54.精霊花 Lythrum anceps
ロルフ・フィードラーにはカルミア教の教会がない。王都で生まれ育ったシャギーはそのことを初めて知った。領地には幾度か訪れていたが関心が薄かったため気にしたこともなかったのだ。
「お祖父様を見ればさもありなんと言った感じだが、そういう土地柄なんだろうな。父上の代になってからは幾度か建設計画が持ち込まれたらしいが、他国からの侵攻に対応するのが忙しくて進んでいなかったと聞いた」
幼少期に洗礼を受けた兄のカランコエはその辺りの事情も知っていたらしい。他国との交戦に忙しいロルフ・フィードラーだからこそ教会の影響が及んでいなかったというのが、何とも皮肉だ。
もっとも、領地がそんな状況だからこそ、ソルジャー家はより一層「不信心」として教会からの反発を招いていたのかもしれない。
追撃を振り切って領地まで帰還したソルジャー騎士団だったが、心休まる日々にはまだほど遠い。何せ国と、国で最大の勢力を持つ団体に喧嘩を売っているのだ。領界には厳重な防衛戦が敷かれ、日夜警戒が続けられている。カランコエとシャギーの兄妹も屋敷に落ち着くことなく、毎日あれこれと動き回っていた。
今二人が居るのは新設する砦の建設予定地だ。カランコエの目的は周辺状況の視察で、シャギーはその護衛として同行している。
地図を広げて地形の変化や近隣施設の確認をする中で、領地に教会が存在しないことを知ったのだ。
「じゃあ10歳を迎えた領民の魔力測定はどうしてるんですか?」
シャギーが素朴な疑問に首を傾げる。
「年に一回、カルミア教会から測定員が派遣されてくるのですよ」
「先生!」
その疑問に答えたのは、兄妹の休憩する天幕に顔を出したフォールスであった。
「もう歩き回ってて平気なんですか?」
「もともとそれほど酷い衰弱は無いんですよ。牢の中でもできる限り気をつけていましたから」
一瞬、尋問の合間に牢の中でスクワットするフォールスの姿が浮かび、シャギーは頭を振ってその想像を追いやった。似合わなすぎる。
「今日はどうしてここに?」
カランコエがフォールスに訊ねる。
「ああ、視察が終わったら少しシャギーを借りたくてね。カランコエにお伺いを」
「それなら今からでも構いませんよ。もともと護衛の数は足りている」
カランコエの許可を得て、シャギーはフォールスとともに行くことにした。
天幕を出ると、フォールスが乗ってきたであろう馬の隣に騎乗したままのスパイクが居た。シャギーの顔を見て微かに口もとを綻ばせる。王都を発って以来目にするようになったスパイクの柔らかくて自然な表情。シャギーはそれに未だ慣れずにいる。見る度に心臓の奥がもぞもぞするのだ。
「先生を護衛して来てくれたの?」
シャギーの問いにスパイクは、そう、と短く答える。無口か。
ゲームの中ではレオノティスが寡黙キャラで、スパイクといえばチャラついたセリフをスラスラ口する難破キャラだった。ところが実物を深堀りしてみると、レオノティスは訛りを隠していただけで、スパイクはチャラ男を装っていただけ。
何事も知ろうとしなければわからないものだなあとシャギーは思った。
「シャギーにもですが、スパイク君にも見てもらいたかったんですよ。領地のことで少し思い出したことがありまして」
王立学園に入学するまでは領地で過ごしていたというフォールスが言う。ここからそう離れてはいないというその場所へ、シャギーとスパイクは案内されるまま向かった。
◆
そこは一見、ただ草生しただけの土地だった。
「神殿……?」
しかし腰近くまで生い茂る草を分け入った先には、そこかしこに建造物の名残と思われる石の土台が点在している。
かろうじて形を残している崩れたアーチ、あるべき高さの半分ほどしかない回廊の柱列、草木や風雨に侵食され散らばる床のタイル。そしてそれらを通り過ぎた先に、小さな石の祭壇がまるで墓標のようにひっそりと立っていた。
屋根は朽ち落ちて捧げ物を置く台座は苔に覆われているが、後背の壁に立つ彫刻は在りし日の姿を留めていた。
「──女神の石像」
スパイクが呟く。
それは、ロルフ・フィードラーに暮らす者ならば馴染みのある像の姿であった。港町の広場にはいつ誰が建てたのか定かではない女神像が立っている。しかし、その場所を訪れたことのないスパイクが目の前にある石像を女神だと言うことができるその理由。それはシャギーとともに、実物と“会った”からだ。
「子供のころに迷い込んだときは、さほど重要なものだとは思いませんでした。港町にある石像もそうですが、信仰的な建造物ではなくただのモニュメントだと思っていたんです」
スパイクの隣に立ち、石像を見上げてフォールスが言う。シャギーはそれを聞きながら、女神像の周囲に風の精霊が集い踊るのを見ていた。
「どうしてこんなに風の精霊が多いのかな」
「確かに」
「そうなんですか? 私には見ることができませんが」
