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63.欺く Cirsium





「今ここで、教会の罪を告発します!」


 きっぱりと言いきったシャギーの瞳には力が溢れて、きらめいている。先程までのふわふわと頼りない気配は消え失せて真っ直ぐに教皇を睨みつけた。


「私が手に持つこの、聖女の宝珠。これは贖人の心臓が結晶化したものです」


 ザワザワと民衆がざわめく。まさかそこまで知られているとは思わなかったのか、教皇が絶句したまま立ち尽くした。


「い、一体何を──」

「そもそも! 贖人とは! 魔力の発現前に教会によって意図的に魔力障害を引き起こされた人々です。今からでも正しく治療を行えば命を延ばすことができる! 私の師匠フォールス・バインドウィードはその研究を教会に知られ、処刑を言い渡されました!」


 ひと息に言い切ってシャギーは肩で息をする。ざわめいていた民衆はその剣幕とあまりの内容に静まり返っていた。


「聖女を……いいや、シャギー・ソルジャーを拘束せよ! この女は悪魔に取り憑かれた! すべてはでたらめだ!!」


 衝撃からようやく口をきけるまでに気を取り直した教皇が怒りに顔を赤く染めて怒鳴る。すぐに壇上の聖騎士団が少女を取り囲むが、シャギーは手にしていた聖女の杖を軽やかに操りあっという間に全員を昏倒させた。

 聖女の杖は儀式に使われる神聖な宝具である。振り回して良いものではない。ましてや棒術のように人を伸して良いものでは決してない。不信心がすぎる行為に教皇は怒りのあまり気絶寸前であった。しかし、シャギーの背後に現れた人物を見てどうにか気を保つ。


「ヴィオラセ」


 シャギーは背後から伸びてきた手を杖で跳ね返し、振り向きざまに裏拳を見舞う。頬に一撃を受けながらもその人物は体を引くこともなく踏みとどまっていた。至近距離で、シャギーの若葉色の瞳と赤紫の目がかち合う。


「すっかり騙されましたよ」


 薄ら笑いを浮かべて胸元に伸びた手が一瞬で氷に包まれる。凍りついたヴィオラセの指先から滑り落ちたのは精霊殺しの魔術具であった。カランカランと音を立てて黄金の腕輪が転がる。


「そうそう同じ手を食らうわけにはいかないっつの!」


 氷結の水魔法を放ったシャギーが間髪入れずに杖を振り下ろす。それをひらりと躱すヴィオラセの腕の氷が一瞬で砕けた。やはりかなりの遣い手だとわかる。


 突如として始まった聖女の大立ち回りに、集まった人々は何が起きているのかもわからず食い入るようにそれを見た。戦闘が始まってから拡声魔法が使われていないため、何やら聖職者と会話している声は聞こえない。しかし飾り立てられたシャギーは聖女として申し分なく美しく、そんな可憐な少女を屈強な男たちが取り押さえようとしている様は、あまりに教会にとって分が悪い構図となってしまっている。


 それを教皇も、そしてヴィオラセも気付いているのか、全力を出し切ることもできずシャギーを牽制するような動きしかできない。


「なぜ、夢見の草が効いていないのです?」

「ユメミノクサ……ああ、あのお茶のこと?」


 シャギーを拘束しようと地面から岩盤が突き立つ。それを一瞬の魔法で相殺しながら、シャギーがヴィオラセの問いに思考を巡らせた。まさか学園で流行っていた麻薬の出どころまで教会だったとはシャギーも驚いた。ゲームの表面だけではわからないものである。


「教会が闇魔法に明るくないのは本当なんだね」

「獣の因子でしょう? 穢らわしい魔法です」


「そんな因子無くたって闇魔法は使えるよ」


 シャギーは後方へ跳んで距離を取ると、指先に黒い魔力をまとわせて見せる。


「な……っ」


 ヴィオラセが言葉を失う。


「闇魔法には精霊殺しが効きにくい」


 どちらも精霊を消失させるという同じ性質を持つからなのか、精霊殺しが封印された獣の化石であるゆえになのか。獣の因子である闇魔法は獣の化石である精霊殺しに触れていても弱々しくはあるが構築可能なのだ。


「そして、闇魔法には解毒の魔術式がある」


 フォールスを交えて闇魔法を四元素の精霊魔法で再現していく過程で、スパイクから教えてもらったことだ。だからこそ、お茶会でシャギーの代わりに毒を摂取したスパイクは無事だった。意識不明を装ってウィンター・ヘイゼル公爵家を欺き、あの戦場に駆けつけることができたのだ。


