第十二話 狙われた”侠輔”
「お……お話とは何でしょうか」
美しいふすまに囲まれた広間にて、孝太郎の憐の二人に向かい合って座る侠輔。体をぐっと小さく縮こまらせるように正座し、うつむき加減のその顔にはダラダラと冷や汗が絶え間なく流れていた。
「その様子じゃ心当たりがあるようだな」
腕を組みながら、怒ったように座する憐。
「いや……まあ……」などと曖昧な言葉を並べる侠輔に、孝太郎も「何やってるんですか」と苦言を呈す。
「その……、ちょっとばかしうっかりしてて」
気まずさをごまかすようにポリポリと頭をかいた。
「”うっかり”だと? なぜうっかりでこんなことになるんだ」
「いや、普通うっかりでこうなんだろ」
「夢遊病か、お前」
「何でだよ。城下だって事は確かなんだけどなー。もしかして公園で編み笠とやり合った
時か? あー、クソ!!」
そう言って頭を抱える侠輔を、憐は不審そうに見る。
「何を訳のわからんことを。 とにかく自分でなんとかしろ」
「んな事言うなよ~。一緒に捜してくれよ~」
「捜す? ですが、名前は分かっているんですから」
孝太郎は請求書にあった店名を思い浮かべた。
「いや、名前分かってるからって、何とかなるもんじゃないだろ? “オレの衿章どこ?”
で済むならそうしてるっての」
「き、衿章……?」
思いもよらない侠輔の言葉に、憐も孝太郎も声を重ならせた。
「衿章を失くされたぁぁぁああ……!?」
あまりの自体に今井も驚き、そのままバタリと気を失う。
「い、今井さん……!」
孝太郎が焦ったようにタッと傍に寄る。
「お前がここまでアホだったとは……。おい、あまりオレに近寄るな」
憐がまるで汚いものを見るような眼で、ジロリと侠輔を見る。
「人をバイ菌扱いすんじゃねーよ。あー、やべーよなーこれやべーよなー……」
「あきれて物も言えんな……」
憐は心の底から呆れたような、大きくはあっとため息をつく。
「もう一度聞きますけど、本当にこの請求書には覚えがないんですね?」
孝太郎が例の請求書を手に尋ねた。
――上照侠輔様
お会計 参百弐萬弐千伍百円両 也(3,022,500円両)
高級娯楽場 夢玄荘――
「ねーよ。誰がそんな派手に遊ぶかっての」
侠輔はその請求書をケッと迷惑そうに見やる。
その言葉に孝太郎はあごに手をやって、
「ということは……侠の衿章を拾った人物が、“上照侠輔”の名前を語った可能性が高いで
すね。黒金の地位を示す衿章を持っていれば、誰も疑わないでしょうから」
「全く……。それにしても随分と大胆な輩がいたものだな」
「ええ、これは第壱級犯罪。捕まれば間違いなく死罪ですからね」
憐も孝太郎も深刻な顔つきをする。
「とんでもねー奴だ」と言う侠輔に「そもそもは落としたお前が悪いんだろうが」と憐に指摘され、侠輔はウッと声を詰まらせた。
日の傾きによって、暗いオレンジ色に照らされたとある屋敷の一室。一人の男が西洋の服み身を包み、左手に日本刀を持ったまま、腕を組んで外を眺めていた。
スッとふすまを開けて別の男が入ってくる。全体的にくせっ毛の着物を着た青年。
室内に敷かれた座布団に腰を下ろすなり、窓際の男に話しかけた。
「そういえばアレ、聞きました?」
洋服の男はじっと佇んだまま、振り向きもせずに答える。
「何のことだ」
「上照侠輔……その身分を隠して、城下で遊びまわっているらしいですよ?」
口元に笑みを湛えながら続けて言った。
「……いいご身分ですよね? あなたはこうして日陰から出ることができないというのに」
その言葉に窓際の男は、怒りのこもった冷たい視線をギッと浴びせかける。
「おっと失礼……」
笑いを含んだ謝罪を口にする。
「どちらへ?」
スッと急に窓際から離れた男に問いかけた。
