Ep18 Poltergeist~最弱にして最強の攻撃の逆襲~
ポタポタと雫の落ちる音がする。それは白い床をどこまでも染め上げる紅。小さな丸い粒が数秒間に一~二回、時折そのリズムを変えながら降っていく。落下先は―――もちろん、それは“真紅”で出来上がった―――池。その“辛苦”の象徴は同胞が舞い降りてくる度にその体に波紋を浮かび上がらせる。それは激しく趣味の悪い人が、他者が大きく害を被った時に恥も知らずに堂々と嘲る時に見せる醜い笑顔のようである。
―――そう、例えば目の前の薄茶髪の少年のように。
委員長(♂)は酔いにも似た少し狂喜な状態で自分の“腕”に付着した同じ紅いものを視る。委員長(♂)のクリアグリーンの“腕”は【帰ったその紅】によって無秩序に彩られていた。さながら幼稚園児が緑色の画用紙にいたずらに絵の具をぶちまけたかのようである。緑色の紙に何かを描こうとしている時点で、もはやその異常さは際立っていると言えるが。遠藤真也の右腕右拳があったところには今、血が洪水のように溢れていた。その多くは滝のように肌を伝うか学ランの袖口を湿らせ、余剰分は雫となって自由落下に翻弄されていた。口元からは無色透明の空気が吸っては吐かれ吸っては吐かれ、その温度を毎度微妙に上げていき、ついでに真也の心の臓の高鳴りを増長させていった。
「………………」
委員長(♂)は真也の反応に飽きたのか黙って視線を下に下ろす。正確には右斜め下で、そこにはココアカラーの髪をしたツインテールの少女が眠り姫のように突っ伏しているのだが、不思議なことに相変わらず見ていたのは真也であった。どういうことか?いや、なんのことはない。
「リオ…カラ、ハナレロ」
真也がその位置に移動しただけである。委員長(♂)一点を逆鱗に触れた猛龍のように目をこれまでにないほど吊り上げた瞳をしてただただ見つめ、腹の奥から雷鳴のようにゆっくりと声を出す。真也はさながら姫を守る騎士のように自分の体のことを気にせずただ使命に徹する。
「ふっ…愚直ですね。ゆえに恐ろしい。人間がゾンビに恐怖する一要因と言えます。ですが実際問題、その出血量では気絶は時間の問題ですよ?せめて止血しなければ」
「最善の治療法は“お前が攻撃しなければ良かった”だがな」
「おやっ…?もうユーモアをかませるほどには落ち着いてきたという訳ですか?流石です」
落ち着いてなどいなかった。むしろ逆。何か口を動かし頭を使わなければすぐにでも逝ってしまいそうになるのだ。だからこそ敵を倒すことはひとまずとして、まずはこの血をなんとかしないことには何も始まらなかった。しかしそれにしてはこの部屋には何も無さすぎた。辺りを探っても小道具は何も落ちていなく、なんの面白味もないシンプルな机と椅子が乱雑に散らかっているだけである。もしかしたら元々はあったが紙類は最初の大爆発で全て焼かれ灰に帰した可能性も十分に考えられる。ゆえに応急処置の道具など到底望めそうもなかったのだ。加えて仮にあったとしても利き腕が使えない真也にまともに止血が出来るとは思えなかった………………なのに、
「へっ」
なのに、真也はまるで十分に希望があるかのように見える。強がりか?と委員長(♂)が訝しんでいると真也は当然のように言葉を放つ。
「だが、最善から二番目の方法ならなくもない」
しかし委員長(♂)はただそれを見て溜め息し、「そもそも、まだ戦うんですか?」と尋ねる。
「君の力は知っていますよ?確認済みですから。なのでハッタリは通じません。『戦意皆無』ですよね?“自分の攻撃力のみを”ゼロにする力。最強の力と呼ぶには矛盾しすぎです。それでも君は戦おうと言うのですか?」
委員長(♂)は思い出し笑いでもするようにクククと言い、自分の“普通の”腕を組んだ。どうやら『絶対防御』で織り成された二つの大剣は彼ら同士が交差した際はすり抜けるようになっているらしい。今は委員長(♂)の双肘から角でも生えたかのような姿を『絶対防御』はしている。
「(…、あくまでもアレは“どんな攻撃でも防ぐ”という効果だけは嫌が応でも引き継ぐということなのか?)」
真也が考え込み固まったまま動かないのを一見して委員長(♂)は続ける。
「ですが、あのダイビングの着想は素晴らしいです。脱帽と言えます。いやはや頭が上がりませんよ。まあ、僕には効きませんが…」
「基本はそれと同じだ」
委員長(♂)が飽きることもなくねちっこく皮肉を飛ばしていると突然真也はなんの脈略もなく言葉を放った。委員長(♂)には意味が分からない。まず“それ”という指示代名詞は何を指しているのか。検討もつかなかった。もし、国語の試験でこれを聞いてきたら別解が多数出現しててんやわんやで全員が正答になりそうである。しかし、これは大学側のミスで済まされるような甘ったれた問題ではない。戦争において敵の意図を正確に把握できないことはどうあっても誤答であり、場合によっては致命的なことなのである。逆に少しでも掴めれば…と模索していると、
「お前が過小評価するこの『戦意皆無』でまずはこの難所を潜り抜けてやるよ」
しかし深く考える必要もなかった。なぜなら目の前の人物から十分すぎるヒントを聞き出せたから。ここでいう“難所”とはその前の副詞からも分かる通り“止血”のこと。それをよわゴシで止めると言う。真也が言っていた“基本は同じ”がアレのことを指すと言うのなら―――――――
「オレの攻撃力がゼロに出来るなら…」
真也は呟きながら切り落とされた右腕を前に出す。
