50.ブラック・ナイトシェイド Black nightshade
「死にぞこないが……!邪魔をするか!」
攻城塔の上からスパイクの兄フィルバートが叫ぶ。隣に立つヴィーナスの魔力がぶわりと広がりシャギーへと向かうが、闇色のシールドによって弾かれ霧散した。
「スパイク、どうして……」
背後から抱きしめていたシャギーを解放し、向き合った人物は紛れもなくスパイク・ウィンターヘイゼルだった。シャギーの代わりに口にした毒で今も目覚めていないと聞いていたのに、なぜ。それにスパイクが着ている団服は──。
シャギーがそこまで考えた瞬間、後方からオオオッという地鳴りのような掛け声が上がって、新たな一団が戦場になだれ込んできた。翻る軍旗の色は赤紫。
「サングイネアの援軍だ!」
誰かが叫ぶ。それはソルジャー家の支援に駆けつけた、ガーラント・ソルジャーの生家であり、アイリスの養家であるサングイネア子爵家の参戦であった。
「この戦場に来るために、協力してもらった」
援軍の登場を確認したシャギーに、スパイクが自らの装束について説明する。もう一つの疑問、スパイクの容態が今現在どうなっているのかについては本人がここに立っていることで答え合わせとする。もしも無事にフォールスの救出が成ったのならば聞けばいいとして、シャギーは前を向き直った。攻城塔の最上段とその下の地上。上と下の位置関係は変わらず再び、正面からヴィーナスと相対する。
「ぐ、あああああッ」
その時、ヴィーナスの隣りにいたフィルバートが倒れ、悶絶した。突き出されたスパイクの右腕から伸びる闇色の魔力がフィルバートに絡みつき精霊の力を奪っているのだ。
「クソ! クソッ……! お前のような、呪われた、生まれ、の人間が、誉れある公爵家を裏切るなど……!」
生まれを拠り所に優位に立とうとする行為はひどく幼い振る舞いだ。幼少の頃のカランコエもやり場のない鬱積した感情をシャギーの出生のせいにしてぶつけてきたが、誤解があった上に分別のつかぬ年頃の話である。兄と妹はこじらせた関係性を結び直して今に至るが、ウィンターヘイゼル公爵家の兄弟はそうはいかなかったということだろう。母親のバターカップをのぞくあの家すべてがスパイクへの扱いをそう定めたのだから。
「先に約束を違えたのはそっちだ。ソルジャー家に手を出さないことがお前たちを生かしておく条件だったのに」
スパイク自身もはかつて自分の生まれに縛られていたはずだ。しかしフィルバートに応える表情にはもう迷いはない。
シャギーと別れたあの春にすべての迷いを捨てた。何を守って生きるのか、自分の生き方を定めてしまえばどれだけ呪われた出生を蔑まれても何とも思わなくなった。
スパイクの背中から黒い魔力がぶわりと湧き上がり、闇色の触手がヴィーナスにまで襲いかかる。しかし、その黒い霧は聖女の白い魔力に触れると砂のようにサラサラと砕けて消失してしまう。
「チッ」
ヴィーナスには攻撃が通じないことを悟り、スパイクが舌打ちする。
「聖女、さま、結界を、私にも……」
それを見たフィルバートが聖女に庇護を願う。しかしヴィーナスは首にかかる聖女の宝珠を握り込み、自分の守りを強くした。
「無理だってば! 結界なんてどうやるか知らないもん……! もうやだ、もう怖い、みんな居なくなってよ!」
スパイクの黒い魔力によって自分の攻撃が防がれることに動揺し、ヴィーナスがヒステリックに絶叫する。精霊は狂い、暴走を始め、聖女のやぐらを守っていたウィンターヘイゼルの兵士たちが次々と吐血して倒れていく。
「あ″あ″あ″あ″あ″ッッ……」
フィルバートも血を吐き出し、胸を掻きむしるようにして倒れ込む。四方八方へ伸びるヴィーナスの無差別な攻撃に、両陣営ともに攻城塔から距離をとって引いていく。仰向けに転がるフィルバートの視界には空が広がっていた。暗い色の雲が垂れ込めて、雨雫が幾千の糸のように自分へと落ちてくる。その空が、哀れな公爵令息が最後に瞳に映したものとなった。
取り乱し魔力を暴走させるヴィーナスを見たシャギーは、人々が聖女から離れる中ただ一人飛び出した。スパイクがその後を追う。
「私を守って!」
シャギーはスパイクにそう言うと、攻城塔の細い足場に飛び、一気に駆け上がった。その力強く迷いない姿と揺るぎない信頼にスパイクが目を細め、シャギーの周りに地上から護りの盾を展開する。
国境の森でシャギーを手放した時は、一番大切な子まで傷付けてしまう自分の力が恐ろしく、疎ましかった。人が言うように、それは正しく呪いなのだと思った。
あの時、怒りにまかせて力を振るう自分を抱きしめて、シャギーはその化け物に好きだと伝えてくれた。それは怒りを凌駕する強さでスパイクを正気に引き戻した。
あの感情を力に変えることができるなら、自分は力をコントロールして守る力に変えていけるのではないか。思い出す度に希望が胸に灯った。そうして得た力が今、シャギーの身を守る魔法となっている。
