Ep2 Broken daily ~戻らないあの頃への損害賠償請求~
「では、私はこれで」
『運営委員会』を名乗る男の髪は白髪を染めたような黒髪である。
漆黒のスーツを身に纏っている姿には全く贅肉がなく、しかし筋肉質という訳でもなくすらりとしている。
また、黒縁の眼鏡を装着する見た目は少しシワもあり、彼が四十代そこらだと分かる。
そこまでならば、日本の朝をいそいそと駆けている一家の大黒柱であるサラリーマンにしか見えない。
しかし、この『運営委員会』の男にはサラリーマンと思えない不可解な点があった。
それは、スーツを纏うその背に、紅い翼が生えているというものだ。
横に三メートルくらいの長さで生えているそれは四つ(つまり両翼二組)生えていた。
『運営委員会』と名乗るその男は、せっかくのその翼を使わずに、真也を見ながらゆっくりと後ろ歩きで去って行こうとした。
「ちょっ、ちょっと待った!」
「あっ、何だ?」
真也はどこかのテニスプレイヤーに負けないくらいの情熱的な停止発言をした。
その情熱に反応するかのように紅い翼は動きを止めた。先程より口調が一変しているのはなんの心情変化だろうか?
「あの、えっと何でオレは力を貰っちゃってるの?てか、オレは何をすべきなの?」
焦っていて、支離滅裂になる真也。
「はぁ、まったく。最近の中学生は人の話も聞かないのか。また説明させる気か?ふざけるな」
呆れがまわって、少々高圧的な態度に出る紅い翼のオッサン。普段の生活でそんな態度には慣れているからなのか、真也はめげない。
「す、すいません。なんかオレ…いや、僕、急にいろんなことが起こりすぎてパニックしちゃって。」
「……、はぁ。分かった」
「ありがとうございます」
真也の必死の願いに折れたのか、言い合いするのも面倒なのかは不明だが、なんにせよ紅い翼のオッサンは『大きなジェスチャー』というオプション付きの溜め息混じりに了解してくれた。さすがに「やれやれ」ないしは「やれやれだぜ」とは言わないが、「まあ、まだ時間あるし残業代でも請求するかな」とかぼやいてからこっちを見てきた。
黒縁眼鏡から見える瞳の奥には何か冷たいものがあった気がした。オレの視線に気付いた紅い翼のオッサンはわざとらしく左手で眼鏡を上下に動かしてから、話し始める。
「面倒だから詳しい話は抜きな。そのうち分かることもあるしな。でも、まあどうしてもってなら質問してくれ。じゃあ、取り敢えずその手に持っているプリントを見てみろ。」
「えっ?あぁ…。」
今まで全く気付かなかったのだが、オレはいつの間にか右手にA4くらいの大きさの翡翠色の紙を持っていた。
ちょうど、賞状のような固さの紙には水色にも黄緑色にもとれる背景に、太陽のような印象を与える山吹色でいろんなことがつらつらと書かれていた。
初めに目に入ったのは、他とは一線を置く程の大きさと太さを誇る文字列だ。
突撃槍の武装錬金の如く勇ましいその文字列は、このA4の紙の上部に位置されていてこんなことが書かれていた。
『中二病大戦要項』
「ぶ、ぶぃくたあうぉうづ?」
聞き慣れない単語とその響きに困惑する真也。
「中二病大戦。詳細と要項が下に書かれているから読ん
でみろ。」
紅い翼のオッサンは真也の反応を想定内のように聞きつつ、次の行動を促した。
「あっ、はい…えっとぉ」
用紙には次の通りのことが書いてあった。
中二病大戦要項
・日本全国の選ばれし『中二病』の中学生一万人が頂点を懸けて戦うものである。
・選ばれし中学生には一人に一つ、それぞれ違う『最強の力』が与えられる。
・『最強の力』は個々の想像により創造出来るが『絶対勝利』や『既第一位』など大戦の頂点を約束されたものは禁止される。
・得た『最強の力』は名前以外の説明は与えられない。自力で理解することになっている。
・『最強の力』を受け取った後に渡される『ヴィクターリング』は必ず身につけること。
