第二十五話 機密取引
「皇帝侮辱罪だ? オレたち皇帝の“こ”の字も口に出してねぇじゃねぇか!」
侠輔はまるで初めてダーウィンの進化論を聞かされた男のような顔で、あり得ないとばかりにダーロンへ詰め寄る。
ダーロンはそんな侠輔の様子など意に介す様子もなく、静かに隊員たちの真正面にある壁に向かって歩を進めた。
壁に掛けられた一メートルほどの絵を見上げ、胸の前でうやうやしく右手の拳を左手に押し当てる。 それに続く隊員たち。
金色の額縁の中で猛々しい一匹の竜がその三本の爪に玉を握りしめ、勇ましく天を舞っていた。
「竜はすなわち皇帝。その皇帝に向かって背を見せるは背信行為。この区域内は治外法権であることはご存じでしょう」
それを聞いた侠輔は軽く唇をかみ締める。
「そりゃその絵に背を向けて質問してたし、治外法権とかってのも知ってるけど……。けど聞いてねぇよ! んなこと」
「法の不知は保護に値せず」
白い壁に向かって冷たく言い放つダーロン。
「オレたちにそんな罪を被せるために、この部屋へ招いたのか」
憐がその背に向かって、呆れたように言葉をかける。
「言い訳は取調室で聞く」
その一言を合図に、隊員たちが三人の周りを囲った。
「地下の方へ連れていけ」
「さわんじゃねぇよ!」
伸ばされる隊員たちの手をバッと払いのけ、侠輔は抵抗をみせる。
「ちょっと待ってください」
静かな水面に木の葉が舞い落ちるかのように、ぽつりと放たれた穏やかな声。一斉にそちらを見れば、どこか余裕に満ちた孝太郎の表情。
「皇帝侮辱罪はむしろあなた方の方では?」
木の葉の立てる僅かな波紋に、その動きの止める隊員たち。
司令塔の男も首だけ振り返る。
その瞬間一振りの脇差しがフッとダーロンの横をすり抜け、円を描きながら宙を舞った。
ガッと壁に突き刺さったそれは絵の紐をブツリと切り離す。ガシャンッ大きな音を立てて床に落下し、額縁はごなごなに粉砕された。
侠輔は驚きのあまり、この世の終わりのような表情で硬直する。
「こ、こ、こここ孝太郎君!? 何ご乱心しちゃってんの!? 皇帝さん砕け散っちゃったよ!?」
どうすんのー!? と頭を抱える侠輔。
「そういうことか」
憐は隊員の手をふりほどくと腕を組み、静かに口を開いた。
「あ? 何が?」
「とんだ茶番だな」
だから何が、と言う侠輔に孝太郎がダーロンを見据えたまま口火を切る。
「指の数です。竜はその指の数と位の高さが比例する。華国の皇帝は確か最高位である五本のはずですよね。そんな三本指の位の低い竜を指して”皇帝”だなんて、許されるのですか」
曇りのない美しい氷のような、涼しい視線を送る。
「皇帝じゃない? まあ、確かに大事なはずの絵が落ちるってのに、受け止めようともしなかったし。……ということは、最初っからオレらをハメる気で? どういうつもりだよコラ!」
ダーロンにつかみかかろうと一歩踏み出した侠輔の前を、シャオリーが遮る。
「そっちが悪いんでしょ? いくら決まり事っていっても、年に何度も軍へ調査しにくるなんて非常識だよ。本当はオレたちの機密でも探ろうとしてたんじゃないの?」
自分よりも何十センチも高い相手にも怯まず、ふてくされるように言い放った。
「冗談じゃねぇよ。そんなくだらねぇ妄想で、オレたちの首利用されてたまるか」
「くだらない妄想? そう取られても、おかしくない行動をとったのはどっちさ。何も言わないで耐えてたオレたちの心につけ込んだこと、反省したら? 今回はちょっとした警告の為に演技しただけ。今後はそっちももうちょっと考えてよね」
「はあ?」
やりとりを聞いていた孝太郎は、おかしそうに口元に手をやる。
「話の反らし方がお上手ですね。武暁日軍曹」
「な、何が?」
シャオリーの瞳が僅かに揺れた。
「確かに当初はそれが目的だったかもしれません。ですが警告のためにしては、やりかたが雑すぎます。これでは我々との関係にヒビが入りかねない。……本当は僕たちをどうしても取り調べたい事情が、急にできたんじゃないんですか? ねぇ、大佐さん」
