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剣にかけて  作者: 二上 ヨシ
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第三十二話        家移りの真実

茶色く変色したトタンと、薄い木板の重なり合った屋根が広がるこの一帯。一見廃墟街のようだが、そこには確かに人の住む気配がある。

 竹でできたといからは、鳥が突っ込んだと思われる枯れ草がだらしなく垂れ下がり、玄関の障子は穴だらけで中が丸見え。長屋同士の間隔はひどく狭く、無理やり詰め込まれたかのようにひしめき合う。

舗装のされていない、土丸出しの細い道は屋根によって日光を遮断され、常に湿っぽくぬかるんで歩くたびに泥が飛ぶ。

 おんぼろの長屋は大して強くなくとも、風が吹くたびにガタガタと揺れ、薄い壁は口論どころか日常会話すら隣へ筒抜かせた。冬は隙間風に震え、夏は熱と湿気に眠れない日が続く。

 厠も数箇所点在するのみで、朝には長い行列ができた。


 最貧困層居住区域――城下街の外れに位置するこの地域。その名の通りここには極度の貧困にあえぐ人々が数多く暮らす。

 

 千之はその区域にある一間しかない小さな部屋で、いそいそと出かける準備をしていた。薬を入れる小さなタンスと薄い布団。あまりキレイとは言えない、水場とかまどのそばのちょっとした調理器具、そして黒いウエストポーチに入った医療機器。

 今の千之にはそれが全財産と呼べるものだった。

「せんせー、アカメせんせー!」

 薄い玄関の引き戸を開け、元気よく入ってきた一人の少年。千之は荷物の中身を確認していた手を休め、その顔を上げた。

「おう、将一。何だ、またコケて膝すりむいたのか?」

 将一と呼ばれたそのまだまだ幼い少年は、体ほどの大きさもある竹かごを背負い、ムッとしたように頬を膨らませる。

 先の曲がった火バサミをカチカチと鳴らながら、「オイラもうそんなガキじゃない」と大人ぶった抗議した。

 そんな将一に「あーそうかい」と曖昧な答えを返し、キセルをくわえなおす。

「紙くずならいつもんトコに入れてある」

 そう言って土間の端に置かれた、ブリキ製の薄汚れたくず入れを指差した。

「いつもありがとな、せんせ!」

 将一は嬉々としてその中の紙くずを背中の竹かごに乱雑に突っ込むと、くず入れを元の位置にきちんと戻し、千之を振り返る。

「じゃあな、せんせー」

「おう、気ぃつけろよ。また泣きみんぞー」

 将一が「だから大丈夫だって!」と引き戸に手をかけ、外に出るのと入れ違いに入ってきた一人の中年の女性。

 

 つぎはぎだらけの着物に薄汚れた肌。髪は一つにまとめてはいるが、適当に結んだようにボサボサ。申し訳無さそうな顔で土間に足を踏み入れる。

「ああ、お()()さん」

 お戸紀と呼ばれたその人は、うつむき気味におずおずと口を開いた。

「……あの、先生? その、この間うちの達吉診てもらった時のお代なんだけど……まだ工面できなくて……。それで待ってもらう代わりと言っちゃなんだけど、これ良かったら……」

