Ep3 A transfiguration of my friend~なんかいいことあったのか?という疑問~
「……………」
昨日の陽気とはうって変わり、今日は冬再来って感じの肌寒さであった。三月の切なさにも似た冷たい風が通学路を突き進み、生徒を襲う。
辺りでは「さみい」とか「手袋持ってくれば良かったあ」とかこの寒さに対する愚痴を零す中学生達が今日も学舎に向かって歩いていた。
同じ中学生というコミュニティーに属するオレこと遠藤真也も、この寒さには政権交代前の与党に向けるものと同じくらいの不満を抱いていたから、気分が普段通りであれば今ここでスレッドを立ち上げ、近くの中学生とカキコし合うのだが…、
「………………、」
そんな気分じゃなかった。
「…はぁー、」
理由は言うまでもない。
昨日のことだ。
それは、顔を二度も殴られたことでも、牛乳臭いと言われたことでも、貴重な体育に出れなかったことでも、そのせいで二十周も走ったことでも、鏑木亮太が無断欠席したことでもない。
むしろそれなら、まだ良かった。
なぜなら、それらはまがりなりにも日常であり、非日常でも超常でもないからだ。
非日常、超常。
それらは本来、存在しないものである。
したとしても、期限つきだ。
なぜなら今の生活ではありえないことを指すのが非日常、超常であるからだ。
つまりはアニメの世界で非日常、超常を謳歌しているアニメの住人達にとってみれば、オレらが『非日常、超常』と思っていることこそが日常であり、オレらの日常が『非日常、超常』なのだ。
存在しえない非日常、超常を、今この肌で感じている自分がいる。
そして、それが日常へと昇華してしまうカウントダウンに危機を抱いている自分がいる。
正直、怖い。
オレにそんな感想を抱かせるものの正体なんてそりゃ決まっている。
それは、オレの得たポンコツ能力に関連したものであり、日本の裏側で目的不明に行われている、ある大戦によるものだ。
『中二病大戦』
それは日本全国の『中二病』の中学生一万人が、個々に与えられた『最強の力』という特殊能力を駆使し、『中二病患者』として頂点を目指すものである。
とあるいきさつから、オレこと遠藤真也もその大戦に参加することになったのだ。
「はぁ、確かに頂点を目指す気はないとはいったけどさー。」
それでもこんなポンコツ能力である必要がどこにあるだろうか?
真也がその身に与えられた『最強の力』とは『戦意皆無』というものである。
これがどんなものかというと、能力使用中に自分の攻撃力がゼロになるというものである。
あの後、数学のテスト(六十点)を破れなかっただけに敗れてしまった(おお、うまい)オレは、残酷な現実に抗おうと果敢に戦いを挑んだ。
能力を使用した状態で割り箸を折ろうとした。
生卵の上にも乗ってみた。
食パンを噛んでみた。
しかしどれも『クエストクリア失敗』になり、オレの希望をズタズタにしていった。もしこれが『モン〇ン』ならばオレの所持金はもうないだろう。
なぜなら、梃子の原理を応用しても割り箸はびくともしないし、人類初の生卵に乗った男になったし、食パンは噛み切るどころか歯型すらつかないからだ。
「ったく、こんな能力でこの先どーすんだよ」
「何がどーするんですか?」
真也は現状に対する文句を述べると突如、後ろから声をかけられた。
「うぉっ!?委員長(♂)か!」
「やあ、おはようございます真也君。今日は寒いですネ」
といって、オレの背中にぴたりとへばり付く委員長(♂)。
「ちょっ、やめろよ委員長」
「おぉ?テレてるんですか?僕との未来も近いということですかね?」
意味不明なことを言いながら、顔をオレの肩甲骨辺りになすりつける委員長(♂)。その言動にオレは『非日常、超常』のことをいったん忘れて、崩壊しつつある『日常』を思い出した。
委員長(♂)は当然無意識であるはずだが、それでもそれがたとえ気休めだとしても、こーやって平和な『ひととき』を思い返すきっかけを与えてくれたことには感謝したい。だが、そっちの趣味があるわけではないので、抱き付く委員長(♂)をオレは必死に剥がそうとした。ってか、オレの周りが急に誰もいなくなりやがった!おい、ちょっと待てお前ら。オレは被害者だ。そしてそこの女子、写メるんじゃねえ!
