第二十六話 責任の取り方
「早く来なよ」
孝太郎とシャオリーの間に漂う冷たい空気。まるで真夜中の墓場に迷い込んだかのような静けさと肌寒さが辺りを包む。
窓から差し込む光は、所々太い柱に阻まれ、床に縞模様を描いていた。
「随分とせっかちさんですね」
孝太郎は明かりに照らされながら、目の前にいる大きな瞳の少年に微笑みかける。
だがその一方で左手は既に鍔を押し上げ、完全に臨戦態勢をとっていた。
「ふ~ん、まだ笑ってられるんだ」
影に佇むシャオリーは呆れたように、しかし目は獲物を狙う猛獣の如くギラリときらめく。
自分たちの足元で向かい合う二人を見ながら、侠輔は深刻そうに欄干を握りしめていた。
「どうした。腹でも痛いのか」
突然発せられた声に、侠輔はほとんど反射的に己の左側をみやる。
「あぁ、今朝食った卵が古くなってたのかもな」
憐の問いにふざけたように答える侠輔。
だがその曇った表情は変わらない。
「心配するな。あいつはみかけほどヤワじゃない」
憐は焦った様子も無く、腕を組みながら静かに見下ろす。
「別に不安がってるわけじゃねぇよ。ただあのシャオリーとかいうチビ、ガキのくせに怖ぇ目するな、と思って。オレも……あ、いや、何でもねぇや」
侠輔はそこで言葉を切ると、真剣な眼差しで欄干を握る手に力を込めた。
憐はそんな侠輔の手から不自然に視線をはずすと、それをごまかすかのように口を開く。
「華国は確かに超大国だが、近隣諸国や内部の情勢は不安定だからな。軍がその鎮圧に借り出される機会も多い。あの歳の者には毒となるものを、目にすることもあるだろう」
「“毒となるもの”? 一体何の話をなさっているのです」
侠輔たちから数メートル離れたところに佇み、赤い視線を下に向けたまま言葉をねじ込むように割り入れるダーロン。
「戦にも参加していた。だったら見ていて気持ちのいいことばかりではないはずだというだけの話」
「それこそ余計な世話。入軍は強制ではありません、全ては覚悟の上。彼もそれを承知しているはずですよ――」
ダーロンの発した声が吸い込まれていくように、張り詰めた空気の中へと溶け込んでいった。
「そっちから来ないのなら、オレが」
シャオリーは広げた銀色の扇を太陽光の下へさらす。反射した強い光が孝太郎の眼前を白く染め上げた。
孝太郎が視界を奪われたその一瞬で、シャオリーはその眼前から姿を消す。
「後ろだ!」
侠輔の叫び声が早いか、孝太郎のとっさの判断が早いか。振り返って刀を引き抜き、鉄扇をギンッと受け止めた。
「へー、ソレが“老虎石”? いや、日本では融心石っていうんだっけ」
若緑色に光る孝太郎の刀を見て、興味深そうに眺めるシャオリー。
「ええ。華国でも発掘されていると聞きましたが」
目にするのは初めてなのですか、とギシギシと刀をかち合わせたまま、意外そうに尋ねる。
「オレたちはおたくらほど、“石”の幅広い人間への使用を認められてない。軍の中でも選ばれし特定の者たちだけが、それを使った武器を持つことが出来るに止められてる」
「信用されてないんですね」
シャオリーはその一言を耳にして、不快そうに表情を歪める。
「でもその分、他のところを磨くことを覚えた。あんたらと違って、ソレなしじゃ何にもできないような腰抜けじゃない」
「言ってくれるじゃないですか」
孝太郎は軽く受け流すように、口元は弧を描く。
その様子にシャオリーは唇を噛み締めた。
「お前には感情が無いわけ? 何言われてもヘラヘラ、ヘラヘラ! ちょっとは怒るなりなんなりしてみたら!?」
孝太郎は一瞬、意表を突かれたような顔をしたが、すぐにいつもの笑顔を取り戻す。
「“怒れ”と言われて、怒れるものでもありませんよ。それに――」
少し間を置いた孝太郎の顔には、相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいた。
「それに感情的になるなんて、恥ずかしいではありませんか」
「え」っと一驚して僅かに唇を開くシャオリー。
「やっぱりお前嫌い……!」
鉄扇を持つ手を、グッと強く握りしめた。
「へー。それが先生の掴んだ、四神石の正体ってわけですか」
風雅は感心したように何度も頷く。
うす暗い研究室はホコリっぽく、湿った空気が充満していた。
白衣の男は風雅の方へ目線をやりながら、木の古びた戸棚に腕を組んだままもたれ掛る。
「ああ。本物に触ったことはねぇから、断定はできねぇがこう考えれば辻褄が合う。融心石を含んだ刀が光と驚異的な力を発するのと同じく、四神石を埋め込まれた人間に光の模様が浮かび上がり、驚異的な身体能力を発揮する。つまり融心石と四神石は、名こそ違えど同じものと考えて差し支えないだろう。だが融心石をただ体に埋め込んでも釘気を吸われつくし、命を落とすだけ」
