46.夜会草 Moon flower 【1】
着飾った人々がさざめく大広間。天井に連なるシャンデリアの光がきらびやかな装飾に反射して、フロアはまるで昼のように明るい。
人々が遠巻きに、しかし目を離せずに人垣を作る、その中心では一組の男女が踊っている。青年はまだ若く、まだ十代ほどの年頃だろうか。柔らく波打つ髪は光を反射して金色にも銀色にも移ろい、瞳もまた、青に緑に揺らめいている。この世の美を集めて人型にしたような青年のパートナーを務めるのは。
「ずっと会いたかったの。もっとあなたとお話したかったのよ、カランコエ・トメントーサ・チョコレート・ソルジャー」
うっとりと青年を見上げればハーフアップにしたローズブロンドの髪が揺れる。胸元にきらめく赤い宝石のネックレス。それはこの国で「聖女」と呼ばれる少女、ヴィーナス・フライトラップであった。
◆
夜会の夜は、闇に紛れるにはうってつけの、爪のように細い三日月の夜だった。
首尾よく会場に潜り込んだシャギーとカランコエは目立ちすぎぬように、しかし不自然な動きにはならないように注意を払いながら、ゆるやかに人波を泳ぐ。
カランコエの美貌に気付いた婦人が近寄ればシャギーはそっと兄の傍を離れる。付かず離れず、互いの存在をしっかりと認識しながら行動していた。
「美しいご婦人、ワインはいかがですか?」
カランコエと離れたタイミングで声を掛けられたシャギーは、一瞬、自分が話し掛けられたことに気付かなかった。しかし、両手にグラスを掲げて自分の前に立つ紳士を見上げれば、にこやかに微笑む視線の先には自分しか居ない。
「あまり、酒精が強いものは……」
シャギーは正面から顔を見られぬよう俯き気味になりつつ答える。その仕草が恥じらいと見えてしまったのか、相手の紳士はますます相好を崩して言い寄る。
「ではこちらのシードルを」
給仕を呼び止めてワインの入ったグラスをひとつ押し付けると、代わりに盆に乗っていた黄金色の炭酸を取ってシャギーに差し出してくる。
あまりに固辞して目立つことは避けたい。シャギーはグラスを受け取ると微かに首を傾け、アネモネ直伝の曖昧な笑みを浮かべた。
物慣れぬ風情でありながら駆け引き巧者のような表情を見せる美少女に、男がぼうっと見とれる。ここで更に押すべきか、紳士らしく一歩引いてチャンスを伺うべきか算段を始める。と、美女の背後からすらりとした影が現れて、彼女の手からシードルのグラスをそっと取り上げる。
「あまり離れるなよ、シャ、……ロット」
「はい、お兄様」
シャギーの背後から登場した世にも美しい青年は、突然のことにぽかんと口を開けたままの紳士に「妹はまだこういった場に慣れていないもので」とやんわり微笑んで、少女の背に手を回すとスマートに連れ去っていった。後に残された男は、なんだか妖精にでも遭遇したような心地でしばらく呆然と立ち尽くしたのだった。
「ああいう手合いには果実水が飲みたいとでも言って取りに行かせて、その隙に消えろ」
「なるほど」
シャギーを連れ出したカランコエはこめかみを軽く押さえつつため息をついた。過激派の父に隠れてはいるが兄もなかなかの過保護属性持ちなのだ。
「コロナリア嬢も、なんてもの指導してくれたんだ……」
「え、ダメでした?」
「場合による。今夜はその笑顔は抑えておけ、際限なく虫を呼び寄せそうだ」
「おお……」
「なんだ?」
「お兄様の兄ばかって珍しいので」
軽口を言えば、じとりと見下ろしたカランコエにペシッと額を叩かれる。全然痛くないんだもんなあと、シャギーは扇子を広げた奥で小さく笑った。そうして、シャギーとカランコエが場が散開するダンスタイムを待つ。それが起きたのは、そのときだった。
