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66.Kiss me over the garden gate





 黒い魔力が爆発する。爆風に煽られてシャギーの金色の髪がぶわりと逆立った。


 イフェイオン・ピンクスター、レッドクラウン大聖堂。聖女カルミアの遺体からスパイクに乗り移った闇の獣は、その魔力を解放した。もともと豊富なスパイクの魔力に加え闇の加護とでも言うのか、獣の魔力が上乗せされている。


 シャギーは後方に跳躍して伸びてくる無数の黒い手を回避しながら、へたり込んだままのヴィオラセの襟首を掴んで闇に飲み込まれそうになっているところから救出した。


「ヴィオラセ! 手を出して!」


 掴んでいた襟元を離しポイッと放りだしながら少女が命令する。わけもわからず言われるがまま手を出した司教の手首から、精霊殺しの魔道具が取り外された。ヴィオラセは信じられないとでも言うようにシャギーを見上げる。


「枷をはめた人間にしか取り外せない仕様でしょ、それ」


 シャギーが言う。フォールスの研究室で長年助手を務めてきたシャギーは魔道具についてもある程度の知識がある。どういった機構のものなのか、自分が嵌められている間に分析することは可能だ。


「なぜ……」


 ヴィオラセが呟く。それはなぜ自分を解放するのか? という問いなのか、なぜ闇の獣の攻撃から自分を助けたのか?という問いなのか。


「どうせコレを倒すまではお前もここから逃げられない。こっちも余裕ないから自分で回避なりなんなりしてくれる?」


 シャギーがヴィオラセを解放したのは許しでも打算でもない。ただ合理的な判断だった。それでも、少女からすれば許しがたい罪を犯したヴィオラセの命は、今この瞬間だけは救われた。

 そして解放したヴィオラセに助力を請うでもなく、自分は一人、スパイク・ウィンターヘイゼルの姿をした獣と対峙する。


 シャギーが剣を構えて腰を落とす。その刀身が白い光で輝いた。それを見たスパイクもまたニヤリと口元を歪ませ、剣を構える。刀身はシャギーのものとは対象的に黒く染まっていた。


 睨み合っていた二人が同時に、無言で地を蹴る。次の瞬間には爆発のような衝撃が起こり、空中で刃を斬り合わせていた。けたたましい金属音が聖堂の内陣に反響して空気が震える。ヴィオラセは強化した両腕を顔の前に交差させ衝撃から身を護るのが精一杯で、二人の動きを目で追うことも許されない。


「スパイク!」


 シャギーが身体の持ち主に呼びかける。その声に答えたのはスパイクではなく、獣だった。


「この身体が大事なんだろう?」


 瞬間、シャギーの目に怒りが浮かぶのを見て、愉悦を滲ませて獣が嘲笑った。


「脆弱な人間の身体で女神とやり合うのは分が悪いと思っていたが、貴様も肉体を失っていたとはな! 我を封印するために使い果たしたか」


 獣を宿したスパイクの顔がシャギーの眼前に迫る。


「いじましい献身だなァ、ミオソティス?」


 名を呼ばれ、シャギーの中の女神が震えた。かつては自身だった存在。その身を分かたれてもなお半身と思ってきた存在。憎しみとして切り離された獣が存在しなければ、ミオソティスもまた人間を滅ぼすべきなのかという葛藤を抱えていたはずなのだ。


「貴様もその娘を喰らえばよかろう? 娘の意識を残したままでは分が悪かろうに」


 獣はあくまで、甘く囁く。


「うっさいわ!」


 その声を振り払うように剣を薙いだのは女神ではなくシャギーだった。刃先がスパイクの纏う黒の鎧にこすれて火花が散る。


(なんでスパイクが鎧姿なのか知らないけど、加減するのに生身より都合いいな)


 シャギーは脳裏の隅で考える。超越者たちの会話のよそで、目の前に居る恋人を無事に解放することが、正直なところの一番の願いなのだ。


 だからこそ、女神ミオソティスはシャギーの意識を生かした。


 肉体を失い、同時に感情を失ったミオソティスは、ただ“愛”という概念になった。そこには人間の基準で言う善悪の判別も存在しない。ミオソティスには人を滅ぼす獣を裁くことができない。


