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67.愛の花 Agapanthus africanus





「な……」


 スパイクの中の獣が目を見開く。シャギーがスパイクにした乱暴すぎるキス。それが、女神の力を得たシャギーにできるすべてだった。

 スパイクは獣に意識を喰われていたのではない。息を潜めて、自分の身体から獣が出られないように、その意識を肉体に縛り付けていた。


 女神の意識がスパイクの身体へと流れ込み、獣の意識と混ざってシャギーの中へも入り込む。入り込んでくる光に焼かれても獣は逃げられなかった。スパイクの意識がそれを許さなかったから。


 深く、深く口付ける間に、シャギーがスパイクの目を見て笑う。ちゃんとスパイクの色だった。獣の意識に紛れて、きちんと正気を保って、シャギーを助けてくれていた。見つめ合う二人のその奥で、女神と獣が視線を合わせる。





「どこだ、ミオソティス」


 かつてシャギーとスパイクが訪れた白い空間で、獣は一人立ち尽くしていた。トゲに覆われた醜い姿を見下ろして、周囲を見渡す。女神の引き込んだ空間に、女神は居ない。代わりにいつの間にか人間の娘が立っていた。


「神を喰ったのか? 娘よ」


 獣は娘──シャギーに問う。シャギーは否定を表すように、左右に軽く首を振った。


「祈っただけ」


 シャギーは言う。視覚的な儀式として、女神を殺してその結晶を口にした。けれど実際にシャギーがした行為は“思い出し、祈る”それだけだ。女神の意識は消えたりはしない。覚えている人間が居て、祈りが存在する限り、獣と対となりこの世界のバランスを保つ存在として在り続ける。


 けれど獣という存在が消えれば女神もまた不要となり消滅する。世界のバランスが保てなくなってしまうから。だから。


 唐突に、獣の胸から剣が生えた。


「お前が我を喰らうのか」


 獣は振り返る。背後から剣を突き立てたのはスパイクだった。スパイクもまた、獣の問いに首を横に振る。


「原初の存在に戻すだけだ」 


 獣は霧散し、黒い結晶になって転がった。スパイクがそれを拾い上げ、口にする。身体の中で憎しみの感情が膨れ上がる。殺したい、目の前の少女を、殺してしまいたいと願いながら足を踏み出す。少女は微笑んで、手を伸ばし、スパイクを抱きしめる。その瞬間に憎しみの感情は消えていた。


 何も感じない。そしてすべてを感じる。ゼロと混沌が同時に存在する空間で、神はただ神となった。女神の姿も獣の姿も持たない。ただ人々から発せられる祈りの受け皿だけが神として残る。いつしか気の遠くなる程の未来に、溢れ、再び分かたれた存在となるまで。


「スパイク」


 腕の中でシャギーが笑う。


「好きだよ」


 告げられる小さな愛。世界を救うような高尚な感情ではない。ただ目の前にある人に注げたらそれで事足りるような一雫。


「俺も」


 いつかと同じ言葉を返して、スパイクはシャギーに触れるだけのキスをした。





「結界が消えた……」


 大聖堂の外で、カランコエは声を上げた。すぐさまソルジャー騎士団を伴って聖堂内へと踏み込む。たどり着いた内陣は窓ガラスが割れ落ち、壁や柱に亀裂が走り、聖女カルミアの不朽体が腐り落ち、酷い有様だった。その様は先程の、シャギーとヴィオラセにめちゃくちゃにされた広場を彷彿とさせる。なぜ妹が駆け込む先はめちゃめちゃになるのかとカランコエは思った。


 その破壊の主たる妹は、床に転がる白髪の司教を治癒していた。スパイクがそんなシャギーの隣に寄り添っている。


「それ、殺しちゃったのか?」


 思わずそんな言葉がこぼれていた。シャギーがカランコエに気が付き、ぶんぶんと頭を振って否定する。


「俺がやっちゃったんだけど、ギリギリ治りそう」


 シャギーの代わりにスパイクが答える。お前が殺ったってなんだよ、とカランコエは思うが、証人を失わずに済みそうでひとまず胸を撫で下ろす。


「あっ! シャギー治しすぎ、立ち上がれないほど痛いけどすごく頑張ったら泣きながら歩けるかなくらいにしとかないと」

「スパイクはナチュラルに鬼畜だね」


 場の惨状に似つかわしくない気の抜けたやり取りを聞きながら、カランコエは聖堂内部に教会の関係者が居ないか捜索を始めた。勝手な動きではあるが、リナンサス王子も王立騎士団を率いてすぐにやってくるだろう。この騒動に収集をつけるべく、国王は交代となる。ソルジャー家が独立するにしろ王国に残るにしろ、新国王に協力をしておいて損はない。

