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裏切りの代償  作者: 志波 連
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 エマがキャンディに抱きつこうとしたとき、まるで見計らったように弟が力いっぱいキャンディの腕を引いた。

 芝生に転がるキャンディ。

 キャンディは実の父親と弟に引き摺られて馬車に乗せられてしまった。

 残されていたキャンディのバッグを拾い、エマは呆然と立ち竦んだ。


 シルバー伯爵邸に着いたキャンディは、自室に監禁された。

 窓には格子が嵌められ、屋敷の何処に行くにも護衛と称した見張りがつけられる。

 渡される本は全てレガート侯爵領に関するものだ。

 自分の迂闊さや、匿ってもらった人達への申し訳なさから、キャンディは呆然自失状態。

 そんな絶望しかない空っぽの心に、父親と母親がかわるがわるニックとの婚約の旨味を吹き込む。

 まさに洗脳。


 約束の期日が来る頃には、キャンディの顔つきが変わっていた。

 無表情で無反応、まるでビスクドールだ。

 そんなキャンディに、母親は無理やり薬草茶を飲ませた。

 朝から風呂で磨き上げられ、煌びやかなドレスやアクセサリーで飾り立てられていく。

 心が壊れかけているキャンディは、なされるがまま抵抗もしなかった。

 自室で待っていると、弟が呼びに来た。


「おい、レガート侯爵ご一家がお見えだ」


 キャンディは黙ったまま立ち上がり、廊下をゆっくり進む。

 応接室に入ると、少しほっそりとしたニックが立ち上がり、キャンディに駆け寄った。


「キャンディ! また会えてうれしいよ! 君のために僕は生まれ変わったんだ! 先ほど伯爵から聞いたけれど、君もうちの領地のことを勉強してくれていたんだってね。君の努力は絶対に無駄にしない! 君だけを大切にして君だけを愛し抜くと誓うよ」


 無反応なキャンディの代わりに、母親が口を開く。


「まあキャンディったら、昨夜まであれほど楽しみにしていたのに緊張しているの?」


 キャンディの肩がビクッと跳ねた。


「私は……」


 キャンディが口を開こうとしたとき、シルバー辺境伯が大げさな手振りで声をあげた。


「キャンディ……可哀そうに。実は昨夜から体調を崩してしまいましてね。立っているのも辛いようです。あとは両家の契約だけですので、休ませてやってもよろしいでしょうか」


 レガート侯爵が頷く。


「そうだったのか。それは無理をさせたね。すぐに休んでくれて構わない。ああ、確認だけしておこう。君はニックとの結婚に同意するのだね?」


 キャンディがギシギシと首を回して父親を見た。

 父親の口が『エマ』と動く。

 言うことを聞かないとエマを殺すと言われ続けているキャンディに、頷く以外の選択肢はは無かった。


「ああ、君から直接確認出来て良かったよ。ではこのまま進めよう。ニック、キャンディを部屋まで送って来なさい。契約が終わったら声を掛けるから、それまで互いの話でもしていればいい」


