ゴミはゴミ箱へどうぞ
駅構内はひどく静かだった。
毎日のように見ている景色のはずなのに、いつもと全然違う。
拍子抜けするくらい人の流れは緩やかで、朝晩の通勤ラッシュしか見たことがなかった俺には新鮮だった。
照明バリバリの夜と違って太陽光だけが頼りの薄暗い空間、そんな中をちんたら歩いてようやく目的地にたどり着いた。
電車のホーム、それもその端の方……人がギリギリすれ違えるくらいに狭くなっているところ。
撮り鉄とかがカメラ持って待ち構えてる、あの辺だ。今日は珍しく誰もいなかったけど。
端に立って線路を見下ろすと、潰れたペットボトルと空き缶が落ちているのが見えた。
視界の右の方に緑色のフィルムのついたもの……おそらくお茶のペットボトルが二つ。
そして左に、コーラとエナジードリンクの缶が一つずつ。
(ゴミはゴミ箱へ……)
……なんてここで言っても当の本人には届かないだろうけど。
一息つく間もなく、陽気な駅のメロディが鳴り出す。
もうすぐここに電車が来るらしかった。
(……)
メロディのせいなのか、さっきの男のせいなのか。
なんだか急に腹が立ってきた。
死のうと思って、ここに来たのに。
今こうしてここで自ら終わろうとしている人間の俺を見て……その神とやらが笑ってる、そんな気がして。
どこか高くて遠いところから俺を見下ろして、手を叩いてゲラゲラ馬鹿笑いされてる気がして。
さっきのモジャ男みたいに、クソでかい声でバカ笑いされてるような気がして。
(……)
なんだかイライラというか、無性に腹が立ってきた。
『黄色い線までお下がりくださ〜い!』
耳に入ってきた駅員の声は、意味の無い音として通り過ぎていった。
『危ないですからお下がりくださ〜い!電車が来ます、お下がりくださ〜い!』
声の調子からして、なんとなく自分の方に声が向いているのは分かる。
俺は線路に向かってぐっと両足に力を込め、前のめりになり……
そして……
そのままスッと後ろに下がった。
間を置いて、またメロディが鳴り出す。
駆け込む人々の騒々しい足音が止むと、やがて電車は隣駅へと向かっていった。
(やっぱ、やめた)
やめだ、やめ。なんかムカつくから、今日は死んでやらない。
また今度だ。
その場でくるりと踵を返し、歩き出す。
死なないという事は、まだ生きるという事……つまり、これからまだ苦しみ続けるという事。
ポケットの中でスマホがまた鳴っている。
(さて、どうするか……)
神の悪ふざけで……この先の人生、どうせ碌でもないのはもう分かった。
どうせ、またすぐにめちゃくちゃにされる。
どうせ、また気まぐれにどん底に落とされる。
もう分かった。だから、もういい。
もう、以前のように頑張って生きて幸せになろうだなんて思わない。
まともに生きようとも思わない。
真面目になんて、しない。できない。ならない。
こんな調子じゃ、ますます人は離れていくだろう。
家族だって……どうだか。
場合によっちゃ勘当してくるかもな。まぁどっちでもいいけどさ。
彼女もいない、友達もいない……これからもきっと、ずっとそう。
この先で俺を待っているのは孤独な死……なのかもしれない。
でも、いい。
そんなのいちいち気にするつもりは、もうない。
苦しみしか与えるつもりはないというのなら。
いいさ、受けて立とうじゃないか。
つらければ、さっさと逃げる。
やる気出なければ、すぐ辞める。
我慢なんてしない。
笑いたきゃ笑うし、怒りたきゃ怒る。
空気なんて読まない。自重なんて知るか。
自分のためなら、人だってなんだって利用してやろう。
不真面目?甘えてる?クズ野郎?
知ったこっちゃねぇ。
どうせどう足掻いたって品行方正、良い子になんてなれない。
幸せ者になんてなれやしない。
だからもういい、もう一切頑張らない。
自分以外、世界の全てを振り回して……思いっきり迷惑かけてやる。
好き勝手生きてやる。
やりたい放題、好きにやって。
今まで通り、いや今まで以上に……碌でもない、ほんとクソみたいな人生を……その神とやらもドン引きするような人生を、送ってやろう。
このしょうもない世界を見下して、思いっきり高笑いしてやろう。
遊びで作ったにしろ、設計ミスなんだよ。
最初からただの泥人形として作れば良かったのに……変に自分の意思まで持たせたから、こうなる。
まぁ、俺という意思のある『個』としてこの世に生まれちまった以上、この人生の主人は俺。お前じゃない。
どう舵を切るかは俺が決める。
よそ者は口出し厳禁。
最後に笑うのは、神(お前)じゃねぇ……この俺だ。
思い上がりもいい加減にしな。
ば〜か。
◇ ◇ ◇ ◇
(ふふっ、その意気や良し……)
駅のどこかで、ぼんやりと声が響いていた。
上にいるのか下にいるのか。
右にいるのか左にいるのか。
近いのか遠いのか。
全てがひどく曖昧な、霞のような声。
どこかから呼びかけているようでもあり、ただの独り言のようにも聞こえるそれは……モジャ男と呼ばれた男の声色そのままに、どこか厳格さを感じさせるようなゆったりとした話し方だった。
(いいぞ。もっとだ、もっともっと……足掻いて、もがいて、刃向かって……そうやって無様な姿を晒して、我を楽しませておくれ)
(やはり、まだ人間観察はやめられそうにないな。火事場の馬鹿力とはよく言ったものだ。苦しみを与え続けると、稀にこちらの予想を超えるような事をしでかす奴が現れる……それが面白いのだ)
(だが、最近の人間はなかなか面白みに欠ける。ちょいと遊んでやると、簡単に絶望しすぐにぐずぐずに腐ってしまう……元々そういった個体はいたにはいたが、最近はあまりに多くなりすぎてしまった。そもそもそんな風に作ったつもりはなかったのだがな)
(そんな張り合いのない腑抜けばかりで、飽き飽きしていたところだったが……これで一安心、もうしばらくは楽しめそうだ)
(……好き勝手に生きる、か。確かに程度によっては、お前の言う通り周りの顰蹙を買うだろう。しかし……それは案外、遠回りのようで近道でもある)
(言い方はだいぶ乱暴だが、そうやって必死になって、お前がお前自身の心に素直になる事……それは幸せへの最短の道。いつかは我の予測の域を超え、運命すらも変えて……幸せいっぱいに心から笑う……そんな日がいずれ来るかもしれぬな)
(まぁ、そこまで手出しせず黙っているかどうかは……我の機嫌次第だがな)
(どちらにせよ……結果がどうであれ、お前は満足するはずだ。やれるものならやってみろ、愛しき我が玩具(人間)よ……)
しかし、その声は街の喧騒に紛れ……彼の耳に届く事はなかった。