23.夜香木 Night Jasmine
「じゃあ、出立の日にね。場所はまた連絡するから」
スパイクはそう言って会話を打ち切ってしまった。シャギーはもはや反論する気も起きない。公爵令息がどうやって家を出るつもりなのかとか、家のこととか学園のこととか。知ったことかと破れ被れに思った。自分が秘密裏に家を出ることで神経は遣い切っている。勝手に着いてくるのだから勝手に何とかして欲しい。
女一人で旅をするよりやり易い側面は確かにある。宿を取るにも警戒されずに済むし、野営をするにしても見張りは居るに越したことはない。警戒を怠って寝こけるつもりもないが、こちらを脅してまで無理を通したのだから役に立って貰いたい。
(もしかして、それを見越しての申し出だったりしたりしなかったりしたりして)
うっかりそう考えてしまう気持ちは取り敢えず封印しておく。今は、父親を守り切ることだけを考える。
◆
「アイリス君から聞きましたからね」
翌日、フォールスのもとを訪れたシャギーを待っていたのは怒りのオーラを立ち上らせた師匠であった。ゴゴゴゴゴ……と、おどろおどろしい効果音が背後に見える。
「私も同行しますよ」
師匠までそんなことを言い出すのでシャギーはがっくりと肩を落とした。
「私、そんなに頼りないでしょうか」
「そういう問題じゃないんです。一人の旅も、戦場も、純粋な強さや賢さではどうにもならないことがたくさんあるんですよ」
シャギーは口をつぐんでしまう。覚悟の上だと言い切ったとして、実際に経験がない以上、何の説得力もない。
「師匠にはお仕事があるじゃないですか」
「弟子の命に比べられる仕事なんてありませんよ」
フォールスがため息をつく。
「シャギーの気持ちを変えることは難しいとわかってました。それならせめて、二人で行きましょう」
「あ、いや、二人では……」
「え?」
「ウィンターヘイゼル公爵令息が同行すると……」
「はっ⁉︎」
そこからは延々と説教だった。
未婚の男女二人きりでの旅などとんでもないという話から、公爵家から面倒ないちゃもんを付けられたらどうするのかとか。戦場に行くというのに子どもを叱るようなフォールスに、強張っていた力がどっと抜ける。
「公爵家のことは、多分、大丈夫だと思います」
あの食えないご子息ならこちらの面倒になるようなことはしないと、何となくだがそう思う。シャギーの言葉にフォールスはぱちりとひとつ瞬いて、それから少し、複雑な顔をした。
そしてソルジャー騎士団の分隊が王都から立った翌日の夜明け前。
シャギーはひっそりとベッドを抜け出した。旅装束に着替え、クローゼットに隠しておいた荷物を担いで馬小屋へと向かう。屋敷はしんと静まっているが門番と数人の夜警は起きているはずなので、気付かれないよう裏口から抜け出した。
厩舎の一番奥に繋がれている自分の馬にそっと鞍を置き、暖めておいたハミを噛ませる。手綱を引いて厩舎を出ると、そこには──
「何をしてる?」
腕組みをしたカランコエが仁王立ちしていた。
「お、兄、さま……」
空が白みはじめ、東からの薄い光が兄の美しい顔をほの白く浮き立たせる。言うべき言葉は見つからなかった。ただ、ここで止められるわけにも行かなかった。
硬い表情で立ちすくむシャギーにカランコエはため息をついて歩み寄る。そしてバサリと、手に持っていた布のかたまりを妹に渡した。
ソルジャー家の騎士団服だった。
「着ていけ。少しは面倒ごとが少なくなる」
「お兄様……!」
ああ、この兄は本当に妹に甘い。
申し訳なくもありがたくて、言葉にならない。
「それから……」
カランコエが言葉を切ると、背後の暗がりから今渡されたものと同じ団服を着た一人の騎士が現れる。それはソルジャー家の団服を着ているはずのない、よく知った人物。
「よお、我が弟子。師匠に黙って戦に出るとは随分と薄情じゃねえか?」
「師匠なんで……」
王立騎士団最強の剣士、ブッシュ・クローバーがそこに居た。
「同行者が叔父上とスパイクとなると俺の心労が別の意味で限界を超えるからな。無理を通してお願いした」