「えーい、離れろ委員長(♂)!」真也は暴れ、「別にそんなに抱き着いていたって、テメェとフラグ立つことはねえし、委員長(♂)ルートのBLエンドなんてオレはごめんだわ!」
完全なる拒否反応を委員長(♂)に知らしめた。
「あっ、真也君はツンデレですね」
「は……あっ?」
なんつー、ポジティブ人間だ委員長(♂)
オレは疲れて否定することもしなかった。どうやらそれは巧を奏したらしく、委員長(♂)は「そこはツンデレじゃないって否定しなきゃダメですよ!」と不満を漏らしている。
委員長(♂)
オレの在籍するクラスの学級委員の男の方であり、二年学級委員の委員長をも勤めている男である。
クラスの支持率はほぼ百パーセントで、当人がやる気がなさそうでも女子の推薦と男子の推薦によって、確実に就任するのだ。
彼はそこまでは思っていないようだが、金髪にも近い、薄い茶髪は手入れも行き届いていて顔立ちもよくなかなかの美少年である。そして彼が一時も絶やさずに続ける微笑みは、かの古典的微笑を醸し出す『モナ=リザ』ですら見とれてしまう程である。
流石にそれは言い過ぎだが、それでもそれは圧倒的な女子の人気を買い、圧倒的な男子の反感を買い、圧倒的な先生たちの信頼を買うのだ。だからこそ彼は委員長になれたのかも知れない。
彼の身なりは『委員長』のキャラにはあまりそぐわないが、それでもこうして優等生ぶりが板についているのはその微笑みの賜物だろう。
また、彼には実績もある。
成績は学年トップだし、一年時最後の学年末テストでは全科目百点満点という諌山中学始まって以来、初の快挙を成し遂げた程である。また、学級委員の実務の方も優秀らしく既に生徒会からもオファーが来ているらしい。
そんな完璧超人である委員長(♂)だが、一つだけ欠点があるとしたらこの『男好き』な性癖である。この性癖のせいで確実に委員長を狙う女子の範囲を狭めているだろう。しかも、マニアックな方向に…。
見境ないこの委員長(♂)は、オレだけでなく他にも何人か目星をつけている男がいるようだ。ただ、なんか今はオレルートを攻略中らしい…。
………全く、ホントにやめてほしい。
そのせいでオレには変な噂が立つ。
例えば、「委員長(♂)は既に遠藤君と寝た」とか「実はベッドでは遠藤君は受け」だとか、全く身に覚えがないのに言われるのは怖気立つ。
一度、委員長に文句を言ったら「既成事実は周りから積み上げていくんですよ」とか微笑んでいやがったから、ストレス解消に二、三発殴ったのは記憶に新しい。ただ、殴る度に変な声を上げやがるから、気持ち悪くなる…。
オレはこいつのせいで、BL好きのマニアックな女子に変な噂され、それ以外の委員長(♂)のファンに疎まれ忌み嫌われ、その他大勢の男子には崇められる(委員長の人気を落としてくれるため)という毎日に胃を悪くする日々を送っているのだ。
…、まっ、今はそれ以上の毎日を送らないといけねえかもしんねえんだけどな。
って、気付いたら委員長(♂)は、また害虫のようにオレに抱き付いていた。
「えーい、いい加減にしやがれ委員長(♂)!」
真也は纏わり付く委員長(♂)を振り払うように暴れた。その声を聞いた委員長(♂)は、少し不満を漏らすように真也の手を離してから言った。
「ねぇ、それよりも僕の名前は柴崎優人ですよ。役職名じゃなくてユウちゃんって呼んでくださいよ」
「えっ!?」突然の自己紹介に驚愕し、「名前を言っちゃって良かったの?」という確認をとらなくては気が済まない真也。
「何故ですか?」真也の驚愕に対し真剣な面持ちで問う委員長(♂)
「いや、そんな風に聞かれると言いにくいんだが…」
真也はしばらく頭を書いていたが、やがて優人の表情に負けた。
「まぁ、なんつーか。委員長キャラってよく名前をさあ、ギリギリもしくは、最後まで明かさないじゃん」
ちょっと自棄になって楽観的になる真也。
「…………」
「…………」
突如にして、暫くの沈黙。
「…真也君、」
少ししてようやく口を開いた委員長。
「なっ…何だ?」
バカなことを言って急に羞恥心を覚える真也。
委員長(♂)こと柴崎優人は表情を崩さずに言った。
「僕は委員長です」
「は?」理解できない真也。
「つまり、委員長であるから名前は明かさない」
「いやっ、無理があるだろ!お前、名前もう言っちまったじゃねえかよ!」
「我輩は委員長である名前はまだない」
「漱石でごまかしたよこいつ!」
委員長(♂)はどーしても"なかった"ことにしたいらしい。
「ってか、柴崎優人って、さっき言っちゃったじゃん!」
「記憶にございません」
「政治家か!?」