・力を受け取った者はその瞬間から『中二病患者』となる。
・『中二病患者』同士が出会った時、『対戦』の掛け声で相手との戦いが始まる。
・『対戦』の勝敗は相手の『最強の力』を完全に喪失させること、相手が『対戦』によって戦意を喪失すれば『最強の力』も喪失させられる。
・相手から二百メートル離れるか、お互いにダメージにより戦闘不能になるか、お互いが休戦を望めば、その『対戦』はノーコンテストとなる。その際、『最強の力』は喪失しない。
・大戦の頂点、次点、次々点にはそれぞれ豪華商品が与えられる。
・以上のルールを見て棄権したい者は、『最強の力』を得る前に『運営委員会』に「辞退します」と告げてくれ。
「いっ、イチマンニンってあの一万人か?そんなに集まって何の意味が?」
他にどんな『イチマンニン』があるのかは知らないが、とにかく真也はことの大きさに激しく動揺していた。
「それは秘密だな。面白くなくなる」
「一番重要なところがシークレットだ!ってか、そうじゃなくて何で大戦拒否したオレがこのキャパなんとかを貰っちゃってるんだよ!しかも『戦意皆無』ってふざけてるのか!?」
「漫画みたいで笑えるな」
「当事者は笑えんわ!!!!」
紅い翼のオッサンは他人事のようにケラケラ笑う。
真也はぶん殴りたい衝動を必死に抑えた。真也はまた一つ大人の階段を登ったのだった。
紅い翼のオッサンは笑い疲れると、また話し始めた。
「いや、だってさ要項には「辞退する」と告げてくれって書いてあるだろ?お前言ってないじゃん」
「気が気が利かな過ぎるだろ!」
「それに、お前が辞退したらまた別の奴のところに行かなきゃなんないんだよ。めんどいじゃん。」
「しかも、確信犯だ!」
「まあまあ、人生なんて神様の気まぐれだよ」
「お前の気まぐれであってほしくはねーよ」
ってかお前は神様なのかとぼやく真也は、抑え切れないこの気持ちをその辺の石ころにぶつけた。しかし、球技が苦手な真也は大きく空振り(より正確には空蹴り)して、その慣性の法則を思いっきり受けた真也は豪快に転んだ。
尻餅ついた真也は「いたた」と唸る。ふと真也は自分の目の前に手が出されていることに気付いた。
「はやく立て。俺を煩わせるんじゃねえ」
「あっ、ありがとう」
珍しくも笑わず手を貸す紅い翼のオッサン。真也はそのもどかしさになんか恥ずかしくなってしまい、感謝の弁を述べてから顔を背ける。
なんか、BLが始まりそうな雰囲気だが、《中学生・オッサン》のカップリングを愛好する腐女子はいなさそうなので、夜の営みは始まらない。
「まあ、いーか。よくねえけど…。ってか誰かと戦ってさっさと負けりゃいんじゃね?」
真也は開き直りにも近い妙案を思い付いた。それを聞いたオッサンは呆れて本日二度目の溜め息をついた。
「何だよ最近の中学生。欲ねえな。頂点目指せよ」
「面倒だ。ってか中二病って厨二病のことか?そしてその前にオレは中二病なのか?オレのイメージかも知れないけど、なんかもっと「俺は勇者だあ」とかかんとか言っている奴のことを言うんじゃねえのか?」
真也はいくつか疑問を口にした。
「そりゃ邪気眼だな。中二病の特例だよ。特例が激し過ぎるゆえに有名になっちまっているってゆー典型か?まあ、「中二じゃないのに中二病?」とか低レベルの知識の段階じゃなくてよかった。そもそも中二病とは十四歳くらいに現れる欝の一種なんだよ」
「うつ?『うつ』ってあの難しい漢字のか?女団長が暴れる小説の第一巻のか?」
聞き覚えのある言葉に敏感に反応する真也。その反応を見て紅い翼のオッサンは真也を指差し言う。
「それも、中二病の兆候だと言える」
「それ?」
紅い翼のオッサンは限界だったのか、ズボンのポケットから煙草を取り出して口にくわえた。紅い翼は焔であるらしく、煙草の先端を近付けると火が付いた。