ダーロンは体ごと振り返ると、感情の感じられない表情で言葉を紡ぐ。
「その“事情”とやらをご存じであるかのような口振りですね。よもや今日はそれを調べに来られたのでしょうか」
「フム、僕の推測ごときにそこまで考えが及ばれる」
「この一件で我々は弱みとなる物を与えてしまった。それを均すためにどんな質問にも、お答えしようと申し上げているのですが」
「“別件で探りを入れにきた”という話へすり替わるでしょうね」
「あなた方はどうやら好機を逃されたようだ」
「それはまだ僕の手の中に」
挑戦的な笑みを浮かべながら、握った右手の拳をスッと差し出すように前へ伸ばす孝太郎。
「イ、イマイチ奴らの言ってる事がよく分かんねぇ……」
難解な数式でも突きつけられたかのようなまなざしで、孝太郎を見つめる侠輔。
「相手の言っていることに答えているようで、答えていない。探りあいながら、行間で会話しているんだ。色々と突っ込みたいことはあるが、部外者は黙っていることだな。墓穴を掘るぞ」
小声で会話しながら二人の様子を窺う侠輔と憐。
一方でシャオリーは孝太郎の上げたその拳を、腹立たしそうに睨みつけていた。
「あの男の何知ったっていうんだよ! オレたちがアレだけ城下で聞き回ったってのに!」
「シャオリー……!」
ダーロンの声に自分が今し方発した言葉の重大性を知る。ハッとしたように口をつぐんだが、すでに言葉は三人の耳に届いていた。
「城下、で?」
それは興味深いお話ですね、とシャオリーへ微笑みかける孝太郎。
「どうやら取り調べを受けるのはお前たちのようだな」
「ちょっと待ってはもらえませんかね」
穏やかにこの場を鎮める声の主を見やれば、分厚いめがねを掛けたボサボサ頭の男、長雷。
「悪あがきでもする気か?」
その侠輔の言葉に、自嘲気味に笑うレイ。
「まあ、そういうことでしょうか」
言いながらメガネを押し上げる。
「……勝負しませんか?」
「何? “勝負”?」
「ええ。我々が勝てば条約違反のことには目をつぶっていただく。そしてあなた方が勝っても、同じくこの件に関して目をつぶっていただく」
「おいおい、ナメてんのか?」
厚いメガネに隠れて表情の読めない男に、侠輔は呆れたように息を吐いた。
「つまりこの勝負を受けた段階で、我々への嫌疑を全て忘れて頂きていのですよ。ですがあなた方が勝てば、とある極秘情報をお教えしましょう」
「極秘情報……?」
侠輔は容疑者を見る刑事のような目で、毛玉頭の男に視線を向ける。
「内容は全てお教えできませんが、とりあえずこれだけはお見せします」
そう言って、男が取り出した一枚の紙。
「これは……」
孝太郎は受け取った紙を広げると、わずかに目を見開いた。
そこに描かれていた一匹の怪物。とがった耳、鋭い歯、腕の一部の筋肉が膨張し、皮膚はまだらに変色していた。
その姿に覚えのあった三人は、静かに顔を見合わせる。
「それは人間兵器の一種です。現在は諸事情により、国内での開発を禁じられていますがね」
「まさかその研究情報が、日本へ入っているのですか……?」
「ま、詳しいことは我々の勝負をお受けいただだき、さらに勝利して頂かなくては」
メガネの向こうにある瞳が、鋭く三人を射抜く。
「我々もあなた方と、あまり波風を立てたくありません。悪くない取引ではありませんか」そう続けるレイに、侠輔が挑戦的な視線を向けた。
「分あったよ、受けてやろうじゃねぇか」
その言葉にレイは満足気な表情をして見せた。
「ここが鍛錬場です」
紅い目の男に連れられやってきた、何の変哲も無い平屋建て施設の前。
ダーロンはドアノブを掴むと、おもむろに扉を開いた。
「こ、これは……」
侠輔は建物に二、三歩足を踏み入れると、腰ほどの高さの手すりを掴んで下をのぞき見る。
一階のみだと思っていた施設。地上部はぐるりと欄干が取り囲み、足元から下は三階建ての建物が入る程の深さ。
