68.春のほし Spring Star Flower
フォールスによってソルジャー家の墓から移されていたガーラントの遺体は今もサングイネア子爵家の墓地に埋葬されている。王国中が揺れているこの情勢が落ち着くのを待ってソルジャー家の墓地に戻す予定だが、サングイネア子爵は暫定とはいえ墓標を立ててくれたのだ。
シャギーにとって母は母だが、ソルジャー子爵からすればいつまでも「この子」と呼びたくなる妹なのだろう。
春を待ってシャギーがサングイネア領を訪れたのは、母の墓参りだけが目的ではない。どうしても会いたい人が居たからだ。
その人物は今、サングイネア子爵の隣でシャギーに眩しいほどの笑顔を向けている。
「初めまして! アイリス・サングイネアです」
貴族令嬢にしては些か元気の良すぎる挨拶。それは彼女がもともと下町の生まれであったことに由来する。何ひとつ変わらない、シャギーが良く知るアイリスの姿。だが、アイリスはもうシャギーを知らない。
ヴィーナス・フライトラップによる暗殺があった夜。生命の火が絶たれたと思われたアイリスだったが、シャギーの光魔法は消えてしまう寸前だったその火を蘇らせることに成功していた。長く生死の境を彷徨って、アイリスは死の淵から帰ってきた。
前世の記憶を失って。
「私はシャギー。シャギー・ソルジャー」
初めて会ったときから8年振りに、また同じ挨拶をする。
アイリスがアヤメとしての前世を含め、乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”に関わる一切の記憶を失ったことについて、シャギーは女神の起こした奇跡の代償だと考察している。
かつて女神はシャギーを、女神が呼ぶ声に呼応してこの世界に渡ってきた魂だと言った。それはおそらく、アイリスもヴィーナスも同じだったと考えられる。
“イフェイオンの聖女”のシナリオ制作者は、女神が助けを求める声に反応してこの世界を描き出した。そして、ゲームを通してこのイフェイオンに引き寄せられて来た魂に、前世からの望みを与えたのだ。
シャギーには本人が思う“持ってる側”の身分を、アイリスには“シャギー・ソルジャーを幸せにする”力を、ヴィーナスには“ヒロイン”としての出生を。
最大出力で注がれた光魔法によって、この世界のアイリス・サングイネアの命は繋がった。しかし、地球から来たアヤメとしての生命と能力を失うことになったのだ。
シャギーと出会い友人として過ごした日々も、カランコエに協力した時間も、フォールスと共にシャギーを案じていたことも、スパイクに手紙を綴った夜も、アイリスは覚えていない。サングイネア子爵家に養子に入ったのは実家の魔道具屋が希少な魔道具を仕入れた為だという記憶に代わっている。
それを寂しくないと言えば嘘になる。けれど、記憶はなくても命がある。ちゃんと生きて、笑って、そして。
「なんだか、初めて会った気がしないんですよね! シャギー様」
アイリスの言葉にシャギーは目を瞠る。
「あっ、もしかして失礼でしたか?」
眉を下げて頭を掻く。飾らない気質も、懐かしい仕草も、そこにアイリスがいることをシャギーに伝えてくれる。それで十分だった。
「ううん、嬉しい」
シャギーが微笑むと、アイリスの笑顔も花開くように喜びを示す。
失ったのなら、また積み重ねていけばいい。
◆
ヴィーナスは“西の砦”と呼ばれる辺境の地、イフェイオン・パルビフローラで祈っていた。
もう聖女ではない。ヴィーナスにその称号を与えたカルミア教は形だけはまだ残しているが、ヒッポリテ大司教も、教皇ロサ・ガリカ・オフィキナリスも、彼らの忠実な部下も、もう居ない。誰も、ヴィーナスを聖女とは呼ばない。
ヴィーナスの罪は教会の指示のもとに行われたとして、極刑を免れた。もちろん無罪放免とはならない。罪人として監視をつけられた上で、この“西の砦”で治癒師の働きを課せられたのだ。それが良かったのか、悪かったのか、ヴィーナスにはまだわからない。前世で死んだ時のように、いっそここですっぱりと生涯を終えてニューゲームを始められないかと、甘い考えに逃げたくなることもある。
「ヴィーナス・フライトラップ! 怪我人だ」
伝令の兵士に呼ばれてヴィーナスは怪我人のもとへと向かう。パルビフローラは隣接する連合王国との間に度々紛争が起こる地帯である。境界の森が近く、魔物が湧いて対処することも多い。ゲームの中では、ヒロインがカランコエとともに隣国へ抜けたルートに程近い場所。こんな危険な森を、非戦闘員二人で抜けられるはずもない。ヴィーナスがヒロインであったなら絶対にやらない。現実はゲームではないのだと、もう知っている。
ヴィーナスは今日を生き、夜に感謝し、明日に祈る。ただ、新しく始まる毎日の一瞬を、息の根が止まるその時まで精一杯生きるのだと決めている。
