Ilustration②
東京都渋谷駅は渋谷という地名が表しているように、山手線に沿う形の南北の細い谷を中心として駅が形成されている。そのため首都圏の他のターミナル駅に比べて、接続する各路線が安定して路線敷設等を行うのが非常に困難であり、多くの路線がJR線と立体交差している。
つまるところ、渋谷駅は複雑にして広大なのである。
たとえば同じ東京メトロでも地下に位置する副都心線渋谷駅と、東急百貨店は地上三階に位置する銀座線渋谷駅は乗り換えに三十分かかるとされる例をあげればどれ程か分かりやすいだろう。
カツン、カツン――――
「…………、」
渋谷駅ハチ公口に出て、喫煙コーナーを突っ切った先にはスクランブル交差点が存在する。渋谷のスクランブル交差点はその膨大な歩行者の量から世界的に有名で日本を象徴する風景と言われる。端には聞いたこともないような政党や宗教団体が選挙カーから何事かを演説しているが、平休日問わず多量にその場を交わり乱れる彼らは、それに対し静寂のように無反応である。
そんな普段は歩行者が無数に蔓延る繁華街には、今、なぜか本当の静寂が訪れていた。人っ子一人いないスクランブル交差点は貸しきりの遊園地であった。
そんな場所に彼はいた。
年の頃は中学生くらいだが、身に纏うダークスーツと同色のオックスフォードシューズ、そしてなによりキリッとした鋭い碧眼の眼光が彼の印象を随分の年上へと引き上げる。彼の髪は黒だったが、自身の碧眼が証明しているように元々は金髪かなんかだったものを黒髪戻し等を用いて黒に染めていたので、どこか無機質な感じを得られる。
「ふぅ、仕事か…」
彼は渋谷駅のその非日常な姿に微塵も驚くことなく、右手に抱えていたブリーフケースに手をかける。
そんな最中に彼を囲むように三方向から忍び寄る姿があった。彼らはニタニタと薄気味悪く笑いながら近付いてくる。一人は炎、一人は稲妻をその手に宿しながら。
彼らはある程度ダークスーツに近付くと、その内のリーダーらしき人物が彼に声を発する。ダークスーツはブリーフケースに手を入れたままその男を見つめる。
「情報通り、尾っぽを掴んだぜ。阿佐倉ぁ。いや、『百発百中』とでも呼んでおこうか」
奇妙にしんと静みかえっている渋谷に一つの声が轟いた。
――――――うおおぉ!!『百発百中』だって!?すげぇ場面に立ち合っちまったっ!
そのようにミーハーな心の声を漏らすのは阿佐倉と呼ばれたダークスーツでも、彼を囲む三人の誰でもなかった。
それはスクランブル交差点を一望出来る渋谷のランドマーク、大手レンタルビデオ屋と大手コーヒースタンドが入っていて、壁面には巨大スクリーンの置かれたビル、QFRONTから外を覗く男であった。
―――――優勝候補ってのがどれくらいの実力なのか百聞は一見に如かずだよな
男の名は仲川という中学生であった。たまたまこの場に訪れて因果孤立の空間に巻き込まれたのである。忘れている人も多いかも知れないが彼はこの後に西山と組み、遠藤真也と聚楽園梨緒に対戦を挑むが逆にボロ負けしてしまう男である。まあ、わざわざ思い出そうとする必要もない。
彼の最強の力の『変則指銃』は両手両指で形どることによって様々な火器類と同じ効果をその手にもたらすことが出来るのだ。それを使い、彼は今、左手で筒状の形を作りスナイパーライフル付属のスコープを作り出してそこから覗いていた。
「それ以上、動くな」
ダークスーツ改め、阿佐倉はゆっくりそれでいて氷柱のように冷たく鋭利に言い放つ。
「!?」
三人は驚き戦き体を硬直させる。その言葉の強さもさながら、しかしそれ以上に彼らは阿佐倉の格好に驚嘆となったのだ。
「ふっ…さすがは優勝候補様というわけか」
左手に炎を灯すリーダー格の少年が強がりを色濃く滲ませながらも余裕を見せて阿佐倉を評価する。彼にそう言わしめる理由は一つだった。
それは、阿佐倉の先程までブリーフケースに入れていた手が、気付かぬ内に外に出され、くの字に曲がった黒く鈍く光る重い鉄塊を掴んでいたからだ。そう、拳銃を。
三人は決して油断していたわけではない。寧ろ彼がそれをするのを防ぐために牽制していたくらいだ。ただ、それ以上に阿佐倉の抜銃術が優れていたに過ぎない。
この阿佐倉の神速の抜銃術は彼の最強の力とはなんら関係がない。つまり早い話、彼のポテンシャルなのである。彼の能力の『百発百中』は「何かを何かに100%当てる法則」を支配するに過ぎないのだ。
