Ep17 Another hero~瓦解した結晶と模造の粘土~
元第三理科室現第二生徒会室。
そこは普段なら生徒会が日々諫山中学のために奔走している風景が広がっているが、今は異質がその場を支配していた。その名は中二病患者。因果孤立に棲み着き、戦うために存在する異世界人。この場では三人の中二病患者がいてその内二人が向かい合わせに立っていた。かたや最弱の最強の力の持ち主、こなた絶対の最強の力の持ち主。持続しているのが不思議なほどの対立。まさに天と地。その差は歴然だった。その地たる遠藤真也は切断された右腕をぼおっと眺めながらこの絶望に十分に値する状況を他人事のように遠い目をして、場違いだとは分かっていつつも少し考え事に耽っていた。
オレには憧れの人がいる。その人は眉目秀麗成績優秀な人間なのだが、実際にカッコいいと感じるのはそんなちゃちな所じゃない。その人はハイレベルの才色兼備を誇る人間だが、見ていて腹立たしく思えるような“エリート”という存在でなさそうに見えるのは誰もが賛同するだろうと予想できる(これを言うと本人は怒るが)。では鷹の爪なのか?と聞かれると全くそうではなくむしろ普通の人以上に才能をひけらかすオレ様至上主義の人間だ。オレにボキャブラリーが少ないのが悔しいんだが、なんというかそんな天真爛漫というか唯我独尊に振る舞うのが逆に清々(すがすが)しくて、自発的に従者として傍でこの人の快進撃を見てみたいという衝動に駆られるのだ。例えて言うなら“主人公を見ている読者”の気持ちに他ならない。
だから彼の一番の才能はと聞かれたらオレは一秒も迷わずにその人心掌握術をあげるだろう。
そんなオレがその人に初めて会ったのは小学五年生のころだったか。この頃は今以上に喧嘩に明け暮れていて実はオレは喧嘩が滅法に強かった。正直、自分の通う小学校にはオレより強いやつなんかいないと思っていたし実際そうだった。だがオレよりも強い奴はやはり存在していたんだな。それは“中学生”と“多数”。だからこの二つに同時に攻められた時には本当に焦った。当時この辺で最も勢力を誇っていた不良校の鳥海中学、通称トリチューに兄貴を持つ奴に恨みを買われたのがまずかった。三谷という同級生が誰の目に見ても生意気に振る舞っていたからちょっと軽い脅しをかけただけだというのに大袈裟過ぎる。オレはそんな馬鹿げた行動にある意味感心してため息をつきつつも、実際、怖いもの知らずのあの頃でも不良中学生十五人に人通りの少ない路地裏で囲まれて結構臆していた。陰でこそこそしている三谷の面がやけに癇に障ったが絶体絶命とはまさにこのことだと思ったよ。そしてそれがより現実化したのがボクシングでも習ってそうな奴に右ストレートを顔面に喰らって意識持ってかれそうになった時だ。久々に涙腺が潤ってきて恐怖で脚が震え出したがそれでも戦わなければならないと合い構えた。敵がこのみっともない姿を嘲り笑いする屈辱に耐えながらも。
「おい?楽しそうなことしてんじゃねぇか?オレ様も混ぜろよ」
急にかかった声にビクンと反応してオレは恐る恐る後ろを見た。そこには鮮やかな紺色に染まった髪を棚引かせる中学生がいた。後ろの夕闇が絶妙な色合いを醸し出していてやけに映えていたのを記憶している。彼はオレの周りの奴らと同じ…いやそれ以上の愉悦に満ちた猟奇的な笑みを浮かべていた。その姿は妖怪変化にでも出くわしたかのような緊張感をオレに味合わせる。ただ決定的に周りと違ったのは彼は気崩したブレザーではなく無駄にきちんと着用した学ランを身に纏っていたことである。
「誰だ、お前?」
誰かが言った。呆れたような声で。不思議なことに知り合いではないようだ。オレは構えを維持したままその人を見遣る。冷や汗が一筋垂れた。この人に畏怖していたのだ。周りの奴らへと向けるものとは違う意味において。
「オレか?オレ様の名は碧倉光一。偉大なる名だ。永久に忘れるな」
紺髪の中学生は身嗜みを気にしないように“髪を乱雑に掻きむしり”ながら微笑む。まるで自分が神か王とでも勘違いしているように傲慢に振る舞う様は普通なら滑稽にすら感じるはずなのに、見えない圧力でもかかっているのかオレは自然としっくりときた。また彼は意識してそれをやっているわけではないが、もし女子がこの姿を見たら一目惚れ率は高いだろうと思えるほどのかっこよさを催していた。