「中二病ってのは『病』とついているが病気ではない。元々、小児病の類いを揶揄したものらしい。まあ、当時の中二病と現在の中二病ではニュアンスが違ってきちまってる。」
「んで、それだと何でオレは中二病になっちまうんだ?」
「現在の中二病の定義とは諸説が入り乱れているせいもあってか、少し曖昧な部分があるが、運営委員会が定義する中二病ってのはな…、」ここで、紅い翼のオッサンは一息置いた。
「…だいたい十四歳くらいになるとな、急に大人ぶりたくなるんだよ。だけど空回りしちまう。例えるとな、『苦いと思いながらもカッコイイからってよくコーヒーを飲む』とか、『難しい漢字をホントはよく知らないのに知っていると言う』とか」
「なっ!」真也は自分のことを言われてると思い、「ホントに知ってるし!」
反抗期の賜物なのか少しキレ気味に吠えた。
「そうやって、大人ぶろうとムキになるとかな。」
「ぐっ、ぐう…」
真也の必死の反論も、紅い翼のオッサンの一言に無残にも散る。
真也は言われてから、少し考えた。
ホントは『うつ』って漢字や意味はあまり分かっていなかった。
でも、大人に全て見透かされたように話されるとなんか頭にくる。
あまつさえ、小学校を卒業して一年以上経つ身なのに子供扱いしている口調で話されると尚更だ。
「子供…か。」
そういや、周りは急に大人びた気がする。
ついこの間まで「遊ぼうぜ」と言って来て夕方になるまで公園で泥だらけになるまで遊んでいた友人は、今ではカラオケやボーリングに誘ってくるようになった。
確かに、カラオケやボーリングは楽しいが、時折、もの寂しさを感じることがある。それは、喉の奥に刺さった魚の骨のようにオレに違和感を与える。
それを繰り返す内にその喉の骨は取れるだろうが今は、「それでいーのか?」とも思う。
そうやって、昔に拾った綺麗な貝殻を捨てることが大人になるということなのか。
「子供はいーぞ」
「ん?」
少し感慨に耽っていた真也は突然のオッサンのぼやきに我に返った。
見ると、紅い翼のオッサンは「ぷはー」と煙が吐いていた。その煙は天に向かおうと灰色を大きく揺らすが、その願いも半ばに中空に吸い込まれていく。
煙が消えて虚無となった空間は、清々(すがすが)しいほど何もないことで強調され、逆に悔恨の念が存在しているように見えた。
「今よぉ、いろいろと言って悪かったな。お前の今のその歳ってのはな、定期テストとか恋愛とか受験とか『子供』をあまり意識できなくなっちまうんだ。」
そうだ、周りは急に変わった。
真也は頷きながら続きを聞く。
「まださ、中学生なんてのは精神的な思考が未だ発展途上な部分があってさ、『子供』を意識できなくなりつつある自分の周囲を、『大人』なものだと誤認してしまうのさ。」
「誤認なのか?」
真也は確かめるように言う。
「定期テストや恋愛が直接的に大人に結び付いてるわけないだろ?しかし、急に変わった現状に対して精神的な知識量の乏しいお前らは、「これが『大人』なのではないか」と思ってしまう。そして周りにどうにかついていこうとして、背伸びしようとするんだ。」
「オレを全否定する気か?」
真也は全国の中学生に対して向けられた侮辱に、中学生を代表した気分で聞いてみた。
「ははっ、しょげるな。実際その背伸びが当たっていることもある。」
オッサンは赤ちゃんをあやすように真也を宥め、無邪気に笑った。
「しかしな、背伸びっつーのはバランスがわりぃんだよ。」
「……」
「大人を連想してグラサン買うとか、ワックスつけてみるとか、アクセサリー身につけるとか…」
「む」
真也は言われて、半年前に友達に触発されて買った、「『キメ技“マット”』オトナ引き立てつつ、遊んじゃえ!」という宣伝文句のワックス(税込み六百八十三円)のことを思い出した。
一回つけただけで、お蔵入りになってしまったのだが、今どこにあるんだろう?