阿佐倉…阿佐倉・K・悠一は業界最高ランクと言われたヒットマンを祖父に持つ少年である。生後間もない頃から祖父の道楽で拳銃に関する英才教育を受けてきた彼は、多くのFPSで栄冠を欲しいままにし、少年ながら請け負っている裏家業もそうとう評判が良かった。
祖父から受け継いだ先天的な才能、幼少期から重ねてきた鍛練、そして現実の戦闘を幾度も経験してきた彼にとっては幼さの抜けない中学生相手にこの程度は造作もないのだ。そして彼は、続けざまに冷静に言う。
「投降しろ、お前らがもし有益な情報を俺に提供してくれるならば命だけは助けよう」
本来なら客観的に見て囲まれている阿佐倉の方が劣勢に思われるが、彼は一切そんなことは思わない。たとえ三人が百人だろうと彼の対応は同じだろう。実力が圧倒的なのだ。最強の力如何ではない。そのものの戦闘センス的にである。阿佐倉にとっては幼児が戦車に乗っているようなものなのだ。
「なぁーにが投降だ?三人が同時に襲いかかるのにえらい余裕じゃないか」
だが“幼児”はその未熟な脳のためか、その差を理解できない。
「自ら死を選ぶとはバカだな。ならば勝手に死ぬがいい」
阿佐倉はもう彼らに興味がなかった。情報を得られない以上それは無価値のゴミ。あとは掃除するしかないのだ。それが仕事だから。
――――が、しかし
「はあ?おいおいどうやって殺すって言うんだ?俺らを」
「ふっ…それはっ………っ!?」
ここにきて初めて阿佐倉は驚愕で顔を歪める。それを見たリーダー格の男は満足気に頬を弛めたと同時に、稲妻をその手に有する方の少年に合図を送り、示し合わせたように行動を開始する。
――――俺が…銃を…落とした?
今まで幾多もの仕事をこなしてきた彼にとってあり得ない始末。
必ず起きない事故。そのアクシデントに彼はコンマ一秒呆然となる。
だが、彼はプロだ。次の瞬間にはその場に最も適したリカバリー行動を取りつつ、事故原因を思考する。
―――――消去法だ。常に眼鏡をかけている人がそれが落ちた時すぐに分かるように、まず俺のミスはあり得ない。となると外部要因がある。その一番は最強の力の干渉。分からぬ間に相手の行動に干渉する能力は…っ!
阿佐倉は落ちた銃を拾うような動作のままに左後方を目で確認する。そこには突っ立ったままの、火も稲妻も有さない男がいた。そう、阿佐倉の推察通り、彼は『共感手腕』という「10秒間続けて見た者の手腕の動きを10秒間自分と同じにする」能力を保有する心理系能力者なのだ。
―――――だが…、もう遅い
そう、心でほくそ笑むのは三人のうちのリーダー格の男であった。
―――――阿佐倉がしゃがみ銃を拾うのは俺達が襲いかかるよりも速いかもしれないが、そこから銃を構え引き金を引くには圧倒的に遅すぎる。たとえ百発百中だろうが、そんなものは無意味!いくら企みを全て看破しても無駄なんだよ。
三人の誰もが勝利を確信し気を弛めた時だった。
ガっと音がした。炎と稲妻を帯びた拳で殴りかかろうとしていた二人の男は、しゃがんでいる阿佐倉まで届いていないというのに拳に痛みを感じた。
「っ…、な、バカな」
そして気付く、自分達が“地面を殴っている”ことに。
どう反復してもこの異常事態が理解が出来ない。わけが分からない。同様を隠しきれない。
そんな混乱の最中のリーダー格の男の頭にジャコッと銃口が突き立てられる。
「ならば簡単だ。考えなければいい」
そして阿佐倉はなんの躊躇もなく引き金を二回引く。一発は気絶用、一発は能力喪失用。もはや中二病患者でなくなったリーダー格の男が煙のように消えていく。 阿佐倉はそれを無視して二人に目を向け銃を構え直す。
「なにを呆けている?別に驚くことではないだろう。まさか俺の『百発百中』がただ単純に銃を確実に的に当てる能力だとでも思ったのか?」
いかなる架空のゲーム、現実のミッションでどんな状況下でもヘッドショットを決める阿佐倉にとって、本当にその程度の最強の力ならば無用の長物である。
もう一度言おう。
『百発百中』は「何かを何かに100%当てる法則」を支配する能力である。と。
そう、
だから、
地面を彼らの拳に『百発百中』させることも簡単に出来るのである。
「今日は特別だ。本来ならこれを出すまでもないのだが、どうせお前らも消える運命なんだ。情報漏洩にはならないだろう」
と言う阿佐倉の手には、いつの間にかM136 AT4無反動砲が握られている。
「!?」
二人は本能的に伏せる。が、阿佐倉はそれを検討違いの方向に向け、そして放った。
