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剣にかけて  作者: 二上 ヨシ
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第三十五話        戸惑いの果て


「ありがとうございました」

 千之はみすぼらしい男に見送られ、最貧困層居住区域の一角にあるおんぼろの長屋を出た。

 すっかり日の暮れた周囲。肌寒い風が辺りを吹きぬける。

「あの、先生……お、御代は必ずお支払いしますから……」

 両の手を握りしめ、申し訳無さそうに頭を垂れる男。

「ま、気長に待ってるっすよ」

 右手を上げ、手馴れたようにそれをあしらう。

 ここの住人からまともに代金を支払われたことなどない。皆口を揃えて“必ず支払う”と言っては、それきりになることが多かった。

 だが千之はそんな住人に対し呆れたように“いつなら払えるんだ”とか、絶望したように“別に期待していない”などとは言わない。

 決まっていつも“待つ”と返していた。

 それは彼らがその日ぐらしのギリギリの生活を送っていることを、千之もよく知っていたからである。

 とはいえそれは自分も同じで、薬とてタダで手に入るわけでもない。おかげでまともに食事を取れず、水を腹いっぱいに溜めて空腹をごまかすこともままあった。

 それでも彼らが“返す”という言葉を口にするなら、自分はそれを待とうと決めていた。

「だー疲れたッ!」

 千之は左肩を上げ、右手で揉む。空を見上げても、屋根によって覆いつくされた天空は月すら拝むことができない。

「ここの人間は風流すら感じるなってか?」

 自分の吐き出したキセルの煙すらこの区域から出られず、こちらへ戻ってくるような気がした。



「ぐあッ……」

 その時どこかで人のうめき声とともに人の倒れる音が響く。

 何事かと千之はとっさにその音の方へ走り出し、そしてその目に映ったものに息を呑んだ。

「なんだよ……これ……」

 目の前に広がる数十人もの人。それらみな地に伏せ、ピクリとも動かなかった。

「おい、どうした、おい!」

 一番手近な人物に声をかける。だがすでに呼吸はない。

 焦ったように次の男の元へ駆け寄った。だが――。

 そばに刃物は落ちているが目立った外傷もない、毒を飲んで苦しんだ形跡もない、病気で一度にこの人数が倒れたとも思えない。だったら一体何なんだ……。

「何なんですかッ! あなた方は!」

 聞き覚えのある女性の声だった。

 千之がその声の元を探りながら細い路地を走る。


「わざわざお前さんに説明するわけねぇだろ」

 この状況に似合わない軽い調子の声。

「そう。せいぜい我々の目的の一部となるしかないあなたにはね」

 先ほどとは違う男の声。

 角を曲がったところで千之は二人組みの男の姿を捉えた。

 

