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星の砕石

星の砕石  〜師〜

作者: 小池ともか

 乳白色の平たい石がまっすぐに敷かれていた。両側には大きさも形も様々な同じ乳白色の石が無造作に転がり、道と共に霧の向こうへと続いている。

 その石の道を、ひとりの青年が歩いていた。

 霧に紛れるような銀髪に、銀の瞳。白一色の衣装を纏う。

 立襟の上衣は膝までを覆い、首元から臍の辺りまで四つの飾紐の釦がついている。動きに合わせて翻る裾にはよく見れば銀糸の刺繍が施されていた。だぼつきはないが緩やかに体型を隠す上衣と同生地の下衣、柔らかそうな布製の靴。

 靴底に至るまで全て白ずくめの青年が口ずさむのは、今はもう忘れられた唄。



 ここは〈さいせきじょう〉―――星を砕き、拾う場所。



 霧に沈む白い石畳の道を歩きながら、青年は笑みを浮かべる。

「だから。何も変わらないよ」

 そう告げてから少し首を傾げ、暫くしてから(かぶり)を振る。

「僕だってそう思ったけど…」

 微笑んだままひとり呟くその声音には、ほんの僅かに翳りを含んではいたが。

「でも別にいいんだ。君がいてくれるし」

 すぐに明るい声でつけ足し、青年は立ち止まった。

 霧の向こうを見据える瞳が銀から黒へと変わっていく。同じようにその髪も、白一色の衣服も、すべてが黒く染まる。

 白い景色の中にぽつりと浮かぶ黒い青年。その顔に、先程までの柔らかな笑みはなかった。

「お客様ですね」






挿絵(By みてみん)

イラスト作 コロン様

https://mypage.syosetu.com/2124503/







 立ち込める霧がゆらりと動く。その奥に現れた人影は、迷う様子もなくまっすぐに近付いてきた。

 丸く敷かれた石畳の広場に到着した若い男は、広場の中央に見えた姿に少し驚いた表情を見せる。

「ようこそ、砕石場へ」

 その様子を気にすることもなく、中央に立っていた黒衣の老人はそう一礼した。

「私はここの管理人です」

 顔には皺が刻まれ、声も(しゃが)れた老人のものではあるが、髪は黒く話し方は流暢で。その齟齬に、男は更に怪訝そうに老人を凝視する。

「大丈夫ですか?」

 再びかけられた声に、男ははっと我に返った。

「あ、すみません。ちょっと知り合いを思い出してしまって」

 そう頭を下げてから、改めて辺りを見回す男。

 老人のうしろには白い岩山が聳え、見上げてみてもその頂上は霧に覆われている。広場の左右には同じ白い石畳が細く伸びているが、その先も霧に呑まれていた。うしろを振り返ってみても、自分が来ただろう道も同様に見えなくなってしまっている。

