Ep19 Draught~揺れる林と崩れる火山~
事態は数分前に巻き戻る。
「まったく…何なのよ真也は。ホント情けないんだから。少しは私達のこと信用しなさいって話よ」
ココアカラーの髪をツインテールに縛りその小柄な体を高級そうなブレザーで包み込んだ少女、梨緒はぷりぷり怒りながらとある建物の階段をてんてんと登っていた。住宅地にわりかし多い一階にコンビニエンスストアの附随した一軒家くらいのスペースの、地上三階まである小型のマンションである。外壁はグレー、現実の様相をしたこの異世界では戦闘観戦という不透明な今の状況に似つかわしかった。
「フフ、彼はもちろん僕達を信頼していますよ。そしてだからこそ失いたくないの一心で万が一を恐れてあそこまで心配性になっているのです」
少女の後ろを付かず離れず調度良い距離を保って従者のようについていくのは常に微笑みを絶やさない少年の委員長(♂)であった。先刻、突如吹いた風によって荒れたのか彼は少女の持つものよりも二段階くらい明度の高い茶髪を整えながら少女に答える。梨緒は一瞬だけ歩を止めてチラと90°だけ委員長(♂)の方を振り向くと顔を火照らせながら聞こえるか聞こえないかくらいの声で「そっそんなことくらい私の方が分かっているわよ」と呟いて、体を元の状態に戻して再び歩き出そうとする。
こういった場合、もし話し相手があの遠藤真也ならば「えっ?今なんか言ったか?」梨緒「なんでもないわよ!」という王道を通るのだろうだが、なかなか賢い委員長(♂)はそうは問屋が卸さない。
「やれやれ、何を言うかと思えば……笑止。どう考えても僕の方が真也くんをよく知っているに決まっているでしょう!」
彼は胸に手を当てて張り合うように宣言する。梨緒がもう一度振り返ると何故か委員長(♂)が勝ち誇ったような顔をしていたので「(なんて、アホなんだろう…)」と少女は思ったが、どういう訳か少し悔しがっている自分がいるのに気付く。そして委員長(♂)の話を軽く流そうと思って口を開いたはずなのに出てきたのは全く違う言葉だった。
「ば…バッカじゃないの?あいつと一番最初に組んだのは私よ。私の方に決まってるじゃない、そっ…それに「守る」って言ってくれたし…」
それは委員長(♂)とは全く対称的な意見だった。最後に追加した言葉は結構恥ずかしかったのかゴニョゴニョとして聞き取れる類いのものではなかったが、有能な聴覚器官を持つ委員長(♂)は伊達じゃなかった。
「あー、はいはいラブコメですか?そういうのいーですから」
「らっ…らぶっ!?」
委員長(♂)は少しイライラしているのか早口で話す。梨緒はほとんど一人言のような部分を聞かれていたこともだが、それよりも彼が軽く言った一言にかなり動揺していた。口をパクパクさせながら顔の赤はもはや湯気をたたせるレベルだった。
「だいたい真也くんはよわゴシのくせになかなかクサイ言葉が好きな人間ですからね。お人好しな彼なら誰にでも言いそうな言葉ですよ「守る」だなんて」
「そっ…そんなことないもん」
委員長(♂)の見幕にのされながらも、ボソボソと反対意見を述べる梨緒。強く言えないのは真也の性格をよく分かっている彼女にとって委員長(♂)の言うことは正しいと共感できるものだったからだ。ただ同時にあの時に仲間となった日のやり取りを汚したくないとも思っていた。真也もさることながら梨緒もなかなかクサイ言葉が好きなようである。
「なっ、ならアンタは言われたことあるの?」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?」
さっきまで押せ押せだった委員長(♂)の勢いが止まり、口を中途半端に開いたまま固まっていた。梨緒が神妙な面持ちで委員長(♂)を見続けること数秒、彼は我に帰ってから梨緒から視線を外して小声で言う。
「あっ………………………ありますけど?」
「嘘」梨緒の即答。
「なっ…、何の根拠があって嘘だと?」
「絵に描いたような慌てようね委員長(♂)」
なまじ悪い意味で嘘をつかずにどんなことでも遠慮なしに正直に喋る彼にとって嘘をつくことはあまりに慣れていないようでそれは小学生の覚束ない演劇のようであった。彼にしては冷静を保てていない瞬間であったが話題を変えるように切り返す。
「それに僕は君よりも真也くんと一年以上の付き合いがあるんです。随分と男の友情を育んだものですよ。あなたのようなにわかとは年季が違うんですよ年季が」
「なっ、長ければいいってものじゃないじゃないのかしら?密度が重要よ密度が」
「ならそれも十分です、僕と彼との濃密な日々を語れば余裕で日を暮れさせます」
「私も出来るわよ」
「フフフフフフフフフフフフ」
「むむむむむむむむむむむむ」
どうしてこうなったのか二人は顔を近付け合わせる。一見して男女の交わりだが内実は不良グループの各トップのメンチの切りあいに近かった。梨緒が体中から怨嗟をばらまきながら目をこれでもかと吊り上げて般若にも劣らぬ怒りの形相を見せると、一方の委員長(♂)は観音とおぼしき微笑だがその芯に嫉妬心を秘めてるそれを晒してくる。
