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それから二か月、学校は順調だった。
リリアンヌも毎日機嫌よく、小さな子供たちと一緒に遊んでいる。
探さないとわからないほどホープスも村の子供と馴染み、健康的に日焼けしていた。
オーエンからは時々手紙が送られてくるが、まだ帰るという知らせは来ない。
スミスは領主夫人であるキディを気遣い、時間を作ってまで顔を見せていた。
そんな毎日の中で、いつしかキディはスミスと話をする時間が楽しみになっていた。
それはスミスも同じようで、何かと言い訳をつけては学校が終わっても居残っている。
話題のほとんどは幼児教育についてだが、二人の会話は尽きることが無かった。
スミスと話している時間だけは、自分が夫と実家から逃げて身を隠しているということを忘れることができる。
「奥様ってスミス牧師様に恋しちゃいました?」
ある日エマにそう言われ、キディは目を見開いた。
「何を言っているの? あり得ないわ」
「どうしてそんなに慌てるのです? 自然なことですよ。お似合いですし」
「そんなこと! お相手は神に人生を捧げておられる牧師様よ?」
エマが小首をかしげた。
「牧師様って恋愛とか結婚とかダメなんですか?」
今度はキディが首を傾げる。
「どうなのかしら……」
「だって神様と結婚なさったわけでは無いでしょう? 牧師様だって男性ですもの。欲はあるのでは?」
「エマ? あなたの言っていることは牧師様を冒涜しているわよ」
エマは肩を竦めて口を閉じた。
その日からいつものように過ごしているのに、スミスを見ると心臓が早鐘を打つ。
子供たちが使った食器を片づけている時、偶然触れた指先に電流が走るような気持ちになった。
「ダメよ。私はホープスを無事に育て上げるためにここにいるのよ」
冷たいベッドに一人でもぐり込む度に、そう自分に言い聞かせる。
眠ろうとしてもなかなか寝付けない。
そんな時、無意識に思い浮かべているのはスミスの笑顔だった。
「エマの言う通りなのかしら……私って恋をしているの? 恋ってこんなに苦しいの?」
誰も答えをくれない悩みは、キディの睡眠時間を貪るばかりだった。
「どうしたの? キディ先生」
子供の声で我に返ったキディ。
「え? なあに?」
「だって先生、急に読むのやめちゃうんだもの。お腹が痛いの? それとも頭が痛いの?」
キディは自分にがっかりした。
「ごめんね、最近眠れなくて。ちょっとぼうっとしちゃったわ」
このグループで一番年長の子が立ち上がった。
「みんな、今日はお庭で遊ぼう。キディ先生はお疲れなんだよ。休憩が必要なんだ」
子供たちはわらわらと立ち上がり、庭に走り出てしまった。
それを呼び止めることもできず、膝にのせていた本をパタンと閉じたキディの前に、スミスが立った。
「どうしました? お顔の色が冴えません。お加減が悪いのですか?」
そう言いながら立ち上がろうとするキディに手を貸すスミスの目は、痛いくらいに真剣だった。
「いいえ、私は大丈夫です。このところあまり眠れなくて……」
「それはいけませんね。寝る前に授業のことを考えているのではないですか? 子供たちへの教育はとても大切ですが、あなたの健康も重要なことですよ?」
「そう……ですね。今夜は早めに眠ります」
「そうしてください。とは言っても眠れないのでしょう? 何か悩み事ですか?」
「悩み……悩みかもしれませんわ。でもお話しするほどのものでもありません」
キディの手を握る指先に、少しだけ力を込めたスミスが言った。
「私も眠れない日が続いています。聖職者として失格ですね」
キディが驚いて顔をあげた。
「なぜそう思われるのですか?」
「それは……言えません。神にさえ告げていないのです。お許しください」
二人の間に気まずい沈黙が流れた。
もしかしたらスミスも自分と同じ気持ちなのではないかと思ったが、キディは慌ててその考えを振り払った。
自分は『領主の妻』であり、スミスは『聖職者』なのだ。
仮にそうだとしても、許されることではない。
「そろそろ次の授業内容を考えないといけませんね。子供たちの成長は早いですから」
キディは無理やり話題を作った。
「そうですね、子供たちの学ぶ意欲は凄まじいものがあります。まるで砂漠の砂に水を撒いているような気分になることがありますよ。己の未熟さを痛感します」
「同感ですわ。それに学校に来ることができない子供たちのことも考えないといけません」
「お年寄りの世話をしている子供達ですね? それと同時に体が不自由で通うことができない子供のことも考える必要がありますね」
「ええ、そのことですが……」
キディは予てより考えていたプランをスミスに話した。
「なるほど、送迎システムですか。体の不自由な子と遠方から来る子供たちを対象にするのですね? 素晴らしいと思います。しかし老人介護をしている子供たちには? 何かお考えになっていることがありそうですね?」
「学校に行けない原因である『介護』を代わりにしてくれる人を派遣するというのを考えています」
「子供たちの代わりに世話をしてくれる人を雇うということですか? それも良いですがかなりの人数が必要ですね。例えば学校への送迎と同じように、お年寄りをお迎えに行って、一か所に集まってもらってお世話をするというのはどうでしょう。それならお年寄りの方達も孤独を感じずに済みますし、世話人の数も減らせるのではないでしょうか」
いつの間にか二人は夢中で語り合っていた。