魔物の襲撃を告げる警戒の鐘が砦に響く。遠く獣の鳴き声がする。風が血の匂いを運んでくる。恐れに震える足を、一歩一歩と、怪我人のもとまで運んでいく。
◆
「お願いします」
「ダメ! まだ早い! 手が早いだけじゃなく気も早いなキミは!?」
シャギーが領地のソルジャー邸に戻ると、客間でスパイクがアクイレギアに頭を下げていた。春の間シャギーがソルジャー領に滞在しているので、スパイクもまたロルフ・フィードラーを訪れている。
ソルジャー家の離反が白紙になったことで、何だかんだありつつもシャギーとカランコエは王立学園に戻った。日本とよく似た学期制度を持つこの不思議な星では、学園は今、春休みなのだ。その休暇を利用しての里帰りである。
「結婚はシャギーが学園を卒業してから!」
「そんなのまだ2年もあるじゃないですか……!」
腕を組んだアクイレギアがツンと横を向いて宣言する。スパイクが眉間に皺を寄せて唸ると、救いを求める目でシャギーを見た。
驚くべきことに、スパイクはウィンター・ヘイゼルに戻った。
公爵家当主として。
ウィンター・ヘイゼル公爵はもともと教皇派と呼べるほど教会に近しい家ではなかった。ヴィーナスが現れてからは女神の欠片の血を欲したが、表立っての動きはない。処刑場での戦争で教会側についたのも長男フィルバートの独断だとされた。それでも、その長男が戦死したとあっては教会に与した責任は当主が被ることになる。
現当主と長男を失った家門を存続させるのかという議論は当然あった。しかし、長く続いてきた公爵家を取り潰しにすることもまた簡単ではない。ましてウィンター・ヘイゼルは王家に連なる血筋でもある。
結果として、領地の半分を王家に寄進させた上で公爵家を残し、スパイクを当主に据えることになった。次男はという話にもなるが、とうに公爵家から出奔しており行方もわからないという。ただ、学園時代や社交界での振る舞いを見るに当主の資質という面では非常に疑問のある人物なため、密かに始末された可能性も否めない。いずれにしても、真実は決して表には出てこないだろう。
スパイクは学園を辞めた。結局、ともに学園に通うというシャギーの密かな夢はほとんど実現しなかったことになる。だが、日々を無為に過ごしていた頃を思えば、若き公爵として必死に領地の管理を学び、努める今の方がずっと幸せそうだとシャギーは思う。
「愛されてるなあ」
アクイレギアに食い下がる婚約者を眺めながら、しみじみとシャギーが呟く。なぜそんな他人事? とスパイクが恨みがましい視線をシャギーに向ける。将来は義父となるアクイレギアも、さすがに同情のこもった目でスパイクを見た。
「娘がなんかその……ごめんね」
最終的には肩を抱いたアクイレギアに慰められ、背を丸めて部屋を後にするスパイク。その頭部に、シャギーは垂れ下がった犬耳の幻影を見た。
愛されているなあとシャギーは再び思い、頬を緩める。そして同時に、愛しているなあとも。それは揺るぎない確信で、この土地を、この王国を、この世界を、星を、シャギーは心から愛おしいと思っている。
どこにでも愛はある。
かつて、地球という星の片隅で、菊子という少女は必死に生きていた。自分の人生を「持ってない」と嘆きながら、その中で最大限を目指して生きていた。だけどそうではなかったのだなと、シャギーとしての人生を歩みながらふと思う。
本当はすべて、持っていた。
それが「足りない」と決めたのは自分で、あの狭く古く不自由な家には全部があった。家族がいて、笑い声があって、喧嘩相手が居て、事件があって。本当は、菊子が望むすべては最初からすべて揃っていた。あの掃き溜めに、愛はいつでもあったのだ。
それが、嬉しい。そのことに気付けた自分を誇りたいくらいには。
公爵として忙しいスパイクは、明日には領地へと戻る予定だ。急いで旅の荷物をまとめなくてはと、シャギーは弾む足取りで自室へと向かう。
ウィンター・ヘイゼル領には“遺跡の街”と呼ばれる古都が存在する。街の歴史も古いが、街の周辺の荒野には古代の遺跡が点在しているのだ。密かな歴史好きのシャギーにとってはいつか訪れてみたかった場所である。着いて行かない手はなかった。
娘が婚約者に同行する気満々で居ることを、父はまだ知らない。知っていたら行かせない。何せ二人旅、そして父親の目の届かない場所でのお泊まり。
翌日のソルジャー邸ではきっと、アクイレギアの悲鳴が響き渡ることになるだろう。
【植物メモ】
和名:ハナニラ[花韮]
英名:スプリング・スター・フラワー[Spring star flower]
学名:イフェイオン・ユニフローラム[Ipheion uniflorum]
ネギ科/ハナニラ属
完結できたのはみなさまのおかげです。
読んでくださり、本当にありがとうございました!