「お茶をたくさんゴチソウサマ。ちょっと私の舌には合わなかったけど」


 シャギーは突き出した手のひらにまとわせていた黒い魔力を消して、ひらひらと振ってみせた。ヴィオラセは呆然とそれを眺めた後、唐突に腰を折って笑い始めた。


「クッククッ……」


 確かに、すっかり騙された側としては笑うしかないよねと、しかしこの場でそれはどうなんだと戸惑うシャギーの前で、笑い声は次第に大きくなる。そうだ教皇はとそちらを振り向こうとしたシャギーの耳元で風が唸りを上げた。


「そうだ……! その悪魔を殺せヴィオラセ!」


 耳元を掠めたのはヴィオラセの鞭であった。教皇はもはや取り繕うこともできないほど怒り狂っているのか、へたり込んだまま殺せと呻くばかりだ。そして怒りに支配されているのはシャギーと対峙するヴィオラセもまた同様であった。


「カルミア様を謀ったなこの薄汚い獣女がァァ!!」


 白髪を振り乱して、憎悪に顔を歪めたヴィオラセから息も吐かせぬほどの速さで重い鞭が繰り出される。シャギーも応戦するが使い慣れない杖では分が悪い。身を躱す度に舞台上の装飾や床が破壊されて弾け跳んでいくことでその威力が知れた。


「シャギー!」


 じりじりと後退するシャギーの耳に、気力と勇気を奮い立たせる声が届く。絶対に聞き間違えることのないその声。


「スパイク!」


 声の方角に目線を向ければ、一振りの剣が空へと放たれた。回転しながら向かってくるそれを受け取って再びヴィオラセに対峙する。

 最後にスパイクを見たのはヴィーナスとともにロードデンドロン宮殿の窓から突き落とされた姿だ。今その姿を確認することはできなかったが、あの後、教会の手に落ちること無く無事だったと知れただけで憂いは絶たれた。


 シャギーは魔力を開放して跳んだ。手に馴染んだ剣は羽根のように軽い。振るわれる鞭がゆっくりと見えるほど、身体も感覚も研ぎ澄まされていく。ヴィオラセも魔法を駆使して襲い来る剣撃を凌ぐが、形勢は先程と逆転してじりじりと追い詰められていく。


「こんなことが……こんなことが……こんなことがッッ……!」


 ヴィオラセにとって、聖女カルミアへの信仰はすべてだった。人間の肉体を持ちながら朽ちることのない奇跡の存在。それは神以外には為し得ない神秘だ。その神の僕であるヴィオラセは選ばれた人間であり、神の意向に沿う者を選別する権利がある。この世のあらゆる“罪”や“正義”という概念は超越者の前ではただの建前に過ぎない。この世界で唯一正しいもの、それが聖女カルミアの意思なのだ。矮小な人間の物差しで測ることなど出来はしない。


 その意志を裏切り、カルミア様の神聖な庭を土足で踏み荒らす者など許せるはずもない。忌々しい闇の魔法を操って教会を欺くなどまさに獣の所業である。まして、聖女のような顔をしてカルミア様に選ばれておきながら。


「こんなッッ冒涜者に」


 それなのに。その許しがたい獣が戦う姿はこの上なく美しく、そしてヴィオラセの力が及びもしないほどに、強いのだ。


 振るう鞭が空を切る。その先に手応えはない。いつの間にか切り裂かれてボロボロになった鞭にはもう魔力を乗せることができない。拘束した夜のシャギー・ソルジャーのように、ヴィオラセは役に立たない鞭を手放して魔力を乗せた徒手で殴りかかる。その拳は相手に届くこと無く、そして。


 冷やりとした金属の感覚が手首にあった。唐突に身体が重くなり膝をつく。信じがたい思いで視線を落とした先に、精霊殺しの魔道具をつけられた、己の手を見た。


「さっき落としたでしょ? 大事なものだろうから返してあげるよ」


 天使のように涼やかな声が頭上から降ってきて、見上げた先では聖女の姿をした悪魔が笑っていた。




「その、女を、殺せぇぇぇぇ」


 膝をついたヴィオラセを見て形振り構わず教皇が叫ぶ。しかし、その声に応えて壇上のシャギーに押し寄せるはずの聖騎士団は、舞台の下に殺到するばかりでその先には進めない。


「なぜ……王立騎士団が」


 唖然と言葉を溢す教皇の視線の先、聖騎士団を阻んでいるのは王立騎士団だった。白と黒の鎧騎士たちが、ブッシュ・クローバーに次々と転がされていく。王国最強と名高い騎士が、シャギーを見上げてニヤリと笑った。