「おい、あいつのあの制服。諫山中のやつだぞ?」
「あのナヨナヨした奴らか?ハハハどうりで弱そうだ」
「その気色悪い喋り方とかマジやめてほしいんだけどー!」
「んで、てめぇ何なんだよ?俺達の高尚な遊びに加わりたいなら取り敢えず財布出せや」
周りの奴らは「言えてるー」とか笑いながらオレとは違いその紺髪の中学生を低く品定めして、その中の一人が彼の紺髪の頭をポンポンと触ろうとしたときだった。
「下賤が…」そう小さく彼が呟いた時には、呻き声を発させる暇も与えずにその一人がはるか後方に吹き飛ばされていたのだ。
「なっ…!?」
オレはおろか周りの奴らさえもこの展開には息を飲んだ。オレは構えた体勢をいつのまにか崩していて茫然自失と紺髪の中学生、碧倉光一さんのやったことを理解しようとしていた。そして分かったのは単刀直入に言うなら右拳を放ったということだった。倒れて泡吹いている奴の歯が一~二本抜け落ちている“結果”を見て殴ったと分かったのだ。『殴打』。言ってしまえば簡単で誰にでも出来る代物だが、光一さんのそれは誰よりも疾く、誰よりも鋭く、誰よりも重かった。凡人には見ることを許されない帝王の一撃。
「んで、」その一辺の空気を完全に支配した帝王が口を開く、「なーんか勘違いしてやがるくそ下民共がわらわらといやがるようだがオレは「混ぜろよ」ってよおー、てめぇらに言った訳じゃねえよ?一人で十五人をねじ伏せる楽しい展開に言ったんだよ。そこの小学生くーん?」
言われてオレはびくりと反応する。これほどの人間に声をかけてもらっているのが、光栄で畏れ多かったのである。
「なっ…なんなんだ?お前は!」誰かが臆しながらも大声を出す。
そんな安い台詞に光一さんは軽く答える。
「なんなんだって?ってなぁ…てめぇ……。まっ、しいて言うなら主人公様の凱旋か?」
そうして、光一さんはものの一~二分で全員をぶちのめしてしまった。この人の強さは感じていたもののやはりこの一方的展開を見ればその存在に圧倒されてしまう。
「あっ…ありがとう」
オレは思わず呟いた。か細かったが、それでも反抗期真っ只中にあったオレには随分と口にしていなかった言葉なのに、この時はこの空気がまるで操り人形のようにオレにそう言わせていた。
「はっ?ちっげーだろうが」しかし光一さんは気に食わなかったのか顔をしかめ心底哀れむように睨み「ありがとうございました。光一様だろうが。あと膝まづいてよぉ」
と言う。
「なにがやねん」
そんな傲慢な態度をどこまでも貫く光一さんをペシンと紙を丸めたもので叩く人がいた。どうやら光一さんと同じ中学校の人で同じ様な学ランをしかしボタン三つはずして中にガラもののシャツを加えて着ていた。髪の毛は染める色としては珍しく深緑色で少しパーマがかっている上に肩甲骨辺りまで伸びている。それからは図らずもオレは森のような印象を受けてしまう。
「って、てめぇ権現神たるこのオレ様になにしやがるミドリカワ!!」
「おいおい、神のくせに『ツッコミ』という概念も知らない陳腐な脳ミソの持ち主なのか?お前は」
ミドリカワさんと言うらしい。『緑川』か『翠河』か逆の組み合わせか、もしくは全く知らない字かはさておき自分の苗字という理由で髪の毛染めているんじゃないだろうかと疑問でならなかった。
「つか、俺はお前がヒーローだって言うんなら、そんな助けたいたいけな小学生にまで敬語強要してんじゃねえよっつ言いたいわけよ」
「ハハハ、オレ様はため口が嫌いなんだよ。日本の素晴らしい文化が廃れんとしているのを嘆かわしく感じ入ってる。そしてそれを防ぐのと同時に世界人類はオレ様に敬語を使わなければならないという文化を植え付けようとしているのだよ。だからむしろオレ様を褒め称えろ。国民栄誉賞とかですらオレを真に感謝するのは不可能だと思うがな」
光一さんは腕を組みながら自信満々に答える。