 曲髪の男は口元にねっとりとした笑いを浮かべ、何か四角い箱のようなものを左の腕に付け、それを女性に向けようとしていた。

「お()()さん……!」

 意を決したように叫ぶと、二人の男は千之に視線を送る。

 トサカ頭の男が千之へ腕を差し出し、そこから何か光の縄のようなものが伸びてきた。

「な、何だ!?」

 避けきれず、もうダメかと思ったその時。

誰かが自分の前に立ちふさがり、剣を振るうのを感じた。


「うっす。大丈夫か? 千之センセイ」

 千之が顔を上げると見覚えのある紅毛の男の姿。侠輔がそこにいた。

「あれ、何で」

 千之は一瞬あっけに取られたが、即座に自分の置かれた状況を思い出す。

「そうだ、あいつら……!」

「これはこれは、次期将軍候補御方自らがおいでになられるとは」

 われわれも偉くなったものだと、曲髪の男、鵡伊(むい)は笑った。

「よく分かりましたね、我々の仕業だと」

 トサカ頭の男、矢出彦(やでひこ)が淡々と尋ねる。


「最近どうも、大量に人が亡くなる事件が多発していましたからね。ならず者にこの区域の方々、それに借金の片に取られた子供たちの行く先……」

「それを受け、この区域内で情報を集めていたというわけだ」

 孝太郎と憐も姿を現す。


「その光のヒモみてぇなのは何なんだ。何を企んでやがる……!」

 侠輔の怒りを含んだ言葉に、鵡伊は笑って返した。

「これは人間の“釘力源(エナジーソース)”を集めるための装置」

釘力源(エナジーソース)?」

「そう、心臓の裏にある、釘気の源とされる核です」

「……んなもん集めて一体何をする気だ!」

「あなた方と同じですよ」

「は?」

「その体に大いなる力を宿す為」

 四神石のことか……、侠輔はとっさにそう思った。


「その人放してやれよ」

 侠輔は鵡伊を睨み付ける。

 お戸紀は二人の足元でおびえた表情を浮かべていた。

「いいですよ」

 嘲笑するかのような笑みを浮かべる鵡伊。

そう言ってお戸紀の傍に屈むと下卑た笑いを浮かべながら、その首元に黄緑色の液体が入った注射器を突き刺す。

「やめろーッ!!」

 千之が叫び声を上げたと同時に、鵡伊はその指を空へ向かって掲げ、そして――

 指を鳴らす乾いた音が響き渡った。

「お戸紀さんッ!!」

 その女性の名を呼んで近寄ろうとする千之を侠輔が押さえる。

「よせ! 近寄るな!」

「お戸紀さん!! ……クソッ……!」

 お戸紀はみるみる内にその相貌を変化させてゆく。

 体中から吹き出る気味の悪い色の液体。苦痛にあえぎ地を這いずるその姿は、まるで地獄絵図。

「試作品ではありますが、以前あなた方と対峙した頃よりかなり改良が加えられているそうです。一筋縄ではいかないんじゃないですかね?」

 矢出彦の言うとおり、立ち上がったその姿は以前とは少々異なっていた。確かに筋肉や耳は大きくなり、牙も大きな爪も生えていた。身の丈も二メートルを越すと思われる。

だが――どこかまだ人間らしさをその顔に残していた。


「うぁぁがああああああがッ!」


「お戸紀さん……」

 千之はお戸紀の変わり果てたその姿に苦しそうな表情を浮かべていた。これがこの間自分に漬物を持ってきてくれた人物なのかと思うと、居た堪れない気持ちに襲われる。


 

 鵡伊と矢出彦は暴れ始めたお戸紀の姿ににんまりとすると、

「では無事に解放してあげたところで、我々は高みの見物と行きましょうか」

 お戸紀に攻撃命令を出すとどこかへ姿を消す。

「そのお戸紀さんってのに罪はねぇけど……」

 侠輔は怒りと悲しみの入り混じった表情を向けた。

 

 お戸紀は風のような速さで三人に迫ると、まるで刃物のような爪で襲い掛かる。

 以前のものとは違い、速さが数段上がってた。


「くそッ!」

 侠輔はそれをかわすが、なかなか攻撃の糸口を見出せない。

いや、違う……。

「剣が迷っているぞ、侠輔」

 同じくそれをかわし続ける憐に指摘される。

「お前もな」

 

 確かに強さも早さも上がっている。だが圧倒されるというほどでもなかった。

この姿になる前を見てしまったからなのか、その顔に残る人間的な部分がそうさせるのかは分からない。だがどうしようもなく惑う……。

 なぜこの無辜の民を傷つけなくてはならないのかと。

「ぐッ」

「侠輔……!」

 その隙を見切られ、侠輔は手痛い一撃を食らう。長屋に叩きつけられ、大きな穴が空いた。

「ぐぎやぁぁああああッ!!」

 お戸紀はこの世のものとは思えない、大きな叫び声を上げると手当たり次第に長屋を破壊し、三人に投げつけ始める。バリバリと轟音を立てて壁や屋根を引き剥がし、トタンや割れて先の尖った板で容赦なく狙い定めた。

 まるで横から降る槍の雨のよう。

「ちっくしょう……」

 体のあちらこちらを掠ってゆく凶器と化したそれらをギリギリのところでかわす。これを止めるには方法は一つしかないことを知っていた。だが……。

「いや……やるっきゃねぇんだ……」

 侠輔は意を決したようにお戸紀の攻撃をかわし突っ込む。

 剣を振り上げたその時――


「かあちゃぁぁぁん!!」


――母上ッッツ!!――

 