「私、やっぱりあんたのこと嫌いだわ」
埒が開かないと悟ったのか、梨緒は顔を離して腕を組みながら暴言を吐く。
「まあ僕は小さい子供がムキになっているのは稚拙で可愛らしいので悪くないと思いますけどね」
委員長(♂)もこれに習う。彼の最後に言った言葉がどうしても気に入らなかったのか「にゃにおー!!」と少女はもう一度つっかかってこようとしたが、委員長(♂)の言葉巧みにやられてすぐに上にのぼろうという結論に落ち着く。つい癖でポロッと出てしまった失言だったが、それだけで収めるのにかなり苦労したので彼は彼にしては珍しく溜め息しながら、
「(はあ、…やっぱり僕も彼女をあまり好きそうになれませんね)」
と思っていた。そして今日初めてそんな少女と一緒にいれている真也を尊敬したのであった。
屋上近くに到ると立ち入りを禁じるための扉があった。言うまでもないが鍵はかかっている。梨緒は何も言わずにドアノブのところに小爆発を起こして鍵を根本から壊し、ノブがなくなって穴になったところを取っ手がわりに扉を引いてそこを通り、委員長(♂)がそれに続く。もっと手軽にそれなりの爆発でドアごと吹き飛ばす方法もなくはなかったが、偵察で大音量は好ましいとは言えなかったし建物の構造上、下手したら階段ごと食い破る可能性も鑑みての判断だろう。
「涼し…」
梨緒が思わず漏らす。秋の葉が赤々と染まり鹿が哭くといったのを時代錯誤にも感じ入ってしまうような冷気が彼女の皮膚を叩いたのである。微風ほどであったが、触る度に蚊が血を吸うように温度を奪っていき一つ季節を飛ばした寒々しさの印象を与え続けるのだった。外に出てみて初めて固く閉ざされた扉がここへの進入を妨げていた理由が分かるのだが、ここはそもそも景色を鑑賞するために造られた場所でなく雨水貯蓄ポンプやその他諸々の機器を設置するための空間であり、周りにフェンス等のバリケードが張られていないために例えば小さい子供が遊んでいて落下する危険性があるのだ。ゆえにおそらく住人すらも滅多に訪れず主に業者が行き来するだけに止まっているのだろう。委員長が突っ立ったまま茫然とどこかを黙視しているのに梨緒は気付いてその視線の先を追いかけると、大通りと大通りを挟む小道にしてはそれなりの幅のある場所に計五人の人がいるのに気が付く。女性一人男性四人の組み合わせで異性ごとに対峙し男性はアーチ状に並んでいた。私服の男性に対して異常に伸びた黒髪をツインテールする少女はブレザーを着用していたが見慣れたものではなくこの辺りの学校ではないように思われる。唯一明白なのは多対一であることだった。
「男のくせに女の子を袋にするなんて本当にサイテーね」
並々ならぬ正義感を持ち合わせる梨緒にはこの状況が我慢ならなかった。今すぐにでも飛び出して行きたかったが委員長(♂)に度々宥められて取り敢えず様子を見守ることにした。
「お前をここで見つけられたのはラッキーだったよ。まさか俺達がバスに乗っているとは思わなかっただろ?」
男の一人が言う。成る程見るとすぐそばには私営バスが一台停まっていた。仲間内で「対戦」と言い合い、現れた因果孤立の空間の波動をぶつけて巻き込んだのだろう。まさか別の中二病患者もこの中に含まれているとは思うまい。
「始まるようですよ…」
委員長(♂)が固唾を飲む。別の一人の男が己の能力名を言ってから手を翳すとそこから青色の炎が現れる。他の三人もこれに習って各々の能力を使おうとする。対して少女は先程から何もせず何も言わずを通して俯いている。梨緒は自身の持つ叔夷伯斉の志の為にこのままじっとしていられなくなり飛び出そうとして、委員長(♂)はそれを見逃さず少女を羽交い締めしてでもとめようと動いた時だった。
強い風が吹いた。
二人が揉み合って二、三秒くらい闘いから目を放していた間の出来事だった。鉄がひしゃげガラスが盛大に割れる音によって脊髄反射的に視線を戻させられた。音源はすぐに分かった。三叉槍を持っていた男がバスにめり込んでいたのだ。頭と上半身の一部だけバスのフロントガラスを破り内部に入り込んだ頭が引っ掛かっているために金属製の車体に張り付いているように見えるのだ。そこに新たな人間がぶつかる。今度は見ていた、頭に焼き付いた。少女の方が腰を捻り足の裏で男の腹を捕えるように蹴り出してその勢いで数メートルも吹き飛ばしているのだ。異様だった、二人は少なからずの戦慄を覚えた。それは物理法則を無視した運動エネルギーの発動にでも、人を人と思わず壁に止まった虫を叩き潰したような凄惨な状況を目撃したからでもない。驚異的な暴力を今なお掲げて悦に入って顔を狂喜に歪ませる少女に対してである。どうやったらあんなにボロボロになっている相手に愉しそうに蹴りをし続けられるのだろうか?
