第十七話 汚れた大会
「ではさっそく予選に参りましょう! お集まりいただいた百十六名の中から十名を選出いたします」
「結構な倍率だな。でもやるなら一番上を狙うのが男だ!」
拳を握りしめ、やる気をみなぎらせる侠輔。だがそこでふと気づく。
「あれ……。憐は?」
侠輔は辺りをキョロキョロ見回すが、憐の姿が見当たらない。
「あそこ……」という孝太郎の指差す方向を見やると――。
「あ、あいつ……!」
いつのまにか着替え、腕を組んで観客席に座る憐の姿。きれいに化粧も落ちている。
“逃げやがったな”という視線を送る侠輔に“ここまでやれば十分だろ、オレはもう降りる”と目で答えた。
「よっぽど嫌だったみたいですね」と苦笑いする孝太郎。
「しゃあねぇ、オレたちだけでもこの大会を制するぞ!」
オーと拳を突き上げる侠輔の姿を、憐が「ある意味羨ましい性格だ」と観客席で呆れたように眺めていた。
「予選内容はこちら! やはり大和撫子たるもの、的を射た言葉のセンスが必要です……。ということで“射抜け! 的当て大会~!!”」
その声によって黒子が、カツラを付けた胡散臭いマネキンを舞台に上げる。
「ただ今より、あのマネキン、マチコちゃんを狙って球を投げていただきます。マチコちゃんが倒れれば合格! 持ち球は一人一球です! さああなたはマチコの心を射抜けるかな!?」
「何が“射抜けるかな”だ。 ただのこじ付けじゃねぇか」
文句は言いつつも、やる気は十分。球を握りしめながら「やってやるぜ」とマネキンを睨む。
「では準備の整った方か……」
「はい! はい! はい!」
司会者の声を途中で切って手を上げる侠輔。
「威勢がいいですねぇ! では八十番さんどうぞー!」
不自然なほどの笑みを浮かべ、くびれた腰に手をやりながら斜め四十五度を見つめるマネキンマチコ。そしてそれを真剣な表情で見つめる侠輔。
その間約十五メートル、チャンスは一度。
侠輔は長く息を吐き出すとキッとマネキンを見やった。
「ずおおおりゃぁぁああ!!」
自分が一体今何の大会に出ているのかを、すっかりと忘れてしまったかのような声を出しながら、マネキンへと全力投球をかます。
投げられた球はまるで、砲弾のような勢いでマネキンに襲い掛かると見事顔面に直撃。無残にもバキリと首がはじけ飛んでしまった。
「あ」
「ああぁぁマチコちゃんの首がぁぁああ!!」
絶叫する司会者。
舞台右端の審査員も驚きの表情を浮かべる。
マチコの首は舞台の上でくるくると回って笑顔で制止する。カツラが取れ、丸坊主をさらしてもくずれぬその笑顔。だが顔の中心にできた窪みのせいなのか、どこか侠輔を睨みつけているようにも見える。
胴体部分はぐらぐらと揺れ、倒れそうでもあるし、そのまま倒れなさそうな状態でもある。
「マチコー! 嫌がらせかー!!」
侠輔は「負けるか!」と、まるで見えない力で体を倒そうとするかのように、手を奇怪に動かす。
それが通じたのか、マチコは散々ゆれた挙句、力尽きたかのようにドサリと倒れた。
「おーっとマチコちゃん、最後の抵抗かなわず八十番さんに倒されてしまいました! 八十番さん合格!」
首にスカーフを巻き付けて、取りあえずの応急処置を施されるマネキン。だが心なしか怒っているようにも見える。
侠輔に続いて孝太郎がその手を挙げた。
「では七十八番さん、破壊に気をつけてどうぞ!」
「はい」と前に歩みでてマネキンと向かい合う。
一息吐くと、侠輔とは対照的に緩やかに球を放った。
球はまるで蝶が止まるがごとく優しくマチコの胸元に着地すると、マチコの全身に心地よい波動が伝わった。マチコはそれを受け止めると美しい曲線を描いて床へと倒れる。横たわるマチコはそれが苦痛などとは思わなかった。”だって私は……”