他人を守ることを考えてばかりの誰よりも強い女の子に「守って」と言ってもらえたことを、何よりも誇らしく思う。
シャギーの手が攻城塔の最上層にかかる。振り子の勢いを利用して足場を蹴り、その反動で金色の三つ編みが曇天を振り払うように空に舞う。高く跳躍したシャギーが、ついにヴィーナスの目の前に降り立った。
そしてそのまま、聖女の首筋に向かって剣を閃かせた。
ペンダントの鎖を切られ、空中に放り出された聖女の宝珠が落下してゆく。水滴を弾いてキラキラと輝いて落ちてくるそれを、地上でスパイクがキャッチした。
攻城塔の上で、力を失いへたり込むヴィーナスをシャギーが見下ろす。
「違う、こんなの違う、絶対違う……あたしはヒロインなのに、悪役令嬢に負けるなんておかしいじゃん……」
ヴィーナスが呆然と呟く。それに答えようとシャギーが口を開いた瞬間、戦場にラッパの音が響き渡った。
顔を上げたシャギーの瞳が映し出したのは、師匠フォールスの姿だった。磔刑の舞台となるやぐらの上に、フォールスを縛り付けた杭が立ち上げられたのだ。
(なんで先生が、あの場所にいるの? 処刑の時間は中天だって──)
「止まるな! シャギー」
父の声が耳に届いて、白くなりかけたシャギーの世界に色が戻ってくる。後方から単騎で駆け抜けてきたアクイレギアが、追いすがる敵兵を斬り伏せて叫んでいた。
「お嬢! 馬はここに!」
攻城塔の下でソルジャー兵がシャギーが乗っていた馬を準備している。スパイクも剣を抜き、ウィンターヘイゼルの騎士から馬を奪う。ソルジャー騎士団の動きに我に返った敵兵も立ち上がり、再び戦場が混戦へと戻された。
シャギーは座り込んだヴィーナスの隣を駆け抜け、床板を蹴った。攻城塔から飛び降りて着地すると、そのまま周囲の敵兵を切り裂いて道を開け、馬に飛び乗る。
馬を並べてきたスパイクがシャギーに聖女の宝珠を差し出してきた。それを受け取って、胸元の内ポケットにしまう。触れた瞬間に石がどくり脈打ったような気がして、母ガーラントの鼓動を思った。
「全軍で突破する!」
アクイレギアの号令に呼応して戦場の青が揺れる。馬を駆って走り出すシャギーにスパイクが並走し、その背後にソルジャー騎士団が続いた。群がる敵兵に青の騎士たちが一人、また一人とその数を減らしてゆくが、もう誰も馬を止めない。処刑の塔まで、一心に駆ける。
間に合って
間に合って
間に合って
シャギーはただひたすら祈りながら馬を駆る。
間に合って
間に合って
間に合って
フォールスの罪状が読み上げられ、聖女カルミア残したという裁きの言葉が唱えられた。
間に合って
間に合って
間に合って
フォールスの左右から処刑人の槍が持ち上げられ、首の前でクロスする。空を覆う鈍色の雲が割れ、差し込んできた陽の光に切っ先が煌めく。
──間に合わない。
その瞬間に、シャギーはありったけの魔力をフォールスの頭上にめがけて展開した。
四元素魔法による疑似光魔法の構築は、フォールスとの研究では道半ばだった。治癒までは成功していたがその他の精霊行使については未だ到達できていない。それでも、使わずにはいられなかった。目の前で大切な人の命が奪われようとしている、この気の狂いそうな状況で、自分の無力に嘆く間もなく、今の自分にできるありったけのあがきをせずにはいられなかった。叫びながら、祈るように手を伸ばす。
「ブリンディング!」
「シールド!」
シャギーが目眩ましの光魔法を唱える隣で、スパイクもまた闇魔法を発動させた。
そして、その奇跡は起きた。
光魔法の発動。闇色のシールドがフォールスを取り囲むように並ぶ、その頭上に、地上のすべての色を奪うかのような眩しい光球が浮かんだ。
その瞬間、戦場から色彩も喧騒もすべてが消えたように思えた。
「どういうこと……?」
馬に乗っていたはずのシャギーとスパイクは、何も無い白い空間に立ち尽くしていた。何も無い、は厳密に言えば違う。フォールスを囲んでいた闇魔法の盾と頭上に浮かぶ光球はそのままにそこにあった。しかしフォールスの居たはずの場所には、髪を揺らめかせて、光の衣装をまとった女性が浮かんでいる。
「女神……?」
その姿に、シャギーは見覚えがあった。ソルジャー家の領地、東の街ロルフ・フィードラーに立つ女神の石像。宙に浮かぶ女性は、その石像の姿によく似ていた。
「女神の欠片、そして獣の因子。あなたたちを待っていました」
女神の姿をした幻影は、そう言った。
【植物メモ】
和名:犬鬼灯[イヌホオズキ]
英名:ブラックナイトシェード[Black nightshade]
学名:ソラナム・ニグルム[Solanum nigrum]
ナス科/ナス属
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