「じゃあ、なんならいいんだ?大勲位菊花賞か?それに後者の文化はいらねえんだよ!だいたい世界とかいうが英語にゃ敬語概念はねえだろうが。なんでも過去形使えばいいと思ってやがるhonorificsとはちげえんだぞ?」
オレには何言っているのかまったくよく分からなかったが、たぶんこれも『ツッコミ』なんだろうなってことは雰囲気で察した。もしこれがコントか何かなら浮世離れした振る舞いをする光一さんを常識人のミドリカワさんがつっこむ構造なのだろうか。常識人にしては日本人なのに髪の毛緑だけども…。
「おっ…お前ら知らねえぞ?こんなことしてウチの四天王が黙ってるとでもおもってんのか?」
そうこうしていると殴られた内の一人が気絶から醒めたのか顔を上げて毒を吐く。しかし醒めたはいいがどうやら肉体がボロボロな上に、背中に何人も倒れた奴らが乗っかっているために身動きがとれないらしい。
見た目に反して彼の主張は最もであり、さらに四天王が動くことは鳥中の全ての生徒が動くに等しかった。さすがの光一さん達でも全校生徒確か一千人くらい相手では苦戦は免れないだろう。なのに光一さん達は全くもって緊張感がなかった。
「ふぁーあ。しへんのう?神より下の位に興味ないな」と光一さんは欠伸しながらテキトーに聞き、
「はぁ…、四天王とかそぉーゆー中二病臭いのはそこの勘違い王子と仏教とポケ〇ンだけにしてくれ」と鼻をほじりながら呆れ返る。
器が大きいのかアホなのか、どちらにせよオレには出来ないなと自分との差をまた実感してしまった。
「?」
不思議なことにオレは胸が痛んだ。思わずさすってしまう。これが少女漫画の主人公なら恋のフラグなのかも知れないが、それにしては空気の読めなさ過ぎる情景だろう。では一体なんなのか?
「誰が勘違い王子だコラッ!こんっのワカメヘアーが!」
「てめぇ様のことですよKTO!そして髪色への冒涜は万死に値しやがるから、その辺を覚悟して殴られろや!」
と鳥中生そっちのけでぎゃあぎゃあ言い合っているのを見てオレは深く考えるのをやめた。
「お前ら調子のんのも大概にしろよ?状況分かってんのか?」
置いてきぼりにされた鳥中生の一人はバカにされているのに憤怒し精一杯に凄む。後で分かったのだが彼は三谷の兄貴で中三生だったようだ。そんな三谷(兄)の睨みにそれだけで小学生のオレはびびってしまったが、やはり二人は違うようだった。
「いや、それそっくりお前に返すわ」ミドリカワさんは腕をポキポキ鳴らしてからその片腕を学ランのポケットに入れて、「お前さ、一人だけ生かされてんのに気付かないわけ?」
言われて三谷(兄)ははっとなる。そういえばオレは単純に一人だけ気絶から醒めたのかと思っていたが、それは実は光一さんが一人だけ手加減していたってことだったのだ。確かにたいして強そうにも思えないのに一人だけなんてのはおかしいよな。
ミドリカワさんはそんな三谷(兄)の右手を地面に押し付けるようにガッと掴むと、その勢いで腕の上に馬乗りになって動けなくさせる。
「?」三谷(兄)は訳が分からない。
「まっ、要するに尋問用なわけよ。その四天王やらを含めてお前の学校の有益な情報を情報を十個提示しろ。まず一つ目だ」
「俺に仲間を売れと言うのか?バカが。誰がんなこと…」
「違う違う!何で俺がお金だしてかわなきゃいけないわけ?お前がするのは献上だ」
ミドリカワさんは威勢のいい勘違い君が相当面白いのかカカカと気分よく笑っていた。その手に握られていたのはペンチである。オレは最初、本気でミドリカワ何をするのか解らなかった。ここまでの言動を見て『常識人』と勝手な先入観を抱いていたのが良くなかったのだろう。オレはそのことを後で激しく後悔することになる。
「はっ、言い方のニュアンスだろ?どちらにせよ言わないのには変わらないがな」
「じゃ…、体に聞くか」
ミドリカワさんはまるで散歩に行くようなノリでぼそっと呟く。それを見て三谷(兄)は単なる脅しだと腹を括りさらに強情な態度をとろうとする。
「へっ…、またそんな安い脅迫を…。てめぇらナヨナヨ野郎がやれるもんならやってみ――がっ、ががああああぁぁあああぁぁあっっっ―――――――――っ!!」
三谷(兄)は叫んだ。