真也は、もはや呆れ果てる。すると委員長(♂)は何かを思いついたのか「パチン」と指を鳴らした。
「そうだ、あれは本名ではない。偽名ですよ、柴崎優人(仮名)です。」
「そいつは衝撃の事実だな!まぁ、別にお―」
「おはよーさん、柴崎ぃ」
「優人君おはよう!」
「おはようございます、山本君に佐藤さん」
真也が何かを言う前に何人かが真也達を追い越すように歩いてきて、委員長(♂)に挨拶をした。
そいつらが見えなくなってから真也は委員長(♂)に顔を向けた。
「…お前の計画、初っ端からくじけてねえ?」
「大丈夫です。そこは後で編集しますから」両手で『ちょき』にして中指と人差し指をせわしなく動かす委員長(♂)。
「なんてツッコミ要素満載の返事だ!」
委員長(♂)の返事にそれだけ返すと、真也は肩で息をし始めた。
委員長(♂)の発言に細かくツッコむ体力は真也にはもうなかったのだ。
「ぜー、はー、ぜー、はー」
「フフフ」
そんな疲れ切って満身創痍な真也を眺めて満足したのか、委員長(♂)の笑顔はMAXであった。
それはこの場において、心細くなりつつある陽光の手助けをした。錯覚であると頭では理解出来るが、それでも気温が一度上がった気がした。
「………、………?」
しかし、そんな笑みが一瞬だけ止まった。
委員長(♂)が真也の腕についている物を見て、首を傾け疑問の表情を浮かべたのだ。
そして、彼は確認のための質問をする。
「その腕につけてるそれ…何ですか?」それに対し指を指す委員長(♂)
「えっ?あっ!」
真也は言われて、自分の腕を見てから初めて気が付いた。というか、思い出したと言った方がいいのかも知れない。
真也の左腕の手首についているそれは、金属光沢の輝く美しい銀のカラーに、
ささやかなまでの赤い『V』の装飾のある―
「あっ、ぁぁ…これな」
「よく見えないですよ」
―非日常、超常だった。
どうやら、真也の学ランのお陰でその全貌を委員長(♂)は見ることが出来ていないようだ。
真也はしまったと思った。
このリングのことをどう説明すべきか迷った。本当のことを説明すべきとは思わないし、したとしても信じはしないだろう。それに委員長(♂)のことだ。『ペアルック』とか言って「何処に売っていたの?」としつこく聞いてくるに違いない。そうなったら面倒だ。
真也はそこまで考えてから、未だ見られていないこの状況を逆にラッキーだと思い、〈よし、絶対にこのリングを見られないようにしよう〉という意見にまとまると全力でそのリングを守った。
真也は『ヴィクターリング』をつけている左腕を委員長(♂)の位置から死角になる、自分の体の左後ろに動かした。そしてその左腕を支えるように、右腕で左腕を掴む。
「むむっ…怪しい」
委員長(♂)が口を『へ』の字にして目を細め怪しがる。
「…………、」
今の真也は、ドリブルで攻めに行ったら自分のマークにガードされ、これ以上の走行を阻まれてしまっているバスケの選手の心境に似たものがある(と真也は錯覚している)。
それは、たとえ阻まれても決してめげずに、〈絶対に敵にボールを渡すものかと〉ボールを斜め後ろ側でドリブルし、敵に睨みをきかせながらピンチを切り抜けられる活路を見出だそうとしている感じである。(真也の妄想白書第三章第五節より抜粋)
「えっと、どれどれ」
「ぬぉっ!?しまった」
もしかしたら、ホントに真也の心境はバスケの選手に似ていたかもしれない。
なぜなら球技がダメダメな真也は少し気を抜いていると、あっという間に委員長(♂)に死角に回られ、左腕を掴まれていたからだ。
これはボールを取られてしまった状態に似ていると言っても過言ではないだろう。
「ちょ、やめ」
真也の停止を無視して委員長(♂)は真也の制服の袖を捲くり上げる。
「っ、…………」
そのリングを一目見た委員長(♂)はしばらく茫然としていたが、やがてコレクターが物を鑑定するように眺め始めた。
「やばっ……」
やばいやばいやばーい!こいつのこの目この手つき…、これは絶対に『ペアルック』を暗示してやがる!
真也は焦った。恐らく今彼のバックには『ざわ…ざわ…』というテロップが流れていることだろう。
そして、手を止めた委員長(♂)はついに、
「あっ!」声を上げた。
「…………」来たか…と絶望にも聞こえる小声で言う真也。
「真也君」微笑みを絶やさないどころか、いつにも増す委員長(♂)。
「ぐっ、」それに対しもはや恐怖と嫌悪以外の感情が浮かばない真也。それでもなんとか声を出す。
「なっ…なんだよ。言っとくけどな、このリ」
「すいません、委員会のことで先生に話さなければいけないことがあったのを思い出したので先に行きますね」
