45.血を流す心臓 Bleeding heart
イフェイオン王国の東の果て。王国で唯一海に面したソルジャー家の領地ロルフ・フィードラーでは、夜だというのにそこかしこに篝火が焚かれ騎士や商人たちが忙しなく立ち働いていた。港から届く積み荷が次々と降ろされ運ばれていく。
戦争のための軍備や物資が整えられる中、王都へと向かう部隊は整然と行軍を開始した。軍馬の足音が王都へ向かう街道に響き渡り、眠りを妨げられた鳥たちが一斉に森から飛び立つ。松明は燃えて、熱気をはらんだ風が吹き抜けた。
◆
粛々と戦の準備が進められるロルフ・フィードラーとは裏腹に、王都にあるソルジャー家のタウンハウスは平穏の中にあった。表向きには。
だがその実情は、当主アクイレギアの実弟フォールス・バインドウィードの身柄が教会に引き渡されることが王命により決定し、戦々恐々としていた。もはや教会との衝突は決定的になっているが、王家の身の振りによってはそちらとも敵対する可能性すらある。そして最大の問題は、フォールスの救出についてだ。
「部隊を率いて王城に入るのは最終手段でしょう」
そう言って、しとやかに紅茶を口に運ぶ若い貴婦人。黄金色に輝く髪を複雑に編み上げて、細い首をあらわにしている。微かに首を傾ければ、瞳と同じ若葉色のイヤリングがシャラリと揺れる。ふわりと裾が広がるドレスを身に纏いゆったりと椅子に座る姿は、姿勢の良さからくるものか、高位令嬢らしい優雅さを備えていた。
「それはそうだけど、だからといってシャギーを潜入させるわけにいかないよ。大事な娘を危険にさらすことを父親の僕が許すとでも?」
「潜入ではありませんわ。堂々と夜会に出席するんですのよ、お父様」
「シャギー!」
ドレスで着飾った令嬢は、淑女の立ち振舞を猛特訓中のシャギーであった。数日後に王城で開かれる夜会に出るためだ。
「最も警戒されないのは、デビュー前で顔を知られていない私です」
「シャギーみたいなキラキラしい令嬢、目立つに決まってるでしょ!」
「親ばか丸出しですわ、お父様」
「うう、娘が淑女らしい喋り方してて嬉しいはずなのに慣れなくてモゾモゾする……!父をなんて体にしてくれたんだ娘よ」
頭を抱えて苦悩する父アクイレギアの肩にそっと手を添えて、「大丈夫ですわお父様」とシャギーが囁く。
「私よりも断然目立つ顔面を広間に置いて、注目を集めてもらいますから」
そう言って兄のカランコエを指し示した。シャギーに振られた兄のカランコエがこくりと頷く。確かに息子の美貌は数メートル先からも目立つほどだ。冗談を抜きにして老若男女合わせてこの国で一番の美貌だと言える。
「まあそんな冗談はともかくとして……お父様」
シャギーがきゅっと目を吊り上げて表情を引き締める。纏う空気が冴え冴えと冷気と重量を増した。それは数々の戦場に足を踏み入れてきたアクイレギアにとって覚えのある気配だった。
こんな気を纏う敵兵には、常に最大の苦戦を強いられてきた。冷静なのに、その内側には命を投げ出すほどの激情か信念を抱え込んでいる。
シャギーから立ち上るその気配を感じて、父は娘が途方もない怒りとやるせなさを乗り越えてここに座っているのだと理解した。魔術や武術を学び始めた頃からシャギーは感情より理性を勝らせる傾向にあるが、理性をもう一段超えた、悲しいまでの静謐だった。
「冷静に考えて、一番成功させる可能性が高いのが私です」
実際、剣と魔法どちらをとってもシャギーは今のソルジャー家で最強と言って良い。物々しい雰囲気の武人が王宮に乗り込むより警戒が薄くなるという点にも一理ある。アクイレギアが反対しているのは親が子を思う感情的なものだ。それがわかっているからこそ、父は言葉を見出せない。
「先生は必ず救い出さなくてはなりません」
シャギーは真っ直ぐ、揺らぐことのない視線を父に向ける。止めることは出来ないだろうと理屈ではなくわかっていた。それ程に、シャギーの決意には並ならぬものを感じる。
「それ程に決意が硬いのは……フォールスの犯行が濡れ衣か、もしくは事情あってのことだと確信できる証拠を見つけたってことかな?」
父からの問いに、娘は頷く。
「ただ、相手が教会ですから、正式な手続きでは潰されるでしょう」
そう言ってシャギーはテーブルに幾つかの赤い小石を置く。親指の爪ほどであったり胡桃ほどであったりと、形も大きさもバラバラのそれらは、ルビーのように赤く透明に輝いている。
「これは?」
そのひとつを手にとってカランコエが尋ねる。
「“聖女の宝珠”と呼ばれる教会の聖遺物。と、同様の石です」
「つまり宝石……魔石か?」
しげしげと石を眺める兄の問いにシャギーは首を振って否定した。
「それは、魔獣の心臓です」
シャギーの答えにギョッとして、カランコエが石を落としそうになる。
「“聖女の宝珠”は別名“精霊の贄”とも呼ばれるようです。石を持つものに精霊を呼び寄せ魔力を増幅する」
