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37. 花笠石楠花 Kalmia latifolia




「おはようございます、ヴィーナス様」

「おはよー……」


 眠い目を擦りながらヴィーナスは寝台をおりる。


 王都にあるカルミア教の司教座聖堂、オスボレット大聖堂。広大な敷地内にある居住区で、光の属性を持つ少女ヴィーナス・フライトラップは暮らしている。

 側仕えの修道女によって身なりを整えてから豪奢な装飾のなされた廻廊を歩く。かつて母親と暮らしていた下町とは比べようもない世界だ。


 聖堂では既に修道士達が朝の祈りを始めていたが、ヴィーナスが姿を現すと同時に祭壇までの道が開かれていく。祭壇の前に立つ司教に迎えられ祈りを捧げるよう促された。


 ヴィーナスが祭壇背後の聖女カルミア像に祈りを捧げると、祭壇に置かれた燭台の火が揺らめく。光魔法は四元素すべての精霊の力を増す力があると言われているので、その影響だろう。

 しかし、炎は僅かにその光を強くしたものの大きな変化は見られない。いつも穏やかな笑みを浮かべている司教は、それを見て「ふむ」と息を吐いた。


「なかなか魔力に変化が見えませんね」


 微笑みを崩さないまま、穏やかに告げられてヴィーナスはぎくりと強張った。


「修練は欠かしていませんか?」


 次いで尋ねられ、もちろんですと答えながらも少女は内心で冷や汗をかいていた。


(笑ったままなのがいっそ怖いのよ……!)


 ふくよかな身体に慈悲深い表情。司教はあくまで聖職者らしい態度を崩さず、しかしヴィーナスに語りかける空気が重圧感を増す。


「日々の魔力循環の修練に加えて、魔力の行使には使い手の精神力が大きく影響します。世界を愛し、救い手となる覚悟──かつて聖女カルミアが我々に与えてくれた万物への愛……」


 司教はゆっくりとヴィーナスを見下ろす。目尻が垂れた目蓋はぶ厚く、その奥にある目はよく見えない。


「あなたがここに居る理由を、お忘れなきよう」

「……はい」


 ヴィーナスは細い息でどうにか返事を返した。




(世界を愛するって何よ! 何で私ばっかり世界のために祈ったりしなきゃいけないのよ!)


 与えられた自室へ戻りながら、ヴィーナスの心は荒れていた。


(そりゃ、いい服着せてもらって美味しいもの食べさせてもらってるけど……そっちが勝手に連れてきたくせに! 私だってカランコエとなら修練も頑張れるけど、教会に居ないんだもの!)


 乙女ゲームの主人公に転生したと気付いた時は、人生がバラ色に染まった気がした。


 けれど現実はゲームと違った。カランコエは教会におらず、学園で話し掛けても怪訝な顔をされるばかりだ。ならばとリナンサス王子に接触を試みても、周囲のガードが固くなかなか近寄れない。ガードを固めている筆頭である騎士レオノティスからも、まだ攻略のタイミングでは無いせいなのか素っ気なく扱われる。


「早いとこスパイクかドラセナに会いに行かなきゃ」


 ならば残る攻略対象から攻めてみようとヴィーナスは決意を固めた。堅苦しい教会で祈るよりもイケメンのお金持ちから溺愛されて楽しく過ごしたい。それはとても人間らしく、わかりやすい望みだった。誰に責められる必要もない。しかし聖女の地位を得るための代償は、それを易々と許してはくれないのだ。


 勢いよく歩いていくヴィーナスの背中を柱の影からひっそり見ていた司教だったが、執務室へと戻ると隠し扉を開いた。厳重に管理された金庫を開錠し中にあるものを確認する。


 聖女カルミアの聖遺物である拳大の赤い石。聖女が生前いつも身につけており、聖なる力を増幅させていたと言われる宝玉を眺める。


「光魔法の娘があのままでは、この力を借りるしかありませんね」


 柔和な目蓋の奥にある瞳が一瞬、鋭く光ったように見えた。





「シャギー様!」


 昼休みに入った途端に声を掛けられてシャギーとアイリスは足を止める。声の主はコロナリア公爵令嬢、アネモネである。


「お食事をご一緒しませんこと?」


 綺麗に巻かれた艶のあるブラウンの髪がクルンと揺れる。背後に薔薇の幻影でも見えそうなゴージャスな雰囲気はさすが高位貴族の令嬢と言ったところか。


「喜んで、コロナリア公爵令嬢」

「いやだ、アネモネとお呼びくださいな!」


 シャギーが負けじと花びらを散らして微笑むと、アネモネが頬に手を当てて喜色を表す。


「何なのこのヅカめいた空間は……」


 アイリスは二人の花に気圧されて呟いたが、周囲を見れば女生徒達は皆、うっとりと目を輝かせている。


「まあシャギーたんが皆に愛されるのは良いことよね」


 頷いて、食堂へ向かう二人の後を追った。



 ヴィーナスと一触即発の現場に割り込んで以来、アネモネはシャギーを慕って何かと一緒にいることが多い。ゲームでは婚約者のリナンサス王子にくっ付いて回っている設定だったので、これもまた変化だ。


 代わりにヴィーナスが王子といい感じになるかと思えばそれも無く、自分がゲームと違う動きをしている影響かもしれないとシャギーは思う。若干の申し訳なさを感じるが、もちろん手を借したりはしない。ストーリー通りに進めばいずれ自分の命が危うくなるので。


 できればこのままヒロインや攻略対象とは関わらず──


「やあ、アネモネ」


 ──とは、いかないらしい。


 シャギーとアネモネ達が食事をするテーブルに声を掛けて来たのは、リナンサス王子だった。ゴクリ、とアイリスが息を呑むのを感じる。それとなく肘で小突いて嗜めながら、シャギーはアネモネと王子を見守った。