シャギーの呟きにフォールスが興味を示す。風の精霊が集うという言葉に同意を示したのは、同じく精霊を見ることができるスパイク。
「女神は四つの精霊すべてを祝福する存在……」
二人の言葉に、フォールスが顎先に指を立てて考え込む。
「シャギー、最後に港の広場に行ったのはいつですか?」
「えっ? えーと……」
唐突な師の質問に、シャギーは記憶を辿る。8歳、いや9歳だろうか。それ以降は修行に忙しくて領地に行くことが少なかった上に、訪れても港までは行くことがなかった。気がする。苦心して思い出しながらそれをフォールスに告げる。
「では、精霊が見えるようになってからは女神像を見ていないのですね?」
フォールスの問いにシャギーとスパイクがハッとする。
もしもロルフ・フィードラーが原初の女神信仰を残す地で、女神の力を宿す象徴として建てられた像や神殿が他にもあるならば、それは四つの精霊を祝福するものであるはずだ。
「まずは明日、港の女神像に行ってみましょう」
◆
サングイネア子爵領でアイリスは手紙を書いていた。フォールスから託された不可視のインクで、この文字を読むことのできる相手に向けて。
やがて手紙を書き終えて、丁寧にたたみ封をする。この手紙が届いたら。きっともう自分はあの大切な友人に会うことはできない。けれどもう、引き返すことはできない。決断したのは自分で、道はもう分かたれてしまったのだから。
大好きな子を裏切るのは苦しい。きっとすごく悲しむだろうなと自惚れる。だってずっと一緒に居たのだから、離れたらさびしい。
「許してね」
どんな困難にも曇らない若葉色の瞳を思い描いて、アイリスは小さく呟いた。
◆
「ところで先生、その、お母様の遺体は一体どこに?」
神殿の遺跡から屋敷へと戻る道すがら、シャギーは思い出したことをフォールスに訊ねる。ずっとそれどころではなかった為、フォールスが拘束される原因となった嫌疑について聞き逃していた。
「ああ、兄上には知らせたのですが、サングイネア子爵家の墓地に」
「えっ?」
サングイネア子爵家は、ガーラントの生家だ。
「時が来て、贖人と聖女の宝珠について教会を告発することができたらソルジャー家の墓地に戻すつもりでした。ガーラントの遺体をこれ以上、教会の知る場所に置いておきたくなかった」
そう告げるフォールスは苦しそうだった。魔力障害に関わるフォールスの研究の発端はシャギーの母ガーラントの死に起因している。大切な人をみすみす死なせた悔しさと憎しみがその根底にはあったのだ。時が経ちそれらの感情の多くは昇華されたのだろうが、根底にある教会への不信を完全には消し去れなかったのだろう。
「魔力障害の魔獣の心臓から聖女の宝珠の出どころへと思い至ったのはシャギーと同じです。ガーランドが亡くなって十年以上、遺体からその痕跡を探れる可能性は低いと思いました。それでも」
それでも確かめずには居られなかったのだと、フォールスは言う。
「ガーラントの棺には、一度開けられた形跡がありました」
初恋とも呼べぬ、自覚もせぬ内に終わった兄の恋人への思い。周囲の人間すべてに愛されていたその女性との最後の別れ。フォールスは閉じられる前の棺に小さな加護をしのばせたのだ。天国でその棺が開いたら羽ばたくように仕組まれた、土魔法を使った宝石の蝶。
フォールスが棺の蓋を開けたとき、蝶は飛ばなかった。
「同じ場所に戻して再び教会の人間に触れられたらと、そう考えると」
フォールスはガーラントの遺骨を運び出し、密かにサングイネア子爵領へ向かった。そして墓地の片隅にかりそめの埋葬を行ったのだ。
「お母様の棺が空になってしまったことで……ソルジャー家の墓地に侵入したことを知られてしまったんですか?」
「ええ。教会にはもともと目をつけられていたんでしょう。研究所内で監視の目を感じる瞬間もありました。それでも実行したのは……どこかで、教会に言ってやりたかったのかもしれませんね。お前たちの所業は知っていると」
シャギーとフォールスはそこで会話を止めた。しばしの沈黙が流れる。
馬を並べて歩む師弟。わずかに遅れてその後ろを行くスパイクはフォールスの告白を聞きながら、唯唯諾諾と拘束されたその気持がどこかわかる気がした。ささやかな抵抗。自分の死と引き換えにした無言の抗議。シャギーという、後を託せる人間がいたからこその。
そう考えて、神妙な顔で黙り込んでしまったシャギーを見る。彼女にはきっと、師の心境に納得することは難しいだろう。それはある種の諦めだからだ。シャギーと最も遠い場所にある概念、それが諦めだ。
「サングイネア子爵領といえば今日アイリス君から小包が来てましたよ、私宛に」
ついでのように話すフォールスの言葉に、シャギーが驚いて顔を上げる。
「彼女に渡していた不可視インクでした。貴重なものだからこれ以上自分が持ってるのは危険だって」
「危険、ですか……」