「行きましょう聚楽園さん。長居は無用です。…まさかの展開でしたね」
梨緒の左肩に手が置かれる。委員長は首だけを動かして出口へ向かうことを示唆した。結果の見えた闘いにいつまでも執着するのは敵に発見されるところとなるからここで退くのが賢明の判断と言えるのだ。とはいえあまりに瞬間的且つ衝撃的内容だったので唖然としてしまって体を動かすのが難儀だったが、それでも無理矢理動いた。ありありて、真也は姿を表さなかったが持ち前の臆病風に吹かれて既に現実に戻っているというのならば少し幻滅だと梨緒は思っていた。
「にしても、驚きの内容でした。僕はあそこに悪魔を見出だしましたよ。最強の力は格闘能力向上といったところでしょうか?」
梨緒と並び歩いて出口の扉に向かう最中、少女を覗き込むように顔を向けながら委員長(♂)は感想を述べると共に分析もした。それに対して少女が口を開きかけた時だった。
冷たい風が彼女の頬を舐めるように吹き付ける。
「お前、バカなの?私がそんな安っぽい能力な訳ないじゃーん!」
それは女性のアルトヴォイスだが梨緒のではない。二人は同時に後ろを振り返る。さっきまで目測二百メートルは先で一方的な戦闘を繰り広げていた暴力の権化がものの数瞬でこの場に躍り出てきたのである。不可解なのはその俊敏性だけでない。彼女はその足場になんの頼りもなく佇んでいるのである。
「浮い…てる?」
梨緒がようやっとのことで声を出して前述を要約する。対面する浮遊少女は異常に伸びた髪を風で遊ばせる。あまりに尋常な反応なのか彼らの動揺に然程興味はないようだ。
「ねぇ?私が逃がすとでも思ったのかしら?」
「どうして僕らの存在に気付いたのですか?」
彼女の独特な雰囲気に飲まれぬよう委員長(♂)は空気を読まずに質問を質問で返す。相手の少女はというとそれに対して気分を悪くすると思いきや、果敢に挑んでくる様子に感心したようで満足気に答えようとする。
「あー、まぁいいわ。私の能力はねぇ“風”の力なの。『風の噂』って言葉知らない?ここら一帯の空気は私の目のようなものよ」
「風?」委員長(♂)が怪訝となる。
「だからねー、分かっているのよ。お前らにもう一人仲間がいるってことわねぇ!」
ここで一段と強い風が吹く。出口の扉はこっちから押し戸だったので風に圧されて何かに衝突する強い音が響いた。それと同時に間の抜けた声も聞こえた。どう考えてもその声の正体は真也としか考えられなくて、ギリギリまで扉付近に潜んでいたのか、それともたまたま来たところを運悪く頭ぶつけたというアホなのか……梨緒は敵に向かい合ったまま一秒間だけ考えて「(いや…後者ね)」と結論づける。委員長(♂)も同じところに辿り着いたようで、緊迫の状況下のシュールな出来事のために少し余裕が生まれたのか微かにスマイルを復活させる。
「おーい、おっ…い?」
案の定たった今来たところなようで敵に気付いてない声色で一旦能天気にも梨緒達を呼ぶ声を発するも、すぐに三人目に目が行ったのか語尾が疑問符のために高く翻る。剣術で燕返しを放ったかのように唐突に方向転換を強いられた音声は妙な趣を持って空間に谺したかに思われた。そこから訪れる空白は多くの人にとっては千年の刻にすら感じられるほど長久的だったが、その創成者にしてみれば働き蜂がその巣に群がるように脳を複雑にこねくりまわすのに他の機能を強制シャットダウンさせてエネルギーを一点に集約させていたために実質的には≒零秒であった。
遠藤真也をそうさせてるものは目の前にある。と、梨緒が改めて思わなくてもそれは間違いなかった。彼女にとっては死角のために見えないが少年のは今、何が起きたか分からないように口をあんぐりと開けてバカ面を晒しているか、驚愕のためにこの世のものとは思えぬ表情をしているのだろうとクスクス予想する。なにせ彼は極度に戦いを嫌がるのだ。
少年をそうさせているもの、それはユーフォーならぬ未確認飛行女子中学生であった。訳すならばU.F.J.Cと縮められるだろうか?いや、さらに正確性を強めるなら既確認浮遊女子中学生となるのだろう。それよりも真に“未確認”なのはもっと別に存在していたのである。
委員長(♂)と梨緒は一つ思い違いをしていた。彼らは今日まで自身のエクスペリエンスという轆轤を用いて丹精に偏見を捏ねあげて本物と見紛うほどの土像を造り上げてきたのだが、それは運慶快慶をも唸らせる至高の出来だったのかも知れないが所詮は偶像に過ぎなかったのである。だからただの一瞬だけでも本物の芯の一端を目撃しただけで音を立てて脆くも崩れさってしまうのだ。
「なっ、なんで…なんでお前がここにいやがるんだ!」
皹は徐々に広がっていく。
熱を持った震動が空間を強く揺らす。近くで救急車や消防車がサイレンをかまびすしく掻き鳴らしているわけではない。そんなもの周りには見えないし、それ以前にあっても“ここでは”鳴ることがない。では、感情剥き出しの獣のようなこの音はなんなのだろうか。二人には分からなかった。聞き覚えはあるが、聞く覚えは無い声。
「?」