兄の言葉の意味はシャギーには計りかねたが何もかも筒抜けであったことは理解できた。ソルジャー家の諜報力に慄くと同時に王立騎士団に属するクローバーまでも引っ張り出して大丈夫なのかと、さすがに心配になってしまう。
そんなシャギーの心情に気付いたのかクローバーがニッと笑った。
「ちょっとした休暇だ。俺ァ伯爵に恩があるしな、頼まれなくたってこうしたさ」
恩ならばシャギーに剣を教えてくれたことでチャラだと思うが、今はその義理堅さに素直に甘えることにした。父を救う手段は多い方が良い。
部屋に戻って手早く着替えて出て来ればクローバーはすでに騎乗していた。シャギーも今度こそ、しっかりと鎧に脚を掛けひらりと馬に跨る。
馬上の二人も、見送るカランコエも吐く息は白い。それなのに、冬の夜明けの寒さを感じないほどに、様々な感情が渦巻いて体が熱い。
「必ずお父様を救って来ます」
「頼りにしてる」
気をつけろとは、もう言われなかった。妹を心配する兄としての感情を殺して、ソルジャー家の兵士として送り出してくれる兄にしっかりと頷いて、駆け出した。
◆
「王国最強の剣士と魔術師を供にするとは。ソルジャー家のやることは相変わらず想定外だねえ?」
「そうですね。我々が居ますから、公爵家のご令息はお帰り頂いて良いんですよ?」
フォールスと合流した後、待ち合わせをした城下の宿へ向かえばスパイクは既に宿の前に立って待っていた。
シャギー以外の三人がそれぞれ名乗ったところでスパイクが相変わらずの軽口をこぼし、対するフォールスはどことなく刺々しい、気がする。
師匠が年々、過保護になっていくのは自分が弟子として色々と非常識なせいだろうか。シャギーはうっすら遠い目になりながらそのやり取りを眺めていた。
やたら派手なメンバーになってしまった一行は揃いの外套のフードを深めに被って馬を駆る。
通常の街道のほかにイフェイオンは軍の移動が速やかに行えるよう軍道が整備されている。外敵の王都侵攻に利用されないために分かれ道や隠し通路などもあるが、ブッシュ・クローバーが居るため迷うことなく進むことが出来る。シャギーは単身で街道を進む予定だったため、改めてクローバーの存在をありがたく感じた。
「シャギー、日没が近づいたら今日は野営する。いいな?」
シャギーの後ろを走るクローバーが馬を並べてきて告げるのに頷くと、クローバーは再び後方へと戻った。四騎はシャギーを先頭にしてその後ろにクローバーとスパイク、最後尾をフォールス、という形をとっている。“目の良さ”に剣の師匠からもお墨付きを貰っているシャギーが索敵の中心となり、道筋の指示をするクローバーがその後ろに付き、並ぶ形でスパイクが走る。本当は公爵令息は中央にして左右の危険から守っておきたいが四人しか居ないため仕方がない。
シャギーにとって初めての野営は手慣れたクローバーとフォールスによってテキパキと設営された。
軍人であるクローバーは当然にしても、研究室にこもっているイメージの強い叔父が野営慣れしていることに驚く。
「私は君の叔父、もともと軍人として教育されたソルジャー家の人間ですよ? 魔術師は戦地に派遣されることも多いですし」
改めて、自分が“内側”の世界しか知らなかったのだと思い知る。剣と魔術を習っていても天幕を張って焚き火はできない。
がっくりするシャギーをクローバーが、魔術で水にも火にも困らねえんだから助かってるぜと慰める。それを言うなら師のフォールスも、実はスパイクも四属性持ちなのだが、それは飲み込んで厚意を受け取っておく。
「なんか師匠、優しくないですか?」
「俺ァいつでも優しいんだよ。誤解されやすいだけで」
ガハハとクローバーが笑う。裏表がなくカラリとしている剣の師は、どんな時も心強い。
それに比べ裏が多そうだなあと、ちろりと焚き火の向こうに座るスパイクを盗み見た。先程も、どう言って公爵家を出てきたのかとの問を曖昧にごまかされたばかりである。
「ウィンターヘイゼル公爵令息、本当に大丈夫なんですか? 公爵家の追手がかかるとかは困るんですが」
叔父のフォールスも面倒事を懸念しているらしく、改めて釘を差している。
「スパイクでお願いしますフォールス先生? 道中は特に。安心してください、ご迷惑はお掛けしませんよ」