「うるせーんだよ司会者、何のナレーションだ!」
お前はマチコの何知ってんだよ、という侠輔の突っ込みにハッとする司会者。
「おっと失礼しました。あまりに華麗だったものですから」と汗を拭う。
「七十八番さんも、合格です」
続けて二人も合格したその勢いに乗ろうと、次々と参加者たちが球を投げる。しかし存外そう上手くはいかず、敗退者たちの死屍累々。そんな中優勝最有力候補と目されるご令嬢が手を挙げた。
「では百六番さん、どうぞー!」
令嬢はマネキンを力強く見据えると、力の限り球を投げつける。
だが力はともかくコントロールが悪く、球は明らかに明後日の方向へと向かっていった。
誰もがダメだと思ったそのとき、予想外にも球はマネキンに引き寄せられるかのようにグンと大きく軌道修正すると、球は見事にマネキンを直撃し床へと倒した。
「お? これはすごい! 百六番さん合格でーす」
司会者の言葉にハシャぐご令嬢。
「すげー魔球だな。将来有望な投手になれるぜ」
侠輔が腕を組んで小声でつぶやく。
「おそらく強力な磁気か何の仕掛けを施してあったんでしょう」
「ち、ちょっと待て……じゃあ、あいつらの中に買収されてる人間がいて、不正をやってるってのか?」
たかだかお遊びの大会じゃねぇか、と言う侠輔。
「お遊びだろうと、娘が下位の者に負けるのが許せないのでしょう」
「親バカもここまでくりゃタダのバカ親だぜ……」
侠輔は客席で拍手を送る幕府高官へ、あきれた視線を送った。
「伯父上が今回の特令でオレたちをここに送り込んだのは、こういうくだらねぇコトをする幕府の奴らがいるってのを教える為だったのかもな」
侠輔のそのつぶやきく中、孝太郎はもう一つの可能性を見出した。
客席でも憐が口元に手をやって考え込んでいると、他の観客の話し声が耳に飛び込んでくる。
「なんかさっきの変じゃねぇか?」
「確かに。あんだけ違う方向に行っていたのにな」
「観客席の最前列の真ん中にエラそうに座ってる奴いんだろ? 何でも幕府高官らしくて、その娘がこの大会に出てるって話だぜ? もしかして……」
「おいおいじゃあ……」
「ま、マグレってこともあるからな」
憐は嫌な予感がした。
「では予選を通過された十名は本戦に参りましょう!」
舞台上には畳が敷かれ、十名の予選通過者が正座して並ぶ。
「第一回戦はこちら、“早縫い競争”でーす! 皆様の前の三メートルの布を端から端まで縫い合わせてください。早かった五名が一回戦通過となります。ではどうぞ~」
司会者の合図で一斉に針と糸を取る参加者。
だが孝太郎はふと横を見てあることに気づき、目を細める。
「おいおいマジかよ、裁縫なんかやったことあるかい!」
侠輔が一体何をどうすればいいのか困窮している最中、横で孝太郎はすでに布を縫い始めていた。
「お、お前やり方知ってんのか!?」
侠輔が驚いたように声をかける。
「ええ。まずは針穴に糸を通して……って、あれ? ”幕府特別教科課程”の中にありませんでした?」
「ガキん頃に受けさせられてたヤツか? いやでも一覧の中から自由に選択して受けるんだし、男は普通裁縫選ばねぇだろ」
糸の先がふにゃふにゃと曲がってしまい、針穴に通すことができないイライラの侠輔と、布を順調に縫い進める孝太郎。
彼らはいわゆる学校のようなところには通わない。全て各教科の家庭教師から一対一で教わる。だが何を学ぶかは読み書きなどの基本事項以外、本人の自由意志に任されていた。次期将軍になる者ゆえ、自ら選択し、自らその責を負うことを子供の頃から求められている。
「今の時代、上に立つ者は“ユニバーサル”な知識が必要だと教育係に言われまして」