真也の髪質は母親譲りのサラサラヘアーである。
たいして手入れはしていないのだが、大和撫子のような髪だと比喩され、時々女の子に「いいなあ」と言われるのだ。
真也も思春期の男の子である。そんな風に女の子に言われると限りない喜びを感じるのである。
『キメ技“マット”』ワックス(税込み六百八十三円)を買ったのもそんなことを言われた夕下がりだった。
ルンルン気分で次の日いつもより三十分早めに起きて、例のワックス(税込み六百八十三円)をつけたのだ。
その日、クラス全員から言われた一言は「変」もしくは「キモい」
真也は、南アフリカを孤高に生きるライオン(♂)に変貌していたのだった。
………遊びすぎた。
もの凄く忘れたい過去の一つだ。
「…まあね、いろいろと話したけど、中二病ってのは患っている間は自分じゃ分からないものだ。成長して精神的にいろいろと経験して過去を振り返った時、初めて気付くものだ。俺がどうこう言ってもしょうがねえ。お前は今、同時に反抗期にも入っているんだからな。」
「ふっ、まあだいたい分かったよ」
「何がだ?」
オッサンは意地悪く聞いてくる。ははっ、黙れコノヤロー。
真也に浮かんでいたのは笑顔だ。
「今は分からねえってことが分かったよ」
「充分だ」
現状理解の諦めからくる脱力感と、逆にそれが知れる時が来るという確信からきたウキウキ感が混ざった笑顔だ。
「で、『中二病大戦』の方はどーするんだ?棄権すっか?」
オッサン…『運営委員会』の男は本題に戻した。
「いや、参加しようと思う。別に頂点とか大層なことなんて考えねえが、同じ中二病の奴と触れ合ってみんのも…あれだ、精神的な経験になると思うしよ。」
「……………」
「ん?」真也はオッサンの無反応を訝しみ、「あれ?また変なこと言ったか?オレ」と自分の言葉を反芻しだした。
「……………っ、」
「ああっ?」
「っ、はっはっはっはっはははは!愉快だなお前!」
「おおっ?」
爆発したように笑い出したオッサンに若干引いた真也。
オッサンは続ける。
「いや、安心しろ変じゃねえ。まぁ、変じゃねえからこそ笑えるんだがな。」
「はぁっ?」
今度は真也が呆れた。
「さてと、そろそろ別れの時間だ。またいつかな。それまで生きてろよ真也」
「って、ちょっと待っ…なぁっ!?」
今再びの情熱的な停止発言をしようとしたが、どうやらターン終了らしい。
言葉の途中で周囲が真っ暗になったのだ。
それはまるでテレビゲームの途中でコードを抜かれ、ゲームを強制終了させられた時に似ていた。
「…」真也は暫く考えた後に、「夢だな」
自身に言い聞かせるように納得した。にしても実に教養的な夢だなあと思いながら真也は目をつぶった。
目をつぶってから少しして真也は寝言のように無意識に呟いた。
「にしてもあのオッサンはなんでオレの名前知ってんだ?言ったっけ?」
「ふー」
『運営委員会』の男である、紅い翼のオッサンは真也のいなくなった場所に煙草の煙を吐いた。
「おや?貴方がサービス残業をするとは珍しい」
そこへ、新たな者が現れた。それは者というよりは物と言うほうが正しいのかも知れない。なぜならそれは、バスケットボール見たいな形、大きさの光の玉だったからである。
「たわけが」
オッサンはそう吐き捨てると自分の翼に向かって煙草を捨てた。煙草は翼に当たる前に周囲の熱で燃え散り灰になった。
「サービスじゃねえ、残業代出せや」
「やはり彼はトクベツなのですか?」
「…俺の話、無視かよ」
「あっ、私にも煙草を下さい」
「吸うの!?」
と言いつつも胸ポケットから煙草を取り出す紳士なオッサン。
「まさか貴方が彼をこの大戦に参加させるとは思いませんでしたよ」
煙草をくわえながら話す光球。その姿は飴の割合がでかいチュッパチャップス(キャラメル味)にしか見えない。
「あぁ、上がな」
「彼になにかあるのですか?」
「さあな、知らんしどうでもいい」
オッサンはそう言うと「帰る眠い」とぼやき四枚の翼で天を仰ぎ始めた。
「ふふ、流石ですね貴方…いえ『臙脂四翼』」
光球は急に姿を消し、その空間には誰もいなくなった。
「っだぁあー、ねみぃー」
午前九時三十分
この時間は学校だとちょうど二時限目にあたる。
遠藤真也の在籍する、この市立諫山第二中学校の二年D組の二時限目は社会科である。
「三権分立を唱えたルソーは…」