それは途中から声になっていなかった。モスキート音の音域ならオレでも聞こえるんだが、これはよほど高周波なのだろう。ただ苦痛に歪めた顔で大口を開けている姿がオレの脳裏に深く焼き付いた。そんなものを見たらオレは動けなかった。目の前で起きたことが分かってはいたが、それを理解するのを脳が拒絶した。しかしそんな気持ちとは裏腹にオレはあまりのおぞましさに体を今日一番震わせ、ものすごくトイレに行きたくなった。
ミドリカワさんは“剥がした三谷(兄)の爪”をいとおしそうに見詰めながら、それに染み付いている鮮血をペロリと舐めた。オレですらそれだけで青ざめる。まして当事者の三谷(兄)の心境は相当なものだろう。現に見てみるとさっきまでの強気は拭い取られていて目を潤わせひたすら「痛い痛い」と言っていた。
「さぁーて、あと“九つ”情報を提示してもらおうか?いや別に俺は構わないんだぜ?言わなくても。そしたら残り“九枚”の爪ちゃんを剥がせるんだからははははははひひひふふ」
ミドリカワさんは恍惚に体を震わせながら容赦なく三谷(兄)に告げる。狂ったような笑い方のオプション付きで。あまりの恐怖に彼は失禁してしまったのか辺りにアンモニア臭が漂うがミドリカワさんにとっては興奮を助長させるスパイスにしかならないようで尋問ならぬ拷問は続けられようとしていた。
そんな情景に驚愕するオレの肩がポンッと軽く叩かれた。
「おい、そこの小学生」
―――なんでしょうか光一さん。
「てめぇミドリカワを常識人かなんかと思っていただろう」
この人は読心術まで習得しているのか、はたまた毎度のことで慣れきってしまっているのかはさておいてオレは肯定するために激しく首を縦に振る。それを見た光一さんはまるで迷える子羊でも憐れむように手で目頭を抑える。と言っても泣いている様子は一切見られなかったが。
「あいつはオレ様でもヒくくらいの変態だぜ?まっ、おもしれえからいーんだけどな」
そう言う光一さんの手にはマジックペン(油性)とカメラモードの携帯電話が握られていた。あぁ、この人この状況下で顔にいたずら描きしようとしてんだミドリカワさんのこと散々言っていたのに正気の沙汰じゃねえなと思ってからオレは仏教徒でもないのに「南無妙法蓮華経」とひたすら題目を唱えながら目を瞑って耳を塞いだ。徒歩ゼロ分にある地獄から目を反らすために。
それから何十分過ぎただろうか。「終わったぞー」と光一さんが頭をポンポン叩いてきた。辺りは静寂に包まれていてどうやら三谷(兄)は再び気絶してしまったのだなと思った。どうしてそんな曖昧な表現をするかというと、そちらの方は見ないようにしているからだ。二人を見るとめちゃくちゃ満たされた顔をしていた。テレビでフルマラソンを走り終えてランナーズ・ハイになっている人を見た時と同じ様な印象をもった。
「う゛っ…、あーミドリカワさん?その手に持っている真空パックはいったいなんでしょうか?」
オレはだいたい予想ついていたが自慢気にそれを見せるミドリカワさんをほおって置くのも後が怖いので、渋々ながらなんか場所によっては赤黒く装飾してある基本透明の一円玉よりも小さなサイズのものが、コインゲームで一発当てた人のようにザクザク入っている袋を指して言った。
ニコニコ顔のミドリカワさんはもちろん、
「えっ?これか? これは世界の爪コレクションvol.3」
とわざとらしくおっしゃっていらっしゃって…ってボリュームスリー!?まさかの想定外のリリース数にガクガクが止まりません。今日のオレの経験値はどこまで跳ね上がるのやら。軽くポケ〇ンリーグ二周分くらいは稼いでる気がするね。
「にしても、悪趣味してんなあ、てめぇは」
光一さんはヤレヤレと言わんばかりにため息をつく。正直言って光一さんは人のことは言えないと思いますが今は激しく同意します。
「あっ?悪趣味とは失礼な。拷問と陵辱は人類のみが産み出した素晴らしい文化。しかもそれも一つの文化圏にしか見られない特異なものではなく、形こそ違えどほとんどの地域で見られる共通の遺産!これは俺の予想だが、人類は蛇に恐れるように生まれてきたという説と同様に人類は生まれる前から脳に、遺伝子に、『拷問しなきゃならない、凌辱しなきゃならない』という強迫観念的な何かが刻まれているはずなんだ!」