 おずおずと差し出された、あちこち欠けた小鉢。中には一握りほどの大根の葉で作られた漬物が、これまた申し訳なさげに盛り付けられていた。

 千之は自身の何も無い空っぽの水廻りを一瞥して苦笑し、「ありがたい」とそれを受け取る。

 お戸紀は安心したように微笑むと、「ところで先生はどこかへおでかけですか」と尋ねた。

「まあちょっと野暮用で」

「そうですか、ではお気をつけて」と言うお戸紀の背中を見送ると、手にした小鉢を口元にやって、漬物を一気に口の中に放り込んだ。

 口内に広がる葉の苦味。目を閉じ、しっかりと味わうかのように噛み締めた。


 千之は外へ出ると、引き戸の横に掛けてある汚い木の札をひっくり返す。“在”から“不在”に表示の変わったそれを確認すると、軽く息を吐いて歩き出した。


「あ、先生。おはようございます」

「おはよう、アカメ先生」

「先生、どっか行くの?」

 道すがら、次々と投げかけられる住民たちに言葉を返し、千之は今井に指定された場所へ向かった。





「え? うん、だからこっちは大丈夫だって。いや、憐に頼りきりとかそんなことねぇよ。昨日だってこーんなに書類終わらせてだなぁ――」

 侠輔は自室であぐらをかきながら、電話の向こうの見えない相手に向かって大きさを示す。

 こげ茶色に光る木目の美しい文机の上は、書類や書き物でごちゃごちゃと散らかっており、侠輔はそれを押しのけて頬杖をついた。

「何? うん、うん、分かった、うん。はいはい、分かったって。ああ、じゃあなまた連絡するわ、あぁじゃあ」

 通話が終わり、侠輔は受話器を置く。

 廊下に出るふすまが開いていたため、その前を通る者に声が漏れていたのだろう。偶然通りかかっていた孝太郎が、開いたふすまから侠輔へ声を掛ける。

「今の、上様ですか?」

「ん? そうそう、相変わらず元気にやってるみたいだな」

 呆れたような、嬉しそうな表情を浮かべる。

「ですが、なぜなんでしょうね」

「何が?」

「上様がこの大和城を出ると言って移られた先。僕たち知らされていないんですよ?」

 どこかくらいは教えてもらえても、と眉をひそめた。

「あぁ何かオレらに来られて、のんびりした生活邪魔されたくないんだってよ」

 勝手なもんだぜ、と頭の後ろで手を組む。

「そういや、今井は? 朝から姿見えねぇけど」

「今井さんなら、今日は風邪でお休みらしいですよ」

「へー、昨日までは元気そうだったのにな」

 ま、歳だからしゃあねぇか、とそのまま畳に寝転がる侠輔。孝太郎は机上の電話機を、どこか悲しそうに見つめていた。





「千之先生、到着しました」

 質素な着物に身を包んだ今井に促され、小さな馬車を降りる。山々に囲まれたのどかな村。民家はあるが、“お隣さん”との距離はかなりある。ちょっと醤油や味噌を借りたいときには随分面倒だろうな、とくだらない感想を抱いた。

 その高台に位置する一軒の屋敷。屋敷とはいえ巨大な敷地が広がっているわけではなく、少々金を持った農民の家といった印象を受ける。

 塀で囲われた庭の真ん中に母屋、そして離れと蔵。一帯は明るい日の光に包まれ、心地よい風が吹いていた。


「どうぞ」

 門をくぐると広い庭。小さな畑には野菜が植えられており、その奥には井戸と小さな物置小屋も見えた。蝶が二匹、仲睦まじく傍を飛んでゆく。

 使用人の男の出迎えで玄関を上がった。窓の傍には外で摘んだものなのか、名のわからない愛らしい花が小さな花瓶に飾られている。

 ミシミシと鳴る縁側を進みながら外を見やると、筋状の雲がゆっくりと山の上を通り過ぎて行った。

「こちらです」

 そう言われ、今井と共にふすまの前に腰を下ろす。

「旦那様、失礼致します」

「ああ、入ってくれ」

 その声に千之はいささかドキリとした。だがそんな千之の様子に気づくはずも無く、その将軍補佐はふすまを開け、座ったまま中に入る。

「今井、ただいま参りました。千之先生もこちらに」

 今井が軽く頷いたのを合図に、千之はおずおずと部屋に足を踏み入れる。ポカポカとした柔らかな日差しに照らされた書院障子の前には、花瓶に生けられた美しい花。床板には、季節を感じさせるような掛け軸と、大切そうに置かれた古びた壷。