「ごきげんよう、殿下」

「食事中にすまないね」

「丁度終わったところですわ」


 アネモネの言葉を受けて、リナンサスの視線がもむもむと食後のプリンを頬張っているアイリスへ向けられた。


「あ、おかまいなく」


 堂々と告げるアイリスに王子は少し気圧されつつ、アネモネの隣に座った。コホン、ひとつ咳払いして仕切り直すと内ポケットから折り畳まれた紙片を取り出す。


「実はこれなんだけど……」


 言いながらちらりと周囲を見やれば、近くの席にいた生徒達はそそくさと離れていった。学園は身分関係なく平等という建前はあれど、さすがに王族ともなれば無言の圧が効くらしい。


「私達も席を外しましょうか?」


 シャギーが尋ねると意外なことにリナンサスは首を振って引き留める。


「ソルジャー伯爵令……嬢だね。君にも居てもらった方が話が早い」


 シャギーとアイリスは顔を見合わせた。ついでに、令嬢と呼ぶ際に戸惑いを感じた様子については気付かなかったことにする。

 さりげない人払をした後、リナンサスは紙片を開いて見せる。どうやら手紙のようだ。そこには筆跡を隠すためにわざと角張った不自然な文字が並んでいた。


“アナタの婚約者は不貞をはたらいています”


「──なんですの?これ」


 アネモネが眉をしかめるが、そんな表情にすら品格が漂っている。


「気付いたら机に入れられていたんだ。危険探知の術式に引っ掛からなかったから、僕に害意は無いみたいだけど」

「私は潔白ですわ」

「それについては信頼してる。ただ……」


 言い淀んで、リナンサスはちらりとシャギーを見た。


「あ! 不貞の相手と思われてるのって、もしかして……」


 アイリスがシャギーを見る。王子が何とも言えない顔で頷いた。


「私ですか」


 シャギーがため息をつく。と、同時に、王子の背後から押し殺した笑い声が漏れ出した。


「ちょ、姉さん、公爵令嬢と噂になるとかホンマ、いやさすがですわ〜!」


 言いながらも再び噴き出すレオノティス。王子の護衛としてわきまえて居たらしいが、姉弟子のシャギーがお粗末すぎる騒動に巻き込まれて居るのを見て耐え切れなかったらしい。うっかり訛りも全開になっている。


「こいつクビにしましょう王子」


 表情を無にしたシャギーが淡々と告げると、アネモネとアイリスが揃って笑い出す。それを見ていたリナンサスも表情を和らげた。


「まあ、いたずらに過ぎないと思うけど、何者かがアネモネを貶めようとしている可能性もあるから忠告しておこうと思って」

「ご心配ありがとうございます。気をつけますわ」


 リナンサスの言葉にアネモネが神妙な顔になり、頷いた。


こっち(・・・)の悪役令嬢ルートも回避できるかも?』


 アイリスとシャギーはこっそりと目を合わせながら、同じことを考えていた。





 王城にある来賓用の馬車止めには、王家のものをも凌ぐほどの豪奢な馬車が停められている。


 学園を終えて戻ったリナンサス王子はシャクナゲの文様が刻まれたそれを横目で見ながら、通学用の馬車で通り過ぎた。


 シャクナゲの文様は、この国の国教にも定められているカルミア教のものだ。信仰は強制ではないが、おそらく国民の8割ほどはカルミア教徒だろう。国教となっているので、国が行う祝祭や行事もカルミア教と深く結びついており、打ち合わせのために王都の司教が王城を訪れるのは珍しいことではない。だがリナンサスはどういうわけか、昔からカルミア教の聖職者が苦手だった。


 彼らがどれほどの財と権力を有しているのか、この国の貴族であれば誰もが知っている。王族である自分たちですら、教会の顔色を伺うことなく国を治めることはできない。議会への発言権の強さはもちろん、貴族同士の婚姻にまで口を挟むことすらある彼らを、いずれ王位を継承する人間として警戒するのは当然のことだろう。まして現王──リナンサスの父は王位継承の際にカルミア教の口添えがあったこともあり、今の治世においてその影響力はさらに増している。


 自室に戻って着替えていると父王から呼び出しがあった。指定された場所が王の執務室でなく謁見用に設けられた応接間であることを怪訝に思う。先程目にした教会の馬車が脳裏をよぎる。


 リナンサスの憂慮は的中し、呼び出しに応じた先には父と司教が居た。


 慇懃に礼をとる司教へ、同様に形ばかりの敬意を返してから席につく。いつでも笑みを浮かべている司教の内情は今日も読めない。


「王子殿下は今、王立学園に通っていらっしゃいますね。実は、我が教会の聖女──まだ見習いではありますが、光魔法の使い手も入学しておりまして」

「もちろん、存じ上げております」


 学園で幾度か話しかけられた少女を思い返す。


 王子である自分には常に側近がついており、一般の生徒と親しくするのは難しいため深く会話を交わしたことはない。教会の関係者をそれとなく避けていたのもある。


「なかなか学園に馴染めないようで、どうか殿下にお気にかけていただけたらと」


 司教の願いは何も無茶なことではない。ちらりと父親を見れば鷹揚に頷かれる。


「──わかりました。心に留めておきます」


 代替わりを待たず、早くも自分の代にまで教会が入り込んでくるのを不穏に感じながら、リナンサスはため息を飲み込んで、笑みを浮かべた。







【植物メモ】


和名:ハナガサシャクナゲ[花笠石楠花]/アメリカシャクナゲ[アメリカ石楠花]

英名:マウンテン・ローレル[Mountain laurel]

学名:カルミア・ラティフォリア[Kalmia latifolia]


ツツジ科/カルミア属

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