幸せの青いゴミ
(幸せの青い鳥、か)
誰だって幸せになりたい。そりゃ、俺だってそうだ。
誰だってそう。でも……
(そうは言っても、な……)
なんか引っかかるような感じがして、記憶の中を探ると……そういえば、身の回りでいくつかそういったエピソードがあったのを思い出した。
会社のとある先輩は、数年前から『幸せになれる習慣』とやらを始め出した。
一度は一通りちゃんと話を聞いたんだけど、興味なさすぎて綺麗さっぱり忘れてしまった。
何をしてるんだか分からないが、でもあれから何かが変わったような感じは全くなかった……つまりはそれが結果だろう。
後輩の女子は『幸せホルモンを増やす』とか言って、ナッツやらバナナやらそんなんばっか食うようになったが……結局、わずかに顔がふっくらした事ぐらいしか俺には変化が分からなかった。
また、同期の意識高い系の奴は『幸せになる考え方』を自分に色々と課して、かえって苦しんでいた。
意気揚々と自分で自分の首を絞めて……もはや何がしたいのかさっぱりだ。あれか、そういう性癖なのか?
自分の考え方の悪い癖なんてそんなすぐに治らないし、細かいことはいちいち気にするなと言われてもクヨクヨするのが人間だ。
今までうん十年変わらなかった(変えられなかった)それを、突然無理矢理変えようだなんて。
そんなの不可能だって、最初から分かりきった事なのに……
うん。やっぱりアイツはドMだな……今、確信した。勝手に。
少し話が逸れたが、つまり結局……『幸せの青い鳥』だなんて、どこにもいやしない。
これをすれば幸せになれる、だなんてうまい話は無いのだ。
「はぁ……」
思わず大きなため息が溢れた。
ため息をつくと幸せが逃げる、なんて言うけど。
でも、出ていくばかりで呼び込む方法なんて誰も知らない。
「はぁ……」
モジャ男はというと、また狂ったようにバカ笑いし始めていた。
何がそんなに楽しいんだか。
(神、ねぇ……)
この世に神なんているのかいないか知らないが、もし本当にいるのなら……とんだ迷惑野郎だ。
好き勝手に人間を操って、弄んで。
死ぬまで、その人間に意識がある限り……どんな理不尽な運命であっても、どんな残酷な運命でも、平気で与えてくる。
鯉に餌でもやるかのように気軽に、ホイホイと。
かと言って、人の命で遊ぶな!なんて言ったって通じるような相手じゃない訳で。
どこにいるんだか知らないが、遠くの安全地帯からのんびり見下ろしてんだろ?
ほんと、どこまでもクソ野郎だ。
そんな奴の気まぐれに振り回されて、永遠に不幸のどん底……なんて、別に珍しい事じゃない。
(だって、現に俺もそうだし)
山あれば谷あり?明けない夜はない?
底まで行けばあとは登るだけ?
(嘘こけ。どん底が終わったら、また次のどん底が待ってるに決まってんだろ)
運良く抜け出せて幸せになった人間の話はよく色々なメディアに取り上げられるが、そんなのは氷山の一角。
皆、誰もが何かしら苦しみの渦中にある……大なり小なり、その種類は違えど。
逆にだからこそ、幸せになった奴は話題になり、取り上げられるのだ。
メディアとしてはその方が盛り上がりがあって面白いから、娯楽のネタとしては最適だ。
これだけ苦しんでどん底で、そこからなんらかのきっかけで克服し、そして今幸せになりました⭐︎……なんて、普通に考えてある訳ない。
あり得ないからこそ、ネタにされ持て囃される。
きっかけなんて、ぼーっと待っててもやっては来ない。
だからって自分から手を伸ばせば、今度は逃げていく……
仕方ない事なのだ。
誰も、生きているがゆえの苦しみからは逃れられない。これは逃れられない運命。
人間として生まれた以上、苦しみから逃れる術はない。
「はぁ……」
もはや何度目か分からない大きなため息が溢れた。
と、同時に……ようやくモジャ男が静かになった。
どうやら笑いが収まったようだ。
真面目な顔にもどっていったと思ったら、今度はみるみる驚いた表情になった。
(なんだよ、今度は。そんな目で俺を見て……じっと見たってさっきからずっと同じだよ)
何も変わってない。
当たり前だ、だってずっと何もせずここに突っ立ってたんだから。
あえて言うなら……生きる事に対する諦めの気持ちが、ここに来る前よりさらに強くなったってくらい。
モジャ男は驚いた顔のまま、俺の爪先から頭のてっぺんまで、舐めるように視線を滑らせていく。
(なんだなんだ、そんなに気になるか?)
どこが?
枯れ草みたいなバサバサの髪?
死んだ魚のような目?
全てを諦め切った顔?
夢を掴むのをやめた両腕?
前に進むのをやめた両足?
それとも……
「……」
「……」
お互いしばらく無言だったが、モジャ男は何やら勝手に納得したらしい。
よく分からないけどなんだか満足したようで、また一方的に喋り出した。
「神はなぁ……」
(また、そればっか)
また始まった胡散臭い話にうんざりしながら、何気なく空を見上げる。
あれほど眩しかった空が少しずつ夕方の色に染まり始めていた。
ちょっと寄るつもりが、いつの間にかだいぶ経ってしまったようだ。
「はぁ……」
大きなため息。
でも、これはさっきまでと違って安堵のため息だ。
やっとあの長話から解放された、安心感によるもの。
適当に途中で抜けてきたのだ。
飽きてきたってのもあるけど、流石にずっと狂人の話聞かされ続けるのは疲れるもんだ。
俺が離れてもまるで何事も無かったかのように、あのモジャモジャは虚空に向かってまだ喋り続けていたけど……まぁいいや。放っとこ。
モジャ男に心の中で別れを告げて、俺は本来の目的地『駅』へと向かった。