「…、えっ?あぁ」
しかし委員長(♂)が放った言葉は、真也の予想とは大きく外れたものであった。
「では、また教室で」
委員長(♂)はそう言葉を残すとさっさと走っていってしまった。
春の意にそぐわない冷たい風はいつのまにか真也を一人にしていた。どこまでも澄み渡った大空を眺めると、より一層孤独に感じられる。
真也はせめてその現実に抵抗するように、小さくなりつつある委員長(♂)に声をかける。
「無理すんなよー!」
走って転ぶことを危惧する、なんだかんだ言って友人思いの真也。委員長(♂)の「ツンデレ」発言も意外と的を射ているのかも知れない。
「分かりましたー!」よっぽど急いでいるのか、走りを止めず前を向いたまま声だけで返事する委員長(♂)。
「…ったく、何が分かったんだか」
そう呆れる真也の顔には、委員長(♂)のそれが伝染ったのか、微かなる笑みが浮かんでいた。
その抵抗は、心細げな気持ちを和らげることは出来た。
ただ、その発言はすべきではなかったかも知れない。
「さて…と、オレも行くか」
冷たい風に追われるように、少し早く歩き始める真也。
そんな彼の左腕の手首には―
―現実があった。
「ふぅ~、やっと着いたぁ」
真也は二年D組の教室の前に辿り着くと、達成感も含んだ溜め息をした。
彼の在籍するそのクラスは本校舎の最上階に当たる四階に位置している。それが彼の疑問でもあり不満でもある。
そもそも、本校舎の内訳が一階は職員室や校長室に保健室など、二階は三年教室で、三階は一年教室で、四階が二年生なのだ。
一階はまだいいとして、何故に二年生は最上階なのだろうか?この位置は普通に考えれば一年生か三年生ではないだろうか?しかも、学校の造りが『教室にゆとりを』というコンセプトであるため、教室の広さを広くするために通常よりも教室の高さが高めの設定になっている。そのせいで階段の量が増えるのだ。だから二年生は計百四十四段を上らなくてはならない。それが不満なのだ。
運動神経がそれなりにある真也ですらこうなのだ。鏑木亮太が休みたくなる気持ちも分かる気がする。
「おはようエンドー!」
「ハロー真也君」
教室の扉を開けるとクラスメイトの面々(めんめん)がオレに声をかける。『百四十四段』という苦行を共に乗り越えた同志として、その『達成感』という名の喜びを分かち合いたいのであろう。
オレ自身も吝かではなかったのでそれに答える。
「あぁ、おはよーさん」
時刻は八時十五分を指していた。
教室着席は八時半であり、まだ半々刻の余裕がある。
教室を見回すと、在籍人数四十余名の我がクラスの六割ほどが来ていた。しかし、委員長(♂)や琴音の姿は未だない。委員長(♂)はまだ学級委員会担当の先生と話し合っているのだろうか。ご苦労なことだ。(ちなみに、琴音は遅刻魔である)
オレは一通りクラスを眺めると自席である窓際の一番後ろの席に着いた。
初めての席替えの籤引きで、クラスメイトの吉村から二百円で買い取ったこの席は特等席である。
一等地ととも呼ぶべきこの場所は、教卓からかなり離れた特等席であり、授業の大切な部分を聞き逃してしまうというリスクこそあるが、前の席の奴で自分の体を隠すようにすれば、国語や社会授業で堂々と寝れたり、内職をするには便利な場所である。
「よっ!遠藤!元気してるか~?」
オレが自席の魅力に浸っていると、妙に調子の良い声がかけられた。何者だ?と声が聞こえた方を振り向くとそこには、
「んぉっ?おぉ、鏑木か!」
普段では決して見せないような、とびっきりの笑顔の鏑木がいた。
「………?」
それは喜ばしいことであるはずなのだが、何故か真也は底知れない不信感と嫌悪感を覚えていた。
「そうだ!お前、昨日ど」
「そういや、昨日ネットで国際宇宙開発センターのホームページ見たんだけどさ…」
「おっ、おぅ…。」
真也の質問を捩込むように、強引に自分の話で遮った鏑木。真也はそんな普段以上のノリに気圧されてしまいたじろぎながらも、なんとか鏑木に応答する。
「…ってわけなんだよ!やっぱしスゲエな宇宙は」
「おっ…おう!そうだな」
結局、鏑木の話を左から右に聞き流すように聞いていた真也。
それは何も味付けされていない食べ物をただもくもくと食べる感覚にも似ていて、自分が何を食べているのか何をしているのかすら分からないのである。つまり、真也は半分以上も話の内容を理解できていなかったわけなののだが、鏑木自身は話したかった事柄を話せただけで充分らしく満足そうにしている。
