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まるで昨日の夕食の話をするようにオーエンが続ける。
「浮気現場を押さえたキャンディ様は、できるだけ冷静に行動してください。そうだなぁ、例えば『あなたがお留守の間に実家に顔を出そうと思ってお土産を買いに来た』とかどうです? できるだけ大き目の声でその場にいる人間を証人にしてしまうのですよ」
オーエンはエマを振り返った。
「その間にお前は屋敷に戻って荷物を纏めておけ。乳母も同行させよう。その方が安全だ」
頷くエマ。
「きっとソニアはキャンディ様を挑発してくるはずです。彼女の目的はあなたからご主人を引き離すことですからね。絶対に旅行は中止できない。そしてご主人は、それに流されるでしょう。流されてもらわないと困るのだけれど。だから冷静に行動するのです。私は怒ってなんかいないわよ? 安心して行ってらっしゃいって感じですね」
ところどころに声色を使ってお道化たように言うオーエン。
キャンディは徐々に冷静になっていった。
「わかったわ。でもどこに逃げるの? 私に当ては無いわよ」
「大丈夫。私が守ります。しかし名前は変えていただきますし、平民同然の暮らしになります。そこは了承してくださいね。それと、すみませんが私と結婚してください」
「はぁ?」
リリアとクリスが大きな声で叫んだ。
「私の妻として我が領地で暮らします。領地には母がいますが、彼女は近所の子供を昼間だけ預かっていますから、ホープス様が紛れるには最適です。子供同士の情緒教育もできますしね。そして王都で付き合っていた恋人と籍を入れて、子供を連れて帰ってきた放蕩な息子。これが私の役ですね」
キャンディは再びキャパオーバーを起こした。
「キャンディ様は家事はできますか?」
「はい、1年ほどですが一人暮らしをしていましたから」
「それなら大丈夫です。名前は何にしましょうか……戸籍を作らないといけないので。私は男爵位なので平民でも不審がられませんが」
「でしたら平民にします。ホープスさえ安全なら身分などいりません」
「素晴らしいお覚悟です」
キャンディがリリアの顔を見た。
リリアが言う。
「キディ・ホワイトで良いじゃない? 貴族籍は持っていた方がいいわ」
「大丈夫かしら」
オーエンが明るい口調で言う。
「ああ、家庭教師時代に使っておられた名前ですね? 確か隣国から来られたという設定でしたか? それは好都合かもしれない。万が一シルバー伯爵が動いても、彼はエマのことをキディ・ホワイトと認識していますからね。彼自身がキディの存在証明になる」
エマがニヤッと笑って頷いた。
「では、そのように。ドーマ子爵家の家庭教師を辞めて、私と恋仲になって、子供が出来て結婚した。これで行きましょう。お子様は? ホープス……希望という意味ですね……」
クリスが口を開く。
「東の国の言葉で『希望』は『エスポ』だ。どう? キャンディ」
あまりにも急激に全てのことが決まっていく。
「よろしくお願いします……」
思考が全く追いついていないキャンディを心配してリリアが駆け寄った。
オーエンはにこやかに微笑んだ後、表情を引き締めた。
「では覚悟を決めて修羅場に向かいますか。時間がありません。急ぎましょう。ああ、間違っても旦那さんを殴らないで下さいね」
本当ならこのままここに隠れていたい。
キャンディはそう思ったが、ホープスのことだけはなんとしても守ると決めたのだ。
絶対にやり遂げると固く誓う。
「わかったわ」
くわしい段取りは馬車の中ですることになり、エマと別れ馬車に乗る。
とにかく冷静にと何度も言われ、キャンディはますます緊張していた。
まだ心のどこかでは間違いではないかと考えたい自分がいる。
キャンディは泣きたくなってきた。
そして馬車が止まり、クリスとリリアと共に繫華街に降り立つ。
王都一のドレスショップの看板を見上げた時、キャンディは覚悟を決めた。
「いらっしゃいませ」
スタッフが三人を出迎える。
クリスがそっと離れ、責任者に話しに行った。
チラッとキャンディを見たその責任者は、大きく頷きスタッフを呼ぶ。
煌びやかなドレスが飾られ、今にも踊りだしそうに見えた。
クリスが戻ってきて、ディスプレイの大きな盛花の影に、さり気なく移動する三人。
そこからは店への入り口が良く見える。
リリアがそっと言う。
「来たわ。腕を組んでいるわね。忌々しい」
リリアが吐き捨てるように言うと、クリスがそっとキャンディに言った。
「ホープスのためだ。買い物の後、僕たちはばったり出会った。そしてリリアの買い物に連れまわされているんだ。いいね?」
「ええ、わかったわ」
キャンディはグッと拳を握った。
何も知らないニックとソニアは、ぴったりと体を寄せ合って店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「予約をしていたレガートだ」
「お待ちしておりました」
スタッフが自然な態度で、キャンディたちがいるドレスコーナーに誘導する。
さすがは王都一のドレスショップのスタッフ、落ち着き払っている。
リリアとキャンディは、寄り添いながら歩いてくる二人に背を向けた。
「ねえ、これはどう? あなたの色よ? あなたに抱かれているような気分になれそうね」
ソニアが甘えた声を出す。
「素敵だね。君なら何でも似合うさ。でもこの色も良いんじゃないか?」
以前一緒にドレスを選んだとき、全く同じセリフを言われたことを思い出す。
キャンディの緊張の糸がぷつんと切れた。
すかさずクリスが動く。
「おや? レガート小侯爵ではないか? 久しぶりだね」
「えっ! あ……ああ、エヴァン侯爵閣下。ご無沙汰しております」
「夫人へのプレゼントかい?」
クリスがニヤッと笑いながらニックに言った。