梨緒は我慢が出来なくなり後ろを振り返る。そこには知らない人がいた。否、知らない人がいたと思った。大狼が逆鱗の如く息を荒らげ、毒蛇すらもが狼狽えるくらい目を吊り上げ、百獣が王の鬣よろしく髪を逆立てるそれは彼女の知る遠藤真也にも何処と無く似ていた。梨緒につられて委員長(♂)も後ろを見る。だが“アレ”は遠藤真也なんてものではなかった。“彼らが造り上げた像”は床に落ちた花瓶のように堕ちたものだった。偶像=アレ≠遠藤真也。結局のところ彼らは遠藤真也のことなんてあまり分かっていなかったのである。
「ふんっ…、別にいいじゃない。たまたま来たのよ…たまたま……」
真也の敵意剥き出しの態度に興が削がれたのか浮遊少女は髪を弄りながら斜め横を向いて拗ねるように言う。梨緒はその少女の頬がほんのり朱がっている気がしたが今はそんな些細なことよりも怒る真也が気になった。
「たまたまぁ?“あそこ”からはるばるこの街までお前に何の用があるってんだよ?」
真也の威圧的な態度は変わらない。ここまで来ると傍観者と化している二人にも僅かばかりだが状況を掴めてくる。恐らくこの二人は過去に何かあったのだろう。あの真也がここまで怒り心頭しているのだからそれは並大抵のことではあるまい。
「えっ?お前、私が今どこに住んでいるか知っているの?」
だというのに少女の方はそれを全く意に介する素振りを見せることなくパアッと顔を輝かせ、寧ろ久々の出会いを純粋な気持ちで喜んでいるようだった。確かに口は悪くて態度からすれば所謂不良女子中生と言えなくもなかったが外見は対照的に清楚でなにより中身の無垢さが実に印象的だった。これが真也を激怒させるようには到底思えない。
「はっ?いや…細かく知っている訳じゃねえが目黒区の方だろ?」
真也もその少女の掴みきれない態度のせいで調子を狂わされて思わず質問に答えてしまう。少女はそれを聞いて独り言のようにゴニョゴニョ何か言っていたが、やがて真也の方を見て高圧的に声を発する。
「そんなことよりお前、私と組みなさい!」
真也は答えるより先に額に手を当てて溜め息してから、
「お前っ…よくそんなことが言えたな?」
「はぁ、もしかしてまだあんな事気にしてんの?暗いわねー」
やれやれと彼女は呆れる。
「あんな事だと?」
「それよりさー、あの娘元気にやってんの?篠原さん」
「お前が琴音の話をすんじゃねえっ!!」
「“ことね”ねぇ…」
少女の表情がひきつる。何故か彼女の方が少しイライラしながら気分をまぎらわすために辺りを見回す。グリーンルーフやソーラーパネルなど全く見当たらない殺風景な屋上で彼女は自分よりも明らかに小さい少女に目が止まった。
「てゆーかさ、誰なのよこいつ」
浮遊少女は梨緒を指差して言う。指の先を追い掛けて真也も梨緒に目を止める。
「あっ?お前には関係ね…」
「いいから言えよ」
「…、仲間の一人だよ」
妙な剣幕で睨み付けて真也の拒否を妨げてくる少女の勢いに飲み込まれて思わず彼は声を洩らす。それは満タンに水が入っているコップから零れた一滴のように微かなものでしかなかったはずなのに、少女を激しく湿らせるには充分な量であったようだ。
「へっ、へー…この私とは組まないくせに、そのクソチビ女とは仲間になるのね…」
野を這う秋虫の草を掻き分ける音のように静かに告げた少女の声は震えていた。その瞳は曇っているようで焦点が合っていなかった、合わせる気すらないように伺える。顔は死んでるように力がなくて笑っているのか悲しんでいるのか怒っているのかよく分からない表情をしていた。そして少女は俯いて待っていたように風が凪いで次には空間が震えていた。
次に声を出したのはもう一人の少女である。真也は混乱の陥穽から抜け出せずにいたので少し遅れて「は?今なんて?」と聞こうとしたが、それは梨緒のコンプレックスを嘲笑われた憤怒によって掻き消された。
「誰がチビだっ…」
それは対する少女の服の上からでも分かるグラマーなボディへの嫉妬と相俟って、水素に火を当てるように、自身の最強の力が冠する如く拡散していく大音声へと化ける。
…はずだった。
梨緒は蛇口に詮を挿される感覚に陥る。出ていくはずだった言の葉の塊が肺で留まっているのだ。出そうとしても出ない、複雑な機構を持つ肺胞壁の毛細管網のどこかに引っ掛かっているのだろうか。だのに身体は嘔吐衝動に駆られる矛盾状態を内包していて、同時に急激に睡魔にも襲われている。しばらくうとうとしていたが、自分の使命を思い出しあの女の方に目を遣ったが彼女が浮遊していたところにはもう誰もいなくなっている。どこに行ったのだろうと瞳を泳がすと視界に入った真也達が何故か驚嘆の表情をしていた。そして気付く、自分の意思ではないのに自分が少しずつ後ろに動いていることに。
風は疾かった。
浮遊少女はもはやその特異性を捨てていて一瞬の内に真也達と同じステージに立ち、誰も存ぜぬ間にその場で竜巻が如く軽やかに回転して遠心力を獲得するとそのエネルギーを小さな少女のお腹辺りに脚で捩じ込んだ。梨緒は振り子運動の要領で吹き飛ばされようとする、凡そ回転のみでは十分に手にすることが不可能な量の運動エネルギーを伴って。
「お前っ!?」
真也が叫んだのはこの一連の動作が終わって約二秒後のことだった。そうしている間にも真也との距離はぐんぐん離されていくのだが、ある瞬間から落下の法則に逆らうように真逆の方へと飛んでいく。まるで上昇気流を受けたグライダーのように。そしてしばらく上空に行ってからピタリと止まる。