ミドリカワさんは熱弁する。当時、拷問という言葉すら知らなかったオレは何を語っているのかよく分からなかったが、どうせくだらないことだろうなと高を括りつつ、しかしその満ち溢れる熱さに圧倒されて「おー」と感心して思わず拍手までしてしまった。
「確か、世界中に竜の伝説があることからの帰納的仮説だったっけか?なんかノーム=チョムスキーのユニバーサルグラマーの考え方に通じそうなものがあるが、それ宜しくサピア=ウォーフ説みたいに批判されんじゃねーか?」
「拷問と陵辱が言語並に奥深く複雑な代物であるという評価として捉えることにするよ。普遍と相対が果たしてこれらどの辺に当てはまるのかという討論は億劫だから控えることにするが、それを契機に拷問と陵辱が肯定的に思われてくれることを俺は心から期待するよ」
「拷問と陵辱が好意的に思われる契機なんざ地球が軌道を外れて銀河圏外に吐き出されても訪れるとは思わんが…、まっ、その方がおもしれえからいーけどな」
不可思議な呪文を互いが唱える中で光一さんの口癖がまた発動した。よく分からないけど光一さんはどんなトンデモ理論でも面白ければ何でも構わないようだ(単に話題が面倒になったから切り上げてるだけかも知れないが…)。普通の人が聞けばただの変態と思うかもしれないが、この時、無意識ながらも光一さんがそんな簡単に《常識》という居心地のいい領域を幾度も踏み外せる生き方をしていることにオレは心から尊敬していた。大抵の人が《常識》という根本台帳を鑑みて検閲官のように異常な考えを廃絶する中、光一さんは《常識》を見下し特異を愛するのだ。…単に面白いからという理由で。さながら「欲しがりません勝つまでは」と謳い戦争一色に染まっている日々において一人キャビアでも口にしながら平和主義掲げているようなものだろう。オレは“決して自分には出来ないだろう”という諦めで造られた小屋から望遠鏡を使って流れ星でも眺めている気分だった。
「ところで…、これからどーするんですか?」
オレは話に置いてかれるのを疎む意味も込めて光一さん達に聞いた。
「そうだな。さっき奴から得られた有益な情報は四つしかなかったからあまり分かっているとは言えないが。つかあの野郎最後なんかふざけやがって四天王の一人の好きな食べ物とか言いやがったからマジにムカついて顔面蹴っ飛ばしてやったぜ」
ってことはあの人(三谷(兄))六枚も爪を剥がされたのかご愁傷さまという怖い憶測はしないようにして、最後のはふざけたんじゃなくきっとネタがなくて切羽詰まったんですよミドリカワさんと思いつつオレは光一さんに顔を向ける。
「あー」
オレはこめかみをトントン人差し指で叩きながら考え事をしている光一さんを静かに見守る。
「今日の夕飯、ビーフシチューにすっかな」
と華麗に狡猾な作戦を重々しく述べ…………………………てないっ!なんか晩餐の話してるよこの人。いちいち普通の人ではないってことは分かっていたけれども改行合計二十行使って言うことがそれなんですか?オレは思わず昭和のギャグのように盛大にずっこけてしまった。
そんなオレの不遜な態度にどうやら光一さんは不満だったようで、
「んだよ、その反応は?昔から言うだろ?腹が減っては軍が出来………なんだっけ?」
「そこまで言ったのに!?」
「まあ、要するに今から乗り込むかその鳥中とやらに」
「まったく要せてないっすよ…って、えぇっ!!今から!」
オレはツッコんでから驚いた。なんて電光石火な人だ。さっきまで空腹がどうこう言っていた人間が普通出来ることじゃない。
「ほら言うじゃないか、『先んずればすなわち人を制し、後るればすなわち人の制する所と為る』ってよお」
「なんでそれ言えるのにさっきのは言えなかったんすか!?」
それを聞いてミドリカワさんも光一さんに同調する。
「だよな。あと、こうも言うよな。『己の欲せざる所を人に施してやりてー』」
「それただのあんたの願望!! 孔子さんなめんな!」
二人とも…なんてテキトーなんだ。いやでも待てよ。この人数比ならむしろオレの方が非常識人になるんじゃ…?
