第九話 一戦
自分が次期将軍候補である、黒金の地位にあることが外部に漏れていたのか身構える侠輔。
「もう逃げられん」
そう言って男はスッと腰の刀を抜いた、とは言え真剣ではなく竹光。
侠輔は少々迷った。向こうに正体が知れているとはいえ、今ここで愛刀を使えば誰かに見られる可能性がある。
相手も竹光ということもあり、侠輔は脇差を抜いた。
「なぜ打刀を使わない」
「こっちにはこっちの事情もあんだよ」
ジリジリとにらみ合う二人。
男がバッと最初の攻撃を開始する。
侠輔はグッと腹部へと突いてくる刀の軌道をそらす、と同時に脇差を下からザッと斬り上げた。男はその手をギリっと掴むと勢いのままにクッと膝を曲げ、侠輔の顔面を狙う。
侠輔は左手で男の膝を内側に逸らしながら、右手の刀を逆手に持ち替え、自分の手首を掴んでいる男の手に狙いを定めた。
それを察知した男は侠輔の右手首をグッと捻ると同時に、内側に軌道を逸らされた右足でザッと足払いをかける。
倒れる前に侠輔己の左手で男の胸倉を掴んで引くと、男にドカリと頭突きを食らわせた。
二人がどさっと地に倒れ込むと男は右手の竹光をクッと持ち替え、侠輔の顔に攻撃の的を絞る。
侠輔は左手で男の左肩をぐっと掴むと、思いきり上体をおこし、その二の腕にガブリと噛み付いた。
男がひるんだ隙にサッとそこから抜け出す侠輔。
「やはりこれでは戦いにくいな……」
男はそう言うと己の持っていた竹光を手刀でバキリとへし折り、刀身だけ残して鍔や柄の部分をポイと捨てた。
刀身の真ん中を中心にブンブンと高速回転させる男。それをクッと右の小脇に挟むと、体を斜めに構えた。
(何だ……? こいつ)
「お前はどこの誰なんだ? オレの事をお前が知っているのに、オレは知らないなんて不公平だろ?」
しかし男は「言う必要はない」としか答えない。
「ここにも無愛想な男がいた」
侠輔は己のよく知る黒髪の男を思い浮かべ、面白く無さそうにつぶやく。
男は勢いよく侠輔に襲い掛かると、右手の棒を回転させ、ズッと様々な方向から侠輔を狙い打とうとする。侠輔はサッとぎりぎりの所でそれをかわし続けるが……
(は、速ぇっ……!)
一瞬でも気を抜けば確実にその餌食となる。
やがて背中にドッと木が当たった。その木の幹に沿うようにズッと横へと避けるが、グガッと男の攻撃が当たった木は大きなダメージを受ける。
「お……おいおい……」
男はすぐさま侠輔に目線を戻すと、容赦ない連続技を浴びせかけた。
侠輔も反撃にでようとするが、避けるだけで精一杯の状態。
集中力、体力共に限界が近づき始め、ゼイゼイと肩で息をしながらかわすが、既に何発か体に浴びて完全に動きが鈍くなってきた。
男の方も疲れが見え始めたのか、一瞬わずかな隙が見えた。
侠輔はその隙に男の間合いにスッと入り込み、脇差の峰で男を狙う。
だが逆に首筋にドカリと手痛い一撃を食らってしまい、ついにバッタリと地に顔をつける格好になってしまった。
体を横たえる侠輔。
「お……お前……」
(隙を作ったのはわざとだったのか……)
男の方はほとんど息を切らすことも無く、静かに侠輔を見下ろす。
「無駄な抵抗はよせ」
「くっ……くそっ」
侠輔は屈辱的な思いだった。剣の腕には自信があった、それが相手にほとんど損傷を負わせることも無く、こうも一方的に……。
己のこの愛刀でなら、違った結果になっただろうかとグッと拳を握りしめる。
「このまま……負けるわけにはいかねぇ……」
得体の知れない人物に、自分の正体が知られているのだとしたら、何としてでもここを切り抜けなければならない。
グッと起き上がろうとする侠輔に男は言葉を掛ける。
――你是不会逃跑的
男が発したその言葉を、侠輔は理解できなかった。
「あ? ……何? 今何て言ったんだ?」
その言葉に、ハッとしたように初めて今までとは空気が変わる男。倒れこむ侠輔の着物の右衿をグッと無理に掴むと、下へ強く引っ張った。
「傷がない……」
「く……何だ! 何すんだ……!」
驚く侠輔をよそに男は静かに立ち上がると、
「人違いだったようだ。すまない」
「はぁ?」
侠輔の制止も聞かず、さっさとその場を離れ、見えなくなった。
「あんなんだよ……くそっ」
侠輔は痛む体を抑えて立ち上がる。
「っつーかオレ最近生傷が絶えないんですけど……」
独り言がむなしく風にかき消された。
編み笠の男がツカツカと、とある大きな建物に入っていく。
広い玄関ホールに足を踏み入れた途端、声を掛ける者がいた。
「どうでした?」
玄関で編み笠の男にそう尋ねる女。意志の強そうな目に、高い位置で丸く一つにまとめられた髪。
深緑の立ち襟の上衣は、右肩から飾緒が吊るされ、左腕には腕章のように赤い二本の細いラインが引かれていた。上衣の開き部分には、のど元から腰丈の裾まで通る白い一本の太い線。
袖は脇から手首に掛けて大きく広がり、袖口部分はぐるりと囲むように白く縁取られる。黄色い幅のある布を腰に巻いて横で結び、白いズボンをひざ下までのロングブーツに入れ込んでいた。
「一人不審な人物を見つけたが、奴ではなかった」
玄関に入るなりスルリとアゴ下の紐を解き始める男。
「……そうですか」
「あれ、そっちも見つかんなかったんッスか?」
先ほどのあどけなさの残る少年、武暁日軍曹もその女と同じ服に身を包み、階段の手すりからぐっと身を乗り出して会話に参加する。
「こちらもダメだったんです。すみません、色々見て回ったのですが……」
太眉青年も、そのそばから申し訳無さそうに語る。
「この様子ではもう大和にはいない可能性も出てくるなり」
馬飛宏大尉が長髪をフワリと揺らしながら腕を組んで現れた。
「これでは上層部にまた言われるでしょうね。我々華国駐日商船保安部隊、通称“華商部”は軍の恥であると……」
長雷少尉は牛乳瓶の底のような眼鏡をぐっと押し上げる。
「恥だなんて……。本来僕たち軍人は幕府から指定された範囲内から、一歩たりとも出られません。それを幕府には内緒で街に行って、捜査しているんですよ? 短時間での発見なんて無理な要求です」
太眉の青年、地位は伍長、が不満げに眉間にしわを寄せる。
「そんなコト華国軍のお偉方には関係なし! 早く見つけないと幕府に勘付かれちゃうしね。あれ、さっそくお叱りのお電話じゃないッスか?」
シャオリーの言葉に全員が足音のほうへ目を向けると、小走りにタタタっと廊下を走る一人の隊士。
ザッと編み笠の男の前で立ち止まると、うやうやしく敬礼をする。
「中将よりお電話です、大佐……」
やっぱりね、という顔をするシャオリー。
大佐と呼ばれた男、陳大隆は笠を頭からスッとはずしながら、パサリと髪を払うかのように頭を振る。
「ああ。今行く」
紅い双眼が黒い髪から垣間見えた。
一言:
コトバッテ、ムズカシイ。
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