そして、そんな鏑木はたたでさえ"ぽっちゃり"している顔なのに満足感という名の脂質を糧に、さらに肥えたようにも見て取れる。
「ってか、お前なぁ。昨日ど」
「はいはい、お前ら席につけえ!」
真也が鏑木に昨日の理由を聞こうと会話を振るも、どうやら現在時刻は八時半らしく担任の品川が朝HRを始める声に掻き消された。
「ど…くっ、」
「やばっ、じゃあ、遠藤あとでな」
真也は自分自身の主張を邪魔される、ある意味『才能』の持ち主なのかも知れない。もしくはこれも彼の有する体質の一つなのか。
遠藤は担任の品川の登場に気がつくと、さっさと自席に帰っていってしまった。
真也は不条理窮まりない自分の待遇に少し苛立ちを覚えた。しかし、『神様』なんて曖昧なものに不満をぶつけても情けなくなるだけなので、取り敢えず今は(本来、無実ではあるが)重要な話を邪魔しやがった担任の品川を睨むことにした。
縦長な顔の形に白髪で眼鏡という、なかなか威厳のありそうな先生は、だがしかしそんな生徒の小さな不満にすら気付かず、『定例』の方式で『全員という名の一つの個』に話をする。
よくあることではあるが、真也はそんな情景に怒りを通り越した呆れを感じ、それに対しそこはかとない遣る瀬なさを覚えてしまったので、
「ふぅー、まいっか」
失望にも似た声を呟き、『全員という名の一つの個』に混じるように睨むのをやめた。
朝HRは続いていく。
我が校には四時限目の後の給食と五時限目との間に四十分程の『昼休み』がある。
それは一~四時限目の勉強の疲れをリフレッシュするためのものであり、また、給食の余韻を楽しみながらゆったりと過ごすためにも設けられている。「早く家に帰りたい」とか「さっさと部活を始めたい」と思っている人達には極限なまでに無駄な時間ともとれるだろうが、たいていの生徒はこの恩恵を受けている。
「さ…てと、ぐふふふふ、いつものやつを始めますかな」
そして、真也もそんな恵みに感謝をしている生徒の一人である。
昼休みが終わった途端から自席に座ったまま、ニヤケるように目を細め、『口裂け女』ばりの笑い口を開け、いやらしい程に鼻の下を伸ばす遠藤真也。その視線の先には一つのノートPCがあった。
メタリックレッドのカラーのノートPCには一枚カードが半身だけ外に剥き出しになるように挿入されている。剥き出しになっている部分からアンテナのように突き出ているものが生えていて、これでインターネット通信が出来るらしい。
真也の通うこの諫山中学は、学業を修める者にとって不要物である携帯や漫画などの持ち込みを校則で禁止してはいない。
いや、正確には『禁止』だったのだが、今の生徒会長の『諏訪原黒須』という方が生徒総会を開き、教師陣相手に「個性、没個性」と熱弁を振るい、多くの賛成票を獲得してついに承認に漕ぎ着けたからこそ禁止ではなくなったのである。
それはさておき、真也は立ち上がったノートPCのインターネットエクスプローラのアイコンを己が欲情のままにダブルクリックした。
今日の真也の予定はざっと次の通りである。
・ご贔屓にしているブログとホームページが更新しているか回る。
・プレイ中のゲームの攻略Wikiを見る。
・残りの時間で『ワクワク動画』鑑賞。
「まずは…『イヴの部屋』からっと」
絶賛放送中の大人気アニメのヒロインが書いているブログである。
「おっ!更新している!どれどれ…」
「ねぇ、真也…」
「あんっ?」
真也は楽しみに水を注され、不承不承となりながらも声を掛けてきた者に顔を向ける。
「誰だよ忙しいのに…って、琴音?」
そこには、真也の幼なじみの篠原琴音がいた。
琴音は、ありとあらゆる『疑問』を消しゴムの滓のように丸め、纏めた感情をありありと見せ付けるように真也を見下ろしてきた。
「ちょっと、話があるの」
「…………あぁっ?」
普段の彼女とは反する押し黙った姿に、真也はなんとなく嫌気がしたので、場を和ます意味を込めて茶化すことにした。
「なんだなんだ?遂にオレに告白か?いやぁ、全校生徒には悪いねえ!やっぱし幼なじみルートは王道だけど、ゆえにサイコーだねぇ」
真也は超ニヤケ面の『テンション大』な口調でそう告げた。
教室に残っている何人かは『愛の告白』という語句にこちらに振り向く輩もいたが、相手がオレだと分かると「何だ、エンドーかよ」とか「キョーざめ~」とか「遠藤が女から告白って冗談に決まってんだろ」と文句をたれると各々(おのおの)の作業に戻っていった。おいおい、マイクラスメイトよ…。オレに色恋沙汰はありえないってか?偏見にも程があるだろうよ…。全員無関心って冷た過ぎねえか?あと、吉村テメェ!オレはホモじゃねえ!オレは被害者だあっ!