今は社会の公民課程を受けている最中なのだが、正直言ってなんも頭に入らん。
授業には二種類あると思っている。
眠くない授業と眠い授業だ。
何故、眠くなるのか。
何故、眠くならないのか。
最近その答えを見つけた。
作業が多い授業は眠くならないのだ。体育を筆頭に美術、技術、音楽などの教科で寝た記憶はない。また地味に理数系も計算するという作業があり、あまり眠くなることはない。
それに対して、国語に社会は基本的に説明ばかりの一方通行だからそんなに作業がないのである。
・作業がない状態ってのは、脳がほぼ完全に停止状態(…と真也は思っている。)に入っているのである。
・また、国語や社会の教員のヴォイスには催眠暗示の効果が付与されている(…と真也は妄想している。)のだ。
これが眠くならないはずがないのだ。
今日は晴天で、春の陽気が包みこむポカポカした日である。
それは『遠足日和』であり『デート日和』であり『ギャグ漫画日和』でもあり、
なにより絶好のお昼寝日和であった。
クラスのお昼寝の雰囲気に則り、オレも空気を読んで一眠りするか。
そして、真也がこの社会の授業で最後に見たものは、みんな『睡眠暗示』にやられている中、一人だけなんであんな元気いっぱいなんだ?ってくらい身を乗り出して授業を受けている委員長(♂)の姿だった。
「…き、…………ぉ」
《目の前には四人の美少女がいる。彼女達は必要に俺を求めてくる。》
「…き、………ろっ…」
《放課後の学校の教室の一角である。オレは椅子の一つに座っている。大掃除でもあったようで他の机やら椅子やらはない。他には椅子の後ろに教卓があるばかり。
時刻は午後六時。
目の前に美少女が四人。
ある意味バイオハザードなこの空間でオレは決意する。》
「…ぉッ、…き……るォ…」
《そう、オレは『4P』を開始することを。決意すると早かった。
オレはワイシャツのボタンを一つずつはずしていき、それが終えると迎え入れるように両手を広げた。
美少女た》
「起きろおおおおおおお!!!!」
「うおおっ!」
真也は突如近くで発生した大声に驚き顔を上げた。そこは夕方の甘い教室ではなく、真昼間の騒がしい教室であった。そこはほのかにカレーの匂いがした。
どうやら、真也は夢を見ていたらしい。ただ、本人はまだ寝ぼけているらしく、
「あれ?オレのハーレムは?」
「どんな夢見てんのよ!」
とある生徒会の副会長みたいなことを言い出す始末。
顔を朱く染めながらツッコむ真也の隣にいる少女。彼女が真也を十八禁世界から救い出した張本人だろう。
真也は、今ツッコまれてから初めてそこに少女がいたことに気付いたらしく、
「あっ、一人増えた」
「私をあんたのハーレムに加えてんじゃねえ!」
「がはっ!」
軽率な発言をした。
その報いとして真也が貰ったのは女の子の『ぐーパンチ』であった。
顔面に貰ったそれは見事にめりこみ、その力を真正面から受けた真也はその勢いに従って椅子ごと真後ろに倒れた。
真也は今再びの、そして永遠の眠りについた…
「いやぁ、琴音の一撃は効くなあ」
…と、いうわけではなかった。
殴られた時に得た運動エネルギーだけでなく、落下エネルギーも手伝って生まれた莫大なエネルギー量が、着地と同時に真也の延髄に衝撃として伝わり、致命的なダメージとなるところだったが、ギリギリの所で完全覚醒して咄嗟に受け身をとったのだ。
昨日の体育の授業が柔道でなかったら自分は今ここにいなかったかも知れない。
そう思うと、真也はあのヤクザみたいな体育の先生と球技以外に秀でた自分の運動神経に感謝せざるを得なかった。
「あっ、あんたが変なことを言うからいけないんじゃない…」
殺人未遂に罪の意識があるのか強気になれない少女。
あの時、流石に周りも驚き、先生は「保健室に行きなさい」命令を発令し、被告人である少女は真也を連れてこの保健室まで走ってきたのだ。
しかし、ギリギリまで寝ぼけていたので何が起こったか全く分からない真也は、さっきまでみんなが何を慌てているのか疑問でならなかった。
ただ、石澤が震えながら「ばっ、番長だ」と言っていたのでだいたいのことは察したが…。
「いやあ、にしてもいいねえ。なんたって公式的に三時限目がサボれるんだから」
真也はウキウキした。
しかし、それを聞いた少女が真也に現実を告げた。
「何を言ってるの?もう給食の時間よ」
「えっ?」
真也は一瞬で戦慄した。