「フフフ、ようやく分かったか?この愚民が」
とりあえず一番よく分かったのは光一さんのその天才的な読心術ですかね。
「じゃっ、まあ…おふざけはこの辺にして取り敢えずシマとことりちゃんだけ呼んどくか?」
光一さんはポケットから携帯電話を取り出して言う。
「横綱とヘップバーンのみ?奴らの部下とか呼べよ」
後で知ったのだが、シマさんと横綱さん、ことりちゃんさんとヘップバーンさんは同一人物なようだ。ミドリカワさんの言うように学校攻略なんて大それたことするんだから兵隊は多い方がいいはずなのに、
「えぇ…、それじゃあ皆のヒーローたるオレ様の泣く子と地頭も黙る活躍が減るじゃねえか?」
なんか二つのことわざを合体させたような慣用句を用いながら光一さんは拗ねる。この人に恐怖心とかはないのだろうか、いや…ないな(反語)。この後ふてくされながらもなんとか折れてくれた光一さんはオレにこう言った。
「てめぇさあ、お前が自分以上か同じくれーに強いと思う小学生を何人か連れてこい。将来的に有望な奴をな。ゆくゆくはオレ様の後を継いでこの辺一体をしめてもらわなきゃならん。進学先中学?どこでも構わん。グローバル社会とか言われている中なのにセクショナリズムな考え方しか出来ないなんざ尊敬するインターネット様に笑われるからな」
という建前で本心は「オレ様の活躍を少しでも多くの奴に見せたい」であることはもはや推測することなしに見当がつくまでにはオレは成長した。しかし“敢えて”(と言うよりは“わざわざ”)言おうとは思わない。なるべくこの人の気を損ねることはしたくないのだ。けども光一さんの考えには同意だったが生憎オレの喧嘩仲間のほとんどが、そして何よりオレ自身が携帯電話を所有しておらず夕下がりのこの時間に連絡する術を持ち合わせていなかったために、学校乗り込みそのまま制圧するという未だに夢物語としか思えない大胆不敵な行動は一日待ってもらって翌日同時刻決行の現地集合となった。そして次の日学校でテキトーにこの話をふったら「面白そう」とか言いやがる野次馬根性大な人間がわらわらと集まって総勢二十人になった。お前ら将来はマスメディアとかにすれば?確か、光一さんはオレと同じくれーとか言ってたのに人選はそれに適っているとは言い難かったが、まっいーだろ?どうせ見せつけたいだけなんだし。
「てめぇ様、神の話を聞いていなかったのか?」
「ぐっ…痛たたた、痛いッス!すんませーん!!」
とか軽んじていたのが祟ったのか千里眼のように高性能な瞳をお持ちの光一さんはスカウターも持っていないのにオレが引き連れてきた軍団を一瞥して「戦闘力5…ゴミめ」と言ってから両拳でオレの頭のこめかみ辺りをグリグリしてきた。
「すげえええっ!!」
ちなみにこの時、あの石澤も一緒に来ててオレを涙させる技を放つ光一さんに尊敬の眼差しを注いでいた。てめぇ、あとでぶん殴り確定な。
「そいつがお前の言っていた小学生か?碧倉」
静かに重低音を発する人は中学生なのに身長が190センチメートルはありそうな体型だった。彼は小鳥さんと言うらしく成る程光一さん達が何であんな呼び方をするか分かった気がした。もう一人のシマさんは筋肉質と言うよりはぽっちゃりと形容する方が合っているようながたいの持ち主で、小学生アメフトチームでラインをやっている石澤の体をペタペタ触り「君いい体してんね、ちなみに俺ちゃんは着痩せしないタイプなんだ」と言わなくても分かるようなことを言っていた。
そして、真に驚くのはこっからだったのだ。オレを含め、天下の不良校を中学生十数人(四人と他に例の兵隊を含め)とほぼ傍観者を貫く小学生六人程(いざ不良校を前にした時ビビって大半が帰った)でなんとかなると思っている奴など残った小学生の中には誰もいなく、どのタイミングで引き揚げるのかを伺っていたのだが全くもってその必要はなかったのようだ。