吉村を殴りに行こうかと考えると、不意に何も喋らない琴音のことを思い出した。恐る恐る琴音の顔を伺うと、
「こっここここここ…………」
「ぬっ!?」
バーストしていた。
図星…というわけではなさそうで、ただ単に色々と考えを巡らせていた所に、別の情報を入れられたからパンクしたらしい。
「おっおい、おーい大丈夫か?」
「ふみゃあ…」
真也は琴音の頭を撫でた。すると琴音は顔を真っ赤にして涙目になって口を小さな三角形にして仔猫ちゃんのような声を出す。
「かっ…カワエエ……」
萌えた
萌え萌えだー。
コトネコ萌え~。
真也は《萌え》状態になった。
そして調子に乗ってこの『コトネコ(琴音+仔猫)』をゴロゴロ言わせようと喉を撫でようと手を伸ばした。
しかし真也は調子に乗りすぎていた。真也はここで『なんでもなおし』を使い、この『状態異常』を治して冷静になるべきだったかも知れない。ただ、今日の真也はどこか抜けていた。
「…………っ」
「んっ?」
あれっ?おかしいな。
気付いたら琴音の喉元を触ろうとオレの下を発った右腕が、オレの意思とは関係なく停止していた。
ガシッとオレの右腕が別の右腕に掴まれていた。掴んできた手が妙に柔肌だったため、オレはそれが女の子のものであると気付いた。
「…………あっ」
そして目の前のお顔を拝むと…
「あっ…ああああ…ああ!」
…なんということでしょう!あのどこまでも美麗な漆黒を纏う可愛らしい仔猫ちゃんは、見たものを気迫だけで殺す修羅へと成り変わっていた。
「ん、なわきゃねーだろーがぁー!」
ビフォーアフターの匠も驚くほどの変貌を果たした修羅は右腕を目一杯後ろに引き、撃ち下ろすように真也の顔面に殴りかかる。
「いっ、いのけんてぃうすぅ…イノケンティウス!」
真也は呻くようにどこかの世界の魔女狩りの王の名を叫んだ。
「ぐぅっほおおお!」
真也は顔面を殴られそのままの勢いで吹き飛び、近くに控えていたようにそびえ立つ壁に張り付いた。
真也の妄想は琴音の右手にぶち殺された。
「……んで、結局何なんだ?」
真也は自身のノートPCで『イヴの部屋』を見つつ聞いた。
琴音は真也が頭を撫でてから少し落ち着いたらしく、そこから言われたことやられたことを整理していく内に真也に激怒したらしい。
「あのさー、話それるけど」
「だから何だ?」
真也は更新された内容を読み終えたらしく、別のサイトへ移動するためマウスをせわしなく動かしている。
琴音は真也のそんな姿を見てなお疑問に思ったらしく、ハテナをぶちまけるように聞いた。
「自分でいうのもアレだけどさ、私もかなり力を入れて殴ってさ、そしてあんたのそのリアクションもかなりオーバーなのに何で少し時間がたつと何事もなかったかのように振る舞うわけ?」
「あぁっ?」真也はしばらく考え、「ギャグ小説だからじゃね?」とテキトーに答える。
「えぇっ!?そんなこと私達が言っちゃっていーの!ってかそれならなんでこれの分類は『ファンタジー』なの?」
「琴音、『ギャグ小説』はある意味『ファンタジー』なんだよ…」窓辺に立ち、腰に両手を当てながら、声のトーンを一つ下げて言う真也。
「いやいやいや、なんか上手いこと言ったみたいな顔してるけど、実際意味わからないから!第一に『ギャグ小説』って何?『ギャグ漫画』じゃなくて?」
「まあ、気にすんなって」ポンと琴音の肩に左手を乗せる真也。
「お前、ムカつくな…」
しかし、言葉とは裏腹にツッコミに疲れてしまい、何も出来ない琴音。
「…………」
真也としては痛くないわけないのだが、それでも彼女の顔を曇らせるわけにはいかないので痩せ我慢するのだ。それに彼女の可愛い顔を見られれば真也はそれだけで充分なのだ。
そう思い、真也は話を本題に移すことにした。
「で?幼なじみのこのオレに話ってなんだ?やっぱし「付き合ってください」か?」真也はお得意のあの顔でまたからかい始める。
「ばっ、バッカじゃないの!お前と付き合うなんてありえないわよ!」
「がっ、は…マヂかょ、」
承知はしていたのだが、いざそれをストレートに言われると自分を全否定されているみたいで酷く落ち込む真也。
「話ってのは…鏑木のことよ」
「お前は『でぶ専』だったのかっ!」
「だ!か!ら!『愛の告白』から離れろつってんだろがぁ~ッ!」真也と話をするには毎回怒らなければならない御苦労な琴音。
「はぁー、はぁー、はぁー」
「……………、スマン。これから真面目に聞く」
怒り疲れている琴音を見て、今朝の自分を思い出したのか、さすがに彼女を不憫に思い、おもわず謝罪。
琴音も琴音でこれ以上の追求は自分の身を滅ぼすと確信したのか、謝罪に対して何も言わずに了解する。
かくて、互いの利害一致によりようやく本題に入るのだ(所要時間十五分)。
「今日の鏑木、明らかにテンションが違うのよ」
「そっ…そうか?いつもと同じように見えるが」
真也は思い当たる節がなくもないが、確信がないのでここは否定する。
オレが否定した理由は単純明快である。
今日の鏑木は『いつも通り(ユージュアリー)』だったからだ。
顔を左に向け教室の前を見ると、教卓付近には吉村率いる四、五人の男子のグループがいる。
そこには鏑木もいて、
いつも通り、うるさく『宇宙』の話をしているのだ。
「…だからこそよ」
琴音も真也に同調して教室の前にいる鏑木を見る。
「いつも通りだとおかしいのか?」真也は会話の矛盾点に疑問を持つ。
「いつも通りの範囲が広すぎるのよ。なぜお前にはあんなにべらべら喋るのか知らないけど、鏑木はフツーは他の人とは全く話さないのよ」
「んっ?そーなのか?」
真也は少し驚いた。
確かに、虐められやすいキャラで他の奴との会話はしどろもどろになってしまっているのは知っていたが、全く喋らないとは知らなかった。
今あんな風に話しているのも、二年生が数日進んでクラスに馴染めたのだと思っていた。
「なんでだ?」
真也は自身の中に燻る烈しい疑問の奔流を四文字で表した。
「恐らく、石澤君と他二名の無断欠席が原因と見られるでしょう」
「…委員長(♂)」
そんな真也の疑問に答えたつもりなのか、二人の下に歩み寄って来た委員長(♂)は言った。
琴音は後ろを振り向くとその返事に同意するように彼の名前を呼んだ。…いや、正確には名前ではないのだが。
「ん?なんか静かだなあと思ったら、あいつら休みだったのか?」
「真也、お前は朝HRで何やってんのよ」
「睡眠」琴音の質問に真也はいけしゃあしゃあと答え、「で、石澤達が休みだと何であいつの様子がおかしいんだ?」
ついでに、関連性について聞いた。
「あくまで噂の段階ですが…」委員長(♂)は前置きをして、「彼は石澤君達を倒したという噂があります」
「…………、はっ?………はあっ!?」
真也は理解できないという意味で呟くように疑問の声を吐き、次に少し考えてから驚くように大声を出した。
二度目の声は池に岩を投げ、大きな波紋をつくるように教室を駆け巡った。
吉村のグループは完全に無視だったが、その近くで五時限目に行われる数学の小テストの勉強をしている何人かは、真也に対し「うるさい」とぶっきらぼうな言葉を投げ付ける。
しかし、今の真也にはそんなことはどーでも良かった。
「んな、馬鹿な話があるか」
真也は吠えた。
真也の考えはいたって尋常であった。
肥満体質な鏑木は、もちろん運動神経はよろしくない。そんな彼がはたしてマッチョな石澤と取り巻き二人の計三人を相手に戦い、剰え打ち倒すことが出来るだろうか?