目の前で不幸な宣告をした少女は、篠原琴音と言う。
彼女は真也の幼なじみなのだ。
「おっ、お前が何を言っているんだ?」
真也は確かめるように聞く。
「だーかーらー、四時間目は終わったの。あんた二時間目からずっと寝ていたのよ」
現実は揺らがなかった。
琴音は嘘をついているようには見えなく、現に保健室の時計は十二時三十四分を指していた。しかし、信じたくなかった。
「バカな…記憶がない。はっ!まさかタイムリープか?」
真也はいろいろと模索しているとある可能性にたどり着いた。
「いや、あんたの場合はコールドスリープね。」
「それは、TPDDじゃなくて宇宙人の和室ってことだな。」
「……どうやら、頭のどこかが未だにコールドスリープしてるようね」と怒りを通り越し呆れる琴音。
「つまりは三年前の七夕ってことだな!」
「はぁっ?わけ分かんない。どーゆー意味よ。」
「禁則事項です。」と、口元に人差し指を立てウィンクする真也。
「意味は分からないけど殺意が湧くのは分かったわ」と、胸元に拳を握り睨む琴音。
その二秒後、顔に二発目の拳を喰らう。
どうやら彼女はアニメやラノベは嗜まないようだ。
その点、真也は両方ともこよなく愛している。もちろん映画も見に行くつもりだ。
真也と幼なじみの少女、篠原琴音は真也と同じマンションに住んでいる。彼女が十三階の最上階で、真也は三階。彼女の祖父そのマンションの大家なのだ。
また、運動神経は良く、真也と違って球技のセンスも抜群に高い彼女は硬式テニス部のエースである。なんでも、中学生になってから始めたテニスだが、数ヶ月後に個人で全国大会に出場するレベルである。ウチの男子テニス部キャプテンですら打ち負かすから、先輩も接し方が分からない。
だけど、人はいい奴なので部内で反感が変われることはないらしい。
琴音は背中辺りまである艶やかでストレートな黒髪を持つ少女である。身長は真也より少し下ぐらい。そして、顔立ちはなかなか端正であり学校内きっての美少女として知られている。真也自身、彼女のことを「可愛い」と思っていて、また幼なじみゆえに名前で呼び合えることに、他の人達に対し優越感に浸れるのだ。
しかし、実は周りは優越感に浸っている真也に対して嫉妬することはない。なぜなら真也に対しては、彼女は暴力を振っているからだ(真也は例の体質であり、例の性格なのでそう思っていない)。逆に同情する男子生徒がいるくらいである(主に彼女に告白しフラれた少年達)。
髪質は自身でも自信があるらしいが、唯一「くっ、お前の髪だけには負けた」と言われたことがある。
オレは髪についてよく分からないのだが、みんなにそう言われるくらいなのだ。
実は相当すごいんじゃないんだろうか?とたまに思うところがある。ってか、人がいいのにオレに対してきつくあたるのはまさか髪質への嫉妬じゃないだろうな?
そこは己のいじめられやすい体質であってほしいと望む真也であった。
まあ、その場合彼女はいじめられてなくてはいけないのだが…。
実際、それは事実なのだが例のアレで気付かない。
「はぁー、マジか寝てたのか。体育って球技多いから成績上げられる種目って貴重なのに」
もしかしたら、昨日男子全員から『一本』取ったから復讐か?復讐なのか?と推理し、その事実に激昂する真也。
対して、先生もいない保健室に二人きりというシチュエーションに今更ながらどぎまぎして赤くなる琴音。
別に三倍の速さになる訳ではないが、琴音はにこの気まずい状況(真也は全く気にしてない)を打破するための会話の中身を必死に考えていた。
もし彼女がバーストリンカーなら『バーストリンク』して思考速度が一千倍になり、ものの一,八秒以内に答えを弾き出すことが出来たのだが、そうではないので話をふるのに三分くらいかかった。
「あのさあ、真也。今度の日曜…」
「って待てよ。あのお節介委員長(♂)ですらオレに声をかけてこなかったってことは、まさか奴が黒幕か?アノヤロー、ぶんなぐ…って何か言ったか?」
しかし、真也はずっと推理をし続けていたため声は届かず、しばらくして何かを言ってきたということにしか気付かなかった。
「いや、なっなんでもない」
「あんっ?変なやつだな」
タイミングを逃してしまい完全に拍子抜けた琴音は話すのをやめた。
「そんなことより、早く給食食べよ。」
「おお!そうだな。今日の給食は…カレーか!って待て」
「ん?」