「オレの落下衝撃がゼロに出来るなら…」
委員長(♂)はだまってその成り行きを見守る。
「オレの血液の降下力もゼロにしろ!!」
真也がそう言うと滝のような血の勢いが何の音沙汰もなくなった。ピタリと止まったのである。まるで傷口をラップしたかのように傷口が血の肌として塞がった(というように見える)のを満足げに見てから、真也は委員長(♂)に向かって貧血により青ざめながらもどや顔を見せ付ける。
「成る程。基本は同じとは落下力を殺すことだったのですね?しかし『戦意皆無』を発動している今、あなたの攻撃は、たとえ僕が『絶対防御』を使っていなくてもノーダメージなんじゃないんですか?」
委員長(♂)は真也の使った裏技に感嘆しながらも、その作戦の致命的な欠点を指摘する。そして指摘した上で、どうせ攻撃が効かないならと自棄にでもなっているのかと推理する。
その間、真也はショーケースとしても使われる廊下と教室を隔てる壁に左手を伸ばす。先ほど首を突っ込んだそこには普段は上部に搭載されているハンガーなどを引っ掛けるステンレスパイプが落っこちていたのだ。もしかしなくてもガラス同様に西山か梨緒が起こした爆発によってショーケース内の壁面とパイプとの間の接着面が破壊されたのだろう。それをガシッと手にした真也はしかし委員長(♂)の推理とは全く逆のことを考えていたようだった。
「確かに攻撃は通じねえかもな“『絶対防御』を使った状態のお前”にはな」
真也はおよそ一メートルくらいの長さはあると思われるパイプをバトンを扱うバレエの選手のように左腕で器用に玩びフィニッシュに片側の端をしっかりと握り締めて壁を思いっきり叩く。壁はまるで“強い衝撃でもかかったかのように”ゴンっと鈍い音を放ち、そして見るからに陥没していた。
「!?」委員長(♂)は最初は呆気にとられながらもすぐにその口元を横に引き伸ばしいつもの顔をして、「あぁ!素晴らしい!『戦意皆無』が自分の攻撃力“しか”ゼロに出来ない特性を逆に利用したのですね。見事です。物語の主人公張りの苦難からの突破力、惚れ惚れしますね」
「(………主人公、ね)」
委員長(♂)が意図せず言ったその言葉は真也を深く考えさせた。それはつまり捨ててから三年が経とうとするものを再び拾い上げるということ。もはや埃まみれで錆び付いていて脆くなっているモノを。躊躇する暇なんかない。そしてやるだけやったって満足もダメだ。勝たなきゃ意味がない。苦闘した上で何もかもを助ける。それが今のオレが欲する“主人公”だ。
よっしゃっと再び気合いを入れ直した真也は委員長(♂)を見据えて出来るだけ勇ましい顔をしようとする。
「んじゃ、ご期待に答えまして見せてやんよ」
そう言って真也は左手に握り締めた鉄の棒を委員長(♂)に衝き出すように前に掲げる。
「伝・碧倉流我流剣技」
口から放たれたその言葉と共に真也は委員長(♂)に突っ込んでいく。
そして思いっきり棒を叩き下ろす。
「?」
ただの棒きれを突然降り下ろしてくるという予想外の行為に委員長(♂)は反射的に顔を手で覆ってしまう。しかし“この世界においての”常識通りに『絶対防御』の最強の力は単なる攻撃など簡単に打ち止める。金属同士のぶつかる甲高い音が響く。
「ふーん、当てた感じじゃそいつはゴムのような衝撃吸収というよりは、非常に硬度な物質。攻撃を排絶するって方に近いようだな」
委員長(♂)が覆った手をそっとのけるとそこには棒でペシペシと『絶対防御』の表面を確認するように叩く真也の姿があった。
「随分と余裕ですねぇ。『絶対防御』を前に無意味な攻撃をするとは」
「無意味じゃねえよ」
真也は委員長(♂)に反論する。
「だって、“ビビった”だろ?いくら安全だと分かっていても人間の反射は理性で止めるのは難しいって訳よ。そぉーゆー意味じゃ絶対って看板は偽りがあるな」
「フフ…、でしょうね。ですがそれがなんなんです?いづれにせよ“いかなる攻撃をも防御する”最強の力には小細工は無用だと思いますが?」
「どうかな。“あの人”のように主人公って奴等は諦めが悪いのが多いんでね」
そう言うと真也は地面を蹴ってバックし距離をとってから改めて鉄の棒を構え直す。その様子を見て委員長(♂)は気付いたように言葉を漏らす。
「真也くんの最強の力は面白いですよね」
「…今更何言ってんだ?」
委員長(♂)は真也の呆れた態度を気にせずに続けて言う。真也は皮肉でも言って苛立たせようとしているのかと考えた。
「能力の矮小さを言っているわけではありません。その効力の曖昧さを言っているのです」
「?」
「君の“飛び降り無事着”や“無補助完全止血”はその落下力を攻撃力と見立てている訳でしょう?」
「…まあな」
「つまり移動力な訳ですね?なのに君は今、『戦意皆無』を使っている状態なのに“動けているわけ”です」
「……………………」
それが能力への嘲笑でないと分かった時、真也はしまったなと思い黙りこむ。しかし黙秘権は認められていても裁判の尋問とは違いこの場合は肯定にとられてしまうので真也のこの行動は無意味だと言えた。
「と言うことは、『戦意皆無』は“多種類の攻撃力を一度に打ち消せない”ってことですかね?」
「さーてな?どちらにせよ関係ないんじゃなかったのか?」真也は無理に強がる。
「そーですよ? ですが、希望の種は全て潰しちゃいたいじゃないですかっ!!」