「あはっ、あんな高さから落ちたら面白いことになるわよねぇ。たぶん気絶しているから受け身も取れないしぃ。“あの時みたいに”肉が壊れる気持ちのいい音がするんじゃないかしら?」
今は地にある元浮遊少女は歪に笑う。それを皮切りに梨緒の自由落下も始まった。
「九条ぉ!!お前ぇぇっ!!」
今にも殴り掛かりそうな勢いで生き返ったように怒号をあげる真也だったが、それ以上に梨緒を重力の魔の手から救出する方が至上命題だったので彼女のいる方に駆け出す。
「ギャハハハハハハ!!私の興事の邪魔立てなんかさせねーよぉ?シンヤァ」
「いえ…、ここは邪魔立てさせて頂きますよ」
「ア゛っ?」
元浮遊少女、真也曰く九条は真也を止めようと動き出そうとした所で薄茶髪の活け好かない少年にその視線を遮られた。委員長(♂)は九条のものとは異質の微笑を浮かばせながら、ちょうどサッカーのゴールキーパーのようにその場に仁王立ちする。そんな弁慶な委員長(♂)の態度を言語化するなら「ここは俺に任せて先に行け」だろうか。
「あーらぁ、お前よく見るとイケメンじゃない。私好きよ、イケメン」
都会の夜を徘徊する不良が外見だけ清楚になったらだいたいこんな感じだろうか。女の持つ魅了と自己中心の悪意がない交ぜになり、それが特殊な形で放たものには引き込まれるものがあった。
「それはそれは、ありがとうございます」
しかし味方もさるもの。優等生という厚い皮を被った百戦錬磨の美少年はどんとした態度で構えている。動かざること山の如しとは彼の能力が明白に表していた。しかし…、
「…を、スダボロにぶち壊すことが好きなんだけどね!!」
実に疾き事哉、風の如し。
頭を撃ち抜かんとしたのか九条の拳は委員長(♂)の眼前三十センチメートルくらいの所で止まっていた。彼女は見えない壁の存在に気付いて軽く首を捻った。
「えっ?これは…」
寧ろ驚愕したのは勢いを阻んだ委員長(♂)の方であった。彼は『絶対防御』に注ぎ込まれた理不尽な攻撃力を僅かに内部に伝わる振動から感じ取り、九条の鋼鉄を生身で殴った際に見られる苦痛の表情が一切現れないのと“この光景”を目撃してその正体を理解した。
「うぉおおおおぉぉおおおおぉぉぉおおっっ!!!!!!」
真也は上空を見ながら無我夢中で走った。距離にして十メートルくらいしかないものだったが、それ以上の距離に感じた。前を見ないで走るなんていつ転ぶが分からないリスクを伴うものだったが、それを課してでも目が離せなかった。野球の外野手がフライを捕るのとは二重の意味で重みが違った。そして真也は梨緒と高さが同じになる絶妙なタイミングで屋上から跳んだ。
「梨緒ぉぉおおぉおぉぉおおおっ!!」
真也はとにかく叫んでなんとか不器用にも少女をキャッチする。地上まで二十メートル、その距離はフリーウォールの影響でみるみる縮まる。このままでは二人して犬死にのダイビングとなってしまうが、真也は結局の所どこまでもよわゴシだったのである。自分の攻撃力のみをゼロにするポンコツ能力はしかしその落下速度すらも例外ではないのだ。
「ふぅ、危機一髪ぅ」
真也達はゆっくりと着地して、彼は少女を優しく寝かすとその場に汚れるのも構わずに座りこんだ。走った距離はそんなになかったがフルマラソンでも終えたばかりのようにどっと疲れがやって来てゼーハー言う。
「んっ…ん」
その忙しない声で目が覚めたようで梨緒はゆっくりと目を開いた。
「気付いたか?」
真也が梨緒の顔を覗く。
「えっ……私、なにして?……痛っ」
梨緒はゆっくりと上半身を起こしてから突然痛みを思い出してお腹を抑える。
「おい、無理すんなって…。お前は九条に蹴られて吹っ飛んだんだよ」
「九条…?はっ、あの女は!?」
梨緒は少しずつ状況を思い出しながら、真也を押し退けて立ち上がる。立ち上がって周りの景色が異なっていることを発見して初めて真也が言った意味を理解する。
「遅くなりました」
ドスンと近くに何かが落下する音がした、委員長(♂)である。彼はその身に纏う最強の力の『絶対防御』のためにいかなる攻撃も防ぐことが出来るために落下しても無傷でいられるのだ。
「おい、あいつは…九条はどうしたんだ?」
「その質問に答える前にお聞きしたいのですが、もしや彼女は九条彌生さんではないですか?」
「…、あぁ、確かにあいつの名前はそんなんだがお前も知り合いだったのか?」
「………しくじりました」
素直な驚きを呈する真也に対して委員長(♂)は普段は滅多に見せないような焦った表情を見せていた。まるで何かの策にでもはまってしまったかのような。あの彼がこんな顔をするのが信じられなく真也は自分の質問も忘れて不安になる。
「なっ…何だよ?どうしたってんだ?何がしくじったんだよ?」
「彼女は優勝候補の一人なんです。早すぎる…、こうも早く邂逅するとは」
委員長(♂)は顔に手をやり項垂れる。
「はっ?」
初めて耳にする名詞であったが、その意味するところが文字通りならば真也にもそのことの重大性を簡単に把握出来た。よわゴシはともかくとして『粉砕爆発』や『絶対防御』だなんて厳かな面子がいるというのに彼がその台詞を吐くということは相当なのだろう。真也には分からなかった。あの真也を震え上がらせるには充分すぎる能力を所有する宮城春香にすら委員長(♂)は優勝候補だなんて言葉を使ったことがない、一体それを凌駕する力ってのはどんなんなんだ?
