3 . いつもの『Caprice』①
──ピピピピ、ピピピピ、ピピ……。
喧しく鳴り響くアラームを止め、眠い目をこすりながら香はベッドから上半身を起こした。
カーテン越しからでも十分すぎるほど伝わる主張の激しい太陽。
その顔を拝んでやろうと勢いよくカーテンを開けたものの、その眩しさに思わず目を閉じる。
なんだか朝から太陽に負けた気分だ。
大きな欠伸とともにグッと伸びをして、とりあえずスマホで時刻を確認。
「………やっば、寝坊じゃん…」
どうやら今日は太陽にも睡魔にも惜敗を喫した一日になりそうだ。
さっさと身嗜みを整え、そこら辺にあったキャラメルを口の中に放り込む。
毎朝の糖分摂取は脳の活性化にも繋がるので欠かせないルーティーンだ。あくまでも個人の感想ではあるけれど。
準備が終われば急いで部屋を出て、足の踏み外しにだけは注意を払いながら一階へと繋がる階段を降りる。
まだ明かりの点いていない店内。
リラックスできる木の香り。
芳しい茶葉の香り。
そしてなにものにも代え難い甘い香り。
「さて、今日も一日頑張りますか」
カウンターの棚にずらりと並べてあるものの中からひとつ。
今の気分に合わせてアールグレイの紅茶缶を手に取り、そのままカウンター奥の厨房へと入る。
「蔵ちゃんおはよー」
先ほどからからずっと物音はしていたし、もうすでに人がいることは分かっている。
というか寝坊してすでに遅刻した身であるのは香であるため、誰かがいるのは当たり前だ。
予想通り、厨房には黒のコックコートを纏った美丈夫がホイッパーを片手に作業に勤しんでいた。
男は手を動かしながらもちらりとこちらを流し見る。
「はよ。朝飯は?」
「食べてない」
「ならちょうどいい。スコーン焼いたから」
「え、わざわざ焼いてくれたの?」
「ジャムとクリームも用意してある」
「……蔵ちゃんほんっといい男だよね。まじで旦那にならない?」
「そのセリフはもう何十回も聴いた。茶番はいいからまずは飯を食え」
「はあい」
ニコリとも笑わないクールすぎるこの男前は白蔵桐という。
『甘味喫茶 Caprice』のパティシエであり、つまるところ香の仕事仲間だ。
桐が焼いてくれたスコーンに今すぐ有り付きたいのはやまやまだが、まず初めに紅茶を淹れなければという謎の使命感。
取り出したやかんに水を満たして火にかける。
美味しい紅茶を淹れるには酸素をたっぷり含んだ汲みたての水だと相場は決まっている。
次にエレガントな紅茶缶の蓋を開けて香りを楽しみ、ティーポットに茶葉を入れる。
ポット1杯に対し3〜4グラムが目安だが、これは完全に好みの問題だ。
朝は濃いめで目を覚ましたい派の香は少し多めに。普段使っているティースプーンだとちょうど2杯分くらいだろうか。
湯を沸かしている間にオーブンでスコーンを温め直す。
「蔵ちゃんも食べる?」
「いや」
軽く首を振った桐は相変わらず作業を続けている。
これはもしかして忙しい中わざわざ香のために焼いてくれたのだろうか。
だとすればすごく有り難い。そもそもこのスコーンを仕込んだのは香だけれども。
まだほんのりと温かさが残っていたため、オーブンで数分温めるだけで美味しいスコーンの出来上がりだ。
沸騰させたお湯をティーポットに注いで所定の時間茶葉を蒸らす。
待っているこの数分が実は結構好きだ。
今日はどんな風に香りを出してくれるのか。
透明な湯を綺麗な赤褐色に染めてくれるのか。
なんてことを考えながら、じっと時が過ぎるのを待つ。
ちなみに湯を沸かす際のポイントだが、ボコボコと泡が出て水面が波打つまで沸騰させるのが望ましい。
逆に沸かしすぎると水中の酸素が逃げて紅茶の旨みが抽出されにくくなってしまうので、やりすぎもやらなさすぎもあまりよくない。
多少の手間がかかりはするけれど、細部にまで気を遣ってあげることで誰にでも美味しい紅茶が淹れられるようになる。
どうせ飲むならより美味しい方がいいに決まっている。
蒸らし終わった紅茶をストレーナーで漉しながらお気に入りのカップに注ぐ。
「ふふ、今日も相変わらず綺麗だね」
風味も水色もバッチリ。
「いただきまーす」
まずは紅茶で口内を潤してから、バターが香るスコーンをひとかじり。
オーブンで焼いたことで外はサクッと中はふんわり。ほんのり奥ゆかしい甘みと食欲そそるバターの風味は本当に紅茶との相性がいい。
これはイギリスのマダムたちが虜になったのも頷ける。
ああ、今日も世界は平和だ。