委員長(♂)は言い終えるのとほぼ同時に駆け出す。武装鎧のような形をしているクリアグリーンの『絶対防御』に包まれている彼は、昭和の雰囲気を醸し出すなんちゃら星人を想起させるような特徴的な二本の大剣を交差させたまま突っ込んでいった。そして射程範囲内に入ったと感じると一気にその戒めを解き放つ。
「うぉっと…っ!!」
即座に反応して仰け反る形でギリギリ避ける真也。見た目に反し素早い動きをする鋭利な物体が真也の数センチ前の空を斬る。
「ちっ」
「!?」
『絶対防御』で出来た武装鎧の胸辺りを真也はフェンシングの要領で思いっきり突き刺す。委員長(♂)はまたもや一瞬ビクリと反応してしまうがもちろん攻撃は届かない。だが、行き場を失った突き差しによる勢いがある変化を起こす。
「…ってぇ、はぁ…、はぁ…。いきなり危ねえじゃねえか」
それは反作用。『絶対防御』という“壁”を使って委員長(♂)との距離を再びとったのである。しかし委員長(♂)は続けざまに走り込み真也に休む暇を与えないようにする。ただ今度は咄嗟の動きではなかったので、真也は見切った上で応戦した。
「おおぉぉおおぉぉおおおぉぉおお!!」
応戦と言っても『絶対』という金属を鋳造して造られた大剣にまともにぶつかりにいったらそのあまりの鋭さにこっちの武器が両断されてしまうことは必至なので、激しい斬檄が繰り返されるなかで器用に剣の面を叩き、軌道をずらすことによっていなしてその本体へと攻撃を加える。少しでも気を抜いたらすぐに大打撃ならぬ大剣檄を喰らう命懸けのインファイトの中、虚しくその表面で攻撃が打ち止められる音のソノリティーが行動の無意味さを物語っているようだった。
「よっ…たあっ!」
しかし真也は諦めない。逆転の要素を虎視眈々と狙う。委員長(♂)が繰り出した上下の両剣同時に斧のごとく降り下ろす攻撃を横っ飛びで右に避けて、がら空きになった腹へ殴る勢いで思いっきり棒をぶつけていく。
「?」
もちろんその腹への一撃は例の如く届かなかったが真也には今の攻防に違和感を感じてならなかった。しかしそれを考える暇などない。普通ならあんな質量のものを思いっきり振り回すならいくらかインターバルが出来るはずだが、あの大剣に重さなんていうものは存在しない。いや、あるのかも知れないが術者自体がそれを感じないのなら同じことであろう。
真也は委員長(♂)の周りをちょこまかと動きまくる。
「(…、今にしてみれば不思議な剣技です)」
委員長(♂)は真也の扱う見馴れない動きに困惑していた。剣道とも西洋剣術とも一線を画すると言っても過言ないくらいである。第一の特徴がその武器を逆手に持っているということである。
「(あの突きのころからずっとあんな持ち方だったのでしょうか?よく見てませんでしたが…)」
委員長(♂)は噴き出す汗を拭いながらなおも攻撃を仕掛けようとする。
「…………」
真也は考えていた。
「(多分、このスタイルには向こうも面食らうだろう、しばらくは。その間に糸口を見つけなきゃな)」
初めて対峙した人はまず思い浮かぶかもしれないのが、その剣技は扱いづらくないのかという疑問である。もちろん厳しい。正直普通に戦った方が強いと思っていた。そして当然分かっているだろうことだが、この剣技はその名の通り碧倉光一さんが作ったものである。剣技と言っても元々の天才肌のアニキにとってそれは名だけでほとんどアドリブで繰り出されているので決まった型はない。最低限としての枠組みは“逆手持ち”と“二刀流”であることである。
真也は碧倉光一が初めて自分の剣技について教えてくれた時のことを思い出した。
「オレ様は基本的にはエモノ使うのは好きじゃねえんだよ。なんつーか性に合わねえっつーかな。けどよ、どぉーしても使わなきゃなんねえ時は存在する訳よ」
「はあ…」その存在を半信半疑に思う当時のオレ。
「けど、嫌なもんは嫌じゃねえか?なぜこのオレ様が強制させられなければならん、三つ指ついて「このしがない豚の私めのために剣技をどうか扱ってくださいませ。お願い致します」とか言ったとしても腹立たしさは収まらないね。」
「(…、いや収まってくださいよ……)」
「だからオレ様は発想を変えた」
真也は踊るように辺りを駆け回り委員長(♂)を翻弄しながら時々攻撃を加える。
「(光一さんは悪魔のような怒濤の格闘が得意。だから…剣技ではなく“剣常備の格闘術”を習得することを考えた!)」
習得と言っても、地はあるので後は増えた重さに対する微調整のみで済む。要するに彼は棒をボクシンググローブやメリケンサックやトンファーの類いと定義することにしたのである。スキーのストックのように。
が、しかし理論を理解したとしても実践できるかといったらそれはまた別問題である。碧倉光一こそ類いまれないセンスによって扱えるが、凡人である真也には激しく至難であった“最初”は。ただ凡人の愚直な三年の努力はその至難を克服することに成功したのである。
「(むしろ今のオレにとっちゃあこっちの方がやりやすいくらいだ。そして、これの最大の利点は――)」
真也は大きく横に振られた斬檄をしゃがんでかわし、大剣が通って大きなスペースとなった真正面に躍り出て鉄の棒を“振り下ろした”。
「(…っ!? 逆手じゃ…ない?)」
委員長(♂)は顔から数センチ先で止まっている棒とその構え方を直視して重要な点に気が付いた。彼が言っていた剣技の基本は“逆手に持つこと”だと“思っていた”ので余計訳が分からなくなったのだ。そんなこんなで交錯しながらも委員長(♂)は体勢を立て直し、奥の手なのか両の腕を合わせてさらに大きな一本の刃として真也に右斜め上から斬りかかろうとした。