いっただきまーすと言い、一口目を口に入れようとスプーンを構えた状態で真也に呼ばれ、何?と疑問符を浮かべる琴音。
「いや、なんでお前もここで食べるんだ?」
「なによ、容疑者篠原琴音と食事を共にするのは嫌だっての?」
「そんなスピンオフみたいな拗ね方すんなよ…。」真也は呆れてから、「………まあ別に嫌じゃねえからいーか。」と言う。
真也は基本めんどくさがり屋で、そして鈍いので理由とかどーでもいーのだ。
一瞬「嫌じゃねえから」と言われたとき、琴音はスプーンを落としそうになったのだが真也は例によって全く気付かなかった。
かくて、保健室での食事会が始まった。
保険医はどこかに用事でもあるのか、未だ来ない。
ってか、保険医のいない保健室って存在していいのかよ…。もしこの状況下で怪我人やら、病人やらが来たらどうすんのよ?その時はオレの『ゴッドハンド』でなんとかするしかなさそうだな。
保健室の壁とは大概が白く、この学校もそれに倣って白い。
教室と同じくらいの大きさのここには、サッカーのハーフラインのようにカーテンの境界線が敷かれている。カーテンの奥には確かベッドが三つほどあり、それぞれは隔離されるようにさらにベッドとベッドの間にカーテンの境界線がある。
こちら側には壁際にいくつか、縦が一,五メートル超の棚がびっしりと置かれていて、中には消毒液や絆創膏、さらには違法じゃないのか?ってくらい薬が入っている。
他にもいくつかのソファや、面積ニメートル×三,五メートル程の机と八つのパイプ椅子がある。オレと琴音は机で向かい合うようにパイプ椅子に座り、給食を食べていた。
今日の給食はカレーライスとフルーツポンチと牛乳。一見少なそうに見えて実はカレーライスで栄養バランスは取れているため、これで充分なのだ。
カレーは万能ってか?こりゃインド人の誇りだねえ。
にしても、いつも思うのだが、ご飯と牛乳って合わねえ。よって、牛乳は琴音に献上。
「真也、男のコは牛乳飲まなきゃ身長伸びないわよ」
と言いつつも、真也の牛乳を豪快に一気飲みする琴音。
腰に手を置くというオプションつきだ。
可愛らしくぷはぁと言い、口元に大層な牛乳髭を蓄えた琴音に真也はいやらしい笑みを浮かべた。そして、彼女が二本目の蓋を開け飲み始めてから真也は言った。
「まあ、どっかの誰かさんは人の牛乳飲んでも貧相だけどな…」
「ぶふっ」
「…って、きたなっ!」
琴音は真也の言葉に何を思ったのか、飲んでた牛乳を吹いた。真也の学ランは牛乳でびしょびしょになっている。吹いた当の本人は喉辺りでつっかかったのかげほげほ言っている。
「くそぉ…男が牛乳かかっても何もエロくないのに…、ただキモいだけなのに…」と場違いなことを漏らす真也。
コノヤロー牛乳臭くしやがって…と一瞬だけ殺意が浮かんだが、涙目になって苦しそうに噎せている琴音が可愛らしかったので全部許した。
いやぁ、萌えは世界を救うんだねえ。
温かい気持ちになった真也は自分の服を拭う作業を止めて、琴音の背中をさすってあげることにした。
「触らないで、牛乳臭くなる!」
酷いことを言う。
「お前の嘔吐物だけどな」
「もとはと言えばあんたが悪いんだからね!むっ、胸が…っ、て」
ほほう。
こいつ、胸のことを気にしてるのか。
真也のいやらしい笑みが復活した。
「胸が小さいのが悩みなんて琴音も思春期の中学生やってるね~」
「わわわ私は別に」
「えー、違うの?逆にそーゆーところを気にしない態度に引いたわ」
「いや、やっぱ嘘」ソッコーで意見を転換する琴音。
「大丈夫だ安心しろ」
「何がよ」
「ここ最近ではこの手のキャラが主人公になる時代ですから。」
「はぁ?なわけないでしょ」
「貧乳はステータスだ希少価値だ言う高校生がいる時代なのに」
「嘘つくな」
琴音は「バっカみたい」と言い、話をやめ、拗ねた顔で一気に牛乳の残りを飲み干した。
ウソじゃないのにホントなのに…と呪文のように呟く真也は黙々(もくもく)と学ランにティッシュをつけて牛乳の湿り気をとっていた。
保健室に従来の静けさが戻る。
ってか今頃なんだが保健室で給食…しかもカレー食っていーのか?神聖な場所がカレー臭くなんぞ。
そんな下らないこと考えてたら琴音が突然聞いてきた。
「そういえば、あんたの友達の鏑木君が今日休みだったんだけど連絡が来ないの。何か聞いてない?」
「いや…何も」
かぶ…らぎが?