「ちょっとツラを拝んでくる」
「あなたがわざわざ行く必要はありませんよ。すでに手下を偵察に行かせましたから」
どんな報告をよこすか楽しみですね、と静かに笑った。
「絶対今夜も現れると思ったんだけどな~」
侠輔が頭を掻きながら夜の街を歩く。
「これだけ広いと探しづらいですね。ですが、ここに来ている可能性は十分にありますよ」
元気の無い侠輔を励ます孝太郎。
「全く……余計な仕事を増やしてくれる……」
憐は眉間のシワをますます濃くしながら、腕組をして城下街を歩いていた。
「あんなんだよ、ネチネチと。誰にでもちょっとした失敗はあんだろが」
開き直りとも取れる侠輔の一言。
「“過ちを改めざる、これを過ちという”」
「うるせー!」
「ありがとうございましたッ!! またのご来店を心よりお待ち申し上げます!」
一際大きな声が聞こえ、三人は思わずそちらを見やる。
見れば店の主と思しき人物に頭を下げられている、侠輔たちと同じくらいの年齢と思しき青年。藤色の着流しに身を包み、色素の薄いツンツン頭にキセル。柄の悪そうな目つきに色白の肌。腰には黒いポーチを巻いていた。
キセル男はヒラヒラと手を振りながら、
「いいってことよ。じゃ、請求書は城にってことで~」
と言って立ち去る。
「“請求書は城に”?」
三人は顔を見合わせた。
「奴だ!」
ダッと急いでその男の後をつけた。
暗い川沿いの裏通りを歩く、キセルの男。その行く手を阻む。
「ちょっと待てよ」
「少しお話をお聞かせ願えますか」
突然現れた二人組みの男に、キセルの男はいぶかしげな視線を投げかける。
「誰だ? お前ら」
「心配するな、何でも無ければすぐに立ち去る」
スッと後ろの道を遮る憐。
「テメーだろ、オレの……」
と侠輔がキセル男に近づいたその時――
「この不届き者めがー!」
突然クワッと刀を振り上げ、上から落ちてくる謎の忍三人組。
「え? 何なに? 何なんだ!?」
動揺する侠輔をよそにポニーテールの忍、赤ハチマキの忍、くノ一が侠輔たち三人にそれぞれ刃を向ける。
皆とっさに刀を抜いてグッとそれを防ぐが……。
「どうぞお逃げくだされー!」
侠輔に攻撃を仕掛けてきたポニー忍者が、キセル男にそう叫ぶ。
「は?」とキセル男も一瞬あっけに取られたようだったが、「あ……ああ」と曖昧な言葉を残してその場を去る。
「あー、ちょッ……」
折角見つけた犯人を逃がしてたまるか、と侠輔が後を追いかけようとする。
「逃がすかー!」
再び忍者刀を振り上げ、襲い掛かってくる。
「何なんだよ、お前ら一体!」
侠輔がギチギチと攻撃を防ぎながら、イライラと目の前にいるポニー忍者に問いかけた。
「黙れ黙れ! 貴様ら、ド~コの回し者だぁ!」
「言ってる意味が分かんねェよ!」
「とぼけるな! 侠輔様を付け狙う刺客であることは分かっているー!」
その忍の言葉に固まる三人。
「ちょっと待ってください。あなた方は一体……」
孝太郎も戸惑い気味に問いかけた。
「我々は公儀隠密の者だ」
孝太郎の目の前のくノ一が静かに答える。
「公儀隠密だと……? 幕府お抱えの忍だというのか……」
憐も驚きを隠せない。
「さあ、誰に頼まれたのか白状してもらおうか」
そう言って孝太郎にザッと斬りかかって来るくノ一。
だが孝太郎はそれに臆することなく、とある単語を口にした。
「青」
意外な言葉に忍たちはピタリと動きを止める。これは味方同士を確認するための合言葉。
幕府内でも一部のものしか知らないはずだった。
「なぜ……お前がそれを……」
いぶかしげな視線を三人に送る忍たち。しばらく目で会話をしていたようだが、侠輔と対峙していたポニーテールの忍が「……山」と対になる語を発した。
その言葉を聞いて「どうやら本物みたいですね」と孝太郎はチャキッと刀を鞘に納める。