「最初から逃げるのはどうかと思いますが、やはり真也くんの言葉は耳に入れておくべきでしたね、突っ込み過ぎました」
「だろう?面倒なことになっちまった。オレはこうならないようにといつも自分にある箴言を言い聞かせているんだよ」
「何ですか?後学のために聞いておきたいですね」
委員長(♂)は興味津々に真也に聞く。真也は深く息を吸い込んでそれを吐き出した。
「明日もやれることを今日やるな!!」
「「……………………?」」
梨緒と委員長(♂)は混乱する。
「えっと、聞き間違いでしょうか?」
「明日もやれることを今日やるな、明後日もやれることなら明日も休め」
「なんて最悪な奴なの?」
梨緒も呆れる。
「何が最悪なだ。いいか、思い立ったが吉日なんざクソだ。あんなのは幻想だ。夏休みの宿題は最終日にやるもので、漫画家や小説家は〆切に追われるのが現実だ」
真也の口からは何の反動か、かけ流しの温泉のようにヘタレな台詞が止めどなく溢れていて最後のはもうステレオタイプした誹謗中傷としか思えなかったが、それでも二人は風の猛威への戦慄きが少し晴れた気がした。絶対に箴言のお蔭ではないなとは思っていたが…。彼らが真也を頼りにする所以は戦闘中の奇抜な発想や格闘能力、仲間の信頼などよりもここにこそあるのかも知れない。喧騒や不安をその数万の木々で吸収して徐かさを与えてくれる林の如き安心感というものにこそ。
「にしても、なんなんだ?あいつの力は?肉体強化かなんかか?だとしたらオレの力とは真逆だな」
真也は再び相手のことを考える。
「いや…それは違っ――――」
「相変わらず抜けたこといってんねえ?お前は。だから違うつってんだろ?私の力は」
委員長(♂)が否定する前にかの少女、九条彌生はトントンと階段をゆっくりと降りながら言う。浮遊することが出来るのだから階段をわざわざ使う必要性は本来全くないはずなのに彼女は狐を追い回す狩人のように楽しんでいるとしか思えなかった。
「…九条」真也は呟く。
「あらあら“今回は”救出しちゃうなんてカッコいいじゃない。見直したよシンヤのくせに」
「お前ぇっ!!」
九条彌生が一部をイントネーション強めて吐いた言葉に真也は改めて怒りを噴き出す。彼女はそれに構わずに続ける。
「私の最強の力はねぇ風なのよ、風の力よ」
「かぜ? ぐっ…」
九条彌生がおもむろに左手を差し出すとそれに合わせて左方から強風が吹き込む。砂塵の巻き込まれたそれに真也は言葉を反芻する余裕も与えられずに目に入らないように反射的に右手でガードする。
「じゃあ、さっきの格闘術は…」
「真也くん、これは僕の憶測なんですが多分エアガンを応用しているのではないかと」
「エアガン?…ってあの玩具のか?」
委員長(♂)から飛び出した名詞に疑惑を持って聞き返す真也。
「勿論あれもそうです。まあ、エアガンは玩具だけでなく競技用、狩猟用そして武器としても使われるのですが」
委員長(♂)は解説する。
空気銃
それは弾丸を発射する際に燧石、劇鉄、雷管式発火装置等を用いる火器と異なり、空気圧力や液化炭酸ガス、あるいは揮発性の燃料と高圧空気を使用する銃。通常、弾丸の直径は5.5㎜,5.0㎜,4.5㎜の三種類で鼓形である。主にスプリング方式とポンプ方式とがあるが現在は梃子の作用で空気圧力を獲得する後者が支配的である。
「つまり空気圧縮の膨張力を利用して放つものなのですが、彼女のそれは拳あるいは脚に異常な気圧値を作り出して強引に集めた圧縮空気の限界突破を用いてあれほどの力を産み出しているのではないかと」
「…はあ、成る程」
真也は途中から何を言っているか理解できていなかったが要するに手や足がエアガンになるんだなすげぇとかテキトーなことを考えながら対面する九条を見た。
「あら、そのイケメンなかなか頭いいじゃない。風の力ってのはイコール気圧や地表摩擦やコリオリの力を自在に操る力ってこと。つまり最強、だから優勝候補」
「ぐっ…」
暴風が吹き荒れる。雨こそ降っていなかったが台風のリングにいるようで体が持って行かれそうだった。春香の『霊動念力』が暴走した時に酷似している。だから、ある意味疑似体験済みだと言えたが災害というものは人間からこのような冷静さを奪っていくようだ。過去幾億の力なき人民が自然に抱いた恐怖を真也もまた同じように感じていた。だが、それは吹き飛ばされると思った瞬間だった。
「ふっ…ざけんなぁ!!」
怒号そして爆轟。
真也の後ろに控えていた梨緒は空気を読まずに、いやこの場合は風を読まずに叫び能力を行使する。目の前の空間を割くように風を喰い荒らしその敵の領域を侵掠せんと現れる紅の光球、将に火の如し。その破壊の権化は九条を飲み込みながらある程度膨らむと爆煙を撒き散らしながら消滅する。
「つつ…」
真也はつんざくような音に耳を塞ぎながらいつの間にか風が止んでいることに気付いた。
「やったか?」
「ほぼ不意討ちですからね、僕のような能力でない限りひとたまりもないでしょう」
「なによ、卑怯だって言うの?だってあいつチビチビ生意気なんだもん」
梨緒は思い出したようにふくれる。
「つかお前なぁ、さっきからなんも喋ってないと思っていたらまだそのこと根に持っていたのかよ…」
呆れるしかない真也。怒りさえ憶えていたが今は九条に同情さえしそうであった。そんな彼が煙の方に目を遣ると急にそれが晴れた。なぜかって?それは“風”が吹いたから。
「ったく、本当にうざい。チビってのは」
それは腕を組んで気分悪い雰囲気を見せている九条に他ならなかった。無傷の彼女に真也は驚きを隠せない。
「『追い風の壁』よ」