男はゆっくりと歩き出すと、散らかった長机へと手を伸ばして瓶を一つ手元へ寄せる。
「ところが融心石に“釘力源”を加え、融心石を飽和状態に追い込んで釘気をそれ以上吸い取れなくする。すると融心石は、逆にその有り余る力を埋め込まれた人間に与えるようになるってわけだ」
白衣の男はガラス瓶に入った、赤い石の小さな欠片を眺めた。
「そノ“釘力源”トは何ダ」
「ああ。リュウさんにはまだお話していませんでしたね」
己槻はリュウへにこやかな笑みを向ける。
「釘力源とは生体エネルギーである釘気を生み出す核ですよ」
「核……。聞いタことがナい」
「何にでも“根源”となるものはあります。それを探るため、我々が科学技術で作り出した吸命性新型植物。釘気を吸い取る触手を観察していると、皆同じような場所から吸い取っていることが多いようでしてね。それをヒントに探っていくうち、心臓裏付近に定着している釘力源を発見したってわけなんですよ」
己槻がメガネをギラリと妖しく光らせた。
「で? その釘力源はどうやって集めるんです? 直接取り出すんですか?」
風雅は机に乗っていた小刀を持ち上げ、舐め回すように見つめる。
「いや、一つの四神石を作るのに、おそらく最低二百から三百人分の釘力源を要すると考えられる。一人ひとりやっていては時間が掛かりすぎるからな、吸命性新型植物で集められるよう、改良をすでに加えてある」
「さすが先生。仕事がお早い」
風雅は妖艶な笑みを浮かべながら、小刀を机の上へ置いた。
「言うのは簡単だガ、そんな量ノ釘力源ヲ集メらレるのか」
「心配するな、手は考えてある」
白衣の男はそこまで言うと、何かを思い出したかのようにリュウを振り返る。
「ああそうだ、リュウさん。あんたが気にしていた“月鹿”だが、依然正体は不明だ」
リュウは包帯の隙間から見える冷たい瞳を鋭く細める。
「“この世に安寧の世をもたらす神刀”とやらの秘密……確かに気になりますね」
言葉とは裏腹に、戸棚のものを興味深そうに眺めるばかりの風雅。
「ま、四神石の謎も判明した。“神”とは所詮、科学。そっちもそのうち解明してみせる」
約束は守るさ、と笑う白衣の男の表情には、絶対的な自信が見て取れた。
「へぇ、案外やるんだね」
肩で苦しそうに息をするシャオリーは、ホホにツーっと伝う血を拭う。
「お褒めに預かり、光栄ですよ」
孝太郎の額も汗が伝った。柄を握りしめる手にも、自然と力がこもる。
「本当、何ちゅーガキだ。孝太はこの間まで修行してて大分腕上げたんだぜ? それがあんなチビと互角……?」
侠輔は信じがたいものを見るような目で二人を見守る。
憐の眉間にも深いしわが刻み込まれていた。
「じゃ、後もつかえてることだし、そろそろ終わらせない?」
挑戦的な瞳を向けるシャオリーに「賛成です」と楽しそうに笑う孝太郎。
左足を踏み込み、シャオリーの左脇腹から右肩にかけてサッと剣を振る。
それを畳んだ鉄扇でキンと受け止めると、孝太郎は鉄扇を持つシャオリーの右手を狙って刀を下へスッと滑らせた。
それを避けようと手首を捻って刀を落とすシャオリー。孝太郎は落とされた刀の刃を上へ反して、グッと斜め上に振り上げる。
孝太郎の空いた左脇腹に鉄扇で狙いを定め、孝太郎はそれを鞘で受け止めると同時に、再び刀を反してシャオリーの首筋に刃を向けた。
「よし! もらった!」
侠輔が欄干から身を乗り出して声をあげる。
「こちらがね」
ダーロンがそのポツリとその言葉をこぼした瞬間、孝太郎の顔に鮮血が飛ぶ。
「……随分と無理をするんですね」
孝太郎は首筋に突きつけられた鉄扇の冷たさを感じながら、目の前の少年を穏やかな目で見つめた。
左腕に食い込んだ刃が、軍服を浅黒く染め上げる。
「別に無理をした覚えはないよ。オレ」
自身の腕から滴り落ちる赤い液体など意に介す様子も無く、冷たい視線で孝太郎を貫く。
孝太郎は諦めたかのように「そうですか」と、スッと刀を下ろした。
「どうやらオレたちはあいつを甘くみすぎていたようだな」
憐はため息混じりにつぶやく。
「はッ……まさかあんなガキが生身の腕で刀受け止めるとは、さすがに思いつかねぇよ」
侠輔も頬杖を付きながら「どんな教育してんだか」とわざとらしくつぶやく。
「首を取られるなら、腕の一本くらいなんてことはないと思いますが」
腰の後ろで手を組みながら、首だけを侠輔の方へ向けるダーロン。