 際立って豪華なものなどない、だがそこには洗練された美があるように思えた。

 読書をしていたと思しき一人の老人が、穏やかな目で千之を捉える。白髪は明治維新後のご時勢には珍しくマゲを結い、ゆったりと構えているがそこには一分の隙もない。


 そうか、この人が……、千之は腰の引ける思いで畳みに両手をついた。

「う、上様。このたびは、えーお日柄もよく、天候にも恵まれ、と申しますか……お忙しい中、あれ」

 突然始まった祝辞のような挨拶に、目の前の人物は頬を緩める。

「いやいや、そのように畏まらずともよい。それとここでは“旦那”と呼んでくれ」

 誰かに聞かれては言い訳に窮するからの、とニコニコと笑いかける正之助。

「――そこの今井から話は聞いておるよ、先生」

 千之はその言葉に、そっと顔を上げた。

「ここへ来る道中で疲れたじゃろう、すこし休むがよい」

「い、いえ私は大丈夫です……」

 そう言ってこわごわと正之助の側へと近寄る。


「そうか? そういえば先生は侠輔たちのことも見てくれておるんじゃとな」

「ええ、まあ」

 体温や血圧、脈拍を調べ、聴診器を当てて体の音を聞く。

「まあ、憐や孝太郎はともかく、侠輔はいつまでたっても無茶するからの。やれやれ、成人の十五を超えておるというのに」

 合間合間になされる穏やかな会話とは裏腹に、千之の表情はどんどんと曇ってゆく。それを気取られないように、なるべく平静を装った。



「服を着てくださって結構です」

 一通り調べ終えたあと、そう言って器具をしまう。

「先生……」

 今井は少々焦ったように呼びかける。

 だが千之は黙ったまま、一体どのように話を切り出すべきなのか、それだけを考えていた。


「病状は末期。手の施しようが無い。余命……約一年」

 その言葉に千之は弾かれたように正十郎の顔を見た。

「先生の前にも何人かの医者に診てもらったんじゃがの、どの先生も同じ答えじゃった」

 正十郎は穏やかにそう言った。

 それは諦めからなのか、それともあまりのことに他人事のように感じているからなのか、千之には分からなかった。


「千之先生、やはりそうなのですか。上、いえ旦那様は……何か治療法は……」

 余命宣告を受けた正十郎自身よりも、悲壮感を漂わせて問いただす今井。

「お力になれず、残念です」

 たとえ自分のような貧しい町医者だろうと、そこに少しでも別の診断をしてくれる可能性があるなら……。そんなわずかな希望を抱いて自分に診察を願い出たのかもしれない。

 肩を落とす今井を見て、千之はそう思った。

「何をそんなに落ち込むことがある。人間の死亡率は十割、長生きする人間はいても、永遠に生きながらえる人間はいない」

 そうじゃろ、と千之に言葉を掛ける。

「それに今井、お前だってもう相当の歳じゃろ。案外お主のほうが明日にでも、冷たくなっておることだって十分あり得るぞ?」

 そう言って朗らかに笑う正十郎に「まぁ、それも確かにそうですな」と今井。幾分空気が和らいだ気がした。


「このことについて御三方(ごさんがた)は……?」

 その瞬間、正十郎は悲しげな笑みを浮かべた。

「いや、知らんし、知らせるつもりも無い」

「なぜです。あの方々に心配させたくないお気持ちはお察しいたします。ですがこのような病に冒されているのです、位を譲って延命のための治療に専念されるべきでは?」

「先生」

 今井の制止に、千之は言葉を切る。

「申し訳ありません、差し出がましいマネを……」

 手をついて詫びる千之に、正十郎は笑って返す。

「いやいや。ま、それより折角じゃ、先生も一緒に食事でもどうじゃ」

 あまり大層なものは出せんがの、とまるで曇った雰囲気を払拭するかのように、屋敷の使用人の一人に声を掛けた。


 しばらくして運ばれてきた食膳。使用人がふすまを開けたその瞬間から、七輪で焼かれた川魚の、皮のこげた香ばしいかおりが漂ってきた。

 蓋を外して味噌汁を口に含めば、カツオと昆布の旨みが口いっぱいに広がり、その勢いで山盛りの白く輝くほかほかの米に箸を差し入れ、口いっぱいにかき込む。あつあつの白米は、噛めば噛むほどに甘みが増した。たくわんを口にして、またたくさんの米を口に運ぶ。久しぶりのまともな食事に、将軍の手前はしたないと思いつつも止めることができなかった。

「いや、さすが若い者は食欲も旺盛じゃの」

 ごまダレのかかった湯豆腐をほとんど流し込むように食べていた千之は、ある程度飢餓感から開放されるとともに気恥ずかしさがこみ上げてきた。意図せずその勢いが衰える。

 そんな千之の様子に感づいたのか、正十郎は「嫌味ではないぞ。年を取ると食が細くなるもんじゃから、見ていて爽快な気分じゃ」と笑った。


「あ、あの……」

 おずおずと正十郎の様子を窺いながら話しかける。

「ひとつよろしいですか」

「どうした?」

千之は意を決したように口を開いた。

「四神石は御三方と、あと一つはどなたに?」

 その質問に、一瞬辺りが静まり返る。

 だが正十郎はすぐに、

「そうじゃの、すでにお主が会った人間の中におるやもしれんの」

 といたずらっぽく笑った。








「なあ、聞いたか? あそこの河原でよ」

 街人の一人が腕を組み、人通りの少なくなった夜の道を歩く。

「ああ、まーたならず者同士のでけぇケンカがあったらしいなぁ」

 爪楊枝で歯の掃除をするもう一人の男。

「そうそう、最近多いよなぁ。結構な死人出てるみてぇだし」

「ま、別に俺たちに被害はねぇし、悪さやらかす連中がいなくなんのはこっちとしてもありがてぇ」

「言えてらぁ」

 そんな談笑をする男たちとすれ違う、二人組の男。


「ふふん、“ありがたい”らしいぞ、矢出彦(やでひこ)

 すれ違いざまに聞いた男たちの会話内容に笑いを浮かべる、曲髪の男。

「先生や己槻さんのおっしゃった通りですね、鵡伊(むい)さん。多数の死者が出ているにもかかわらず、誰も深刻に受け止めるどころか大して気にもかけない。役人ですらね」 

 矢出彦と呼ばれたトサカ髪の派手な男はそう答えた。この二人、以前大和撫子大会の時に騒動を起こした男たち。

「だが四神石、いや儡寇(らいこう)石を作るにはまだまだ釘力源(エナジーソース)が必要だ」

「そう、ですから他に“お手伝い”願える人を探さなくては」

 そう言って角を曲がる。


「さーてさてさてさて、悪人のお次はこの辺りの方にご協力を要請しようかなぁ?」

 矢出彦と鵡伊の二人が訪れたその場所――


 多くの貧しい民が生活を営む、最貧困層居住区と言われる長屋街だった。


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