「これは一体どういう……」
戸惑う忍に憐が口を開く。
「それはこちらのセリフだ。なぜ公儀隠密ともあろう者が、オレたちの顔を知らん」
「いや、実は我々本日こっちに派遣されたばっかりで、いろいろと不慣れなもので」
ポニー忍者が頭を掻きながら説明をする。
「もしかしてあなた方も侠輔様の護衛だったのですか? すみませーん、何か勘違いしちゃったみたいで」と申し訳なさそうに謝る。
「さっきからその“護衛”だの“刺客”だの、何の話だ」
その問いに憐と対峙していた赤ハチマキがそれに答える。
「城下に度々おいでになる侠輔様を付け狙う、不穏な影があると報告が入ったんすよ。城にはいらっしゃらなくて城下街張ってたら、黒金の衿章を持ってるあの方を発見して」
「その情報は確かなんですか?」
驚いたような表情をする孝太郎に、ポニー忍者が答える。
「ええ。何せ上様お付の忍からの情報ですから」
その言葉に三人の声が重なる。
「アイツが危ない……!」
月明かりに照らされた夜道を歩く、キセルの男。
「何か良く分かんねぇけど、危険を切り抜けたみてーだな。我ながら悪運の強いこって」
後ろを振り返りながらつぶやく。
「……にしてもあいつら何者……」
前を振り返ろうとすると、何やら巨大な脂肪の塊のようなものにボヨンとぶつかる。
見上げれば、ニタリとした気持ちの悪い笑顔で見下ろす巨漢。ちょんまげ頭に白地に水玉模様の着物。
「上照侠輔み~つけた……」
“上照侠輔”男は敬称なしでそう言った。この名をそんな風に軽々しく呼べる人間は数が限られているはず。だが、キセル男にはこの巨大な男がそう呼べる、一握りの上流階級の人間とも思えなかった。
だとしたら考えられるのは……。
「……まずいよな……」
尋常ではない空気をビリビリと全身で感じ取る。
「人違いだろ」そう言ってきびすを返す。
「何を言ってんだい、隠したって無駄だよー」
とその行く手を阻む、白い作務衣に赤いベストを着たガリガリの男。手には大きな刀を持っている。
「ちょっと細丸、こいつはオレがやっつけるんだぞ!」
「うるさい太丸、早いもの勝ちだ!」
「何でだよ! ずるいずるい!」
そう言って足をじたばたとする巨漢。地震か、と思えるくらいぐらぐらと地面が揺れる。
その様子に細丸と呼ばれたガリガリの男が、わざとらしくバッと両手を広げてみせた。
「分かったよ、今度焼肉好きなだけおごってや……あれ?」
細丸と太丸の二人がふと気づくと、キセル男の姿が無い。
「逃げられた~、細丸のせいだからな!」
うーッとしらじらしく頭を抱える太丸。
「何!? 太丸のせいだろ?!」
言い合うように後を追う二人。
「何なんだ? あいつら……怪しさ百点満点だろ」
キセル男が後ろを確認しながら走っていると、頭上から声がする。
「くッ~たばれ~ぇ!」
体に似合わぬ大きな刀をズワッと振り下ろしてくる細丸。
「ぬおお!」
バッと間一髪のところで避け、どんとしりもちをつくキセル男。刀の当たった地面がバキバキと大きくひび割れていた。もし自分に当たっていたら……とあらゆるところから冷や汗が出る。
「危っねぇ。っつーか今日はよく上から人間降ってくんな。どうなってだよここの空は……」
その時キセル男の背中にスッと大きな影が落ちる。
後ろに感じる気配――
「何やってんだよ、細丸~。ちゃんと当てないと。こんな風にね……」
キセル男の目に、笑いながらグアッとナタを振り上げる大男の姿が映った。
「畜生、どこ行きやがった!」
侠輔たちが懸命に男の姿を探していた、まさにその時。
闇夜に叫び声が響きわたった――
一言:
最近時計を見るとX時44分ばっかりなんですけど、何かの予兆?
閲読ありがとうございました。