 侠輔は頭をよぎった幼き己の姿に一瞬躊躇してしまった。刹那お戸紀の強烈な拳をその身に浴び、その体は地面に叩きつけられる。

「侠!」

 

 そばに隠れていた千之は、幼き声の主を見つけた。

(たつ)(きち)……! おい、何やってんだ、早く逃げろ!」

 斜め向かいの長屋の角から、様子を窺うお戸紀の息子、達吉。千之は急いでその傍へと駆け寄ろうとする。

 地に伏せた侠輔にチェンシーは、その大きな足の狙いを頭に定めた。

「やめてぇええッ! かあちゃん!!」

 その瞬間、達吉は侠輔の傍へと走り寄る。

「おい、達吉!」


 振り下ろされるその足の前に立ちふさがる達吉。

 メキメキと何かが折れる音が響いた。

「……達吉……!」

 千之が驚きに目を見開いだが、その足の下には折れた柱があるのみ。

 見れば侠輔が達吉を小脇に抱え、頭から血を流して立っていた。


「おいおい、自分の子供踏み潰す気か?」

 侠輔は達吉を下ろすと、逃げろと背中を押す。

「やだ! やだ! かあちゃぁああん!!」

 傍に寄ろうとする達吉を侠輔が抑える。

「やめろ! お前の母ちゃんは……もう……母ちゃんじゃ」

「お侍さん! 母ちゃんを助けてください! 母ちゃんを助けてください!」

 そう言って侠輔にすがりつく達吉。

「あ、そッ……か」

 達吉は何かを思い出したかのように地面に手をつくと、額を何度も地面にこすり付ける。

「助けてくださいッ!! ……オイラたちを助けてください……ッ!!」

 侠輔は弟を奪われたという将一に、そうやってお願いしてみろと言い放ったことを思い出した。それをどこかで見ていたのだろうか、それとも将一に話を聞いたのだろうか。

 そうすれば助けてもらえると信じ、休むことなく何度も何度も頭を下げる。

「助けてください……助けてくださいッ」

「お、おいお前……」

「助けてください!! 助けてください!!」

 小さな額に血が滲む。それでも決して止めようとはしなかった。

「助けてください……!! 助けて……ッ、助けてッ……!」

 心を引き裂かれるような叫びに、侠輔は拳を震わせた。

「オイラ、何でもしますから……何でも……だから……」

「達吉……」

 侠輔は居た堪れず、達吉の肩を強く掴む。

「……分かった。お前の母ちゃん、助けてやる」

 悲痛な気持ちを押し殺し、なるべく明るい表情を向けた。

「本当……?」

 血のにじんだ額を気にも留めず、心からの笑顔を見せる達吉。

「侠輔……ッ!」

 軽々しいことは言うな、と憐の目が訴える。

 だが侠輔は達吉の前に屈みこむと、

「武士に二言はねぇ。だからお前はどっか隠れてろ、いいな」

 達吉は力強く頷くと、侠輔の傍から離れた。


「どういうつもりだ、侠輔。ああなればもう、助かることはないと言われただろう……!」

「わあってる」

「だったら……」

 侠輔も憐の言っていることは分かっていた。できもしないことを出来るなどといって期待させておいて、結局できなければそれはこの上なく残酷な裏切り。

 侠輔にも痛いくらいそれは理解していた。それでも……それでもああやって言ったのは――


「助けてくれって言ってたじゃねぇか」

 土を固く握りしめて。

「助けてくれって何度も土下座して頭下げて、泣いて、叫んでたじゃねぇか」

 額が砂に傷つくのを物ともせず。

「それを無理だなんて言えるか? 助からねぇから諦めろだなんて言えるか?」

 それがどれだけ深く達吉の心を抉ることか。

「オレにはそんなこと言えねぇよ、それこそできねぇ。だから助けてやるって約束した。けど言った以上は……約束した以上は……オレはそれを守るために全力を尽くす!!」

 侠輔の紅い髪を風がなでた。

強い意志を帯びた目が前を見据える。憐はそんな侠輔の横顔を見やった。


「侠輔……。分かった、だが……何か策はあるのか」

「上手くいくかどうかは分かんねぇけど、一個思いついたことあんだ」


 言葉とは裏腹に、そこはどこか自信がうかがえるような力強い口調だった。


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