「グチグチ、グチグチと……! 世界を滅ぼしたいなら女神巻き込まずにテメーでやんなよ! 止めてやるから! そんでまずは…… 」


 獣に向かって叫びながら、シャギーが猛然と剣を振るう。


「その体から出ろやァ!」


 振り抜かれた剣を交わしきれず、刀身で受けとめたスパイクの身体が後方へ放り出される。剣がぶつかり合う衝撃が爆風を生んで、鎧の肩当てが弾け飛んだ。





《私を殺しなさい》


 あの日。イフェイオン・ブルースター。ソルジャー領の西の丘で、王都の処刑場以来の邂逅となった女神は、シャギーにそう言った。






 フォールスとスパイクと共に祖母から聞いた西の丘へたどり着いたのは、ソルジャー家の屋敷を出て二日目の夕刻だった。


「やっぱり、土の精霊。この土地の四方に、それぞれの精霊に加護を与える女神像があったんだ」

「この地にカルミア教が根付かなかったからこそ、民間信仰が残っていたのでしょうね」


 日が昇る東に火、最も強い風が吹き下ろされる北に風、海に面した南に水、そして日が沈む山脈の方向に土。そう祖先が考えたのかどうかはわからないが、確かに女神像は四精霊の力を宿してそこに存在した。


「スパイク」

「ああ」


 シャギーに促されて、スパイクが前に出る。二人は並んで女神像に触れた。その瞬間。


《また会えましたね》


 二人の意識は再び、あの白い空間へと連れ去られた。あの時と違うのは、女神の姿が赤、緑、青、黄色、それぞれの精霊の色の球体に囲まれていることだ。


「ソルジャー領にある像は女神様と通じる鍵なんですね?」


 シャギーの問いに、女神が微笑んで正解だと示す。


「カルミア教は女神像を、……あなたの存在を忘却させるために作られた。人があなたの意識へアクセスできなくするために。祈りを忘れ、あなたの力を奪う目的で」


《その通りです》


「女神の力を失わせたいと願ったのは、獣の因子を持つ人間なんですか?」


 スパイクが女神に訊ねる。かつて地上のすべての人と精霊を滅ぼそうとし、女神によって封印されたという獣。その記憶の欠片を刻まれて生まれてくる獣の因子と呼ばれる人間。自らがそうであったスパイクは自分と同じような存在がカルミア教の創設に関わったのではないかと考えていた。


《いいえ。獣の因子を持つだけでは私の存在に気付くことはありません》


「では……」


《封印が解かれたのか、封印を逃れた一部があったのか。あなた達が抗っているのは獣そのものでしょう》


 シャギーとスパイクは息を呑んで顔を見合わせた。獣の望みは人類と精霊を滅ぼすこと。つまりはカルミア強を使って最終的に為したいことはこの世界を終わらせること。


《この世界を救って欲しいのです。──そのために私を殺しなさい》


 女神は言った。


《五千年前、獣を封印する際に私は肉体を失いました。今の私は意識だけをこの空間に留めているだけの存在です》

「この空間て……」

《宇宙の片隅、次元と次元の間隙です》

「なるほど」


 なるほどわからん。シャギーは思った。隣で涼しい顔をしているスパイクも絶対にわかっていないに違いない。


《肉体を失った時、私は感情を失いました。人類は愛しい。この世界は愛しい。けれど、獣を封じたときのように絶対の決意を持って守ることはもうできない。獣もまた、私の半身なのですから》


《だからこそ、私はこの意識の持つ光の力をあなたに託します、シャギー》

「う、えっ!?」


 突然の託す宣言に、シャギーは狼狽えた。この世界を守ってと女神は言った。女神の力を与えられたシャギーは獣と戦ってこの世界を守ることになるのだろうか。唐突なビッグスケールに心を乱すシャギーの手に、スパイクが触れる。


「やめよ、危ない」


 スパイクは何てことのないように言い切った。


「この世界が滅びるとして、それをシャギーが背負うことなんてないでしょ。滅びるならその瞬間まで一緒に居るだけだよ」


 ぽかん、とシャギーは口を開けた。何ということだろう。世界を救う力を与えると言われて、その責任から逃げるなんて発想があるのかと。その根底にあるのは、ただ大事な存在──シャギーを危険な目に遭わせたくない、重荷を背負わせたくないというだけの感情だ。ちっぽけで、平凡で。


 だけど、立派な愛だ。


 シャギーは吹き出した。この世界を救いたいと言い、しかしその世界を滅ぼす存在も自分自身なのだと言い、傍観に立つ女神の話は難しい。

 だけどスパイクの話はよくわかった。だからこそ女神がシャギーに託したいのだということも。人間のスケールでしか語れない愛もあるのだ。そのちっぽけな愛の延長で世界を救ってもいいじゃないか。