 父アクイレギアがどんな脅しを使って教会の告発を為し得て、王家を動かしたのか、その辺りは追々、時間を掛けて学ぼうと思っている。





「シャギー! スパイク君!」


 ある程度まで協力してから王立騎士団に丸投げするという一通りの事後処理を終えて、カランコエはシャギーとスパイクを連れて聖堂の外に出た。二人は近い内に聴取になるだろうが、今日のところはゆっくりと休ませたいと言って連れ出したのだ。

 扉をくぐって出てきた三人のもとに叔父のフォールスが駆け寄って来る。


 カランコエからスパイクとシャギーが聖堂内に閉じ込められたと連絡は受けていたので、結界を解くべく拠点から駆けつけたのだろう。結果としては間に合わなかったが、スパイクもシャギーも無事だった。

 

「先生!」


 フォールスの姿を見て、シャギーが安心したように駆け寄る。スパイクが微かにムッとしたことにカランコエは気付いた。心が狭い。チャラチャラと浮名を流していた学園での日々が嘘のようだ。


「スパイクの身体が乗っ取られたんだけど、おかげで女神と融合させられたの。もう大丈夫だと思う」

「なるほど」

 

 フォールスは理解している風な顔をしてシャギーの意味不明な報告を聞いているが、カランコエには何のことか全くわからない。叔父もきっと内心ではわかっていないに違いない。

 きっと今夜のソルジャー家では、シャギーの話す荒唐無稽な女神の話が繰り広げられるのだろう。娘の話を信じつつもよくわからずに頭を抱えるアクイレギアの姿が目に浮かぶ。年々規格外に育っていく妹に、父と兄はいつも振り回されてきた。


 それでもカランコエは忘れたことはない。その規格外の愛に、自分が救われた日のことを。





 日々は飛ぶように過ぎ去っていく。


 カルミア教によるシャギー・ソルジャー伯爵令嬢の誘拐、監禁は衝撃を持って人々に伝えられた。その発覚の切欠となった聖女任命式での伯爵令嬢による告発を皮切りに、教会の犯してきた罪が次々と明らかになった。

 教会上位の席は軒並み空白となり、実質的な機能を失っている。王国はこれまで教会が担ってきた孤児の救済や修道院の役割を担うことに忙しく、王家はもちろん王国中の貴族が奔走させられている状況だ。


 混乱の責任を負う形で国王は退位を迫られ、王位は第一王子のリナンサスに移譲された。まだ立太子もされていなかった若い王子がいきなり国王となるには様々な障害があったが、婚約者であるアネモネ・コロナリアの生家コロナリア公爵家を始め、有力貴族が後ろ盾についたことが決め手となった。そのうちのひとつが、王国離脱を撤回したソルジャー家である。


 王家とソルジャー家が和解交渉を進める中で、ソルジャー家は伯爵位から公爵位となった。一見すればいつでも公国として独立する用意があるというソルジャー家からの脅しのようにも見えるが、当のソルジャー家の方は実は王国での爵位に興味はない。公爵など名乗らなくても独立寸前まで持っていった自力があればこそだ。むしろ立場を与えて王国に残ってほしいという王家からの懇願に、ソルジャー家が譲歩した形である。





「公爵令嬢って、ますます悪役令嬢っぽいなあ……。噛ませじゃなくて大ボスって感じ」


 シャギーは空に向かってぼやいた。季節は移ろい、冬を越えて春を迎えていた。


 シャギーが呟くこの世界にない言葉の意味を理解して、共感してくれる女の子はもう居ない。それを少し、寂しく思う。

 風が走り抜けるサングイネア子爵家の墓地で、シャギーは墓参りをしていた。紫色の小さな花を手向けたその石の下には、シャギーを心から愛してくれた女性が眠っている。




「この子も本当の家族のもとへと帰してあげなければいけないね」


 目を閉じて安らかな眠りを祈るシャギーに不意に声が掛けられる。顔を上げれば、サングイネア子爵が顔に少しの寂しさを滲ませて立っていた。

 この子──そう呼ばれた墓の主の名をシャギーは見下ろして、それから、サングイネア子爵の隣に立つ女性に向かって小さく頭を下げる。






「はじめまして!」


 まだ少女とも呼べる年齢であろう女性が、シャギーに向かって元気に声を掛けた。明るい栗色の髪が跳ねて、ブラウンの瞳が煌めく。


 墓標に手向けられた薄紫の花が風に揺れる。刻まれている名前は“ガーラント・ソルジャー”。シャギーの母親であり、サングイネア子爵の妹である女性の名前がそこにあった。





【植物メモ】


和名:ムラサキクンシラン[紫君子蘭]

英名:アフリカン・リリー[African lily]

学名:アガパンサス・アフリカヌス[Agapanthus africanus]


ムラサキクンシラン科/アガパンサス属


アガパンサスはギリシャ語のagape(愛)とanthos(花)が語源で、「愛の花」という意味がある。

次で最終回です

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