保健室が一瞬黒く染まる。
「むわぁー、やっと学校終わったぁー」
ドンと自室のベッドに倒れ込む真也。今日はいろいろと疲れたのだ。
琴音に殴られたところは何もないように振る舞ってはいたが、実は激痛が未だ走っているし、教室に戻ったら心配の声は全くなく、逆にクラス中から「牛乳臭い」と非難を浴びせられるし(担任にすら)、あの体育のヤクザ先生に授業の欠席の理由を話したら怒って「校庭二十周走れ」とか言ってホントに走らせやがるし…。
「不幸だ…。」
とある高校生にはかなわないが、今日の真也には運というものが全くなかった。
そして極めつけが、鏑木亮太の無断欠席である。
「昨日、帰るときは元気いっぱいに宇宙開発の話していやがったのになあ…。」
真也は友人思いの少年である。
向こうはただ単に普段いじめられている鬱憤を晴らすために付き合っているだけの場合が多いが、幸か不幸か、もはや言うまでもないが真也の性格上そのことに気付かない。
だが真也は友人だと思っているので、いまどき珍しく本気で心配するのだ。
とりあえず「大丈夫か?」とメール。
二~三分程待っていたが全く反応がないので真也はその辺にケータイを置いた。
真也の自室には、ベッドと勉強机と本棚で埋め尽くされている。特に本棚には目を見張るものがある。
横幅九十センチ、高さニメートル近くある本棚が部屋入って左側の空間に四つ置いてある。左側の壁が完全に見えなくなっているその棚は(本を守るために)地震対策もバッチリ出来ている。真也はめんどくさがり屋だが、自分の趣味には人一倍こだわる。
この本棚にしたって趣が出るからといい素材を使っている高級棚をオーダーメイドで購入したり、本棚や本が埃などで汚れないように週一で手入れしたりと。
四つの本棚の左側の二つはラノベ用、右側の二つは漫画用に造られている。真也はベッドから起き上がると右から二番目の棚の、上から三段目のスペースから漫画を取り出し再びベッドに寝転んだ。
「んっ?」
このときに背中に違和感を感じた真也は再び起き上がりベッドを手でまさぐった。腕を巧妙に動かしていると掛け布団の下にあった何かに指先が触れた。
「何だこりゃ?」
真也が取り出したのは直径七センチ程度の金属のリングであった。太さは一,五センチ程度で丸みを帯びている。金属性のそのリングの表面にはほとんど装飾らしきものはなかったが、一箇所だけ『V』と横長に彫られその部分が赤く塗られたものがあった。
また、その装飾から同一の距離であり、ちょうどこのリングの直径部分にあたる二つの箇所が、外側に折れるようになっていて、折ると少し形の歪つな『W』のようになる。
どうやらこのリングは開閉することで腕に付けられるらしい。
真也はおもむろに『W』の下の半円部分に腕を置き両箇所を閉じた。
「なっ…はっ?」
そして真也は気付いた。
「マジかよ」
正確には気付かされた。
「『中二病大戦』って…こりゃ…。」
目の前に誰かがいるわけではない。また何か物が現れたわけでも、リングから光が…というわけでもない。
世界の外面は全く変わらず進行していき、明日からの日々も昨日と同じように動
いていくだろう。
しかし、内面は違ったのだ。
真也は理解した。
あの夢が真実だったことも。
『運営委員会』のことも。
大戦が始まったことも。
自分に何か能力が備わったことも。
…そう、能力。
オッサンの話じゃ確か『最強の力』とか言ってたっけな。
まあ、名称なんてどうでもいい。そんなものは記号に過ぎないからだ。
「そういや、オレの能力って『戦意皆無』とか言っていたよなあ。まさか、腰が抜けるとかって能力じゃねえだろな?」
『中二病大戦要項』には次の一文が書いてある。
「いや、意外と『最強』とか言うくらいだからめちゃくちゃ強い能力かも知れないな」
《・得た『最強の力』は名前以外の説明は与えられない。自力で理解することになっている。》
「…、なんか紙ないかな?」
何でそう書かれているかというと、自力というよりもさっきのように全てが自然に理解できるからだ。
真也は部屋を歩き回り、落ちている数学のテスト(六十点)を手にとり…。
「ふんっ…!」
破るモーション。
「あっ?」
しかし、破れない。
「ふぐぐぐっ」
持てる力を全て込めてみるがびくともしない。
「嘘だろ?」
真也は脱力し、手から数学のテスト(六十点)が滑り落ちた。それは、ひらひらと舞った後に床にぱたっと落ちた。
「嘘だろ?」もう一度確かめるように言う。
それは現実への問い質しであり、自分への最終宣告でもあった。
「まっ、まさか、『戦意皆無』がこんな能力だなんて…」
真也はベッドに座り込んだ。
無傷の数学のテストは物語る。
『戦意皆無』の能力とは『使用者の攻撃力をゼロにする』というものであると。
まさに、よわゴシだった。