「──まるでクレオメとの戦で見た“精霊殺し”の逆だな。魔獣の心臓がこんな風に結晶化しているなんて、これまで聞いたことがない」
アクイレギアが考え込むように顎に手を添える。
「普通の魔獣ではありません。先生の研究室の被検体──魔力障害を起こしていた魔獣です。先日、聴取の際に研究室から亡骸を引き取って、私が解剖しました」
カランコエは妹に付き添って王宮へ行った日のことを思い出した。確かにあの日、聴取を終えたシャギーは自分が弔うのだと言って、革袋に入れた魔獣の躯を引き取っていた。
「先生は絶対に、私へのメッセージを残したはずだと思っていました。そのひとつが検体の死骸。そして鍵はお母様の遺体窃盗を認めた際の『愛していた』という言葉」
怒りを押し殺して淡々と言葉を紡ぐシャギーに、カランコエが答える。
「愛していたから……心が欲しかったから……つまり心臓が──」
カランコエが最後まで言い切る前に、ガタンと音を立てて椅子が倒れる。そこまで兄妹の話を聞いていたアクイレギアが立ち上がっていた。その顔は青ざめて唇は震えている。
「ちょっと待って、魔力障害の心臓って……じゃあ、魔力障害を起こせば人の心臓でも同様に結晶化するということ……?」
アクイレギアの問いにシャギーは静かに頷く。
「それはつまり、贖人、の、」
シャギーが父の様子にぎゅっと眉を寄せる。
「贖人の心っ……心臓が、聖女の宝珠なら、ガーラントの心臓も……?」
喘ぐように吐き出した父の言葉に、カランコエも目を見開く。
シャギーは目を伏せて息を吐いた。自分は一度この怒りと苦しみを乗り越えた、大丈夫、そう言い聞かせる。この事実に行き着いた後、学園でヴィーナスの首にかかる宝珠を見たときも、引きちぎり奪い取りたいその感情を抑えたのだ。スパイクの助けはあったが。
「おそらく、お母様も含めて過去に贖人とされた人間の心臓はすべて教会に隠されています。フォールス先生はその可能性に気づいて、お母様の墓をあばいた」
そこに、心臓を抜かれたガーラントの死体が残っていたのかどうかわからない。
十年前の遺骨から、証明できるような外傷の痕跡を見出すことが可能なのかどうかもわからない。ただきっと、フォールスは弔いたかったのだ。教会によって冒涜された幼馴染の遺体を取り戻して、正しく家族のもとに埋葬したかったに違いない。
だがその行動は教会に知られてしまった。王宮の研究室にもカルミア教は入り込んでいる。今は疑惑のままだが、フォールスがこの結論にたどり着いたと教会に知られればすぐにでも殺されるだろう。教会側も確信を得はていないだろうが、万が一にも事実を知られる前に、公にフォールスを葬りたい意図が透けて見えている。
シャギーは立ち上がり、立ち尽くしたまま涙を流す父を抱きしめた。父がどれほど母を愛していたのかを知っている。最愛の喪失。父の心臓を貫いたナイフは未だそこに刺さっている。それでも傷ついた心から血を滴らせたまま、精一杯、シャギーとカランコエを守ろうとしてきたのだ。そんな父を、自分も同じように愛して守りたい。父からも兄からも、幼い自分からも母を奪い、その死を冒涜した教会を許すことはできない。もう二度と誰からもその尊厳を奪わせない。
「必ず、先生は、私たちの大切な人は、救います」
シャギーは誓うように、そう宣言した。相手が誰でも引く気はなかった。
◆
「そもそも贖人という存在が、教会によって生み出されたものだったとか……」
学園の中庭で、シャギーの隣のアイリスが唇を噛んでゲーム機を睨む。以前アイリスが贖人を調べたとき、そこには『人の罪を贖うため、地上の穢れを贖うために神に遣わされた穢れなき存在としてカルミア教会に定められる』というものと、『一切の魔力を持たず、超絶した美貌を持ち、そして短命である』という説明しかなかった。
シャギーとフォールスによって真相が判明した現在、贖人の項目には『10歳の魔力測定で贖人と定められた者は教会によって一切の魔力を封じられ、その生涯を終える』の一文が加えられている。
つまり、贖人とは生まれつきの定めでもなんでもない。人為的に引き起こされた魔力障害なのだ。教会が彼らの美しさを、あるべきだった平穏を、そして死後にはその心臓を搾取するおぞましい仕組み。その結論に辿り着いたとき、シャギーは胃液が空になるほど吐いた。熱に浮かされるほど泣いて、泣いて、そして眠らぬままに迎えた朝日の中で、この仕組みは世界から消すべきものだと決意した。師とともに。
そのためにも、フォールスは必ず救い出さねばならない。
「シャギー様」
呼ばれて顔を上げると、そこには王子リナンサスの婚約者、アネモネ・コロナリア公爵令嬢が立っている。
「頼まれていた招待状ですわ。パートナーの方と2名分」
「ありがとう! アネモネ嬢」
サッと立ち上がるシャギーを見て、アネモネが片眉をクイッと持ち上げる。
「所作が雑になっておりますわよ、シャギー様。スカートでないときも心がけてくださいませ」