唐突に、その茶番劇の幕は上がった。広間に設けられた舞台の上から、主催者である教皇派の貴族が声を張り上げる。
「本日お集まりいただいた皆様に、大司教様から素晴らしい発表がございます!」
教皇派の貴族に紹介されて歩み出たのは、王都にあるオスボレット大聖堂のヒッポリテ大司教。そして、その傍らに立つ少女は拘束されているはずの聖女、ヴィーナス・フライトラップだった。
少女の存在に気付いた瞬間、シャギーは手にしていた扇子を顔の前に広げ、カランコエは妹の姿を隠すようにさりげなく前に出た。ヴィーナスはシャギーに気付いた様子はなく、慈愛に満ちた笑みを浮かべゆったりと会場を見回す。
「いわれなき罪で拘束されていたヴィーナス様の無実が証明され、本日こうして解放されました」
厳かに告げられるヒッポリテの言葉に群衆からどよめきが起こる。教皇派が多く集まる夜会とあって、ざわめく声からは好意的な色が多く感じ取れる。しかしシャギーとカランコエの兄妹は揃って澄ました顔の裏で、割れ砕けるほどに奥歯を噛み締めていた。怒りに震えそうになる互いの指を少しだけ触れ合わせ、心を鎮める。
「皆様に発表するのは、ヴィーナス様が先読みの力に目覚められたということです」
高らかに告げられる聖女の御業に、人々はさらに盛り上がる。
「近く、我々カルミア教会はヴィーナス様を正式な聖女として認定致します!」
そうして、宣言された聖女の誕生に会場からは万雷の拍手が沸き起こった。ふつふつと湧き立つ怒りの感情を押し殺して、早くこの場を抜け出さねばとシャギーは思う。兄にそれを告げようと口を開けた瞬間、思いもよらぬことが起きた。
ヒッポリテに背を押され前に出たヴィーナスの手をエスコートする貴族が声を上げる。
「本日のファーストダンスは新たに誕生する聖女様と、そのご指名を受けた幸福な者に!」
そして、促されたヴィーナスが恥じらいながらも選んだのはシャギーを背にかばうように立つ、兄のカランコエであった。
『行け! シャギー』
カランコエの視線が妹に告げる。シャギーは兄の感情を慮りながらも、小さく頷いて踵を返した。人波をぬってヴィーナスとカランコエから離れていく。ごめん、とシャギーは誰にも聞こえぬ声で呟く。
遠ざかる妹の気配を背中に感じながら、カランコエはふわりと微笑んで前に出た。
その心の中では、母の死を冒涜し叔父や妹の命までも狙う教会への怒りと、その教会に脳天気な顔で担ぎ上げられている聖女とやらへの怒りが轟々と音を立てて渦巻いている。その嵐を押し隠して、カランコエは会場の誰よりも美しく笑う。
震えそうな足を支えるのは、妹シャギーと叔父フォールス、二人が無事であることへの祈りだった。
「すっと会いたかったの」
フィーナスは精緻な芸術品のようなカランコエの顔を見上げて、うっとりと囁く。夢見ていた。この青年が自分のものになることを、ずっと前から知っていた。それはヒロインに約束された未来だった。出会えたら、伝えたいことがたくさんあった
本当のあなたは殺し合うほどに妹と憎み合っていて
本当にあなたは伯爵家に捨てられて
本当のあなたは、私の愛にすがって生きるの
歪んでしまった未来で、今それを告げることは叶わない。けれど自分が聖女としての儀式を終えたらきっと伝えるのだ。自分だけが本当のあなたを知っている“本当のヒロイン”なのだと。
◆
兄のカランコエが聖女とダンスを踊り広間に人と注目を集めているせいか、王城の廊下にはほとんど人気がなかった。退屈そうに立つ見張りは広間の騒がしさに気を引かれていて、シャギーが通り過ぎても酔い覚ましに出てきた令嬢だと思われているのか、警戒もされない。
シャギーは走り出しそうになる足を諌めて、薄暗い回廊を急ぐ。庭園を横切った時、その場所に見覚えがあることに気付いた。