「基本とは言ったが、ばか正直にいつまでも“逆手”や“両手”を使ってんじゃねえぞ?」
「はい…、へっ?はいっ!?」
「基本ってなぁ破るためにあんだよ。だいたい同じことばっかしていたら慣れさせちまうどころか、最悪この剣技の意味を悟られちまうんだぜ?」
「はあ…」
「だから、時折混ぜろ。変則的に戦うんだ。だから何にでも対抗できて故に最強。まるで眉目秀麗学業優秀品行方正才色兼備な天才のこのオレ様のようだ」
「(品行方正か?)」
「んっ??」
真也は委員長(♂)の困惑を他所にいよいよ違和感に決定的なものを感じてきていた。喉元まで来ている。確実におかしいことがある。さっきからのかましてきた攻撃、ほとんど同じような威力で放ってきたはずなのに、まず…音が違った。音?いや、というかこいつは……―――
真也はそこまで考えてハッと我に変えると左方から巨大なナイフがギロチンのように迫ってきていた。“絶対”と名高い物質で作られた刃が。さっきよりもでかいなと思ったらこいつ…、両手剣も出来るのかよ。このタイミングで新しい攻撃するなんてやっぱり頭いいな委員長(♂)は。
「(やべぇっ…こいつは避けきれな…)」
感心している場合じゃなかった。真也は反射的に防御の姿勢をとろうとして思わず左手に持つ棒で受けようとしてしまう。しかし受けたらすぐに一閃されてしまうのに、その行為は逆に命取りである。そのことが理性から思い起こされた時に真也は思考を高速回転させ苦肉の策としてその場に転び混もうと試みるが光陰矢のごとし、“start button”のついていない世界じゃ時間様はそんな簡単には待ってくれなかった。
――――――ガッ…
金属を無理矢理割くような高いとも低いとも表現可能な音が静かに鳴る。ただおぼんを爪で引っ掻いたときのように思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られたということはやはり音は高いのだろう。真也はこれから来る未体験の胴への尋常でない痛みを想像してしまい本能的に目を瞑ってしまっていた。人間は首を斬られてもしばらく話すことが出来るという都市伝説を耳にしたことがあるが胴の場合もそうなのだろうか、その場合どんな感覚に襲われるのかと恐怖に襲われてから、真也は自分がまだそんなことを考えられているという不思議に気付いた。
「?」
都市伝説は本当だったのか!?という発見の可能性も考慮しながら、真也はより確率の高い別の可能性のためにゆっくりと目蓋を開き現状を確認する。
「……………、」
真也はまず委員長(♂)が自分の両の腕に力を入れるために顔を強張らせている姿が目に入った。そして真也が問題の左方に視線を遣るとそこには、杖のように地面におっ刺した棒を三分の一ほど食ったところで身動きが取れなくなっている自称『絶対』の剣であった。厚さ十数センチのステンレス棒に対してここまでめり込ませるとは末恐ろしい剣だと思わせるが逆に言えばそこまでで「何でも斬れる」なんて口上は持ち合わせていないのだ。
真也はそれらを目にしながらも、ぼそっと「…やっぱりな」と言った。
「!?」
そのことに驚き力を抜いてしまう委員長(♂)。真也がその隙を見逃すわけもなかった。
「おらっ!!」
「なっ」
真也は即行で棒を抜き、すかさず委員長(♂)の顔面“辺り”に上段蹴りをかます。そうして猫だましを喰らわしてから委員長(♂)の装備する鎧の脚を引っ掛けて、なおかつ胸を張り手の要領で押し込むオマケも付け加えたら後は物理学の力で勝手に倒れてくれる。最後に手助けしてくれるのは重力というやつだが。真後ろに綺麗に倒れて後頭部から床に倒れたので普通なら重体は免れないはずだが絶対防御の鎧に限ってはそんな心配はするだけ無駄である。特に“なにも余計なことをしていない状態”なら尚更だ。現に委員長(♂)は床に倒れていると言っても数センチ宙に浮き、その間には宝石にでも出来そうな壮麗さを誇る緑色透明が支配していた。
真也はそんな無防備な委員長(♂)の胸の上を堂々と右足で踏みつける。もちろん実際に乗っかっているのはその上に広がるオーロラであるが。
「だっ…はぁ、はぁ…はぁ。よくっ…、よく考えてみりゃあ…、はぁ、跳ね返すとかじゃねえんだ。思いっきり攻撃するんじゃないなら基本的に恐れる必要はなかったな」
真也は先程の細かくも激しい運動によって大きく息切れをしながらも、すっと委員長(♂)を見下ろす。そのまま委員長(♂)の首もと近くに鉄の棒を杖のようについた。そうやって追い詰められているはずなのに委員長(♂)は心底可笑しいようで笑みが溢れてしまっている。
「イカれてんのか?」
真也は気色悪そうに声を出す。
「いや…、これは失礼しました。ところでこーゆー趣味なんですか?」
おそらく丁度SMのようなシチュエーションになっているこの状態のことを言っているのだろう。真也は呆れてしまって右手で髪を掻こうとして手首より先がなくなっているのを思い出した。
「バカ野郎…、せめてその鎧外してから言えよ」
「フフフ、それは出来ない相談です。ところで――」
委員長(♂)は一瞬の内に真顔になる。それを見て、追い詰めている展開なのに真也は臆してしまい、そのことにハッとなってから首を思いっきり振ってそれを振り払おうとする。
「―――、なにが「やっぱり」なんですか?」
