酸が喉を上っていく
しばらく待ったが、モジャ男はまだ何やら考え込んでいた。
「……」
「……」
何悩んでんだか知らないけど。
会話が中途半端で終わっててなんとも気持ち悪く……仕方ないから、俺から話を振ってみる。
「だから、要は……苦しいけど、無理矢理自分に幸せだって言い聞かせてるって事だろ?」
「人間は幸せにはなれない……だが、幸せだと自分で思い込む事はできる」
「はっ、なんだよそれ」
なんだよ……散々もったいぶっておいて、それかよ。
なんだかんだ言って、結局自己暗示じゃねぇか。
(あ〜あ、待って損した)
「そうだそうだ、ここで会ったのも何かの縁……せっかくだから君にアレをやろう」
いきなりそう言って、モジャ男は色褪せて毛羽立ったズボンのポケットに手を突っ込み、何やら探し始めた。
「え〜と……あ、あったあった……それ!」
いきなり乱暴に投げつけてきたそれに、慌てて両手を伸ばす。
「えっ!ちょっ、おい……!何投げて……!」
手の中に収まるくらいの小さいそれをなんとか包み込むようにキャッチ。
と同時に、びちゃ!と嫌な音が手の中で鳴った。
「うわっ!」
べちょべちょと嫌な感触。
恐る恐る手を開いてみると……そこには謎の液体でベトベトの、黒っぽい塊があった。
(おえっ)
鼻の曲がりそうなほどの酸っぱい臭いに、思わず胃液が込み上げてくる。
それをどうにか無理やり飲み込むと、喉がグググッと大きく鳴った。
極力息をしないようにしながら手元に目を凝らすと……それは血だか体液だかでひどく黒ずんだ、鳥の死骸のようだった。
ベトついた黒い塊の隙間からくすんだ灰色が僅かに覗いている。
光の当たり具合によっては青くも見えるが……あまりに汚なすぎて、もはや元の色は分からない。
「うわ……きったね!」
それが何なのかとか認識するより先に手が勝手に動いていた。
生理的嫌悪感たっぷりのそれを、反射的に手のひらから取り除こうと……腕を素早く上下に振り、汚くこびりつくそれを反射的に振り落とす。
それは水っぽい音を立てて地面にぶつかり、すぐにぐにゃりと崩れて溢れた液体と共に横に広がった。
「それは『幸せの青い鳥』さ」
地面に落ちたアレをもう一度見る。
形が崩れてぐちゃぐちゃのアレ。
(ほんとかよ……ただのその辺のスズメの死骸かなんかじゃねぇの?)
疑いの目を向ける俺を見ながら、モジャ男はニコニコしていた。気持ち悪いくらいに。
反射とはいえ、死骸をその場に投げ捨てた俺も俺だが……でもそれ以上に、目の前の男はそんなのをポケットに入れて持ち歩いていて。
しかも人に向かって投げて、それを見て笑っている……
「青い鳥って……あの、童話の?」
「そう。つまりお前が投げ捨てたあれこそが、その鳥だよ」
「だから?」
「あれで幸せになれるんだ。欲しくないのかい?」
「だって死んでんじゃん」
「まぁな」
「いらね」
いらねぇよ、あんなゴミ。くせぇし。
「……っはは、ははは!ははははっ!」
何がおかしいのか、急に腹を抱えて笑い始めた。
周りにわんわん響くようなクソでかい声で。
どうとう気でも狂ったか……いや、元々狂っていたっけかコイツ。
腹を捩り目に涙を浮かべてひとしきり笑った後……今度はフッと真面目な顔つきになり、突然人が変わったかのように熱く語り始めた。
「そうだ、そうなのだよ!そういう事だ!」
「どういう事だよ?」
なんだなんだ。なんだ今度は。
「大正解だ!素晴らしい!素晴らしいぞ!お前はそこまで馬鹿ではなかったようだ!」
バカにしてんだか褒めてんだか。
微妙に上から目線なのがなんかちょっと腹立つ。
「は?だから、どういう……」
「今まで多くの人間にアレを渡してきた!『幸せの青い鳥』だって言うと、皆揃いも揃ってありがたがって持って帰るんだ……その死骸を!」
持ち帰るとか、正気かよ。
いくらご利益あるからって……
「皆、大事そうに抱えて帰る。ある人はタオルに綺麗に包んで、またある人は保冷剤を詰めたダンボールに入れて……まるで赤ん坊でも運ぶかのようにな」
「で?幸せになったのかよ?」
「なった」
「まじ?!」
え、待って。前言撤回。
まじで?そんなご利益あんのアレ?
(えっ、やっぱ持って帰ろうかな……?)
「そりゃ、幸せを運ぶ鳥だからな……腐っても、青い鳥は青い鳥だ」
「でも、なんでそれをアンタが持ってんだ?」
「いつも、しばらくすると捨てられてしまうんだ……燃えるゴミの日にな。そうやって何度も何度も捨てられては燃やされるもんだから、今やあんな無惨な姿になってしまったよ。元々は綺麗な青色だったのに、真っ黒になって……ああ、可哀想に……」
流れるように口から吐き出される、哀れみの言葉。
しかし、その嘘くささは今まで聞いた中で一番だった。
「でも、どうして捨てるんだ?鳥のおかげで幸せになれたんだろ?」
「ああ……どうやらお気に召さなかったらしい」
「はぁ?」
「結局、人間の欲は底なし沼。青い鳥すら叶えきれぬほどの、無限の欲望さ……」
ふ〜ん……なんか分かったような、分かんないような。
「……だが、しかしっ!」
急な大声に、いつの間にか側にいたらしいカラスが数匹、焦って飛び去っていった。
突然の事に大騒ぎする彼らのガラガラ声もなかなかのボリュームだったが……でも、モジャ男のはそれ以上だった。
「び、びっくりしたぁ……なんだよ、急に大声出して……」
「しかし、だ……君はそうはならなかった!」
「え?あ、うん」
超近距離で大音量を聞かされて、鼓膜がキンキンしている。
なんか知らんがまたテンション上がってきたぞ、この人。
「後にも先にも君だけだ!素晴らしい!素晴らしいぞ!」
「え……そ、そりゃどうも……」
モジャ男はしきりに感心感心と言わんばかりに何度も頷いているが、俺には何が何だか。
あのゴミの事をなんか言ってるみたいだが、とにかくなんと言われようとも俺はいらない。
いくらご利益あるって言われたって、あんな汚い肉の塊を持って帰る気は一ミリもない。