だだっ広い板間は、窓から差し込む明かりを反射するほどに磨き上げられ、建物を支えるための太い柱が所々に点在していた。
施設の両端には、地下の闘技場に下りる階段が一つずつ取り付けてあり、その上にはスローガンの書かれた額縁。扉を入った真正面には、大きな華国の国旗が、一寸の狂いも無く真っ直ぐに掲げられていた。
外装からは予想もつかないほどに立派な建物。
「それにしても……あの人たちもよく引き受けましたよね、こんな話」
太眉の伍長は、気の強そうな女性武官リーファにそっと話しかける。
「相手は侍。勝負をけしかけられて、黙ってられるはずないだろ」
「そうですけど……。でも大丈夫なんですかね、あんな約束して。本当に極秘の情報なんですよ」
不安そうにリーファの横顔を見やる伍長。
「要は負けなけりゃいい」
「別に負けると思っているわけではないのですが……」
「彼女の言う通りだ。余計な心配はするな」
不安げな表情を浮かべる伍長に、赤い双眸の男が言葉を投げかける。
それでも納得いかなかったのか、伍長はこの勝負の発端を作ったメガネ男を見て小さなため息をついた。
「あなた方は三名なので、こちらも三名選び、より多く白星を獲得した方を勝ちとします」
「勝敗はどうつけんだ?」
「“降参”するか“戦えなくなるまで”」
侠輔は「そりゃあいい」と楽しそうに笑う。
「誰が先行く?」
侠輔が手を頭の後ろで組みながら、憐と孝太郎を振り返る。
すると若き軍曹、シャオリーが怒ったように三人に近寄った。
侠輔が黙ってその様子を眺めていると、少年はそのひとさし指の先を孝太郎に向ける。
「さっきはよくもハメたな! オレお前みたいな奴、大っきらい!」
そう言い放つと手すりを飛び越え、下へ舞い降りた。
右手を後ろへ回すと、腰元から銀色の長方形の物体を取り出し、誘うようにそれをゆっくりと広げる。
「鉄扇ですか」
「すみません。言葉遣いについては重々注意しておきます」
視線をシャオリーに向けたまま、淡々と謝罪の弁を述べるダーロン。
孝太郎は「気にしていませんよ」と微笑んで返す。
「どうする? お前行くか?」
侠輔は分けありげに口元に笑みを浮かべ、そう尋ねた。
「もちろん。売られたケンカですから」
孝太郎はそれだけ言うと、下へ降りる階段へ向かう。
「絶対に“参った”って言わせてやる」
それだけの怒りをぶつけられても、「そうですか、怖いですね」とまるで動じる様子を見せない孝太郎。そんな彼にシャオリーは益々頭に血を上らせる。
「それに付け加えて“私はあなたの足元にも及びません、シャオリー様”って言わせてやるからな!」
「へー。面白い方ですね」
相変わらず飄々とした答えに、シャオリーは唇を噛み締めた。
「ま、さっそく一勝イタダキかな」
余裕に満ち溢れた表情で、ダーロンを見やる。
「それはどうでしょう」
「ま、身内だからそう思うだろうけどよ。何て言っても経験がよ……」
「彼はまだ若いですが、幼少の頃より軍で育ち、抜群の運動能力を備えています。すでにいくつもの死線を乗り越え、数々の手柄を挙げてきた。あの歳で“もう”軍曹なのではありません。あの歳“だから”軍曹なのです。もし彼が相応の歳にあれば、もっと上の地位に就けたはず」
侠輔はそのダーロンの言葉に口をつぐむと、まじまじとシャオリーを見つめた。
「危ないよ?」
シャオリーの言葉に孝太郎が首を傾げる。
「危ないとは……?」
「……そうやって余裕ぶるのもいいけどさ……」
静かな口調のシャオリーを目に映しながら、孝太郎は手にグッと自然と力が入るのを感じた。
「本気でこないと」
目の前の少年から発せられる言葉が、空気の振動となって粛々とした周囲を僅かに震わせる。
孝太郎は思わずその両の目を細めた。
「……死んじゃっても、責任取らないから」
幼さの残る顔に宿っていたのは、紛れも無い狂気だった。
一言:
昔金魚を飼っていたら、敷いてあるの砂利の中から白骨化した金魚さんのご遺体が発見されました。(え、いつの間にそんなことに……!?)
閲読まことにありがとうございました。