ヘラヘラとしながらも、スパイクも返答にいつもより険がある。物腰が柔らかい二人が表面上は笑顔のままピリピリしていると場の雰囲気に圧がかかる。
「過保護だなァ先生は」
クローバーがパンパンとフォールスの肩を叩き、不穏な空気が霧散する。フォールスも自身の態度を反省したのか、眉を下げて苦笑した。
「一応、叔父ですからね。心配しますよ」
スパイクが肩をすくめて頬を掻いた。
◆
簡単な食事の後は交代で休みを取る。四人居るので一人あたりの見張りの時間はそう長くない。クローバーとフォールスは「ガキは寝とけ」「子どもはしっかり休みなさい」と主張したが、シャギーも、意外なことにスパイクも、見張りに加わることを譲らなかった。
そもそもこの世界では16歳で成人という国が一般的だ。学生の身ではあるがすでに16歳を迎えたスパイクはもちろん、15歳のシャギーも子ども扱いされる道理はあまりない。
慣れない環境で体は疲れ切っていたのか、横になればすぐに眠りはやって来た。夜中、交代に起こされる前に目が覚めたのは、体は休んでいても神経が過敏になっていたからかもしれない。
気配を押し殺してそっと天幕を抜け出すと、焚き火の前で火を眺めていたスパイクと目が合った。
「眠れない?」
「そんな繊細じゃ無いです」
目が覚めてしまったから見張りを交代すると言えばスパイクは素直に頷き、しかし立ち上がる様子はない。
「俺は眠れないんだ。繊細なんでね」
茶化すように言い、だから眠れるなら寝てきても良いと暗に告げる。優しいのか、他人と関わるのが面倒なのか、出会ってからそれなりに見てきたが相変わらずよくわからない。
ただ、カランコエに殴られて見せたあの雪の日以降、どうにも気になる存在なのは確かだった。
シャギーは黙って向かいに座る。
「そういえば、そろそろ敬語やめない?」
無事に戻ったら婚約するつもりなんでしょ? 不意にそう言って、上目遣いでシャギーを捉える。探るような様子に腹を割らないのは自分も同じだなとシャギーは自嘲した。
「婚約でお互いメリットがあるのは確認しましたよね」
「それ以上に面倒があるのも確認したと思うけど。──ねえ、敬語」
「そうですね……そうね?」
すぐには敬語が抜けないシャギーを、無理はしなくていいと笑った。その顔が取り繕ったものではなくて少し安心する。
「俺には都合が良い話だから放っておいてもいいかなと思ってたんだけど、何でシャギーが了承したのかわからなくて引っ掛かってるのは、本音」
珍しくストレートに話してくれるのは非日常の夜だからかもしれない。だからシャギーも正直になることにした。
「自分でもよくわからないんですけど、多分、イライラしたからかと」
「イライラ……え、ドキドキじゃなくて? イライラで婚約するってなに?」
イライラです。シャギーがきっぱり言う。
「秘密が多くて、色々なこと諦めたり飲み込んだりして我慢して、無理してるみたいなところ。そういうの体に悪そうで見てられなかったんですよね」
だから諸々暴いてやろうかなと思って。そう言って、シャギーはスパイクを真っ直ぐ見た。
「──それは困ったな」
怒れば良いと思ったのに、やはりスパイクは笑ってしまう。それが何だかやるせない。
敵は手強い。
「つまりそれって、俺のこと気になって仕方ないくらい好きになってない?」
「なってない!」
ものすごく手強い。シャギーはぐぬぬと唸って、スパイクを強制的に天幕の中へ叩き込んだ。
「やっぱ敬語は無い方がいいな。おやすみ、シャギー」
手荒くされながらもスパイクが笑うので、シャギーは何だか途方に暮れた。
やがてフォールスが見張りに起きてきて、複雑な顔で弟子の頭を撫でた。シャギーは黙って夜明け近くまで、しばらくそうされていた。
【植物メモ】
和名:夜香木[ヤコウボク]
英名:ナイト・ジャスミン[Night Jasmine]
学名:ケストルム・ノクトゥルヌム[Cestrum noctunum]
ナス科/キチョウジ属(ケストルム属)
読んでくださりありがとうございます!
ここから多分、シャギーも色々と活躍できると思うので頑張ります!
ブクマ・評価もありがとうございます。はげみます。