「ちっ、逃げられたか。俺としたことが…」
想像以上の熱量、そして破壊が鉄筋コンクリートを食い破る音と窓ガラスが割れ、ひしゃげ、砕かれ、融かされ、粉微塵になる音とが混ざりあいそれが爆音と共に響き渡る。QFRONTから降り注ぐガラスの雨の下、伏せたまま耳を塞ぎ恐れ震える二人とは真逆に阿佐倉は、その単発式である携行対戦車砲をその辺に捨て、腕を組み舌打ちをする。
運のいいことに仲川は阿佐倉が神速の抜銃術を繰り出した時に、何かを感じて退散していたのだった。その直感を常に発動することが出来ていたならば遠藤真也に負けることもなかっただろうに。
「っふ、まあガラスごしだったし、重要なことは聞かれずにすんだのだから一先ずは良しとしてやるか。なんて、今日の俺は甘いな。まるで他の優勝候補に中てられたかのようななよなよさだ」
阿佐倉はふふふと笑いながら自分を貶す。
「あわわわわわわわわわ」
すると、先程に阿佐倉の手の自由を奪った心理系能力者が突如狂ったように騒ぎだす。彼らは戦闘センスの圧倒的差には気付かなくても、最強の力の圧倒的な差には敏感なようだった。その迫力を目の当たりにしてパニック状態にでも陥ったのか。
「俺はこれを“Level 2”と呼んでいる」
しかし気にせず、というよりは興味がなさそうに阿佐倉は話し始める。
「れっ…レベルツー?」
何とか気を保っているもう片割れが聞く。
「そうだ。おそらくはしばらく経ってから運営委員長も打ち明けるつもりだったのだろうが、自分の能力に模索を続けていた俺はいち早くこの境地に近付けたのだよ」
精神的に虫の息にある敵に冥土の土産に会話をしてやる阿佐倉。この状況は自身でも言っていたように、本来の阿佐倉・K・悠一という人間からは異常と言える。彼にとって中二病大戦は仕事の一つに過ぎない。だから他の優勝候補と違い、敵に容赦しないし、手加減もしないのだ。
なのに、今日は少し気分が違ったのだった。今までは出会っては即殺の単調な日々。万事大丈夫は順調な証ではあるが、いくら「戦い=仕事」の人間だからといって幾分面白味に欠け憂鬱感を募らせずにはいられなかったのだ。
しかし今日は虚を突かれ、一人を逃がしと誤算が多かった。この誤算が彼に悦を与えた。
要するに、人生とは上手くいかないくらいが丁度いいのである。
「“Level 2”とは自身の最強の力に対して拡大解釈的な捉え方をすること。俺の“Level 2”は『戦略砲撃』。能力は「百発百中という法則を実現するために相応以上の火力を獲得する」というものだ。こんな風にな」
そう阿佐倉が言った瞬間、あたりが眩い光に満たされ鼓膜が割れるくらいの爆音が轟く。
【 同時刻 京王井の頭線 久我山駅~富士見ヶ丘駅間 】
そこには総重量1500t、全長42.9m、全高11.6mの超大型大砲が鎮座していた。その大砲は電車のようなものに装着されていたが、そばの車庫に控えていたカラフルな井の頭線とは趣を異にしていてどこか物々しい雰囲気だった。そして砲口からは煙、一仕事終えた後のようである。その大砲の周辺は反動からか地面は抉れ、井の頭線や近隣の住宅の窓ガラスにはヒビが入り、辺りの石などは四方八方に吹き飛ばされていた。
「80cm列車砲 Doraさ」
光が止んだ後、阿佐倉は淡々と述べる。
まるで何事もないように。図書館の文献を読み上げるように。戦争を経験したことのない小学生が歴史の教科書の二次大戦の部分を棒読みしているかの如く。だが実際は何事どころではなかったのだ。
渋谷駅は元々、複雑な造りゆえに耐震強度に問題があるとはいえ、この惨事は想像だにしないだろう。スクランブル交差点付近に着弾した砲弾は彼が産み出した爆撃によって渋谷駅をメチャメチャにした。スクランブル交差点はそのほとんどが陥没して、『しぶ地下』と言われる地下街は地上に露になっていた。
阿佐倉に戦いを挑んだ愚かな三人組の内の二人は崩壊に巻き込まれたようで、瓦礫で各所を怪我しながらピクピクとしている。
「お前ら、不思議な行動をとるな。どうして、もう終わったかのような立ち振舞いをしているんだ?」
だが阿佐倉は地上で、10式戦車の上に座りながら首をかしげていた。彼はこの惨事は現在進行形だと言いたいようである。彼の座る戦車の後ろには列を成すように道玄坂を無数の同じ機体がある。そして少し上空にはけたたましいプロペラ回転音をかき鳴らす無数の攻撃ヘリAH-64Dがアイドリングしていた。
一匹の魔物のストレス発散のために、渋谷は、火の海と、化す。