった。

「なあ、今お前にオレはどう映ってる?」

 その冷たい目の奥には、残酷なまでの光を宿していた。歪んだ口もとからのぞく歯すら、獲物を捕らえる前の獣のそれに見える。今にも喉笛に噛みつかれ、食い破られるのではないかという恐怖に駆られる。

 血に狂った――そんな言葉が似合うと思った。


「……ニ……鬼……」

侠輔はその言葉を聞くと目を閉じて立ち上がり、達吉に後ろを向ける。

「お前はこんな風になりてぇのか? 空から見てるって言ってくれた母ちゃんに、こんな姿さらしてぇのか?」

 その背に負うは狂気か悲愁か。

「お前の母ちゃん言ってたろ。お前は宝だって、優しくて強い奴なんだって、それが……。それがお前の母ちゃんが最後に力振り絞って、残していった大事な財産だ。絶対に汚しちゃなんねぇ……ゼッタイに。だから、二度と誰かを手にかけようなんて思うな。自ら心を失うようなことを、血に穢れることを選ぶな。薄汚ぇ鬼になんてなるな……達吉」

 達吉は再び大粒の涙を流す。

 小さな体で、必死に大きな苦痛に耐えているようだった。


 侠輔は先ほどまで憐のいた場所を見やる。


 だがその姿はすでにどこにもなく、冷たい風が吹きぬけるばかりだった。



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