誰もが何もが動かなくなった教室でその声は真也の脳内で何度も反響した。トンネルの中で子供が声を出すやつに似ている。そんな印象を懐いてから真也は少し前と打って変わってニヤリと笑った。顔文字で表現するなら(。-∀-)である。そして唾液を口の中で塗り広げるように舌を使って湿らせてからゆっくりと飲み込み静かに口を開いていく。
「いやさぁ…攻撃していて疑問だったんだよ。オレは多少の誤差こそあれどだいたい同じくらいの攻撃をしていたってのに、なんとなく“当てた時の感触違うな”って」
「ほう」委員長(♂)は探偵の推理を聞き入る刑事補のようにすましている。真犯人にもかかわらず。
「だから、硬いと思ったときとそうでもないって思った時、何の条件の違いがあるか観察してみた。だいたいの目星がついたが、やはり最後のは決定的だったよ」
「フフ」
「お前の最強の力はあくまでも“相手のどんな攻撃も防ぐ”というもの。っつーことは、本来は攻撃的な使い方は出来ねー訳で、もし使おうとした時にお前は自分の防御力が下がる」
「そうですか。しかし単純な思考でそこまでたどり着けるとも思えません。何か根拠でもあるのですか?」
「不思議だったんだよ」
「?」
「お前がオレのよわゴシについて推理まがいなことを言ったときに“あまりに具体的だな”ってよぉ」
それは真也が『戦意皆無』を使っている状態なのに『飛び降り無事着』と同じ移動力をゼロに出来ていなかったのを気付いて委員長(♂)が「複数の攻撃力をゼロに出来ない」と推理したものである。
「部分的に最強の力を発生できるって考え方でもよくないか?実際びっくりしたんだよ。何を言われるのかと思っていたらあまりに“的外れ”なことだったからな。『戦意皆無』ってなあ持っているオレですらよく分かんねえくらい曖昧なんだよ。オレが今さっき言ったことでもお前の似非推理でもこいつの説明としちゃあ赤点になるわな」
「(自分でも分からない…?)」
委員長(♂)は真也が何気なく言った一言に訝しむ。
「だが、お前はまるで何か根拠でもあるかのように自信満々に言っていた。オレの最強の力に対する確かな自信はどこにある?そう考えたら一つしかない。そうだ、“お前自身の最強の力”だ」
「……」
「これはお前が複数の力を同時に扱えないのを如実に示している。お前の刃に攻撃性を持たせようと思えば思うほど防御は疎かになり、防御に絶対性を持たせればそいつは攻撃力を失う。「ハンデとして色を付けてやろう」じゃねえよ。あれこそが絶対性が崩れてきている動かぬ証拠じゃねえか。たく、何が絶対の攻撃だ。騙されちまったじゃねえか」
「酷いですねー。僕は『絶対の攻撃』などとは一言も口にしていないというのに。ただの真也くんの思い込みじゃないか」
委員長(♂)がほくそ笑むのを見て思い返すが確かに言っていなかった気がするな。言っていたのは『最強の攻撃』。似たようなものな気がするがと思いつつ、真也の言及はそれだけでは終わらない。
「そしてそれだけじゃねえな。お前の『絶対』ってのは最初から胡散臭かったんだよ。多分…、そのシステムとやらこそが複数個同時に使えない。いや、もしくは“使えるが、フルで使うと防御力がゼロになる”とかな」
真也は得意顔になる。
「フフ、やられましたね。僕は最強の力ゆえの弊害なのかと思い、半ばこのことは常識化していたのですが…まさかそのこと自体が偏見だったとは。恐れ入りました」
そう言って委員長(♂)はもぞもぞと動き始めたが今の真也がそれを見逃すはずもなく鋭い声を出す。
「動くなっ!その剣でオレの足を切断出来るレベルまでの攻撃に転じてみろ、その時は防御力の落ちたその喉元を貫くぞ」
「嫌ですね、そんな大袈裟な。人間がする動きの中で一番難しいものは停止なんですよ?少し動いてしまっただけじゃないですか」と真也の剣幕を全く気にすることなく委員長(♂)は言い、続けて「ところでシステムの機能を全て使うと僕の防御力が下がると思った理由はなんですか?」と言う。
確かに『防御』と全然関係ないことをすると防御力が下がるという理論は分かり、委員長(♂)が思わず漏らした台詞でシステムは複数個使うことが出来ない可能性があるということは理解出来た。ただ真也が提示した“使えるが、フルで使うと防御力がゼロになる”という可能性にたどり着くには根拠が無さすぎる気がする。まず第一にシステムは先程の剣とは違い防御としての機能を保っているのだから。
「最初はオレもスゴい防御機能だなって思ったよ。『絶対防御』にそんな機能まで上乗せされちゃ敵わんってな。けど、よく考えると違うんだよ。実際そいつは上乗せではない。むしろ逆。『絶対防御』からの引き算で成り立っている。だってそうだろ?“絶対”を謳っている防御機構がなぜ敵の攻撃を“限定”して防御するんだ?そのシステムってのは確かに防御こそ間違っていないが絶対の部分が揺るいでやがるから使用中は剣と同じで防御性が落ちるってことじゃないか?って思ったんだよ」
「フフ…言葉の綾まで見抜いていたとはなかなか素晴らしいですね。普通の感性ならば僕の『絶対防御』が所有するシステムはプラスのものと感じるはずなのに、それがマイナス要因であることを見抜くとは“概念系能力”の特性をよく把握していると言えます。さすがは『戦意皆無』などと言う最弱の最強の力を持っているだけはありますね」
どうやら委員長(♂)は思い込みが激しいようだ。真也が思ったよりも聡かったから何の違和感もなく言った言葉だったのだろう。
「?? のーそん?」