「ゆ……、え? あ、あぁー……ウニ婆さん、の知識ね、はいはい、やっぱ婆さんの知識はいいよね、亀の甲より年の功といいますか、役に立つよねー、ウニ婆さん……」
“ウニ婆さん?”と首を傾げる孝太郎に、「あれ、違ったか!?」とごまかすように話題を振る侠輔。
「あ、後は何やってたんだ? 成人の十五までは別々に暮らしてたから、そういうの知らねェし、一応参考までに……」
この時代の成人年齢は十五。これを超えれば酒も嗜めるし結婚もできる。
焦ったように話す侠輔だったが、ありがたいことに孝太郎は全くそのことに触れなかった。
布を縫いながら、思い出すように上を向く孝太郎。
「えっと、裁縫の他は、茶道、華道、舞踊、音楽、絵画、書道、文学に歴史関係、語学、政治、経済、法学、国際学、論語、兵法、それから剣術、弓術、馬術あとは……」
「ちょちょちょ、お前一体いくつ受けてたんだよ!」
だんだんと糸先がささくれ立って、ますます困難を極める糸通し。だがそれよりも孝太郎の受けてきた科目の多さに驚きおののく。
「二百三項目です」
「に、二百三!?」
糸通しは諦めて針に糸を結び付けようとしていた侠輔は、驚いて手を滑らせた。
「ですが憐よりは大分少ないみたいですよ」
おいおいマジかよ、オレ五項目ぐらいしか受けてねぇぞ!! と小さくつぶやく侠輔。それに五項目も太鼓やら竹細工やら、役に立つのか立たないのか分からないものばかり。彼に”特令”が将軍の職務と関係ないと非難する資格などない。
「ちなみに侠はどれぐらい受けました?」
その質問にウッと動揺する。
「え? えーっとどれくらい~だったかなあ? あ、あんまし覚えてねーけど、ひゃ、百項目ぐらいかな~あは、あははは!」
見栄を張って二十倍の数を言ったところで、彼ら二人の半分にも満たない。
観客席に座る憐を見やる侠輔は「もうオレ、将軍にはなれないかもしれない」と軽く絶望した。
侠輔が未だに針と糸で奮闘していると、「できました!」との声。
「マジか!? どんだけ早ぇんだよ!」と声の主を見やればあのご令嬢。
「侠……彼女だけは最初から針に糸が通してあったみたいです」
孝太郎が小声で侠輔にそう告げる。
「おい、それじゃあ……」
「布の長さも他の参加者より明らかに短いですし、やはりこれは……」
「イカサマだ!」
会場のどこかからか上がる声。
「あいつだけ始めから糸が通してあったのを見たぞ! それに布の長さも違う! インチキだ!」
その声にざわつく会場。
「え? 皆さんも同じ条件では無かったのですか……」
驚いたように横の参加者たちを見る令嬢、だが誰一人彼女と視線を合わせようとはしない。
「やっぱりあの幕府の奴が……」
「権力があったら何やってもいいのかよ」
「ワイロ渡したのか? それだってオレたちから巻き上げた税だろ」
「キタネーことしやがる……!」
「どれだけ俺たちを見下してやがんだ!」
ざわめきは客席全体に波のように広がり、会場に異様な雰囲気が漂い始めた。
あちらこちらから囁きが聞こえ出す。
「み、皆さん落ち着いてください! そのような事はありません!」
必死にその場を押さえようとする司会者。審査員たちも動揺を隠せない。
司会者の呼びかけもむなしく、会場の声は次第に大きくなる。
それには客席の幕府高官も不安げな様子を見せ始め、その周りの護衛の男たちは己の刀を握りしめる。
「おい、こりゃまずいぞ。ったくあのおっさん何ちゅーことを……」
と言う侠輔に、孝太郎が静かに言い放った。
「……ハメられましたね」
熱を帯び始める会場に、他の観客たちとは違う目の輝きをした二人の男たちがいた。
一言:
階段で滑って弁慶の泣き所を打った。年甲斐も無く、本当に泣いた。
閲読ありがとうございました。