というか、今更ながらよく考えてみたら放課後なんて皆ほとんど鳥中生も帰っちまってるんじゃないか?と疑問にも思ったが、どうやら事前に根回しがあったようで鳥中生は正門から入ってくるオレ達を迎えるように校庭のトラック半周分に綺麗に沿って並んでいた。その結束力を別に生かせよ。そんなことを「よく来たな、てめぇら」「一生病院で過ごさせてやろうか?」「ぶっ殺してやる」などと物凄い気迫でオレ達に怒鳴る人達に言えるはずもなく、とぼとぼと光一さんたちの後ろに控える。体がビリビリする感覚に腰が抜けそうになりながらオレ達“小学生”は息を飲む。
「見たまえ!神に神たるオレ様を歓迎しているぞ!!」
と興奮気味に言うのはもちろん光一さん。オレは思わずビビらないんですか?と聞いてしまう。すると光一さんは本当に理解不能な表情をして、
「何でビビる必要があるんだ?オレ様が勝つというのに」
といけしゃあしゃあと語る。まっ、分かっていたけども。
「いや、お前は負けるね」
と言うのはミドリカワさん。さすがの光一さんでもこの数は無理なん…
「撃墜数でお前は俺に負ける」
…、はは…、そういう勝負やるんですか。
なんてそうこうする内に猛者達が一気に迫ってきていた。光一さんはオレ達に向かって一言「いーか。勝手に凌げ。戦おうが逃げようが構わん。どちらにせよオレ様は助けないからな」と告げる。非道と思うかもしれないが、もし本当にそうならそれすら告げないはずなのでオレは幾分良心的に思えた。
そして戦いは始まった。
終始一方的展開で。
「……………」
オレと石澤は早い段階で離脱して校門近くのフェンスから中の様子を見ていた。なにせオレは光一さんの活躍を見るために来ていて戦う気はなかったからだ。来る途中で逃げ帰ったと思った他の奴らもそこにいて共に眺め始めた。
一方的と言わしめるほどに光一さん達は強かったのだ。
「フハハハハハハハ!!!!!!!!! 愚かな人間どもよ!! 神に挑むと言うのか?」
まず、魔王がその場を蹂躙していた。狂喜に達した光一さんは兵共を一瞬で数人は薙ぎ払っていく。その拳は雷鳴の魔術のように轟き、その蹴りは業火の呪文のように燃え盛るのだ。鉄パイプで殴りかかってくる奴をそれごと殴打で捩じ伏せる様なんかはまさに圧巻であった。
「つかよー、こーいちぃー!お前ヒーローとか言ってっがそれじゃまんま魔王じゃねーかぁー!!」
そう言うミドリカワさんは二挺スタンガンを鮮やかに捌きながらミュージカルを見ているように舞っている。
「ププッ、魔王は最終的に殺られるのがオチ」
長身の小鳥さんは金髪を靡かせ、隻イヤリングを揺らしながら例の響くような低い声でぼそぼそと呟く。その長身に見あった腕から撃たれるストレートは銃器のように標的を貫いていく。
「その碧倉の殺られる様を写メして送ってくれた奴には俺ちゃんから金一封を差し上げたい気分だな」
シマさんは巨体な割にアウトボクサーのような俊敏さを見せ、相撲と言うよりは柔道のように敵を千切っては投げ千切っては投げている。
そんな風に下らないことを言い合いながら一度もピンチになることなく、結局全員倒してしまった。
なんかその後に「撃墜王がオレ様なのは異論ないとして、結局どいつが四天王だったんだ?」「あー、俺、四天王っぽい奴倒したくせーからプラス三万点で俺の逆転勝利ってことで」「プププ、じゃあ俺は三百二十七万とんで二百十二点ってことで」「おい四天王なのに百九人いるってどーゆーことだ?ことりちゃん。ちなみにてめぇらが倒した四天王は偽者だから四人倒した俺ちゃんがウィナー」「貴様ら神の面前で偽りを申すのか?」「何がウィナーだウィンナー野郎」「んだと、ミドリカワ!その毛ぶち抜くぞ?」「プププ、ウィンナーとワカメの世紀の戦い」「「黙れ、小鳥野郎!お前の薄気味悪いさえずりなんか誰もフォローしねーんだよっ!」」「なんか生意気なチビ共がいるな。しつけないと」「てめぇら、オレ様を無視するとはいい度胸じゃねえか!もれなくジェノサイドしてやっから覚悟しやがれ!!!!」と四人で二次大戦を勃発させようとしていたが、他の中学生が仲裁に入り尊い犠牲は孕んだもののなんとか最悪な事態は回避したようだ。