不可能だ。
圧倒的な体力差に人数差じゃ無理に決まっている。
「確かに、不可能に思われますが…それでも道理にはかなっています」
委員長(♂)は馬鹿にされるのは承知の上で話す。
「…!不意打ちか!」
「いえ、それはないでしょう」
委員長(♂)は真也の発想を即座に否定した。
真也はむすっとするが、それをあえて気にせず続ける。
委員長(♂)はその場で小さな円を描くように歩き、表情は固いままで手を口にあてていた。
「ならば、通常状態に於いての彼らの力量関係は依然変わらないわけですから、彼は報復に対し恐怖を抱くはずなので今あんな態度はとれないでしょう。」
「…」
…あんな、…か。
再び真也は鏑木を覗き見ると、"真也にとって"いつも通りの鏑木が、笑顔を振り撒き『相対性理論』について少し傲慢に語っていた。
「つまり鏑木君は短時間の間に彼らを倒せるほどの力をつけたと推測できるのです。」委員長(♂)はそこでトーンを一つ上げ、「もっとも、不意打ちってのも殺害レベルなら話はべ」
「ふざけるな!」
真也は今の今まで、委員長(♂)を無視し鏑木を見ていたが『殺害』の二文字を聞くと、すぐに委員長(♂)に振り向き、湧き出た怒りの感情をそのままに怒鳴った。
さすがのクラスメイトも真也の異常な様子にヒソヒソ話を始め、こちらを見る。
「落ち着いてくださいよ」委員長(♂)は悪びれずに言う。
「おまえっ…!」怒りの沸点を今の一言で超えた真也は我を忘れて殴りかかろうとした。
しかし、怒りに身を任せている状態ってのは動きが乱雑になるらしく、委員長(♂)は軽やかに拳を避ける。そしてついでとばかりに真也の両肩を持ち壁に押さえ付け、動けないようにする。
「少し冗談が過ぎましたかね?…それでも、今はそんな可能性が混在する状態なのですよ。」
「…ちっ、」
委員長(♂)のトーンは未だ変わらない。真也は馬鹿馬鹿しくなって抵抗するのをやめた。
そして同時に、混在するもう一つの方の可能性について考えてみた。
"短時間の間に得た強い力"
にわかには信じがたいが、なぜかこの語句に違和感を覚えた。
なにか引っ掛かりを感じるのである。
琴音の方を見ると心配そうな顔をしているので、真也は委員長(♂)に空いてる手で「退け」と指示すると、委員長(♂)は落ち着いたと察したのかすぐに手を放した。
「でも…なんでなんだ?」
真也には未だ蟠りがある。
それは常日頃からちょっとずつ積み重なったものであり、今日という日に大きく開花したものだった。
「さっきから言っているじゃない。石澤よイシザワ。あいつらが無断欠席しているからよ」
「それが、力をつけたという解釈にもなっている。それに昨日、石澤君達と鏑木君が一緒にいるのを見たって目撃証言もありますしね」
琴音と委員長(♂)は、ほぼ同時に真也の問いの答えと思しきことを述べる。そこには『まだ理解できないの?』という"忌み"とも呼ぶべき意味も込められている気がした。
でも、…違う、
委員長(♂)の新たな情報に琴音は飛び付き詳細を聞いていた。
少し風景に目を遣ると、もう真也達のことは飽きたのか、クラスメイトはそれぞれ各々(おのおの)の作業に戻っていく。
教卓付近にはいつも通り話す鏑木がいたが、唯一、彼の周り…吉村達の反応は普段とおりには見えず、少し耳打ちし合いながら、挙動不審に鏑木の話に時折、相槌を打っていた。
しかしそれでも世界の外面は今までと変わらず、平穏を刻んでいた。
…世界の外面は。
「なんでだ…?」
真也は込み上げる何かを思いっきり叩き付けるようにこの四文字を言う。
「だか―」
「石澤達が無断欠席とか、鏑木と会っていたとか、すっげぇ力を短時間で手に入れたとか…」真也は琴音の宥めるような口調を制する。
「そんなどーでもいーこと聞いてんじゃねえ!」
そうだ。別に奴が変わろうと、変わった原因はなんだろうとそんなことは関係ないんだ。
「琴音、お前言っていたよな」真也は琴音の方を向き、「鏑木は他の人とは"全く話さない"って、オレの常識は共通の常識じゃないって」諭すように言う。
「それが…何よ」真也の尋常じゃない態度にビビる琴音。
委員長(♂)はとりあえず状況を見守ることにしたらしく何も言わずに、意味ありげな微笑みを魅せる。
「おかしくないか?あいつの会話を聞く限り、別に奴はオレに特別な好意を持って接しているようには思えない。たまに暴言とか、まくし立てるような口調を聞く度に…」真也はここで敢えて言葉をとめた。
「…仕方なくオレと話しているんじゃないかと思っちまうんだよ」
「…………」
琴音は黙り込んだまま。
委員長(♂)も依然無口を貫いている。
「あいつは、話したがりやな筈だ」
宇宙の話ばっかしてきやがる。
「"しどろもどろ"ですらないって、フツーに考えておかしくねえか?」
やっぱりあいつは『いつも通り』だ。
「あいつは変わってねえ」
そうだ。
「なんでだ?」
再びこの四文字に託し、この四文字は次の言葉にバトンを渡す。
「なんでお前らは、鏑木と全く口をきかねえんだ?」
変わっていたのは鏑木じゃねえ。
その周りだ。
世界の"外面"は平穏だが、
その内面は腐りきっていた。
「なん」
「お前に何が分かるのよ!」
真也は不満と疑問という名の爆弾を吐き出し続けようと勢いづいた。
しかし、それは叶わなかった。
突如に放たれた霹靂。
その勢いに圧され、真也は言葉を途切らすとともに、一気に熱が冷めていった。
『絶対零度』というものを想起させるほど、自分の体温が急激に下がっていることに気付かされ、そしてそれを契機に真也は冷静を普段以上に取り戻していた。
「お前に何が分かるのよ…」
もう一度聞こえる。
しかし、威厳と威力は数段回も落ちている。
しかし、雷の後の『しとしと雨』のような寒々しさと永遠さを感じるこっちのほうが意外と響いた。
オレにも…、教室にも。
「…………」黙って聴き入る真也。
「お前は天然だから、何も分からない気付かない、みんながお前みたいな天然じゃないんだから…」
「…」
搾り出すように言う琴音に真也は何も言えなかった。
自分が知らない何かが起きている、それに気付かない…気付けない自分が許せなかった。
そんな真也だから、琴音がこれから放とうとしている拳を避けれなかった、避けようとも思わなかった。
今まで喰らってきたなかで一番哀しく弱々しく、しかし一番痛い一撃を。
「ほらほら!どうしちゃったのいがみ合っちゃってー。喧嘩しない喧嘩しない」
しかしその確定事項は、とある横槍によって当たることはなかった。
「…鏑木ぃ」
真也が言う。
三人がその方向を見る。
「遠藤さあ、どんな些細なことで喧嘩してるかは知らないけどさ、この宇宙と比べたらちっぽけじゃねえか」
そこには、鏑木がいた。
"いつも通り"のあいつが。
「宇宙…か」
確かにそうかも知れない。
真也は気付いた。
こんなことを考えることが下らねえことに。
鏑木が何で変わったか、どんな力をつけたのかってのがどーでもいーよーに、
周りが何で今まで鏑木と話さなかったのかってのもどーでもいーことなんだ。
それはあくまで過去であり、今とは断絶しているのである。
今のあいつはしたいことが出来ているんだから、それでいーじゃねーか。
気付くと意外と単純で、真也は自然と笑みが零れた。
ふと、委員長(♂)に目を遣ると同意見らしく頭で手を組みいつもの微笑みでウィンクをくれた。やめろ気持ち悪い。
「あー、そうだな馬鹿らしいや!さてとネットの続きでもやるかね!」
真也は言い合いの締めに、悪いものを全て吐き出すように欠伸をして、そして伸びをした。
「…っは、、」
「あん?どーした?鏑木」
鏑木は戦慄するように固まっていた。口がずっと開いているのは驚きのあまり塞がらないからだろうか?