「はっ?」
九条が突然口にした言葉に首を傾げる真也。
「何をびっくりしてんの?風を操れるって言ったの忘れたわけ?どんな攻撃も吹き飛ばせば効かないだろ?しかも爆炎爆風の類いなんて軽すぎるっつーの」
「…………………」
言葉も出なかった。これが優勝候補の最強の力。委員長(♂)の能力以上のものがオプションでしかないなんて。
「でもマジでムカついたのは確か。チビが、特にそのツインテールがうざいのよ。かぶらないでくれる?」
そう言って九条は自分のツインテールを愛しそうに右手で触りながら、圧縮空気を使ったのか一瞬で梨緒の背後に立っってもう片方の手で梨緒から髪留めを毟り獲った。
「痛っ…!!」
強引に髪を触られた梨緒は小さく悲鳴を漏らす。彼女の髪は弱く吹く風に曝される。
「ムカついたから取り敢えずお前殺すわ」
「なっ…やめ!」
九条が冷たく放った言葉を受けて真也は彼女に手を伸ばそうとしたが届く気配はなかった。
「『上昇気流』」
「…それは、神の手に乗っているかのようだった。」
これが宗教色の強い古代人ならば、この事態を後にこのように形容詞するだろう。現代人なら差し詰めエレベーターといったところだろうか。それはともかくとして真也がその時に発したものは次のようなものだった。
「うわあぁあぁあああぁぁあぁああぁぁぁああっっ!!!!!!!!」
譬喩はおろか名詞動詞形容詞副詞そのどれもが見当たらない野蛮極まりない発言だが故にこそそこからはどんな文よりも驚嘆さがナチュラルに伝わってきた。もちろん「私は驚嘆しています」なんてストレートな文には敵いそうもないが、この場面ではこの台詞が最も適当と言えた。この上空百数十メートルの場所に飛ばされている場面では。感覚的には上に落ちるようであった。九条も含めて四人はさっきまでとは比べ物にならない風力を味わっていた。だだこの風は揚力であり最初に九条自身を浮かばせていた種類のものなのでエアガンとは違い痛さは伴わないのだが、空とは人間にとって斯くも不自由であることを思い知らされるには十分だった。委員長(♂)には『絶対防御』の適応能力があるからこんなことは微塵も感じないのだろうが、真也は空気の冷たさ、息苦しさ、そしてなにより体の自由のきかなさに天が地蟲を歓迎していないことが実によく分かった。
「ここでいーや」
九条が軽く言うと上昇は止まり地にあるかのようにその位層に停止した。疑似地面である重力と逆行する風がまとわりつくクッションのように感じられて真也はお尻に居心地の悪さを感じた。
「(しかしこいつの攻撃はワンパターンなんだろうか?)」
格闘術を除けば彼女は落下衝撃による攻撃しかしてきていない。真也がそれを言えた義理ではないが拘り過ぎだと思う。まあ正直言って彼女がなんでこうまでして“落下”に執着するのかは心情的には真也にも理解していた。だが先程の結果を受けてその攻撃が効果がないと分かった上でやることとも思えない。酸素の少なさだけが原因とも思えない言い知れぬ胸の痛みに真也は不安感を募らせていた。
「ねえ?シンヤ知ってた?地上風ってのは高度が高くなるほどその勢いが増すんだよ。屋上で風が強いのはそのため」
沸き上がる笑いが堪えきれないのかこれまでにない上機嫌で意図不明の説明を始める九条。それは人を傷付けることを生き甲斐にしたような逝かれた笑いである。
「何が言いたい…?」
「言いたいことはさあ、ちょっと能力を使うだけで凄い勢いになるってこと」
「ぐぐっ……」
そう言って九条は軽く左手人差し指をくいっと動かすとさっきの上昇気流が横に吹いたような風が現れる。真也はその風に吹き飛ばされずにすんだが同時に九条の狙いを理解した。それは今の風が吹いた50メートルくらい先にいる梨緒を見て。
「お前っ…まさか」
「ギャハハハハハ、こんだけ離れていて今度は助けられんのかなあ?空も自由に動けないお前らがさあっ!」
九条が言い終えるのと同時に落下運動が始まる。もちろん梨緒も同時に。真也は超高度からの落下という恐怖を押さえつけながら必死に考える。体の体勢を空気抵抗少なくして先に着いたとしてもそこから50メートル走なんて絶対に間に合わない。見える爆光から梨緒は出来るだけ落下のスピードを低くしようとしているようだが、昔彼女が言っていたように浮遊するための爆発は調整が難しいらしいし地表との空気量や温度の違いはその難易度を押し上げていて気休めにしかならなそうだった。
「(くそっ、大空さんはよわゴシはお呼びじゃないってか?)」
父なる大空が憎らしかった。
「(何が父親だ、子供一人も見殺しにして何が父親だってんだ!)」
人間は誰しも翼を持っている。これは比喩ではない。肩胛骨は翼の名残なのだ。
「(なら、飛ばせろよ!!跳ばせろよ!!翔ばせろよ!!!)」
真也の最強の力『戦意皆無』は“自分の攻撃力のみをゼロにする”最弱のものである。しかし今日まで彼はそれを逆手にとり、例えば“落下速度”を自分の攻撃と見立ててこれを打ち消してきた。
「(落下速度……ゼ…ロ?)」
真也は自分の能力の効力を思いだして一つの可能性に辿り着く。そしてその仮説を彼は反証する前に“走り出した”。
「『粉砕爆発』!!」
これで何度目だろうか自分の身長の二倍程度の直径の爆発を生み出す。一瞬の浮遊感を憶えるがすぐに体は下方向へのベクトルへと切り替わる。能力の話をするが梨緒の爆発は機関銃のような連続使用は出来ない。今の規模のものなら一、二秒のインターバルが必要となり規模が大きければもっと時間を要するし、小さければ間隔は縮められるが彼女を浮かす力を持たせられない。しかも自由落下とは累乗的にスピードが増すもので今のような浮遊感を次にも得るにはもっと大きなものを作らなければならなくなる。