「行きまっせぇ! 殿下ァ!」


 王立騎士団と聖騎士団、押し合う固まりの中から赤く燃えるような髪の人物が飛び出す。赤い騎士はレオノティス・レオヌルス。そして、レオノティスに護られて、王立騎士団を率いる将の証であるマントを纏った青年が舞台上へとたどり着く。佇まいから高貴な気配が溢れ出ているその人物。


「どういうおつもりです? リナンサス王子殿下」


 教皇が射殺しそうなほど目を血走らせて、一国の王子を睨みつける。カルミア教会にとってイフェイオン王国など、国王など、ましてその子である王子など、恐れるほどのものでもない。


「貴殿ら教会に複数件の殺人についての告発が上がっている。それに、先程ソルジャー伯爵令嬢が告発した件についても」

「根拠のない言いがかりです」

「言いがかりかどうか、王国で取り調べに当たる必要がある」


 リナンサス王子はきっぱりと言い切って、王立騎士団へと号令を下した。


「速やかに民衆を退避させよ! 聖騎士団を制圧し、教皇並びに教会聖職者の拘束を!」


 その号令に呼応して、王立騎士団が一斉に動き出す。戸惑い、統率を失った聖騎士団が立ち尽くす中、二人の聖騎士が兜を脱いだ。一人は白銀のプレートを、一人は漆黒のプレートを纏っていたがその肩先には目立たぬように青いハナニラの印が刻まれている。その印を見た騎士たちは二人を拘束すること無く舞台へと通した。


「舞台を破壊する必要なかったね」

「それはあくまで、王立騎士団と殿下が動かなかった場合の保険だったからな」


 スパイクへの回答は表面的には平和路線。しかしカランコエはもちろん、破壊工作をするつもりでいた。そこまで王立騎士団や王家を信用してはいなかったからだ。しかし兄が思うよりも遥かに、妹のシャギーが繋いできた縁は強いものであったらしい。


「しかし」


 二人は足を踏み入れた舞台上の有り様を見た。ヴィオラセとシャギーによって床はめくれ上がり装飾は崩れ落ち、布は引き裂かれ──


「これは、破壊したも同然なんじゃ」

「──そうだな」

 

 スパイクとカランコエは、揃ってシャギーの方を見た。化粧を施され、磨き上げられたた伯爵令嬢は大層美しい。王立騎士団の騎士たちに混じって、教皇と司教を縛り上げていなければ。


「シャギ……」


 カランコエが妹に向かって声を掛けようとした瞬間、隣のスパイクが駆け出した。


「シャギー!」


 警告を発する声にシャギーが顔を上げる。同時に、シャギーに背を向けていた教皇の頭がぐるりと上を向き、がぱりと大きく口を開けた。


「──ッッ、」


 息を呑んだのは、その口から闇色の靄が溢れ出したからだ。シャギーやスパイク以外の人間にもそれは見えて居るのか、人々がどよめく。


「教皇様?」


 茫然とするヴィオラセの前で、がっしりとした体格だった教皇の体が萎んでゆく。まるで、口から湧き出る靄によってその体型が保たれていたかのように。やがて枯れ木のような老人となった教皇はがっくりと倒れ伏した。


「すぐに教皇を医師のもとへ! 証言を取るまで死なせるな!」


 リナンサスが叫び、拘束されたまま教皇が運ばれていく。シャギーはそれを耳に入れながらも、視線は目の前に漂う闇に釘付けになっていた。ゆらゆらと頼りなく漂っていた靄がやがてトカゲのような形に凝縮されていく。


「闇の獣……」


 その姿を見て、呟いたのはヴィオラセだった。教会の書庫で、かつて聖女カルミアが封じた獣として絵に残されていた姿。今、教皇から出て来た靄は、まさしくその獣の姿となりつつあった。


 トカゲのような形をしているが成人ほどの大きさを持ち、全身から棘のようなものが生え、背には蝙蝠に似た羽がある。ヴィオラセが闇の獣と呼んだそれはバサリと羽を震わせて、聖堂へと飛び去ってゆく。羽を広げた刹那にシャギーを見たその目は、見覚えのある琥珀色をしていた。


「スパイク!」


 シャギーの呼び掛けに、スパイクは何を言われずとも理解した。二人して聖堂へと足を向け、駆け出す。


 ひとつだけ、スパイクに予想できなかったことがあるとするならば。


「ヴィオラセ!」


 シャギーが拘束されたヴィオラセの腕を掴んで走り出したことだ。


「自分が何を崇めていたのか、その目で確かめるといい」


 もはや抵抗する気力もなく、引きずられるように連行される白髪の司教にシャギーが鋭く言い放った。

 




【植物メモ】


和名:アザミ[薊]/トゲクサ[刺草]


キク科アザミ属の総称。和名のアザミは欺く、浅む(傷つける、驚き呆れる)に由来する

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