Op3 The startingpoint~川に石投げるとぶわっと広がるあの波紋~
「フッフッフ…」
一つのランプが淋しく照らす書斎のような部屋で、規格外の大きさの机に向かっている青年がいた。
机上には『おしゃぶり』や『サングラス』や『碁石』など、幼年期から老年期まで全ての嗜好品が乱雑に広がっていて、それは、もはや机の色が見えなくなるほどそこを覆い尽くしている。
ランプの明かりが織り成す橙色に淡く照らされたアダルト感の漂うこの部屋で、その青年は嗜好品の一つのパソコンの画面を見て笑っていた。
笑う青年の姿は“異様”の一言に尽きた。
もし仮にその言葉を言い換えるのならば、“変人”か“狂人”以外に思い付かないくらいである。
髪は極限まで染め上げたかのように白色で、老年期にメラニン色素の欠乏によって引き起こされる脱色した透明度の高い白髪というよりも、白いメラニン色素とでも言えるくらい雪のような白髪と言ったほうがしっくりくる代物である。
この青年。実は御年四十代なのであるが、顔はそれを全く感じさせないくらいに綺麗で『しみ』や『しわ』はおろか、『髭』など生えてこないのかと疑いたくなるくらいその髭を剃った痕すらなかった。顔だけ見れば十代か二十代前半としか思えない。
しかし、ただ『年齢より若く見え過ぎる』というだけならば、まだ“異様”とまでは言わなかった。
この青年が真に“異様”なのは彼の身嗜みに起因している。
伸び過ぎた白髪には二桁単位のヘアピンが綿密に組み込まれていて、首には国や宗教を完全に無視した様々なネックレスがぶら下がっている。また、彼が着る服は上下とも薄地で白無地の粗末な布でテキトーにあしらったもので、囚人服のような、いや…囚人ですらもっとまともなものを着ているだろうと思ってしまうくらいのものであった。
青年は袖に出来た『ほつれ』すら気にせずデスクに肘をつき、パソコンに見入っている。そんな青年の足には服とは対称的だろ?と言わせんばかりに真新しいバッシュを裸足の上から履いていた。
「何が可笑しい?運営委員長」
すると、書斎の入り口の扉から声が聞こえた。
「やあ!刈谷クンか!何か用?」
『運営委員長』と呼ばれた白い青年は扉に寄り掛かる男を見て意気揚々に返事した。それは、若々しい言い回しであるはずなのだが、それなのに妙に大人びて聞こえてしまうのは彼が醸し出すその雰囲気からであろうか。
刈谷と呼ばれた男は運営委員長の言葉に答えず、かわりに右足で後ろの扉をトントン蹴りながら「ふぅ」と息を吐いた。
服装は中々お洒落で、三~四十代という年齢に似合わず、新宿を闊歩していそうな若者のような流行りものの格好をしている。また、十字教教徒なのか胸元にぶら下がっている大きめの十字架の首飾りが目立っていた。
「『永久雷撃』と呼べ。貴様に名前で呼ばれたくない」
刈谷はマフィアのボスのように冷たく強く言葉を紡ぐ。その一言だけで、堅気の人間ならば尻餅をついてしまいそうな勢いで、自然と地球の重力が増したのかと錯覚してしまいそうな威圧感がそこにはあった。
「分かったよ!刈谷クン」
しかし、あたかもそんな言葉などなかったかのように馴れ馴れしく答える運営委員長。そして何故かその馴れ馴れしい言葉には、やはり年長者の威厳みたいなものがあり、書斎に重く響いた。
その後、黙り込んでいた二人であったが『刈谷』改め『永久雷撃』の男は馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに肩を落とす。それがきっかけで緊張の糸が解れたのか場の空気は軽くなった気がした。
「ふん、貴様のことだ。どうせろくでもないことを考えているのであろう。俺達に想像すら出来ない何かを」
『永久雷撃』は遠い目をする。しかし運営委員長は『よせよ』とばかりに左の手の平を突き出した。
「いや…、ただ慈しみを持って過去と今を重ねていただけさ」
フフと含み笑いを漏らし運営委員長は再び画面に向き直る。
画面には中学校の教室が映っていてそこには五人の少女がいた。
「佳奈子ぉ~そこのコバルトバイオレットのチューブとってくれ」
「あいよ!リナリナぱあ~っす」
一人の少女の投擲がもう一人の少女の手に収まる。
「ナイパ!ナイパ!サンキュー佳奈子」
「ねえ里奈はさあ、なに描いてんの?」
「裕美ったら見れば分かるじゃん『富士山』だよ『マウントフジ』」
「えぇーっ!絶対そうは見えないんですけどー」
「てゆーか、昨日のMスタ見た?」
「見た見た!神有君マヂかっこよかった~!」
「えっ!?昨日のМスタ『KOT-TON』出てたの!?ミスッた~ちょ誰かダビングさせてえ~」
「あっ!私も私も~!!」
五人の少女はキャッキャッとお喋りしながら絵画を描いていた。それは美術の授業の提出用の作品であり彼女達はその補習のために放課後残っていた。
何の前触れもなく、教室の扉がガラガラと開いた。