「はい、父上。行こうか、キャンディ」


 ニックは優しくキャンディの手を取った。

 キャンディは小さく頷いて歩き出した。

 部屋ではニックが一方的に喋っていたが、キャンディの耳には近所で犬が吠えているのと変わらないただの雑音。


 それから二か月後、シルバー伯爵家たっての希望により、ニック・レガート侯爵令息とキャンディ・シルバー伯爵令嬢の結婚式が執り行われた。

 大勢の客の前で誓いのキスを交わす二人を、苦々しい顔で見ているリリアとクリス。

 自分たちを見ても無反応なキャンディを、二人は心から心配したが、手も口も出せるような状態ではない。

 何をそんなに警戒しているのかと噂になるほどの警備体制が敷かれた、異様な空気の中で結婚式と披露宴が終わった。


 披露宴のあとすぐに領地に向かった新婚夫婦は、ひと月の蜜月を過ごす。

 初夜も無事に済ませ、領地内の視察にも仲よく手を繋いで向かう二人の姿に、マナーハウスの使用人たちは安堵の色を浮かべていた。

 領地から戻る頃には、キャンディの顔色も少しずつ良くなり、キャンディの表情にも動きが戻っていた。


 とにかくニックは何よりもキャンディを優先させた。

 毎日愛をささやき、夜は情熱的に抱き寄せる。

 事あるごとにプレゼントを渡し、何処に行くにも連れ歩くのだ。

 その姿は、学生時代のソニアとニックの姿を彷彿とさせた。


 そんな二人を常に気遣い、痒いところにも手が届くほどの気遣いを見せる侍女が一人。

 結婚を機に新しく雇い入れたその侍女は、王弟殿下からの推薦状を持っていた。

 まだ年若く小柄だが、必要以外のことは口にせず、屋敷内の噂話にも参加しない。

 まさに侍女の鏡のようだった。

 ニックはその侍女を気に入り、キャンディ専属に任命した。

 本当はもう少し年嵩の侍女をつけたいとは思っていたが、見栄えより能力だという父親の言葉に従った。


 その侍女の名前はエマという。

 初対面の時には、その名にピクッと反応を示したキャンディだったが、記憶の中のエマとは全く違う容姿に、別人だと判断したのか、それ以降は興味を示さなかった。


『エマの体つきは私と同じだったもの。それにしても、これほど細いと心配になるわね』


 これがキャンディの侍女に対する第一印象だ。

 王弟殿下からの紹介状を持っているというのも、別のエマだと思った理由のひとつ。


『ドーマ子爵やエヴァン侯爵ならまだしも、王弟殿下の紹介だなんて有り得ないわ』


 エマはとにかく優秀だった。

 キャンディはエマを信頼し、どこに行くにも連れ歩く。

 その頃にはニックの愛情表現にも慣れ、学生時代のことを思い出すことも無くなった。

 シルバー伯爵夫妻は、言い訳を作ってはキャンディに会いに来るが、その行動も監視だとは感じなくなっていた。

 ニックとソニアのことも、家出をしていたことも幻だったのかもしれない……


 そしてキャンディは妊娠した。

 翌年の春には元気な男の子を出産し、レガート夫妻は盛大なパーティーを開催した。

 リリアとクリスも出席したが、一瞬たりともキャンディから離れないニックのせいで、近づくこともできなかった。


 子供はホープスと名付けられた。

 ふさふさとした黒髪が美しい、碧眼のその男の子は、両家を結ぶ絆の象徴として大切に育てられた。

 ホープスが生まれたことで、キャンディの心は平静を取り戻していく。

 ニックとキャンディは仲睦まじい夫婦として、社交界でも有名だった。

 学生時代のことを知る友人たちも、あえてあの頃のことには触れて来ない。

 なにをここまで拒んでいたのだろうとさえ、キャンディは思うようになっていた。

 

 ホープスが3歳の誕生日を迎える頃から、ニックの仕事が忙しくなった。

 出張も増え、必要経費と称して持ち出されるお金も増加している。

 キャンディが手伝いを申し出ても、優しい口調でこう言った。


「今は我慢しておくれ。愛しているのは君だけだ。僕だって君と一緒にいたいのだから」


 あの1年で本当にニックは変わったのだと信じているキャンディは、それ以上何も言わなかった。

 ある日のこと、領地から来たレガート侯爵がキャンディを呼び出した。


「キャンディ、この宝石商からの請求書は君の買い物かい?」


 不思議そうな顔で答えるキャンディ。


「いいえ、私は宝石を買ったことはございませんし、このところニックからプレゼントされたこともございませんわ」


「そうか、では何かの経費なのかな。ニックに聞いてみよう。あいつはどこだ?」


「ニックはお父様のお仕事で、二日前から出張に出ていますわ」


 レガート侯爵の眉間に盛大な皺が寄った。


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