「…、あー、事後処理しとくか」
この後のことは淡々としていた。鳥中生の一人を強引に起こし四天王が誰かを聞いて、ミドリカワさんとシマさんが気絶から醒めた四天王と戦争の平和条約のようにこれからのことを話していて、光一さんと小鳥さんは校長室に乗り込み、「ここの生徒を先生に従順になるようにしてやっから今回の騒動は見なかったことにしろ」とか他にも幾つか注文つけていたが先生達的には願ってもいないことで校長なんかは拝んですらいた。運動会の後片付けのように少し寂しさを募らせながらも一部では特に小学生が、大迫力の映画やミュージカルを見た後の共有したくなるような興奮の余韻に浸っていた。石澤も光一さん達のご活躍を見てより尊敬の念を増して熱狂的なファンのようになっていた。
「………………………」
だが、オレはこの周りのノリについていけなかった。なんというか気が抜けてしまったのだ。光一さんを慕えないわけじゃない。寧ろ一番の崇拝者と言っても過言じゃなかった。けど…、だからこそオレは時でも止まってしまったかのように一人熱が冷めきっていた。
「どうした?碧倉」
隣で石澤が心配気に声をかけてくる。なのにまったく近くに感じられない。まるで異空間にでもいるかのようだった。そしてオレの視界は常に同じ過去のものを映し出していた。一人で数倍数十倍数百倍を難なく相手にするその勇ましき御姿をした者。
多くの神話で目にする文字で言い換えるなら『勇者』。
凡庸なRPGのような多人数でリンチしてようやく敵を倒すような安っぽいやつではない。
「誰もが頼りたくなるような」、「生まれながらにしての」、「どんなピンチにも駆け付け解決してくれる」、どの形容詞でも似合う万能な存在。そういう意味での『勇者』
碧倉光一さんは『勇者』であり、また『成功者』であり『帝王』でもあり『アニキ』でもあり『魔王』でもあり『神』でもあり『ヒーロー』でもあり『碧倉光一』でもあった。
呼び方は人によっていくつもあれど、そこには揺るぎない一つの骨格があった。
それは、“主人公”
光一さんの中ではもちろん、ほとんどの人にとって彼は主人公のように見えた。人生は誰もが主人公だとある人は言い、今日までそう自分も思っていたが、その存在の説得力は甚だしかった。自分が一般人であることをひしひしと感じさせた。最初感じた不思議な畏怖や胸の“何かが壊れていくような”痛みはその前兆だったのだ。その時からだ、思うようになったのは。自分はやはり平凡に生きよう。自分に合わない大それた生き方は良くない。身の丈にあった凡夫に相応しい生活を。
それからかも知れない。オレが“いじめられっこ”にのみ意地悪く扱われるようになったのは。自分が志した生き方が過度になって、周りで“特異な事態が起きないように”取り計らおうと心掛ける調和師のように。
…いや、もっといい言葉があったのを思い出した。
面倒事を避けて不可思議から逃げ惑う。そんな醜い姿はもっと簡潔に表現出来る。
『よわゴシ』と………。
何物にも変えがたい未知の経験を得られる機会たる《中二病大戦》からすら逃げ出そうとした奴にしてみては、成る程…その形容は言い得て妙。なかなか皮肉が効いてやがる。
情けねえ。
こんなの全然主人公からは遠い。
「でもしょうがねえだろ?」
それだけ“絶対”って奴はすげぇんだから。
なのに…、
「何で絶対はオレの前にそびえ立つんだ!?」
重なる過去と今。
重なる生き方と最強の力。
そんな強固な対立概念が望みもしないのにたち現れてくる。
うんざりだ。うんざりなんだよ…もう。
けど、戦わなきゃならなかった。
なぜならそれが真也の日常を守るためだから。
梨緒であり友人関係であり平穏無事なもの。
それらを背に真也は立ち上がらざるを得なかった。
たとえそれが主人公の真似事だと言われたとしても。