彼女達は誰か来たのかな?と反射的にその方に振り向くが見ても誰もいない。誰もが気のせいだと思って作業を再開しようとしたその時だった。
ガタッ、ガタガタと物音がしたのだ。
「…なに?」
見ると机が音をたてながらひとりでに動いている。それはまるで見えない何かが机を押し退けてこちらに向かってくるように見えた。
「えっ?」
「なんなのよ?」
彼女達は不可解な現象に筆具を投げ捨てて教室のすみに逃げ込む。
…………、
見えない何かは教室の真ん中くらいまで一直線に机を掻き分けて来ると、立ち止まったかのように机の音がやんだ。
美術室が静寂に包まれる。
少女達は教室のすみの方で暫く固まっているうちに少し冷静になってきた。
最初の方こそ先生にでも助けを求めようと思っていたが、落ち着いて考えてみると「『透明人間』が出た」なんて言ってもたいてい信じてもらえないだろう。科学的に有り得ないのだ。
彼女達は別に【メラニンとヘモグロビンを無色透明にするのは化学的に難儀である】ことや【液晶の帯熱性と形状質量、電力源的に現代科学では不可能である】なんて知識があるわけではなかったが、“現実の常識”を理性的に判断することでその『透明人間』という現象が有り得ないと悟ったのだ。
だからこそ彼女達はその後、「さては男子の悪戯だな、一言言っといてやろう」と思った。
しかし、透明人間は静かに襲う。
「うっ…くぅ、あっ…」
「佳奈子?ちょ佳奈子大丈夫?」
五人の少女の中の佳奈子と呼ばれていた少女が気絶したように倒れ込んだのだ。
間一髪、その少女の近くにいた別の少女が支えたが非現実的なことはこれだけにとどまらなかった。
「佳奈子!佳奈…くぉっ…」
バタンとその支えていた少女も佳奈子もろとも地面に倒れ込んだのである。残る三人に戦慄が走る。次にいつ誰が襲われるのかという恐怖。彼女達は勇気を振り絞って助けを呼ぼうとした。しかし叫び声というものはいざというときに慄きによって出せなくなってしまうものである。
五人の少女は為す術もなく、一人また一人と極限の怖さに苛まれながら床に伏していったのだった。
「…止めないの?」
同日同刻同教室の入口の裏には、その教室の中からはこちらが見えないように息を殺して潜んでいる人影があった。
その人影は疑問を口にする。しかしその対象は教室の中にいる五人の少女にではない。その人影の後ろの少し離れたところに立つ男に対してだ。
「ふむ、どうしてだい?」
少し丸々とした体型でぶかぶかのXLサイズの白衣を着るその男は、完全におじさんな白髪を掻きながらしらばっくれたようにそう聞き返す。
「運営委員会だからでしょ?」
「ほう!よく分かったな!」
人影は静かに答える。白衣のおじさんは一本取られたといった感じで笑っていた。
「前に会ったじゃない。この力をくれたとき」
「確かにそうだが、あの時は…」
「そうね、あの時は光っているボールのような形をしていたわね。まさか先生が運営委員会だとは思わなかったわ」
白衣のおじさんの疑問に気付いたのか、彼が言い終わる前にその事柄を先に言う。
「でも、そんなことはどうでもいいの。それよりはやく私の質問に答えて」
人影は不服そうに続ける。
「何で、止めないの?」
そして今一度、あの時は答えなかった同じ質問をぶつけてみる。
「ふむ、「止める」ねえ。君が「止めないの?」と聞いているのは美術室にいるアレかい?それとも…」白衣のおじさんは考えるように腰に両の手を添える。
「…キミのことかい?」
「っ!!?」
人影は一瞬だけ動揺したかのように揺れる。
「りょっ…両方に決まっている」
そして同じく静かだが、しかし芯に強さを持った口調で答える。
「だろうね、でも止めないよ」
白衣のおじさんは欠伸をする。まるで他人事のような振る舞いで教師としては失格であろう。
「なぜ」
予想外の質問だったのか人影はまるで肯定文のようにその理由を尋ねる。
「キミは私が『因果孤立』外での力の行使でキミを止めに来た。そう思ったでしょ?でも違うんだよそれが」
「意味が分からない」
人影は困惑する。白衣のおじさんはその様子に気付きながらもあえて分かるようには説明しない。
「今日来たのは『思い出の拝見』のためだけさ。」
そう言い終えると白衣のおじさんはくるっと身を翻して美術室から去るように歩き始める。
「どうやらキミは相手を殺すつもりじゃなさそうだし、特に『運営委員会』は口を挟まないよ」
「一般人への暴力行為なのに?」
白衣のおじさんは首だけで振り返る。
「中二病大戦の最終目的の達成のためにはね、ある程度のことも黙認されるのさ。キミには関係のないことだ」
人影は何も言えない。
白衣のおじさんは完全に姿を消した。
「(最終目的?頂点を決めることの他に何かあるというの?)」
辺りは夕暮れの橙色に染まっていた。
そんな中に人が倒れる非現実な音がした。