「…ここが採石場、なんですよね……」

 一面白い霧に覆われた中ではまるで浮き上がるような黒色を纏う老人を見つめながら、男は噛みしめるように呟いた。



 まだ少年期を抜け出したばかりのような、幼さの残る顔つき。

 祖父ほどの歳の老人を見つめたまま、男はぎゅっと手を握りしめる。

 古い(うた)を頼りに星の石を探しに来た。

 求める幸せを与えるという星の石は、絆を示す絆石でもあるのだという。

 それを知り、どうしてもここへ来たかったのだ。

「星の石はあれ…ですか…?」

 広場から続く道の両側、一面に転がっている白い石を見ての男の言葉に、老人は頷く。

「ご説明しますね。まずはここから道沿いに歩いてください。どちら周りでも構いません」

 左右の道を示して老人が話しだした。

 男は神妙な顔で口を噤む。

「山の周囲を回ってここへと戻ります。その途中に貴方の石がありましたら、どうぞお持ちください」

 そこで一度言葉を切った老人は、男に口を挟む様子がないことを確認してから続ける。

「途中で引き返したり道を大きく外れたりなさると、戻れなくなりますのでお気をつけください。私はうしろからついていきますね」

 それきり口を閉じた老人。やがて男がおずおずと尋ねる。

「僕の石だと解るでしょうか…」

「はい。お解りになると思います」

 そう言い切られ、男はまだ少し不安の残る顔で頷いた。



 左の道を進みながら、男はこれまでの日々を思う。

 高齢であった陶芸家の師。それ故自分が最後の弟子だった。

 自分を一人前だと認めてから、師は引退した。ひとり山奥で細々と土を捏ねる師を心配し、一緒に暮らしたいと何度も言ったが聞き入れてもらえなかった。

 せめてと思い毎日足繁く通っても、碌に世話もさせてもらえず追い返される日々。

 自分が最後の弟子なのだから、最後まで一緒にいさせてほしい。

 いくらそう訴えても『儂には構わず自分のやるべきことをしろ』と返され続けた。

 そんな日々が続いたある日。

 いつものように家を訪れると、師は亡くなっていた。

 師をひとりきりで逝かせてしまったこと。最期を看取れなかったことを、今でも悔やんでいる。



 ふと何かが見えたような気がして、男は顔を上げた。

 行く先、道の左側から淡く光が洩れている。弾かれたように駆け出した男は、道を外れる直前で踏み留まり老人を見た。

「大きく外れなければ大丈夫です」

 変わらぬ速さで歩いてきた老人の返答に、安堵の表情を見せてから石の中へと踏み込む。光の傍らに膝をついて両手で上の石をどけていくと、柔らかな白い光を発する石が姿を現した。

 そろりと手を伸ばし持ち上げる。片手からは幾分はみ出す大きさの、少し凹凸のある円柱のようなその石は、手に収まると同時に徐々に光を失っていった。

「大丈夫ですよ。進みましょう」

 不安気な顔で見返す男に老人はそう言い先を促す。老人と石とを見比べてから、男はまた一本道を進み始めた。

 次第に濃くなる霧の中、自分のうしろから足音もなくついてくる老人。白の混じらぬ髪といい、はっきりとした物言いといい、どこか若々しく。

 晩年の師は、元気そうに見えていてもやはり歳をとっていたのだと今になって思う。

 動きも緩慢に、何事にも時間を要するようになった師。少しでも助けになればと思っていたのだが、顔を見せる度に時間を無駄にするなと言われ続けた。

 師が亡くなり、自分に何ができたのだろうかと考えると、何も手につかなくなってしまった。

 兄弟子たちからも少し休めと言われ、それならばと星の石を探すことにした。

 伸ばした手の先も見えぬ程の濃霧の中、おそらくこれも師にとっては時間の無駄なのだろうと苦笑う。

 星の石を手に入れて幸せになりたかったのではない。疎まれていなかったのだと知りたいだけなのだ。





 ずっとひとり幅だった石畳が広がったことで、男は元の広場に戻ってきたことに気付いた。

 足を止めると、うしろから追い抜いた老人がその中央で振り返る。

「お疲れ様でした」

 少し薄くなった霧の中、そう声をかける老人の足元には先程までなかった黒い一枚板の敷石が見えた。真四角のそれは、まるで元からそこにあったかのように白い石畳の中にはまり込んでいる。