「確かに不用意に扱えるものではないですしね。メッセンジャーとしての役割は果たし終えたということでしょうか」
何気ないフォールスの言葉。しかしシャギーにとって、それはこのところくすぶっていた違和感に火を付けるものだった。取り越し苦労であれば良いが、嫌な予感が止まらない。
「……シャギー?」
馬の脚を止めたシャギーを、フォールスが怪訝な顔で振り返る。
「先生、私、行かなきゃです」
「今すぐですか? 一体どこへ?」
「──サングイネア子爵家に」
◆
護衛もつけずに、シャギーは馬を走らせる。スパイクは何も言わずそれを追う。フォールスは二人を止めず、ソルジャー騎士団を追って向かわせると言ってくれた。
馬に回復をかけながら走るのは初めてだったが、躊躇はなかった。一分一秒でも早く、アイリスのもとへ行かなくてはと思った。夕陽に染まる街道を駆けて、駆けて、駆けて。やがて完全に陽が落ちても止まれなかった。
光魔法で照らしながら闇に沈む森を抜けて、サングイネア子爵家の屋敷へたどり着いた頃、月はもう中天に来ていた。満月だ。
馬で駆け込んできたシャギーとスパイクに、見張りに立っていたサングイネアの騎士が騒然とする。周りが見えなくなっているシャギーの代わりに、スパイクがソルジャー騎士団の腕章を示す。
「アイリスを……! アイリスとご領主を呼んでください!」
シャギーが門前で叫ぶとほぼ同時に屋敷内から騒々しい気配が上がる。馬を降りたシャギーはそのまま駆け出した。
慌てる騎士を振り切って、屋敷に飛び込んで騒ぎの中心へとひたすら走る。
「アイリス!」
飛び込んだ部屋でシャギーが見たのは、寝台の傍らで叫ぶサングイネア子爵と婦人。そして、寝台に横たわる少女。
「アイリス!!」
シャギーは叫んで、寝台に取りすがった。くるくると表情の変わる茶色の瞳は閉ざされ、いつもにっかりと微笑んでいた唇は微かに開いて血を流している。
心臓の拍動も、呼吸の有無も確かめられなかった。ただひたすら、投げ出された手を握り、回復の魔法を流し込む。損傷を修復している感覚がある。
なのに、アイリスの目は開かなかった。
思い出すのは、あの戦場で二度と目を開けなかった兵士のこと。あのときと同じだ。これは。この手口は──
「アイリス、アイリス、アイリスッ……!」
体中の魔力を、動かないアイリスの体へ流し込むように抱きしめる。どうか、どうか、どうか。女神の顔が過る。何にでもいいからすがりたかった。この祈りが通じるのなら、今ここで一生分の加護を使い果たしても構わない。
サングイネア子爵家が手配した医師が到着し、シャギーがアイリスから引き剥がされる。駄目だ、普通の医者では駄目なのだ、自分でなければアイリスは癒やせない。これは人の所業ではないのだから。
伸ばした手が空を掴む。届かなくても伸ばし続ける、届かなくても名前を呼び続ける。こんなものは認められない。こんな現実に膝をつくことは到底できない。
「アイリスッ……!」
取り押さえられ、叫ぶシャギーの目の前で、扉が閉ざされた。
シャギーはその場に崩れ降りる。スパイクが隣でその体を支えるがそれに気付くこともなく、見開かれた目の焦点は定まらない。
「おかしいと、思ったの」
誰にともなくシャギーが呟く。違和感はあったのだ。アイリスはうまく隠しているつもりでも、ふとした瞬間に陰る表情や、何かを伝えたがっているかのような目線に、違和感を感じていた。
アイリスはきっと、自分が死ぬ未来を、視たのだ。
「なんで言ってくれなかったの」
そうしたら、シャギーは何に代えてもアイリスを守った。そう考えて、だからこそ自分には知らせなかったのかと思い至る。
今一番危ないのはアイリスの身だと本能的に察した。何よりも、アイリス本人が自分の死を予見している。間に合ってほしかった。本人がそれを望んでいなかったとしても。
「殺してやる」
シャギーの口から無意識に殺意がこぼれ落ちた。
「絶対に殺してやる、クソ聖女がァ……!」
シャギーの前で閉ざされていた扉が開いた。中からは憔悴した様子を隠せないサングイネア子爵が出てくる。
「君あてだ」
そう言って、きれいに畳まれた手紙を差し出す。宛先は、確かにシャギーへのものだ。だが、開いた手紙には何も書かれていない。
シャギーとスパイク以外の人間の目には。
月明かりに照らされた紙の上で精霊がきらめいていた。よく知った、丸みのある柔らかな筆跡。
書いている本人に見えないせいなのか、ところどころで途切れたり文字が重なったりしているその手紙を抱きしめてうずくまる。
声を上げて、泣いた。
【植物メモ】
和名:ショウリョウバナ[精霊花]/ミソハギ[禊萩]
学名:リスラム・アンセプス[Lythrum anceps]
ミソハギ科/ミソハギ属
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