しかし現実に真也は知らなかった。ただ今回の口の滑らしは先程とのはわけが違う。むしろ逆。委員長(♂)は一瞬目を大きく開いたかと思ったらそこから独り言のように呟く。
「ほほう、知らない。知らないのですか。成る程…真也くんの性格です。きっと一度も目にせず部屋の中に放っているのでしょう。その割には律儀にリングはしているとは不思議な話です。フフフフフフフフフフフフ」
「何がおかしい?そいつは何なんだ?」
真也は一人笑いしている委員長(♂)を今更ながら気味悪く感じながらも追及する。圧倒的優位にある状態がゆえなのか無知であることを知られても気にしてはいなかった。
「それを知る必要はありませんよ?」
「?」
しかしそれを人は油断と言い、いつなんどきでも仇となることが多かった。
「なぜなら君はここで敗れるからです。もちろん僕にね?」
まず真也は地面が持ち上がったのを感じた。次に脊髄反射で足下を見るまでもなく委員長(♂)への視線の間に自分の右足が踊り出たのである。そして同時に先程までのオーロラが消えていることに気付いた。
「なっ…!?」
いきなり右足を中空に飛ばされた真也はバランスを崩して尻餅をつく形でその場で転んでしまう。座り込んだ下に割れたガラスの破片でも落ちていたのかズキリと痛みを感じたが、下に目をやっている余裕はなかった。目の前には委員長(♂)がついさっきとは真逆の立ち位置座り位置で立ち塞がる。その周囲は無敵要塞を想起させるような無色透明の威圧感があった。――――そこに無いがゆえに逆に際立って見える―――――まるでゲシュタルト要因を応用した騙し文字騙し絵に似たものがあるが、それにしてはこれは答えがバレバレだった。
「迂闊ですね。君の脅しが通じるのは戦闘鎧の状態の時だけ、元の数値に戻せば何の意味もない上に形状変化の反動で君を吹き飛ばせるんですよ。最初のようにね」
起き上がり小法師みたいになんの動作もなく立ち上がっていた委員長(♂)は恐らく元の球状の『絶対防御』に戻ったために真也に体するのと同じように床への反動を使ったのだろう。真也はパンパンと左手で床についた部分を叩きながらしかし余裕顔を継続する。
「へっ、だから何だ?どちらにせよお前に防御力を落とさずに攻撃する手段はないぜ?剣以外ではな。オレのお前攻略法はお前の防御が格段に下がった時にこいつで一点集中でぶっ刺す。そのためにいろんな箇所で攻撃して『絶対防御』という鍛冶で鋭利にしたんだからな」
真也は持っていた棒を差し出すように見せる。そこには圧され削られで不格好にも槍のように尖った先端が見てとれた。
「フフ、確かにこのままでしたら僕も押し負けていたかも知れません。でも負けないんですよ君のお陰でね」
「あっ?」君のお陰と言われても意味が分からない真也。
「君の概念系能力の応用方法には驚きの連続でしたよ。特に落下によるダメージを自分の攻撃と見方を変える部分には感銘を受けました。ところで突然なんですけど、僕の最強の力って真也くんのと“少し似ているんですよね”」
「はぁ?藪から棒に何を言うかと思えばトンだ戯れ言かよ。やめてくれ慰めにもなりゃしねえ」
真也は言い返しつつも表情は固かった。これは中二病患者のみが共有しえる直観なのか真也には嫌な予感がしてならなかった。
「アバウトに言うなれば君が“他者の攻撃を自分の攻撃”と見なすなら、僕は“他者の攻撃を自分の防御”と見なしましょう」
「!?」
「そのため今、僕の『絶対防御』は“無色なのに戦闘鎧”であり、両の手には大剣ではなく代わりにサッカーボール四倍くらいのサイズのボクシンググローブがついています。さて、これがどーいう意味を示すで…しょうか!!」
「がっ…!?」
真也に答える暇を一切与えずに委員長(♂)はその強靭な腕を振るう。左胸を貫かんばかりに放たれたその拳は真也の心臓を揺らして、ついでに肺をも圧迫した。呼吸系統を一気にやられて痛みは倍増したかのように感じられた。胸を抑えてむせながらも息を調えようとする真也は口のなかで鉄の味がした気がした。
「攻撃は最大の防御なんて言葉がありますが、これは防御は最大の攻撃と言える代物ですね」
柔道合気道の類いにとってはむしろ主力でボクシングでも技として扱われる原理がある。それはまるで応報覿面の考え方に則って善因善果悪因悪果が起きるように相手の攻撃を利用して攻撃を仕掛けるもの。悪い意味で情けは人のためならずを体現しているそれはカウンターと呼ばれる。誰かが誰かの顔をひっぱたいた時に、叩かれた人はもちろん叩いた人もその手が痛いという例を利用しているのだ。つまり今の場合、委員長(♂)が真也の胸へと放った攻撃というのは考え方を変えれば“真也の胸が委員長(♂)の拳に放った攻撃”と言えなくもないのだ。そして“いかなる攻撃をも防ぐ”という最強の力を所有する委員長(♂)にとってそれは無敵を意味していた。
「がっ…、ぺっ、こいつはなかなかやべえじゃねえか」
「君のお陰で僕はまた一歩“絶対”に近付けた訳です感謝していますよ」
「けっ、差し詰め今のお前はオレにとって『透明人間』に見えるよ……」
「………、フィナーレです」
「? ……!?」
オレの言った何気ない言葉に一瞬、委員長(♂)が黙って目線だけ後ろを見た気がした。オレはその動きを疑問に思ったが、それが間違いだったのだろう。オレは次の瞬間にはブレた宙を見ていた。恐らく見えない拳で顔をやられたのだろう。火傷したように肌は熱いし脳味噌は頭の中で滅茶苦茶にかき回されている感じがした。そして腹が苦しく食道まで苦いやつがやって来ていた。