『シャギー・ソルジャー!!』
脳裏に蘇る“イフェ聖”のワンシーン。ゲームではここでイベントが起きる。夜会を抜け出してきたシャギーは彼女を追っていたヴィーナスと騎士レオノティスに呼び止められるのだ。
実際のヴィーナスは今、カランコエと広間に居る。ここに来るはずがない。だが、まるでストーリーを追うように、その人物は現れた。
「夜会の会場はあちらですよ、ご令嬢」
カツン、と闇夜に靴音が響く。薄暗い回廊の影から姿を現したのは、カルミア教会のカソックに身を包んだ司祭の姿だった。その顔には見覚えがある。シャギーを刺したレオノティスとヴィーナスを庇う役割でゲームに登場した司祭。
「よもやこんな場所でソルジャー家のご令嬢と出会うとは。大司教が心配されていた通りです」
なぜこの場に居ると知られたのか。シャギーは小さく舌打ちをする。アネモネに用意してもらった招待状の名前は、まったくの他人である男爵家の子息子女となっている。ヴィーナスがよりによってパートナーに指名したせいでカランコエの存在には気付かれただろうが、シャギーが夜会に出席していることは教会側には知られていないはずだ。
司祭が喋る間にも、その背後から数人の騎士が現れる。シャギーは片足を引いて身構えた。ここで捕まるわけにはいかない。膨らんだドレスのスカートに忍ばせた剣に手を掛けた時、騎士の一人が飛び出してきた。
「シャギー・ソルジャー!」
その声には聞き覚えがあった。金属の摩擦音と、受け止めた剣の向こうに見える、見知った顔。
「レオノティス……」
ここで、ストーリーと重なるのか。シャギーはクローバーのもとで共に研鑽を積んできた少年の名を愕然と呟いた。
二人が視線を合わせたのは一瞬で、そこからは息も吐かせぬ展開だった。誰も手出しができない速さと激しさで、互いに打ち込み、受け止め、受け流し、一歩も引かず引かせない攻防が続く。
いつか、ここで。この少年に殺される未来を知ってから、幾度となく合わせてきた剣は間違いなく天才のものだ。だがシャギーはその剣筋をしっかりと捉えて、互角に打ち合うことができる。積み重ねた修練の日々がそれを可能にしている。
「さすがやなぁっ!」
何合目かの打ち合いでぐっと顔を寄せたレオノティスがシャギーに囁いた。
「さすがやねんけど、早よ行けや! 何いつまでも打ち合いしとんねん!」
「え?」
激しく剣を弾き合い、互いに打ち込む二人。再び顔が近付くと、レオノティスが小声で捲し立てる。
「ええ感じの魔法で姿くらますとか何とか、姉さんなら何かあるやろ! 後は誤魔化しとくから早よ行かんかい!」
「は……」
積み重ねたのは、剣の修行だけではない。レオノティスとの関係もまた、繋いできた絆の分だけゲームとは変化している。よくよく見れば、レオノティスの背後でオロオロしているように見えた騎士たちの中にも、見知った顔がちらほらと見える。ブッシュ・クローバーの指導のもとで王立騎士団に混じっていたシャギーを知る面々。彼らの目もまた『行け!』と伝えてくる。胸に迫る思いをぐっと飲み込んで、片腕を天に向け息を吸う。
「ミスト!」
同じ、霧の魔法。だけど師であるフォールスと共に編み上げてきたその霧はゲームの中で見たものよりもずっと濃い。
「あっか〜ん! 見失ってもうた〜!」
霧の向こうで響き渡る白々しいレオノティスの言葉を聞きながら、シャギーは庭園を駆け出した。
【植物メモ】
和名:ヤカイソウ[夜会草]/ヨルガオ[夜顔]
英名:ムーン・フラワー[Moon flower]
学名:イポメア・アルバ[Ipomoea alba]
ヒルガオ科/サツマイモ属
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