「気をつけます!」
シャギーが王城の夜会に出ると決めたとき、相談を持ちかけたのがアネモネだった。アネモネは即座に招待状の入手に動いてくれただけでなく、ドレスや小物選びのアドバイス、さらには夜会にふさわしい立ち振舞の指導まで買って出てくれたのだ。
なぜこんなにも協力してくれるのかと尋ねたシャギーに、「私、人を見る目にはとびっきり自信がございますのよ」と、瞳に茶目っ気をにじませてアネモネは笑った。彼女曰く。
「入学早々、聖女様とトラブルを起こしかけた私をシャギー様は救ってくださいました。保身を考えれば見て見ぬふりで捨て置けば良いものを。ですから、それからもシャギー様のことはよーく見ておりましたの」。
とのことだ。シャギーが多くの生徒に対して手を差し伸べるのを自分の目や影の目を通して見てきたのだとアネモネは言う。「こう見えて私、情報戦では王家にも負けたことがございませんのよ?」と、たおやかに微笑む公爵令嬢が見た目通りの人間ではないことはしっかりと伝わった。そうでなければ、権謀術数ひしめく社交界で頂点近くに君臨することは不可能だということだろう。王族の婚約者とはそれ程の立場だ。
乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”には当然、王道としてリナンサス王子と結ばれるルートが存在したわけだが、ハッピーエンドのその先でヒロインは随分苦労したに違いない。
「本当に、何から何までありがとう」
改めて深く礼をするシャギーに、アネモネはやんわりとそれを押し止める。
「御礼には及びませんわ。私には……私達にはずるい打算もございますの」
三日月のように美しい弧を描いていたアネモネの目に、シャギーに対する謝罪の色が浮かぶ。
「シャギー様が王宮で何をなさるおつもりなのか、それは聞きません。ですが国王の決定に思うところがある者はソルジャー家以外にも居るということです。表立って動く勇気のない、私のような臆病者たちが」
「アネモネ嬢……」
「案外、王家の中にもそのような臆病者がいるかも知れませんわよ?」
俯いた瞳ににじませていた悔しさをぱっと霧散させて、アネモネが顔を上げる。
「さあ! シャギー様、昼休みは短いですわ!早速ダンスのレッスンを致しましょう」
公爵令嬢に手を取られシャギーがステップを披露する。体幹がよく鍛えられているせいなのか、馴合ないはずの足さばきも意外と様になっている。
「シャギーたん、最初からこっち方面に努力してたら完璧令嬢だったのでは?」
二人の令嬢を見学するアイリスがぽそりと呟く。
「それは言わない約束でしょ」
シャギーが眉間にシワを寄せてジトリとアイリスを見る。アイリスは吹き出した。きっと本人も気付いているのだ。断罪回避のために始めた努力だが、いつの間にかその目的が変わってしまったと。
もちろんアイリスも知っている。この不屈の精神を持つ少女が、家族を恋人を友人を守るために、そしてこの先も愛しい世界が続くように、ひたすらに剣と魔術を磨いてきたことを。
だから、とても心苦しい。
「アイリス? どうかした?」
ふと一瞬、沈んでしまったアイリスの表情に気付いたシャギーが様子をうかがうように顔を覗き込む。緑の瞳に心配が滲んでいて、その優しさにアイリスはまた心が苦しくなる。
その夜もアイリスは手紙を書いていた。拘束されたフォールスが開発したという不可視のインクは、一定以上の四元素魔法を持つ者にのみ読むことができるのだという。非常に諜報向きのアイテムだなとアイリスは感嘆する。研究室からひっそりと持ち出された為、世間には発表されていない。この先も秘匿されるであろう技術だ。
「難点は、自分でも読めないところよね〜。誤字とかめっちゃありそう」
アイリスは書き上がった手紙を持ち上げて目を凝らす。月に透かしてみても、何も書かれていない白い紙にしか見えない。
未来を予言できる自分の能力はチートだと思っていた。だけどこうして、とんでもない発明をするフォールスや、力技で理不尽をねじ伏せていく努力の天才シャギーを見ていると、自分も別の能力のほうが良かったのではと思うこともある。刻一刻と変わりゆく未来に、最近では追いつけないことも多い。手を尽くしても変えられない予言もある。自分は無力だ。
「ごめんね、シャギーたん」
白紙の手紙を畳んで、封筒に入れる。
自分は無力だから、力を持つ者に託す。それがアイリスにできることだ。
【植物メモ】
和名:ケマンソウ[華鬘草]/タイツリソウ[鯛釣草]
英名:血を流す心臓[Bleeding heart]
学名:ランプロカプノス・スペクタビリス[Lamprocapnos spectabilis]
ケシ科/ケマンソウ属
最終章までこれたのはブクマや評価などくださったおかげです。
本当にありがとうございます。
あと少し頑張って走り切ります!