「『粉砕爆発』!!」
彼女は涙を流していた、落下という単純な恐怖に。飛び降り自殺というものはその落下の恐怖のために痛みをほとんど感じずに死ねると言われるが、梨緒はまるで延命治療でも施すように無駄な足掻きをして滞空時間を増やしていたので人より長くこの恐怖に怯えなければならなかった。そのため片方の恐怖には慣れるのだが、地面が迫り来るのを見る時間が長くなるということのおかげで、それだけ衝突の痛さを想像してしまうために立ち現れるもう一つのそれが怖くて堪らなかった。この中二病対戦において死は気絶に還元されるが、痛みはそこには含まれず実際のものと変わらない。だからこの先この痛みが一生もののトラウマになることだってありえる。ならいっそのこと目を瞑ってしまい“落ちる方の”恐怖に怯えて“死ぬ方の”恐怖を考えずに何も見ない内に落下してしまう方が心象的には得策であるといえた。
「『粉砕爆発』!!」
しかし彼女はそれでもそれをしなかった。
「『粉砕爆発』!!」
出来る限り空にいようとした。
「『粉砕爆発』!!」
なぜ、そんな無意味なことをするのか。
それは他でもない、彼女が信じているからだ。
“遠藤真也が助けてくれること”を。
確かに聚楽園梨緒は遠藤真也のことをほとんど分かっていないかもしれない。真也が過去に何があったのかなんてのはおろか、誕生日だって趣味だって特技だって食べ物の好き嫌いだって知らない。知らないことの方が多い。けれども彼は同じように何も知らないはずの少女のことを信じてくれたし信頼してくれたし、なにより約束をしてくれた。
真也がどっかの漫画の主人公のように熱血漢でカリスマで誠実で超人的な力を持っているとは思えない。どころか、意気地ないしセコいし変態だしニヤケ面キモいし空気読めないしスベるし頭悪いし体力ないし面倒くさがり屋だし悲観的だし付和雷同だし逃げ足速いしよわゴシだしこれっぽっちも主人公の器だとは思えない。
「(でも、約束してくれた……守るって)」
梨緒からボロボロ落ちる涙は落下速度差から上に落ちていく。
それは誰かに向かって上に手を伸ばすかのようだった。
少女の言う通り遠藤真也はオツムが芳しいとは言えなかった。だからこの世の中を生きていくのに必要な人を疑う能力というものに欠けていて、そのせいでいつも損な役割を演じてしまっている。けれど、それが彼であるからこそ彼は人を和ませその周りをスムーズに循環させてこれた。もう一度言おう、真也は頭が良くはない。だが、バカだからこそ他のことに囚われることなく愚直なまでに行動が出来るとも言える。「無理」とか「不可能」とかに打ち克つだなんて御大層なことをしているわけじゃない、ただ単純に“何も考えずに走ってしまっている”だけなのである。無鉄砲に先走るから秀才達に浅はかだと嘲笑われ、時には不様に大失敗して、情けなく泣いて折に触れてよわゴシにもなるけども、それでも彼は約束したことだけは絶対に破らない。バカだから。
「手をぉ伸ばせええぇぇぇ!!」
「シンヤ!?」
聞き覚えのある声のする方に視線を送るとそこには字面通りに空を翔ける真也の姿があった。
梨緒は思う、彼は生真面目に身を捧げて日々つまらない目に遭う賢くない性分の持ち主だが、そんな生き方を出来ることが彼女にとって羨ましくもあった。彼女の体験したことない、また今日まで学校で出会った中にはいない稀有な人物、故にこそ惹かれてしまい今日まで一緒にいた。
梨緒が手を伸ばすとその手をすぐに真也がガシリと掴む。梨緒は強く握り返す、もう離れないように。「セーフ…」と言いながら息を上げる彼の心臓の音が腕から伝わって梨緒の身体中を響かせた。それはソロであるはずなのにクインテットとすら思わせる複数の音、真也が多くを背負っているなによりの証拠と言えた。
どうやら真也達はちょうど地表から十メートルくらいのところを浮遊していたらしい。まさに間一髪といったところだ。ここに来て梨緒に何で真也が浮いているのかという疑問が生まれた。
「えっ?あぁ、オレの最強の力で落下速度をゼロにして地面に無事着出来るならさ、“そもそも空中でそれを行うことも出来るんじゃねえか?”って思ったんだよ」
彼はよわゴシで落下速度を逐一消しながら、空を下り坂のように駆けて対極線上に梨緒を追いかけてきたのであった。
「こいつをオレの技『弱腰空走』と名付けようかね」
と言って首を上に向ける。そこにはご機嫌斜めな様子で不遜な態度をとる少女、九条彌生がいた。
空に舞う二人は互いに見合う、黙ったまま。
真也は過去の因縁を引っ提げたままにするのをやめてここで全ての決着をつけようとしているのだろうかと梨緒は考えていた。
委員長(♂)がその三人の下で蚊帳の外の思いをしながら「(早く降りて来ないかなぁ)」と寂しい気分を味わっていることも知らずに。
そして一応の主人公たる遠藤真也は緊迫感溢れて誰もが息を飲むこの時この場面において、九条のヒラヒラ揺れるスカートの中から姿を覗かせる紫色の布切れから目を放せずにいて、同時に「(てゆーか、あいつ胸でかいなぁ…)」とピンク妄想を繰り広げていたに過ぎなかったらしく、特に梨緒が期待していたようなことは考えもしなかったそうだ……………。
アトガキ
スカイウェイカーのウェイカーは歩行者と弱いをかけています…。つまらない話、終わり。
せっかくの新キャラ登場だというのに、すいません、諸事情によりこの先4ヶ月程休載しなければなりません。
次、会える日を楽しみにしています。