「…それは……?」

「これは砕石盤です」

「さいせきばん?」

 聞き慣れぬ言葉に重ねて問い返す男に、そうです、と老人は頷いた。

「ここで石を割ることができます」

 告げられた言葉をどこか呆けた様子で聞いてから、男は老人と手元の石とを見比べる。

「これを割ってしまうんですか?」

「はい。相手がそれを望むなら、あなたの石を分けることができます」

「相手が望むなら……」

 俯いて老人の言葉を繰り返してから、男ははっと顔を上げる。

「互いにとっての、って……そういう意味なんですね…」

 (うた)の一部を呟いた男に、老人は何も返さなかった。



「分け合いたい相手のことを考えながら、石を砕石盤に落としてください。相手はひとりでなくても構いません」

 老人の説明を聞きながら、男は黒い石の前に立つ。

 自分は師を尊敬していた。

 陶芸家としてはもちろん、人としても。

 ぶっきらぼうで言葉が足らず、言い方のきついところがあっても。それでも愛情持って見守ってくれていると感じていた。

 だからこそ、自分も師に報いたかった。教わるだけではなく、何かを返したかった。

 しかし最後まで師が自分を歓迎してくれることはなく。自分のことをしろ言われ続けた。

 自分のやっていたことはただの自己満足に過ぎなかったのだろうか。

 師が亡くなってから何度も自問した。

 その答えがここにある。

「…僕のこと、煩わしいと思ってましたか…?」

 男の手から、白い石が放たれた。



 コン、と石同士がぶつかる軽い音。

 黒い平らな石の上に、白い石が変わらぬ姿のまま転がっていた。



 男は暫くただ呆然と石を見下ろしていたが、やがてカクリと膝を折った。

「…やっぱり師匠は僕のこと…迷惑だと思ってたんですね……」

 そろりと石に手を伸ばし、手に取って。まるで石を慰めるように胸に抱く。

「最期まで…煩わせてすみません……」

 震える声でそう呟き、背を丸めて俯いた。

 そのまま動かなくなってしまった男の傍らで、老人は立ったままじっと見つめていた。



 男の頬を伝う涙が申し訳なさから諦めへと変わった頃だった。

「…石を分けることを望むかどうかと、絆があるかどうかはまた別の話ですよ」

 頭上から降ってきた声に、男はゆっくりと顔を上げる。

 老人の漆黒の瞳はまっすぐ男を捉えていた。

「相手がそれを望まぬ理由を、あなたは既に教えてもらっているのではありませんか?」

 こちらを見据える瞳には慰めや取り繕う様子など微塵もなく。遥かに長い時を生きてきたからこその深みがあるだけだった。

 自分に向けられたその眼差し。覚えあるそれに、男ははっと息を呑む。

 もう教えることはないと言われたあの日。自分を通り越して何かを見るようなそんな眼差しで、これからは自分のことは自分で責任を持てと告げられた。

 自分に告げられたそれは、おそらく師自身がそう在ろうと心に刻んだ言葉で。

 一人前の証として、あの日自分に贈られたもの。

 自分のことをしろと言い続けた師。

 その時の表情を、今改めて思い出した。





 ぎゅっと、男が石を握りしめる。

「……ちゃんと独り立ちしろってこと、ですかね…」

 問いかけるような男の呟きに、老人が応えることはなかった。

 男は一度深く息を吐いてから立ち上がり、老人に向け頭を下げる。

「ありがとうございます。…いつまでも師匠に心配をかけては駄目ですよね」

 老人と向き合うその表情は、憑き物が落ちたかのように晴れやかで。先への決意に満ちていた。

「もう忘れないように。大切にします」

 割れなかった石を大事そうにしまい込み、男はもう一度深々と頭を下げ、示された帰り途を歩き出す。

 同じように深く頭を下げた老人は、男の姿が霧に呑まれて消えるまで動かなかった。

 霧が再び辺りを覆う。やがてゆっくりと上げられた顔は、既に元の青年のそれへと戻っていた。

「お疲れ様でした」

 言葉と共に、青年の色が抜け落ちるように霧に紛れていく。

 銀髪に銀の瞳、白い装束の青年は、何かを気を取られたように宙を見てから(かぶり)を振った。

「解らないけど。言わなきゃって思ったんだ」

 霧の向こうをじっと見据え、今度は嬉しそうに笑う。

「そうかもしれないし。そうじゃないかもしれないけどね」

 そうしてくるりと向きを変え、石畳の道を進み出した青年。

 纏わりつくようについていく霧が、次第に小さくなるその姿を覆い隠した。



 お読みいただいてありがとうございます。


 また次の来訪者を迎える際にお会いできれば幸いです。

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小池ともかの作品
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コロン様
― 新着の感想 ―
割れるからこその絆 割れないからこその絆 それは互いに作り上げてきた関係性によって様々なんですね。
[良い点]  石を分けることを望まない、師匠が不器用で言葉足らずで、でも弟子の事を凄く大切に思っている‥‥。  この作品は、独特の不思議な世界観や、吸い込まれそうな間の心地よさに目を奪われます。 …
[良い点] 師は永遠に師なのですよね。 自分のことでつまらない後悔などするな、与えられるものは全部お前に与えた、あとは責任を持ってやるべきことをやれ。 割れない石から、そんな厳しくも温かい声が聞こえて…
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