「言っとくけど、あいつは峰打ちで相手に当たる直前で刃を反すつもりだったんだぜ? それを途中で遮ってまで受け止めるなんてよ」
「“つもり”かどうかは知りませんが、相手が確実に刀を反すという根拠などなかった」
「そりゃそうだけど」と頭を掻く侠輔。
「大佐。勝ったッスよ、オレ」
まるで投げられた骨を取って帰ってきた子犬のように、ダーロンの傍へ駆け寄って誇らしげな表情をみせるシャオリー。
そんなシャオリーに視線をむけることも無く、ダーロンは前を見据えたまま口を開く。
「自分の腕を傷つけてまで勝ちを取りに行くとはな。機密を賭けることになったこの事態を招いたのは、お前のせいじゃない」
その言葉にシャオリーは一瞬笑顔を無くす。
「気に病む必要はないと、もっと早くに言ってやるべきだった」
「な、何言ってんッスか大佐。別にオレはこのことに責任感じてたわけじゃ……」
「一歩間違えれば、腕を切断するような危険を冒しておいてか」
ダーロンの視線がシャオリーに突き刺さった。
叱られた子供のように、シャオリーは気まずそうに軽く目を伏せる。
「早く医務室へ行ってこい」
「大丈夫ッスよ、こんくらい」
左腕を軽く上げ、何てないことをみせる。
「早く行け、これは命令だ。お前も一緒に行って手当てしてやれ」
有無を言わせぬダーロンにシャオリーは口を尖らせ、しぶしぶ二等兵と共にその場を後にしようと背を向ける。
「シャオリー」
突然呼び止めた己の上官を振り返る。
「お前の覚悟は無駄にしない」
シャオリーは笑みを浮かべ、ダーロンの背中に「せいぜい頑張ってくださいッス」と声を掛けた。
「すみません、負けてしまいました。一般の民に被害が出る前に、一刻も早くあの怪物の正体を知る必要があるというのに……」
階段を上がってきた孝太郎が、申し訳無さそうな顔をする。
「気にすんな。オレたちが勝ちゃ、問題ねぇんだからよ。なあ、憐」
「ああ。だが向こうにとっては機密情報の開示がかかっているんだ。あとの二人もかなり無茶をしてくる可能性がある。こちらも相当覚悟して掛からないと……」
「分ぁってる。機密か何か知らねェけど、こっちだって民の安全の為にどうしても知らなきゃなんねぇコトだ。絶対に勝って怪物情報を手に入れてやるぜ」
侠輔は意気込んで、輪になる軍人たちを見つめた。
「では次出たいヒト」
分厚いメガネを掛けたボサボサ頭の男、レイが志願者を募る。シャオリーの対戦を見て血が騒いだのか、言い出したレイを始め、複数人が興奮したように手を挙げる。
「では、ここは公平にじゃんけんで」
レイの声に向かい合う隊員たち。
「お前はいいのか? 伍長」
女性武官のリーファは、手を挙げていない太眉の男に声を掛ける。
「ええ。皆さんでどうぞ、はははははは……」
ごまかす様に頭をかく伍長に「そうか」と輪の中心へ向き直るリーファ。
「冗談じゃないですよ。僕があの人たちに勝てるわけないじゃないですか。皆さんの足を引っ張らないように配慮するのも、軍人として大事ですよね」
一人でブツブツと言い訳をしながら、腕を組んでうなずく伍長。
「では行きましょう、じゃ~んけ~ん」
その時、伍長の周りを一匹の蚊が飛び回る。
「うっとおしいな~さっきから……」
手を振って追い払おうとするが、どうにもしつこくまとわり付いてくる蚊。
「刺されてたまるか! よし、こうなったら!」
伍長が小さな蚊に殺気を放つ。フワフワと飛ぶ黒い綿毛のような物体に狙いを定めると、右手を弾丸のような速さで突き出し捕らえる。完全に手ごたえを感じた伍長は「よし! やった!」と一人喜びに沸いていた。
だがそれもつかの間、伍長は己の身に降りかかった事態を思い知る。
人差し指と中指を伸ばした手がたくさんある中、一人握り拳を突き出している自分。
「あ……あれ……?」
変な汗がタラリと背中を伝うのを感じた。
「何だ、本当は参加したかりけるか、伍長」
「正直に言えよな」
「良かったね。次は君の番だよ」
次々と投げかけられる言葉に焦り出す伍長。
「ちょっと……待ってくださいよ、僕は……。ほ、ほらやっぱりこういうのは上の方を優先してですねぇ……」
「遠慮はいいんだよ。この際階級なんて関係ない」
そう言って伍長の背中を押すレイ。
「ちょ……ちょっと……」
押されて前に出た伍長は、誰かにぶつかりそうになって顔を上げる。
「次はオレだ。手柔らかに頼む」
見上げた先にいた、自分より数十センチ頭が上にある、体格のいい黒髪の男。
伍長はもはや、全身から湧き出る脂汗を不快に思う余裕すらなかった。
一言:
電卓使っても計算間違えるって、どういうことなんですかね。
閲読ありがとうございましたッ。