「(…腹をやられたのか?)」
それすらも定かではない。目蓋が非常に重く、体温がどんどん上がっているようだった。
「君のポテンシャルは知っているんですよ。なぜあそこまでの運動神経を持ちながら筆記が悪いわけでもないのに体育の成績が芳しくないのか。一つは球技がダメなこと。もう一つはこの体力の無さですよね」
真也は言われながら、いいサンドバッグのように散々に殴られていた。真也もなまじっか倒れないようにだけ意識しているのが悪く働いている。委員長(♂)はこれみよがしにわざと加減しながらじわじわとなぶっていくのだ。
「……………、っ!」
委員長(♂)がいつまでも遊んでいる間に真也は意識朦朧の状態から立ち直り、一歩後ろに下がってからなけなしの力で棒を振り下ろそうとしていた。もはや流派も何もない。その武器が今にも手からすり抜けてしまいそうなくらい握りが不安定で勢いも少しだけスピードのあるスローモーション映像にしか見えなかった。だから餌食になる、簡単に、カウンターの。
「…………っはぁ!」
振り下ろしに合わせた委員長(♂)のアッパー気味な腰を入れた本気の打撃は、その武器ごと真也を紙屑のように吹き飛ばした。手から放れた棒は真也から逃げるように床をカランッカランと駆ける。そして真也はもはや痛みの声をあげる余裕すらなく息継ぎのようなか細い声を吐き出す。既に壁際に迫っていたようでドンと強い力でそこにぶつかり、あとは地滑り的にズルズルとそれにそって下に行き床へと自然と腰をおろす。もはや『戦意皆無』で反動を低減することすら忘れているようだ。
「さて、そうですね。言い残すことはありますか?」
委員長(♂)が何かを言っている。最初は真也は何を言っているのか分からなかった。顔を何度も金属よりも硬いもので撲られて耳が腫れて鼓膜に音の振動が届きにくくなっていたのも一つだし、ただでさえ悪い言語中枢のイカれ方はピークに達していたからだ。
「…、もう一度だけ言いましょう。最後に言い残すことはありますか?」
委員長(♂)もそれを悟ったのだろうか敵だというのに最期の哀れみとしてわざわざ繰り返してくれた。真也は委員長(♂)が言った台詞がようやく理解出来た際に咄嗟に「ナーイ!ヤメロー!死ニタクナーイ!!」と口にしそうになったが、よく考えてみると因果孤立のこの空間に死という概念はないのだからこれを言うこと自体が無意味だと言うことに気が付き喉の奥にしまいこんだ。他の言葉を考えようとして、そして思い出した、“自分の持つ別の力を”
「そうだな…、せめて最期は剣に刺されて終わりたい」
「剣?あぁ、これのことですか」と言って委員長(♂)は自身の『絶対防御』を変化させて先の戦闘鎧となり、「期待に答えましょう。既に君の武器はその手元から離れていますしね。今の君にはこれすらも撃ち破る余裕なんてないでしょう」と言う。
委員長(♂)は視線を真也から外し右に送るとそこには鉄の棒がポツンと儚げに眠っていた。そして自分の手元を見て両の手を握り合うようにすると双剣がより頑強な両手剣へと変貌する。それと同時に纏っている『絶対防御』はより濃く透明度を失い、かつその領域は少なくなっていく。その剣に全力を注いでいるのであろう。
「さて、時間です」
委員長(♂)はその剣を新郎新婦のケーキ入刀のように優しく真也の体を貫かんとする。その情景をゆっくりと見渡した真也は読心術か読唇術でないと読み取ることの不可能な無音の声で囁いた。
「………」“今だ”と。
確かに真也と武器との距離は絶望的な程に離れていた。しかし真也は使えたのだ。たとえどんなに離れていても大丈夫な力を。
それはけたたましい音を立ていかなる人間の耳をもつんざくブラックブラウンの魔神。その権能は破壊。何もかもを一瞬にして焼き付くし砕け散らせるもの。
「やったか?」
真也はそう言って左奥の方を覗き見る。そこには満身創痍ながらも能力を行使した梨緒がいた。何かの拍子に目覚めたのを真也が気付きアイコンタクトを送ったのだ。ホッと胸を撫で下ろそうとした時にそれを許さない声が聞こえた。
「………やってくれますね」
「なっぁ!?」
驚くことにそこには顔の右半分を抑えながら立ち続ける影があった。その学ランを見ても分かる通りそれは焼け焦げていた。その手の肌も焼き爛れ恐らく顔の一部も。今、彼の周りは無色透明に包まれていた。
「恩仇ですか?完全に油断しましたよ笑えるくらいにね。咄嗟の防御をしたつもりだったんですが、少しだけ遅かったようですよ」
「がっ!?あがっ!がっ!?」
委員長(♂)は怒りをぶつけるように脚で真也の腹を踏み潰す。あまりの痛みに苦しみ喘ぎながら真也はそれから抜け出ようと無意味にも必死にもがき続ける。
「いい啼き様ですよ真也くん。やっぱり最初からこっちでいけば良かったんだ。じゃ…アディオス真也くん」
そう言って脚を外すと真也にのし掛かるように委員長(♂)は右腕を振り下ろそうとする。
「(ここまでか…)」
打つ手ゼロ、チェックメイトであった。ところで何でチェスでキングをとれる位置に来ることを『check mate』と言うのだろうか?などと下らないことを考えている余裕があるのは何故だろうかと不思議に思う。多分、何もかもを諦めて吹っ切れたからなのだろう。この時に言う台詞として「有念」と呟くのは日本語として正しいのだろうか。ハハッ、もう疲れた。家でゆっくり眠りたいし起きたらゲームでもしたい。それで幸せ、満足だ。
なのに、
どうしてオレは泣いているのだろうか?