「やります、女神様」

「シャギー!」


 だってこの世界をシャギーは好きなのだ。矮小でくだらなくて、小さな一喜一憂に溢れたこの世界の日常をその内に終わるのだという気持ちで過ごしたくない。前世の弟や妹のような幼い子どもたちにも、この地上に溢れる愛を目一杯味わってほしいのだ。


「あなたを殺してその力を得るには、どうしたらいいの?」


 シャギーは女神に訊ねる。女神は満足げに笑った。感情はない存在なのだと言っていたが、慈愛とは感情を超えた根源的なエネルギーなのかもしれない。


 シャギーの手に、光る剣が浮き上がる。何も無い空間から顕れたそれで何を為すのか、説明されなくてもわかった。形や形式は何でも良いのだ。行動にする際にわかりやすい方法が示されるだけで、剣はただの鍵であり殺すという様式でしかない。


 足を踏み出して、女神の心臓に剣を突き立てる。女神は光となって霧散し、一粒の透明な水晶へとなって転がった。拾い上げてぱくりと飲み込む。






 その瞬間、シャギーとスパイクは夕陽に染まる西の丘へと戻っていた。女神像の前ではフォールスが目を丸くしている。


「もしかして今、行ってきた(・・・・・)んですか?」

「はい」


 シャギーはフォールスに微笑む。その隣でスパイクがため息を溢した。





 カツン、と、硬質な靴音がレッドクラウン大聖堂に響く。吹き飛ばされたスパイクにシャギーが歩み寄るヒールの音。


「調子に乗るなよ……」


 スパイクは身を起こして、嘲笑を浮かべていた顔を憎々しげに歪める。


「お前に我を殺すことはできんぞ。この身体がくたばれば捨てるだけだからな」

「どうだろ、そうかな?」


 吐き捨てるように言う獣に向かって、シャギーは剣を構えて立つ。その背中に光の魔力が羽根のように広がる。


 黒い疾風がシャギーを襲った。反射的に剣で防いだシャギーの目が、剣を繰り出すスパイクの姿をかろうじて捉える。先程までは加減していたのだということがよく分かる、それほどの威力と速さで繰り出される黒い刃。

 何合となく切り結ばれる、叫び声のようにけたたましい金属音だけがドーム状の空間に響き渡る。シャギーでは致命傷を避けるだけで精一杯で、なるほど、シャギーの意識を残したままでは分が悪いと獣が言ったその意味を身を持って知る。


 黒の魔力に裂かれて、光の魔力が周囲に散る。純白の衣装があちこち裂けて血をにじませる。


「人の身で随分と粘るな、だが」


 一際重い斬撃を受け流しきれず、シャギーがよろめく。獣が笑った。


「小娘ともども死ね! 女神よ!」


 振りかぶったその剣の軌道はギリギリ見えてはいた。だが、回避することはできない。シャギーは膝をつきそうになる足を踏ん張るだけでその先の動作が間に合わないことを悟った。しかし、肉を断つ衝撃はやって来なかった。


「貴様……」

「ヴィオラセ!」


 思わずシャギーが叫ぶ。スパイクの腰に、背後からヴィオラセが絡みついている。しかしそれも獣の動きを一瞬止めただけに過ぎない。煩わしそうに振り下ろされた黒い刃によって、司教の身体は呆気なく倒れた。


「聖女さま、やみのけものを……」


 血を吐きながらの言葉に、最後までそれかとシャギーは遣る瀬ない気持ちになる。しかし、何が理由であろうと、ヴィオラセの捨て身の抵抗によって獣に一瞬の隙ができた。この戦況で、その事実がひとつあれば十分だった。


「オラァァッ!」


 シャギーはスパイクに向かって剣を投げた。それを躱す一瞬の間に懐へ飛び込んで、鎧の襟首にある革ベルトを掴む。思い切り息を吸って、叫ぶ。


「くらいやがれ!」


 引き寄せた顔を間近に見る。見開かれた琥珀の瞳には、紅葉が散る。シャギーが愛する、スパイクの色。


 紅葉の森を目に映しながら、シャギーはスパイクの唇に食らいついた。 







【植物メモ】


和名:オオケタデ[大毛蓼]

英名:キス・ミー・オーバー・ザ・ガーデンゲート[Kiss me over the garden gate]

学名:ペルシカリア・オリエンタリス[Persicaria orientalis]


タデ科/イヌタデ属

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