何に驚いているんだ?
「ふむ…」
委員長(♂)を見ると興味深げにこの場を眺めている。
治まった地震が再び巻き起こるように、教室の一角を得体の知れない何かが支配していた。
真也が伸びをすると同時に、制服の袖の部分が下がるようにめくれたのだ。
そこには君臨するように、銀色のワッカが真也の左腕に巻き付いていた。
「……遠藤、放課後ヒマか?話したいことがある付き合ってくれ」
「はっ!? って、おい!待てよ」
鏑木は先程の調子を完全に失い、呟くようにそれだけ言うとさっさと身を翻して、真也の制止も無視して帰っていった。
「…」
「こっ、琴音?」
それをきっかけにしたのか、今までなんのリアクションもなかった琴音も廊下に出ていってしまった。
委員長(♂)もそれに習い戻っていく。意味深な笑みを浮かべ。
「なんだ?あいつら。…まあ、いいや!続き続きー!!」
と真也がマウスに触れるのとほぼ同時にチャイムがなった。時計を見ると昼休み終了時刻だった。
様々な思いを巡らせてから、「まいっか」と告げて真也はノートPCを片し始めた。
「どこまで行くんだ?鏑木」
「…………」
鏑木は答えない。
六時限目の終了を伝えるチャイムがなり、放課後という時間が始まると鏑木がすぐにオレの席に来て「ついて来てくれ」と伝えた。
放課後はこれといってやることがない(厳密にはネット通販で頼んだ『ソラトの家臣』というアニメを一刻も早く見たい用事があるのだが…)ので、拒否はしなかった。
中学の『裏門』と呼ばれている、学校に二つある校門の内の真也が普段使わない方の門をくぐり、この地区の駅付近にあるビルの集合地まで足を運び、そしてそこの北西付近にある廃ビル集合帯、俗称『廃ビル村』まで来た。
名前からも分かる通り、使われなくなったビルが集まっている場所である。建て替えられていないビルは、さっきまでのと異なり黒ずんでいるのが見て取れる。
それは廃ビル群の影で作られる暗闇に異様に映え、不気味さをよりいっそう際立たせるのだ。
「…………」
真也は身震いした。
夕暮れのせいか、なお闇に染まりつつある空間に不安を覚えてならないのだ。
速歩きで歩く真也と鏑木は、鏑木が先行していて真也がその二メートル程後ろに続くという陣形になっている。
また、真也がいくら声をかけても鏑木は応じず、静寂が支配するその場は地球じゃない気もした。
「…………」
「っと、何だここ?」
やがて鏑木は『廃ビル村』の表通りから二つ中に入った裏通りの最奥で歩みを止めた。
廃ビルでも電気は通っているらしく、申し訳ない程度に蛍光灯がチカチカと暗闇を照らす。
その光を頼りに辺りを見ると、鏑木のさらに向こうは行き止まりらしく、オブジェのようにゴミの山が詰まれていた。廃ビルの中には倒壊するんじゃないか?と疑問に思うくらい壁や柱が刔れている部分があって、その大小様々な破片が地面に散らばっていた。
「遠藤、お前のその左腕につけているそれを見せてくれ」
しばらくして鏑木は口をひらき、真也を促した。
「えっ?っとお…ぁぁっ」
それに対し、言葉を濁す真也。その意味は委員長(♂)の時と同じである。
そんな真也の優柔不断な姿に苛々(イライラ)したのか、鏑木は"いつも通り"少
し口調を強くした。
「早く見せろ!ヴィクターリングを!」
「はっ?」
真也は凍った。そしてやっとのことで言葉を紡ぎ出した。
「なぜ、それを?」
いや、聞くのは野暮ってやつだったかも知れない。
なぜならオレはその答えを理解するまでもなく分かったから。
それでも鏑木は心優しく自身のポケットを探り始めた。聞かなくても分かる。何を探しているか。
奴が何者なのか。
少しして鏑木のポケットを探る腕は動きをとめた。そして取り出したそれを見せ付けるように、それを握っている腕ごと強引に前に突き出した。
「…っ、はぁ」
見紛うことなきその形、色、大きさ。
猛々(たけだけ)しいその姿すら、真也の左腕のそれと瓜二つのシルバーリング。
…ヴィクターリングが鏑木のその腕には握られていた。
「なんでか?それは俺が…」思わずそのリングを見取れてしまっている真也を尻目に、
「…『中二病患者』だからだ。」
鏑木は告げる。
一つの蛍光灯が切れたかのように、暗闇がさらに闇に染まった気がした。