痛いから?否定はしない。全身滅多打ちにされて涙を流さない中学生なんざ稀すぎる。体はヒリヒリするを越えてもはや何も感じない。
けど…、一番ではない。体の芯の痛みに比べたら屁でもない。悔しい、悔しいし許せない、こんなにも“よわゴシ”なオレが許せないんだ。中二病大戦に生き残れないのが無念なのではない、それはさっきも言ったが有念だ。それよりも“また”ここで捨ててしまうことが嫌なんだ。
「(諦めたく…ねえよっ!)」
真也は本音を吐露する。今までのさっきまでのよく言えば潔い、悪く言えばよわゴシな自分の態度を改めることによって。そして考える、生き残るために。
「(何かないのか?アレは…、“いかなる攻撃をも防ぐ”は打つ手がないのか?さっきまでオレはアレの欠点を見つけてきたじゃないか。いくら改善したって抜け道は必ずあるはずなんだ。いたちごっこ…、ワクチンとウィルスのように、警察と詐欺師のように。考えろっ!考えるんだ!!最初の発見のように奴は基本は空気や光などの攻撃でないものは防げな――――――)」
ドカンと、
残酷にもハンマーは何の障害もなく真也に振り下ろされる。確実な着撃、確実な攻撃=防御。見事なまでに完璧に突き刺さる攻撃。委員長(♂)の拳は紛う方なく真也の脳天に当たった。
「…バカな……!?」
しかし委員長(♂)は驚愕の二文字に苛まれていた。攻撃は確かに狙い完璧に当たり、ガードされたり攻撃が弱まるなんてアクシデントもない、この上ない成功と言えた。それは“委員長(♂)の拳”が直接それを伝えてくれる。しかし彼の顔からは得意の笑みが消えていておよそ勝利者とは思えなかった。
「何でだ?何でなんだ?」
この不可思議さは攻撃の不完全さから来るものではない。その逆、見事にキマり過ぎていることにある。委員長(♂)の拳には本来は『絶対防御』が取り巻いている。ゆえに攻撃を当てるときは実際の拳よりも十五センチ程手前で当たるはずなのだ。なのにどういうわけか“めり込みすぎていて”実際の委員長(♂)の拳が真也の頭を触っているのである。
「…終わりか?」
真也が静かに首を動かし委員長(♂)を見るために上を向く。委員長(♂)はそれだけで余裕がなくなったように慌てふためいた。
「なら…オレのターンだな」
壁を使ってのそりと立ち上がる。その体にもはや体力はない。
けど、立つ。
立つ、
立つ立つ立つううううう!!!!!!
「おやおや、あぁそうかきっと今のは防御とは言いづらかったからすり抜けたのか成る程、うんきっとそうだ。そうに違いなっ…ぐっ!?」
「ぐちゃぐちゃうるせえんだよお前」
委員長(♂)が強引に納得しようと独り言のように言葉を紡ぎ続けるのを許さないように真也の左腕が爆ぜた。突然の猛攻、今日までほとんど味わうことのなかった痛みに困惑しながら委員長(♂)は二~三メートルすっ飛ばされた。
「????????????????」
痛む場所を抑えながら委員長(♂)はハテナマークが止まらなかった。なぜ、奴の攻撃は“『絶対防御』をすり抜ける”のか?見ると真也は「やっぱ薄くても硬ーか」と言いながら血の吹き出ている左拳を制服の裾で無理に拭く。そして唖然としてしまっている委員長(♂)に気付いた真也は再びそれを握り締めた。
「なぜかだって?簡単だよ。お前の防御が絶対じゃなかったからだ」
それだけ告げると気力だけで歩み進んで委員長(♂)を押し倒しマウントポジションをとる。
「なぜ僕にこんなにも近付けるんだ?君の最強の力はただの…っ!?」
委員長(♂)は“いかなる攻撃をも防ぐ”が、
真也の力は“自分の攻撃力のみをゼロにする”ものである。
「君はまさか今、体全体によわゴシを?しかしそれでは攻撃が出来ないはずじゃ?」
「ゼロ距離だ。お前の皮膚に当たった瞬間にその面だけ能力を解く。あの人に教わった技術が使えたよ。なんて言うんだっけか?中国拳法のアレは確かに皮膚と皮膚のわずかな隙間の『絶対防御』に防がれるが、その程度じゃオレは止められねえ」
真也はよわゴシかも知れない。いや、きっとそうなんだ。けどそれを承知で、それを背負って戦うから強い。最弱で絶対を倒す。これは決して皮肉ではないのだ。自分の強さを過信して相手を甘く見る奴が自分の弱さを素直に認めた上で逃げ出さずに決死の覚悟で戦う奴に勝てるわけがないのだ。少なくとも今、この時は。
その気持ちを存分に込めた一撃を撃つために真也は筋肉が引きちぎれそうになるくらい目一杯腕を高らかに上げ、螺旋を描くように叩きつけようとする。今のその拳はトランプタワーすらも崩せないよわゴシな力しかないが、例えるならダイヤモンドの原石のようにそれは内に強さを秘めていた。
しかしその力もまた、意図も簡単に止められた。意外な展開によって。ガタンと何かが開くような音がしたと思ったのは後になって記憶を思い返してからだ。とにもかくにも最初の認知はその儚げながらも強さを持つよわゴシと同種の匂いのする声を聞いたことだった。
「もう、やめてください!!」
もちろん目の前の委員長(♂)は真也と違って、そんな命乞いなどしないし第一にこれは声変わりを終えた男の声にしてはソプラノ過ぎる気がする。なんにせよその声と同時に真也の攻撃は中断された。しかし声が直接の要因ではない。車は急には止まれないというようなテンプレ過ぎる言葉からも分かる通りそんな単純に勢いを持ったものを止められるわけがないのだ。
「体が…動かない?」
真也は金縛りにでもあったかのように自分の体の操作がほとんど出来ないでいた。辛うじて動かせる首で前を見るとそこには病弱じゃないかと思えるほど色白な肌とか細い体を持った少女が震えながら立っていた。わけが分からなかった。そこに新たな中二病患者が現れて絶望しているのではない。なぜここに“見知った顔がいる”のかが分からなかったのだ。
「春香…ちゃん?」オレはその愛らしい名前を告げる。
名前を呼ばれると彼女は恥ずかしそうにそっぽを向いた。「ここまでですか…」という委員長(♂)の呟きをバックにオレはただでさえポンコツな頭脳がオーバーヒートしてしまって目の前が真っ暗になってしまった。疲れなども一気に噴出してそのまま深い眠りに入ってしまう。
後書き。
チェックメイトに関してはチェックとメイトという単語の複合として作られた造語ではなく、そもそも先にチェックメイトという単語があってそこからチェックが派生したらしいですよ。
ちなみに気付いている人は気付いているかも知れませんがOP1が新しくなっていますのでそちらもお願いします。